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from: ueyonabaruさん
2013年06月05日 10時49分04秒
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天安門事件24周年
<天安門事件24周年に先立ち、習近平政権は、共産党は北京や上海の大学に対し、「七つの禁句」を授業で使わないよう通達したそうです。
「七つの禁句」とは、(1)「人類の普遍的な価値」(2)「報道の自由」(3)「民主的な社会」(4)「公民の権利」(5)「中国共産党の歴史的誤り」(6)「特権資産階級」(7)「司法の独立」だそうです。(5/24 相馬勝のチャイナウオッチング)>
あらためて、中国の実状に驚き、問題の大きさに圧倒されます。こんな国が隣にはあり、これが一人前の国家として発展しているのですね。
こんな国はなくなってしまえばイイと思いますが、中国が混乱してしまうとどうなるんだとの惧れもでてきます。
ネットでは、七つの禁句はすべて削除されるとのことですが、中国国民に真実を隠し通せるのものでしょうか?
中国の共産党政権の崩壊後の世界の混乱は、非常に面倒なことになるでしょうが、日本始めとする自由主義国家は負担をしなければならないと思います。義務ですね。
チベット、ウイグル、内モンゴルそして中国の大衆のために共産党政権の崩壊を促進すべきだ。
コメント: 全65件
from: kanataさん
2013年06月16日 02時52分44秒
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ueyonabaruさん
>>つまり人それぞれ信じたものの姿を見る、ということですね。
>極論を言えばそうなります。信じないと受け付けないのですから。大川先生という名前の方がいるということは分かることでしょうが、エル・カンタ-は信仰者のものです。
わかりました。
>イメ-ジするというのをもっと大きなものとして考えます。イメ-ジは想像力、理解力、一体として考える力などわたしにとってはきわめて重要な言葉となります。
イメージはどんなに大きく強固にしようとも客観的な実在ではないように思えますが・・
>>しかしそれが世界宗教とどう結びつくのかueyonabaruさんのご説明からは見えてこないんです。世界宗教なのですから、「信者でない人にとっては何の関係もない」ということは言えないのではありませんか。
>世界宗教になるのは、信者さんが増えるしかないでしょう。それ以外はありません。
「世界宗教になる」ではなくて、「世界宗教」です。支部長から聞いた話では、幸福の科学は既に世界宗教です。目指しているわけではありません。目指しているだけなら他の宗教と同じですね。世界宗教であるなら「一般性ある客観的な実在」でなければならない前提が含まれていると思うんです。
>>この「実在」というのがよくわからないんです。仰ったように「自分の認識の範囲でしか真理認識はできない」のですから、イメージによってでしか一体となれないのであるなら、「エル・カンターレは実在である」という主張は仮説のままです。
>私のいう意味は、エル・カンタ-レも実在、我々人間も実在であると主張しておきたいのですが。
人間がイメージするエル・カンターレ像はそれだけでその人の心の一部を形成するという意味では一体であるといえますね。そしてそれは人それぞれのもので客観性のない実在ですよね。それならなんとなくわかります。疑問に思うのは、実在界で客観的に在るのであれば、それが狐でも狸でもないと誰でも理解できる状態なのかどうかということです。それは信じるしかない話でしょうか?
