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from: ueyonabaruさん
2013年04月30日 21時03分31秒
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ルシフェルは善であり、真理である
cosmo-hikaru論争に関係があるかもしれません。昭和61年に発行された霊言「天照大神の霊言」という本に、次のようなやり取りがあります。これは天之御中之主命と善川先生との対話です。131pから
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善川: たとえば、今あなた様のみ前に小さく坐しているルシフェルなどのサタンの存在というものは、一体どうした存在なのでしょうか・・・・・。
御中主: 彼らもまた善、彼らもまた真理。
善川: であるが彼らは、真理を見出し得ない状態なのでしょうか。
御中主: 永遠に同じ状態であるのならばサタンもまた実在である。けれども、彼らは、心を入れ替えて神の方を向きさえすれば、神の子となる自由を許されているのである。
善川: であるならば、彼らはその方向へなぜ向かないのでしょうか・・・・・。
御中主: 神は人間に自由を与えられた。それは創造の自由であり、選択の自由であり、行動の自由である。
善川: ということは、迷うことも自由ということになるのでしょうか。
御中主: 迷いを通り抜けて、悟る自由がある。
善川: 迷いを通して悟る自由を与えられているということでしょうか。
御中主: そうでもあります。(以下省略)
(ここで、御中主は人間のことを鮭に例えて自由について語られる。神は、上流に向いてしか泳げないようには作ってはいない、習性としては必ず上流に向いて泳ぐことになっておるが、上にも横にも、下の方向へも泳げる自由を与えている。究極的には、上流に行くように仕組まれている。と言っておられます。)
善川: いま、あなたのお説下さっているこの真理を彼らは聴いておりましょうか。
御中主: 聴いております。
善川: 彼らにも少しは理解がいきつつありましょうか。
御中主: いくことを望んであります。
善川: 彼らがこういう場に出て来ているということは、やはり彼らも何かを求めているのでしょうか。
御中主: かもしれません。 (以下略)
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ルシフェルが向きを変えるのは、長い時間の後かもしれないと感じますが。
コメント: 全1件
from: enzoさん
2013年05月03日 22時49分03秒
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こんばんは。
神道主宰神のお言葉ですね。本来であるならば、そのお言葉を直に聞くことはできないもので、
>御中主: 彼らもまた善、彼らもまた真理。
>御中主: 永遠に同じ状態であるのならばサタンもまた実在である
これは、この世的にもあの世的にも悪としか見えない彼らでさえも、神の創造の例外ではなく、「よきもの」として創られ、本質、格の部分には神と同じ性質の光が宿っているという解釈と、時間の流れの中での変化を差していて、立脚点は一元論ということになるでしょうか。
かたや、本来悪はなしといえども、現実目の前や巷には、実際形に見える悪というものはあるというのが二元論で、そうであるなら、心強き者、正しき者が悪を押しとどめようとする行為は当然と言えるかもしれません。
その両者を複眼にして物事に対処するなら、現在目の前にある悪に対しては、注意、指摘なり戦うなり、そのままにしない。と同時に、彼もまた自分と同じ神仏の子、時が経てば悟って救われているかもしれない、という視点で見れば、もはや敵ではない訳です。
これはすなわち、hikaru0827さんの言われる「罪を憎んで人を憎まず」という考えと合致していることになると思うのですがいかがでしょうか。
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