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from: hikaru0827さん
2013年03月18日 17時28分08秒
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体罰について
お久しぶりです。最近参加できなくてすみません。たま~に出てきますね。標題の件ですが、最近、柔道界に飛び火して、ワイドショー化してる気がします。子供にと
お久しぶりです。最近参加できなくてすみません。
たま~に出てきますね。
標題の件ですが、最近、柔道界に飛び火して、ワイドショー化してる気がします。
子供にとって何が大事か考えることが大切だと思います。
体罰を苦に、自殺をされた学生のニュースから、議論が起こってました。
橋下市長も、体罰容認論から転じて、「スポーツ指導において体罰は必要ない。あってはならない」と宗旨変えしました。
私はこの橋下市長の言葉は、一定の線引きとしては妥当なところかな、という印象を受けました。
「スポーツ指導において」という但し書きがあるからです。
下の事を、以前テレビで教育学者や心理学者が語っていました。
「子供のメンタルヘルスにとって一番良くないのは、虐待を受けて育った子供だが、その次にくるのは全く体罰を受けずに育った子供なんです。」と。
「ゴツンとかバシッとか子供が求めてるところがある」と。
なので、この体罰の話をする時、スポーツ指導なのか、教育全般なのか、というところを曖昧にして欲しくないと思います。
もうひとつ気になる事があります。
マスコミでコメントする元スポーツマンが使う「今は許されない時代ですから」というセリフです。
元スポーツマンの方々は、思い返せば恩師と呼ぶ人から体罰を受けた事があるといいます。しかし、それは自分にとってありがたいことだと今思っていると、感謝していると言います。
ただ今はそういうのは許されない時代ですから、と締めくくります。
子供にとって良い教育指導というのは、そんな簡単に「時代で変わる」ものでしょうか?
「そういう時代」という言い振りは、思考停止に聞こえます。
from: hikaru0827さん
2013年03月29日 08時37分05秒
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教育的指導を規定する事は、教師が萎縮して指導できない事態を防ぐためにも有効だと思います。
「立っとけ!」ぐらいは安心して言えないとね。
もうひとつの論点は、思い余った教師の、真剣であり愛情もあるからこそ、つい飛び出した平手打ちなどの行為についてです。
私は、これは慢性的日常的に行われていたと昨今報道されているような事件とは一線引かないといけないと思うんです。
日常的な暴力は、断固無くすべきでしょう。なので原則体罰はダメですよ、とします。
しかし、覚悟や熱意のある教師の行為は、もしやり玉にあがっても守るべきではないでしょうか?生徒は、自分達に無関心な教師よりもそのような教師を敬愛するのではないでしょうか?
保護者が飛び込んできても、状況を調査したうえで問題なければ、校長の判断で、そのような教師を守るということが許されていいと思います。
校長の見識が問われる、という形になりますね。
>その論理で言いますと なぜ 戦う必要があるのでしょうか
>高橋信次さんなんかも さんざん 大川先生への妨害工作のようなことをしてるらしいですよね
>なんで 仲良く できないんでしょうかー
罪を憎んで人を憎まず、とは「戦ってはいけない」では無いですし、「価値観無視で仲良しこよしをする」ことでもありません。
競争も切磋琢磨もあるでしょうけど、その人の全人格を否定するような事、はするべきではないのでは、ということです。
たとえば・・・。
一時日本人は「エコノミックアニマル」と揶揄されていた事がありますが・・・、それをもって外国の方から、「日本人は全員、経済的関心しかない低俗な人間だ。全ての日本人は排除すべきだ」と言われれば、「いや、いいところだってたくさんあるし、全員が全員そんな日本人ばかりでもないよ」と反論したくなりませんか?
「もっと精神的な文化も発信してくださいね」と言ってもらえれば納得できます。
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