>>「人間は自分の考えるとおりのものである」とすれば、エル・カンターレも自分の考える通りのものとなるでしょう。
>エル・カン-タ-レを知るということが大事なのです。エル・カンタ-レと言うと、誤解を招くようですので、例を変え、パウロにしましょう。パウロを知るのは、文物などによりその存在を知ります。パウロが霊界でどのような位置にあるかということは、霊言などで知る、またはそれ(霊言)を信じるしかありません。パウロのこの世を超えた存在のことは、この世の知識のみで知ることはできません。
そうですね。ですから野田元総理の霊言間違いは私にとっては一大事でした。我々凡人には霊言でしか知る手立てはないので、その霊が何者であるかを知ることは非常に大切です。その手がかりを失ったので、心の王国もだいぶ小さくなってしまった気分です。
>この世を超える事象は、信じることしかないのでは。自分が五感で認識できないという方は多いでしょう。その人にとっては、パウロは7次元霊であるとか何とかは関係ありませんね。その人にとっては、パウロは文物で知るパウロのままとなります。ですから、パウロはその人の考えるとおりの存在となりますね。その意味ですが。エル・カンタ-レについても同じです。
やはりそうでしたか。わかりました。エル・カンターレは心の王国でイメージという形でのみ自分と一体であり、精神世界での客観的な実在が何であるかは不明ということですね。
>>なにかを認識するには観念が必要かとは思いますが、ここでいう実在は、観念を超えたものが含まれると思いませんか。
>観念というのは、概念ということですが、まずここで(この世界)の文物でもなんでもいいのですが、概念を得ます。その後、勉強しなければ、概念は変化しません。
私はそうした概念を知らなくても知ることが出来る存在だと思っておりましたよ。これこそ世界宗教に相応しいというくらいに。
>安倍は挫折するカルマが説明されたのは、第一次安倍内閣発足当時のことだったんです。それは第二次安倍内閣のときとは何の関連性もないのですが、それについてはどう思われますか。
日本の総理大臣はほとんどが志半ばの短命ですから、そうした意味では「挫折」と書いておけばほぼ当たるのではないかと思っています。
from: ueyonabaruさん
2013年06月16日 01時21分51秒
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kanataさんへ
>つまり人それぞれ信じたものの姿を見る、ということですね。
極論を言えばそうなります。信じないと受け付けないのですから。大川先生という名前の方がいるということは分かることでしょうが、エル・カンタ-は信仰者のものです。
>さて、エル・カンタ-レとどのようにして一体となるかは、イメ-ジによるしかしかないでしょう。瞑想でもあるでしょうね。そうすると、おっしゃるように各人によってエル・カンタ-レ像は異なるのでしょうね。
>ここがわかりません。イメージはどこまでもイメージに過ぎませんよね。
イメ-ジするというのをもっと大きなものとして考えます。イメ-ジは想像力、理解力、一体として考える力などわたしにとってはきわめて重要な言葉となります。
>しかしそれが世界宗教とどう結びつくのかueyonabaruさんのご説明からは見えてこないんです。世界宗教なのですから、「信者でない人にとっては何の関係もない」ということは言えないのではありませんか。
世界宗教になるのは、信者さんが増えるしかないでしょう。それ以外はありません。
>「一般性ある客観的な実在」でなければならない前提が含まれていると思うんですよ。
私はそうは思いません。
>この「実在」というのがよくわからないんです。仰ったように「自分の認識の範囲でしか真理認識はできない」のですから、イメージによってでしか一体となれないのであるなら、「エル・カンターレは実在である」という主張は仮説のままです。
私のいう意味は、エル・カンタ-レも実在、我々人間も実在であると主張しておきたいのですが。
>「人間は自分の考えるとおりのものである」とすれば、エル・カンターレも自分の考える通りのものとなるでしょう。
エル・カン-タ-レを知るということが大事なのです。エル・カンタ-レと言うと、誤解を招くようですので、例を変え、パウロにしましょう。パウロを知るのは、文物などによりその存在を知ります。パウロが霊界でどのような位置にあるかということは、霊言などで知る、またはそれ(霊言)を信じるしかありません。パウロのこの世を超えた存在のことは、この世の知識のみで知ることはできません。
この世を超える事象は、信じることしかないのでは。自分が五感で認識できないという方は多いでしょう。その人にとっては、パウロは7次元霊であるとか何とかは関係ありませんね。その人にとっては、パウロは文物で知るパウロのままとなります。ですから、パウロはその人の考えるとおりの存在となりますね。その意味ですが。エル・カンタ-レについても同じです。
>なにかを認識するには観念が必要かとは思いますが、ここでいう実在は、観念を超えたものが含まれると思いませんか。
