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from: hikaru0827さん
2013年05月17日 07時40分58秒
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「なぜ人を殺してはいけないのか?」
>とは言っても やっぱり 通常 殺人は 悪だ
>と 通常は考えているのではないでしょうか
>こういう 感覚というのは おわかりでしょうかー
分かります。普通みなさんそう思っています。ではもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
このように聞かれたら皆さんはどのように答えますか?
昔、サカキバラ事件で世間が騒いでいた頃、番組内で中学生がした質問です。
番組に出ていた専門家やコメンテーターはまともに答えられなかったそうです。
当然いけない事だという認識が一般的ですが、なぜだ?と問われたら皆さんはなんと答えられるでしょうか?
コメント: 全11件
from: cosmo77さん
2013年05月25日 17時41分51秒
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ヒカルさま
いろいろ悪く書いたようですみませんですー ρ(..、)
成行きで なんだか書かざるを得なくて。。
>私の答えは、
【殺す事をタブーと感じるように、神様が人間を創っている】
です
おっと 模範解答のようになりましたねー ・ω・
いろいろな 理屈も付けられるでしょうし 長い転生輪廻の過程でそういう
感情を取得したという 解釈もあるかもしれませんね
ということは ヒカルさんは この点
無神論者でも 唯物論でもない ということですので
ただの ボクの間違いということになりました (。。)
では 次の 件に 参りましょうかー
ボクの解釈によれば ヒカルさんの 世界観として次のような感想を
持っておるわけです
------------------------
人間や神仏が ただの動物と同じ類と 考えておられるように思える
なわばり争い 覇権抗争等 書かれてますね
------------------------
これが やはり レプ思想か 唯物論を 感じさせたわけでしょう
これは どうなんでしょうか
表系の考えでは
神仏が この世に 降りたのは
物質等の 奪い合いをするために 生まれているわけではない
もっと 高貴な精神性と使命を持って 生まれている という考えです
人間も それと 同等の生き方が期待されている ということだと思います
from: にしき鯉さん
2013年05月25日 12時58分24秒
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《う~ん。殺傷の怖さ、嫌悪感は、そんな理屈ではなく、もっと根本的な部分に理由がある気がしてきました。〉》
ヨーガ的解釈は面白いですよ、
ヨーガも殺生は禁じていますが愛とか、憐れみからではないんです
ズバリ言うと、殺生をする時、殺される側の恐怖が移るんです
突然の事故で即死した場合は別ですが、多くの場合嫌だ、死にたくないという思念を持ちながら絶命します
それは恐怖と絶望の混沌とした状態の意識で、当然、殺した側に向けられて発せられます
受けた側は深層意識に深く組み込まれ、肉体と精神に多大なケガレを作ります
だからヨーガ行者は、自分のために殺生をしないよう努めます
hikaruさん、人間に近い生き物ほど「意識の枠組み」が大きいのはご存知ですか?
人間対人間の場合、とても同調しやすい感情を持っていますのでなおさらです
もっと、大きな愛の方向からの説明もありますが、とりあえず最初はこういう考えからスタートします
これを、信じるかどうかは、hikaruさん次第です、参考までに、、、
from: hikaru0827さん
2013年05月24日 09時18分57秒
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みなさんへ
ご意見ありがとうございました。
コメント遅れて申し訳ありません。
このお題、実は少し前に「たかじんのそこまで言って委員会」で取り上げられたものなんです。
パネラーで多かった意見は、「自分が、されたくないならば...」でした。
にしき鯉さんの、
【自分が安心して生きていたいから】
に近いかもしれませんね。
この答えに対して、「『死刑になりたくて人を殺した』という輩もいますが、どうですか?」という指摘があり、
「例外な人間は何処にもいる。そんな人の事まで説明する必要はないでしょう。」
と答えてましたが...。
また、ある専門家が曰く、
「一般的には、いけない事だと認知されており、それがないがしろになると、社会が混乱するから、と普通に答えればよろしい。」
だそうです。
enzoさんの
【肉体を傷つけることによって相手に精神的な苦痛を与えるから】
というご意見、なるほど!と膝を打ちました。
色心不二といいます。
確かに肉体へのダメージは、精神や心、そして魂にも強く影響しそうです。
つまり、霊的にみても恐怖体験であるとなれば、殺す事も殺される事もダメだ、嫌だ、怖い、と潜在意識に刷り込まれるのは至極当然ですね。
>肉体が滅びても魂が永遠なら、優先されるべきは肉体ではなく精神なのだと思います
全く同感です。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
これについて、最初私が思ったのは
【貴重な地上体験、若しくは尊い使命の遂行を邪魔する行為だから】
です。enzoさんも言及されていましたね。
...ですが尊い使命のある方はともかく、研修旅行程度の人の場合、それを邪魔する行為って、それほどの事だろうか...と思います。
殺す...その様子を想像するだけで、そのおぞましさ、恐怖感が心に迫ります
とてつもなく重大です。
この恐怖感を説明出来る「理由」としては足りない気がします。
次に考えたのは、こんな感じです。
【殺された、その人を愛する人がいた筈です。その人の悲しみ、絶望。
殺された人が愛していた人も居ます。愛する人と離れざるを得ないという悲しみ。
このような悲しみや絶望の渦を作ってしまう事の重大性、罪悪感。...この罪悪に対するケジメが魂にとっての恐怖につながっている】
う~ん。殺傷の怖さ、嫌悪感は、そんな理屈ではなく、もっと根本的な部分に理由がある気がしてきました。
「殺してはダメだ」「殺すという事の忌避感」
これはもう、人間のDNAに刻み込まれたものなんではないか?