観念というのは、概念ということですが、まずここで(この世界)の文物でもなんでもいいのですが、概念を得ます。その後、勉強しなければ、概念は変化しません。
>同じ木を見るにも人によって認識の仕方が違うのはわかりますが、そこに木と呼ばれる何某かの色や形状をした物体を見ることはほぼ誰でも共通しています。
科学的には共通した観念、概念はありますが、これでも人の見方によっては大分異なってきますね。宗教的に考えていく人達がいるのです。神の一部である、人間の思いが通じる、
神がやどるとか色々とあります。みなが、一様に科学的な認識をしないのです。
>現象界にある木ですらそうなのですからましてや実在界のエル・カンターレであれば尚更です。地球神でもある人格神である以上は人それぞれの認識に共通した実体があるのではないでしょうか。
現象界の木にも様々な認識があると申しましたが、エル・カンタ-レとなるとなお難しいのではないでしょうか。勉強して、信じていくという作業が必要です。
>思いだしながら書いておりますが、今ひとつ予言性のあることと思うのは、霊言ではないのですが、安倍総理が最初に総裁になられたときに、この方の霊査のようなことがなされ、Liberty誌に記事が載っておりました。この方は、途中挫折するというカルマがあるという風なことが書かれておりましたが、そのとおりでした。そして、挫折の後に復活するというパタ-ンがあると先生は言われました。そのとおりになりました。
>これを読んで思ったのは、ひとつのお題について、互いに違う結果を思わせる記事や霊言を出すことで、どちらに転んでも主張の正しさを公に流布することが出来るということでした。安倍総裁については昨年のNHK会長の霊言で「自民党総裁選は安倍は有りえない。一度落ちた者は総裁にはなれない。」という内容のものでした。支部でも法友同士でその話をして「石原か石破のどっちだろう」と話したのを覚えています。安倍は蚊帳の外だったんですね。このように復活しないという霊言がある一方で、反対に復活するという霊査がある。どちらに転んでも当たった方を宣伝することで正しさを示すことができるわけです。この場合、NHK会長の守護霊の方が間違っていたのだ、という意見が予想されますが、野田元総理の霊言のとおり、公に事実として明るみにならなければ何もわからない霊言とは一体なんであるかが問題になるわけです。しかし我々はそれを真実であるかのように読んでいたのです。
安倍は挫折するカルマが説明されたのは、第一次安倍内閣発足当時のことだったんです。それは第二次安倍内閣のときとは何の関連性もないのですが、それについてはどう思われますか。
(少し頭が疲れてきたので、以下は保留としますね)
>今回の第二次安倍内閣も、こちらでは、安倍さんの長期政権を予言しておりません。逆ですね。どうなるのでしょう、安倍さん、私はその幸福の科学の見通しが間違いであって欲しいと真面目に思っておりますよ。どうなるのか? 安倍さんの霊言はこのあいだ出版されましたね。安倍さんの心の内を私たちは半信半疑ながらも霊言での彼の発言から推量するのです。実際に安倍さん、弱くなりましたよ。自分自信の強い信念というのが感じられなくなりました。霊言での安倍さんの弱気振りがほんとなのかもしれません。そうすると長期政権もないのかという不安が出てきますね。
それは第三の矢である成長戦略に陰りが見え始めてきたことに乗じて霊言を出しているとも読めますけどね。私の根強い印象の中では今でも霊言はまったくブレていないです。むしろアベノミクス(幸福実現党ミクス)が失敗した時のために予防線を張っているように見えます。
>もう一つ挙げるとすれば、オバマ大統領の最初に当選した直後か直前に、先生が、「アメリカの没落の始まり」と予言されました。そのことが私の頭から離れないのですが、そのようななって行きそうなアメリカという感じがします。もう世界の警察はできなくなるのかもしれません。また、オバマが日本嫌いであることも、霊言で明らかにされましたね。その通りではないでしょうか。
アメリカ民主党はもうずっと日本嫌いで有名ですよ。それとブッシュ政権後半から世界の警察としての機能には陰りが見え始めていましたから、前政権の負の遺産(イラクやアフガンへの派兵)を受け継いだオバマが特別にそうだという印象はありません。むしろ2009年からアメリカ経済指標は改善し続けていますし、オバマはたとえ何もしなくても「良い大統領だった」という印象を得られるラッキーな大統領になるだろうという評論さえあります。
>霊言は予言ではないが、霊言で明らかにされることを区切りに、世の中の変化が併行して起こっているような感じを持っております。
調べてみると後追いであることがよく分かると思います
from: kanataさん
2013年06月15日 23時39分25秒
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ainotaigaさん
>誤解を与える行動であるとは思います。しかし幸福の科学が教える霊界や価値観まで狐や狸に化かされた内容のものでしょうか?
狐や狸に化かされていると言っているわけではないです。狐や狸に化かされているとしても否定できない、ということです。正体不明とはそういうことなんですね。
ザ・リバティ(2011年12月号)にもありますが、守護霊は「ほとんど本人と一体で、本人と同じような考え方、行動をしている」ので「削除」したのは、そうした守護霊の定義が崩れるからです。そうなると霊界もわからなくなり、エル・カンターレが何者であるかも不明になります。まさに蟻の一穴状態、教義の根幹に関わることになってしまいます。
>では光の体験をどの様に受け止められましたか?霊的な体験ですか?それともこの世的に説明のつく肉体精神の問題と思われましたか?
その講義を聞いた動機は資料として確かめるためだったので、精神的なものを求めたがゆえのヒステリー症状のような類ではないのは確かでしょう。教祖に対する信心すら微塵もない状況で見聞したのですからそれは確実に言えることです。ただ聞き始めて5分程度でいきなり訪れて歯止めが利かなくなったのでびっくりはしました。霊的かどうかはわかりません。霊感はないと自負してます。したがってainotaigaさんの分類に従えば他力のみの体験ということになろうかと思いますが、気の迷いとも違うようです。幸福の科学で光体験した身近な会員さんもお話を伺った限りでは私のと似ており、体験した後に自分の中で何かが変わったというわけではないこともお互いに確認しました。むしろその方が冷静になれていいのではないかと思っているくらいです。
from: kanataさん
2013年06月15日 23時29分13秒
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ueyonabaruさん
>客観的な実体とは、何を指すのかという問いにもなるのでしょうね。難しい質問ですね。
>私なりに説明を試みてみますね。客観的というのが物質世界における客観的存在をさしているものではありません。これは了解できますか?
わかります。
>精神的な世界における存在になります。エル・カンタ-レはこの世に生きているので、精神世界だけに生きているものではありませんが、精神世界だけに限定し話を進めますね。実相のエル・カンタ-レは私たち信者にとっては実在です。信者でない人にとっては何の関係もないことです。
つまり人それぞれ信じたものの姿を見る、ということですね。
>さて、エル・カンタ-レとどのようにして一体となるかは、イメ-ジによるしかしかないでしょう。瞑想でもあるでしょうね。そうすると、おっしゃるように各人によってエル・カンタ-レ像は異なるのでしょうね。
ここがわかりません。イメージはどこまでもイメージに過ぎませんよね。心の王国・自分教はエル・カンターレというイメージと一体となることができる点はわかります。イメージした時点でそれはすでに心の王国と不可分ですね。心の王国なのですからあの世はそのまま心の王国になります。ゆえにあの世でも心でイメージしたエル・カンターレがいるのでしょう。しかしそれが世界宗教とどう結びつくのかueyonabaruさんのご説明からは見えてこないんです。世界宗教なのですから、「信者でない人にとっては何の関係もない」ということは言えないのではありませんか。2011年12月に埼玉スーパーアリーナで開催された「エル・カンターレ信仰入門」によればエル・カンターレは「地球神そのものである」と大川氏は主張されていましたし、「信者限定の神様」ということはないと思います。やはり「一般性ある客観的な実在」でなければならない前提が含まれていると思うんですよ。
>>つまり「エル・カンターレは仮説である」ということと同義になるのでしょうか。
>そうではありません。エル・カンタ-レも我々も実在なのです。実体者です。
この「実在」というのがよくわからないんです。仰ったように「自分の認識の範囲でしか真理認識はできない」のですから、イメージによってでしか一体となれないのであるなら、「エル・カンターレは実在である」という主張は仮説のままです。