なぜダメなのか?ではなく、ダメだと思うように人間は創られているのではないか?
最初から人間にとって、「殺」とは「禁忌」なのではないか?
そんな気がしてきました。
それにしては...と思いますよね。人類は大昔から殺し合いをしています。
農耕民族の日本人ですら、例えば、戦国時代は手柄の証拠に首を取ったりしていたわけで...。
凶悪犯罪者なども、どうかしています。
「禁忌」ではあるが、その感覚は麻痺しやすいものとも言えそうです。
その理由の1つが、私達は、他の命を頂かないと生きていけない仕組みの中にいるからかもしれません。
それが故に、食べる為の必要最小限の殺生は致し方ないと考えます。感謝して食べることで贖罪を果たした気になります。
仕方なく殺生してるうちに「殺す」事への抵抗感が少しずつ減っていき、何かの拍子にタガが外れるのかもしれません。
リミッターが壊れやすいと言えばいいのでしょうか。
仏教の戒も、そのような「慣れ」を防ぐ為かもしれませんね。
しかし人の心、魂には、元来、「殺す」事は「禁忌」だと編み込まれているのではないでしょうか?
私の答えは、
【殺す事をタブーと感じるように、神様が人間を創っている】
です。
COSMO77さんは以下のように言われました。
【一般には 答えられる必要はないのではないでしょうか
そういう感情があるわけで それが 大切であり】
私の考えていた事と「近い」と思いました。理屈ではなく、すでにそこにある感情という事ですね。
くだんの番組で、瀬戸内寂聴さんは、「理由なんかない、これはしてはいけない事だ」というような意見を提示され、
パネラーの答えにも「あかんもんは、あかんねん!」というのがありました。
もし中学生に聞かれたなら、まずは、大きな声で「あかんもんは、あかんねん!」と強く断言してあげるのが実は正解かもしれませんね。
from: hikaru0827さん
2013年05月20日 00時16分46秒
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みなさん、コメントありがとうございます。
にしき鯉さん、お久し振りです。久々のご登場うれしく思います。
私も頻繁には書き込めませんが、またどうかよろしくお願いいたします。
本件について、もう少し私の意見をまとめる時間下さい。
from: enzoさん
2013年05月19日 07時32分49秒
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「なぜ人を殺してはいけないのか?」
この質問をした中学生は、殺人OKとした場合、自分も殺される側に立つ可能性を想定してませんよね。
「優勝劣敗」は確かに宇宙の理法の一つではあるし、民族神同士が争うこともあれば、戦闘的な種族は相手を根絶やしにしてしまうこともあるけれど、さらに上位の神はどう思っているかというと、やはり「それぞれ違う種族、違う国の者たちが、共存・共生しながら繁栄を目指す」ことをよしとしているのではないでしょうか。
当会風にいえば、「他者のこの地上での魂修行の機会・権利を奪ってはならない」ということになると思います。戦時はそれ自体が大きな経験・修行になるので優先事項となるのでしょうか。
私が思うに、肉体が滅びても魂が永遠なら、優先されるべきは肉体ではなく精神なのだと思います。ではなぜ相手の肉体を傷つけることも悪とされるか。それは、肉体を傷つけることによって相手に精神的な苦痛を与えるから。戦時においては先と同じということで。
肉体がなによりも最優先と考えることは唯物論に繋がるのだと、こんな考えです。
from: にしき鯉さん
2013年05月18日 06時23分52秒
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皆さん、挨拶が遅れて申し訳ありませんでした
ここ、半年ほど書き込みはしなかったのですが、hikaru0827さんのトピックにひかれて又書き込んでしまいました、よろしくお願いします
hikaru0827さんは正と邪の区別を自分の中で作っていきたいのではないかと思うのですがいかがでしょう?