>>あるいは「エル・カンターレは人間の認識の傾向である」とも。
>ここのところ、よく理解できませんが・・・・・。
「人間は自分の考えるとおりのものである」とすれば、エル・カンターレも自分の考える通りのものとなるでしょう。
>>自分の認識の範囲を超えられないために、はっきりとそれがエル・カンターレであるとは言えないわけです。
>その人にエル・カンタ-レという観念がなければ、また認識していなければ、分からないことになります。
何かを認識するには観念が必要かとは思いますが、ここでいう実在は、観念を超えたものが含まれると思いませんか。同じ木を見るにも人によって認識の仕方が違うのはわかりますが、そこに木と呼ばれる何某かの色や形状をした物体を見ることはほぼ誰でも共通しています。現象界にある木ですらそうなのですからましてや実在界のエル・カンターレであれば尚更です。地球神でもある人格神である以上は人それぞれの認識に共通した実体があるのではないでしょうか。
>思いだしながら書いておりますが、今ひとつ予言性のあることと思うのは、霊言ではないのですが、安倍総理が最初に総裁になられたときに、この方の霊査のようなことがなされ、Liberty誌に記事が載っておりました。この方は、途中挫折するというカルマがあるという風なことが書かれておりましたが、そのとおりでした。そして、挫折の後に復活するというパタ-ンがあると先生は言われました。そのとおりになりました。
これを読んで思ったのは、ひとつのお題について、互いに違う結果を思わせる記事や霊言を出すことで、どちらに転んでも主張の正しさを公に流布することが出来るということでした。安倍総裁については昨年のNHK会長の霊言で「自民党総裁選は安倍は有りえない。一度落ちた者は総裁にはなれない。」という内容のものでした。支部でも法友同士でその話をして「石原か石破のどっちだろう」と話したのを覚えています。安倍は蚊帳の外だったんですね。このように復活しないという霊言がある一方で、反対に復活するという霊査がある。どちらに転んでも当たった方を宣伝することで正しさを示すことができるわけです。この場合、NHK会長の守護霊の方が間違っていたのだ、という意見が予想されますが、野田元総理の霊言のとおり、公に事実として明るみにならなければ何もわからない霊言とは一体なんであるかが問題になるわけです。しかし我々はそれを真実であるかのように読んでいたのです。
>今回の第二次安倍内閣も、こちらでは、安倍さんの長期政権を予言しておりません。逆ですね。どうなるのでしょう、安倍さん、私はその幸福の科学の見通しが間違いであって欲しいと真面目に思っておりますよ。どうなるのか? 安倍さんの霊言はこのあいだ出版されましたね。安倍さんの心の内を私たちは半信半疑ながらも霊言での彼の発言から推量するのです。実際に安倍さん、弱くなりましたよ。自分自信の強い信念というのが感じられなくなりました。霊言での安倍さんの弱気振りがほんとなのかもしれません。そうすると長期政権もないのかという不安が出てきますね。
それは第三の矢である成長戦略に陰りが見え始めてきたことに乗じて霊言を出しているとも読めますけどね。私の根強い印象の中では今でも霊言はまったくブレていないです。むしろアベノミクス(幸福実現党ミクス)が失敗した時のために予防線を張っているように見えます。
>もう一つ挙げるとすれば、オバマ大統領の最初に当選した直後か直前に、先生が、「アメリカの没落の始まり」と予言されました。そのことが私の頭から離れないのですが、そのようななって行きそうなアメリカという感じがします。もう世界の警察はできなくなるのかもしれません。また、オバマが日本嫌いであることも、霊言で明らかにされましたね。その通りではないでしょうか。
アメリカ民主党はもうずっと日本嫌いで有名ですよ。それとブッシュ政権後半から世界の警察としての機能には陰りが見え始めていましたから、前政権の負の遺産(イラクやアフガンへの派兵)を受け継いだオバマが特別にそうだという印象はありません。むしろ2009年からアメリカ経済指標は改善し続けていますし、オバマはたとえ何もしなくても「良い大統領だった」という印象を得られるラッキーな大統領になるだろうという評論さえあります。