普遍性のある「正と邪」はとても難しいんです
一緒に考えていければと思います
おそらく、コスモさんのいうような「殺人OK]ではないでしょう
総ての考え方、宗教、常識、価値観、それらを容認した上で判断を自分でつけたいのではないかと思います
私は仏教の知識しかありませんが、皆さんの参考になればとてもうれしいです
from: にしき鯉さん
2013年05月17日 19時14分44秒
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昔、警察官とその話をしたことがあります
<昔、サカキバラ事件で世間が騒いでいた頃、番組内で中学生がした質問です。
番組に出ていた専門家やコメンテーターはまともに答えられなかったそうです。
当然いけない事だという認識が一般的ですが、なぜだ?と問われたら皆さんはなんと答えられるでしょうか?>
それは自分が殺されたくないから出来たルールです
人類誕生から、長い間、今でも人間は少しも強くなっていません
だからこそ、徒党を組み知力で他の生き物を支配してきました
その途中で「俺はお前を殺したりしないからお前も俺を殺そうと考えないでくれ」という考えが生まれました
自分の生命が脅かされないことは、安心感につながります
だからこそ、皆が暗黙の了解で「殺人」を悪としてきたのです
ただし、これは平和が前提に掲げられているから正しい常識です
hikaru0827さん、もちろん、日本は平和国家ですからこの常識は通用します
脱線するといけないので、話をもとに戻します(日本に限定)
日本は法治国家です、罪を犯せば罰するというルールがあります
教育という形でルールを教えています
私が、中学生に質問されたら迷わず答えます
「自分が安心して生きていたいから」と、、、
そしてそのルールがいやだと言うのなら「殺人OK]の場所で生きればいい
たとえば、傭兵、彼らは、殺されるかも知れないという恐怖と多額の報酬を天秤にかけて
戦争に行っています
ここでは、殺人は悪ではありません、当然の事です、仕事ですから
・・・・・・・・・
蛇足ですが仏教の「不殺生戒」は意味が少し違います
ルールではなく心の統御を目的としています
from: cosmo77さん
2013年05月17日 18時23分38秒
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ヒカルさん
いつも不躾かつ失礼なことを言ってるんだと思いますが(ボクがです)
ヒカルさんは 今は 神仏とか 信じられておられるのでしょうかー
どうも そこが一番 ネックになってるような気がするのです
しておられるとしても 少し 通常?と違いませんですか?
まるで 無神論者の方と お話してるような 感想を 持ってしまうんです
ですので 邪教だなんだかんだ と申してるんだと思いますが。。
>「なぜ人を殺してはいけないのか?」
これがわからないのは 通常 無神論 唯物主義 とされる人ではないでしょうか
>専門家やコメンテーターはまともに答えられなかったそうです
一般には 答えられる必要はないのではないでしょうか
殺人をしてはいけない
仏像やキリストの像を 踏んだりしてはいけない
等々
理屈ではわからないことは ありますね
そういう感情があるわけで それが 大切であり
目に見えぬものを 信じる 信仰心と 同じようなものでしょう
>COSMO77さんは、事実を科学的に捉え、正見を宗としてるのですよね?
好き嫌いや、個人的感情は正見の障碍となります
科学的思考や 正見というのは
感情も含めて 考察分析するものです
以前にも書いてますけど。
(ヒカルさんってでもホントに他人の言説の影響を受けない方ですね (T_T))
>私は地球人ですから(たぶん)、自然心情的にこちら側を応援したい傾向が出ます
素直に 親和性のある感情に従えばいいだけですね
愛と徳 平和 といった価値観を 共有するのが 表側でしょう
ボクは そういう 世界が作りたいので 共感してるだけです
素直に生きたいだけです
動物的な本能で やってるわけではないですね
動物と人間は違います
>全く同感です
反論が多すぎて複雑すぎて 何が 同感なのか ほとんど理解できませんね
暑くなったから ビールがサイコーだねー
そうだねー
なんてなら 誰でも わかるんじゃ? ヒカルさんは わからないんでしょうね
>COSMO77さんが「果物はリンゴです」と言えば、私は「果物にはリンゴ以外もありますよ」と言い
いえいえ ボクは りんごは 果物ですよねと言ってるだけですよ
そうすると ヒカルさんが いや これはなんだかんだと 始まるだけでしょうー(笑)
説明しなくても
殺人は悪だ と 共通感情としてはあるでしょうし
正当防衛は 許されるというのも あるでしょう
と言ってるだけです
>立ち位置を聞かれましたね。
捕食する、されるという関係は正邪に分けるものではなく、敵、味方で分けるものだと思います
人間や神仏が ただの動物と同じ類と 考えるべきかどうか
次の 論点としてありますので とりあえず今回は スルーいたしますね
from: hikaru0827さん
2013年06月02日 16時57分31秒
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にしき鯉さんへ
>ズバリ言うと、殺生をする時、殺される側の恐怖が移るんです
>突然の事故で即死した場合は別ですが、多くの場合嫌だ、死にたくないという思念を持ちな>がら絶命します
>それは恐怖と絶望の混沌とした状態の意識で、当然、殺した側に向けられて発せられます
>受けた側は深層意識に深く組み込まれ、肉体と精神に多大なケガレを作ります
>だからヨーガ行者は、自分のために殺生をしないよう努めます
返信ありがとうございます。
恐怖が移るという話、以前にも伺った覚えがあります。
さすがですね。
にしき鯉さんが加わると、議論に奥行きが出ます。
意識のシンクロ性はスピリチュアルな観点からだけでなく、脳科学でも証明されてきたようですね。島葉というところだそうですが。
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