>霊言は予言ではないが、霊言で明らかにされることを区切りに、世の中の変化が併行して起こっているような感じを持っております。
調べてみると後追いであることがよく分かると思います。
from: ainotaigaさん
2013年06月14日 11時29分50秒
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kanataさん
>ただ嘘があるとしたらどこに嘘があるのかわからないということです。霊言の間違いと削除によって霊言の内容の真偽がわからなくなり、
削除は由々しき事ですよね。それは全く同意見です。
>守護霊についてもわからなくなり、霊界もわからなくなった、ということです。狐や狸に化かされているとしてもそれを否定することが出来なくなったわけです。
誤解を与える行動であるとは思います。しかし幸福の科学が教える霊界や価値観まで狐や狸に化かされた内容のものでしょうか?
>私自身もこれらの宗教ではありませんが、他の教祖の講演を聞いている最中に体験をしたことがあります。にもかかわらずその宗教に入信しなかったのは、どの宗教でもこうした体験をする人がいることを知っていましたから、その宗教を判断する材料にはならないと思ったからです。
仰る通りです。では光の体験をどの様に受け止められましたか?霊的な体験ですか?それともこの世的に説明のつく肉体精神の問題と思われましたか?
ご存知かも知れませんが光といっても色々な種類や性質があります。
大雑把に言っても光には他力のみの場合と他力+自力の場合があります。他力のみの光場合、人間側の悟りが不十分だと、(気の迷いではなかったか)と時間と共に通り過ぎて行きます。しかし、自力(悟り)を伴うものならば、心の内に「発見された気づきや学び、智慧、悦び、感謝、幸福感、光以外の神秘体験」などが付随してきます。例えるなら、自分と世界との繋がりがジグソーパズルのピースが一つになった様な感覚にうたれ思いださなかった事まで思い出したりします。いずれにしても生かされているという感覚が強くなります。
幸福の科学では磁場が強いと言われていますが本当です。光の体験者はかなり多いと思います。
from: ueyonabaruさん
2013年06月14日 01時42分37秒
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kanataさんへ
>「主観世界の心の王国の主人公」はどうやって「客観世界の実相のエル・カンターレ」と一体となれるのでしょうか。例えば、「私」は「石ころ」と一体になれますでしょうか。「実相のエル・カンターレ」とは心の王国の主人公が思い描いたイメージですか、それとも客観的な実体(実相)ですか。イメージであるなら、霊言間違いの解釈が会員さんによってまちまちであるのも頷けますが、客観的な実体であれば解釈の違いも起きようがありません。
客観的な実体とは、何を指すのかという問いにもなるのでしょうね。難しい質問ですね。
私なりに説明を試みてみますね。客観的というのが物質世界における客観的存在をさしているものではありません。これは了解できますか? 精神的な世界における存在になります。エル・カンタ-レはこの世に生きているので、精神世界だけに生きているものではありませんが、精神世界だけに限定し話を進めますね。実相のエル・カンタ-レは私たち信者にとっては実在です。信者でない人にとっては何の関係もないことです。私が客観的存在だといったのが一般性に欠けるということであれば、客観的という言葉は除きますね。
さて、エル・カンタ-レとどのようにして一体となるかは、イメ-ジによるしかしかないでしょう。瞑想でもあるでしょうね。そうすると、おっしゃるように各人によってエル・カンタ-レ像は異なるのでしょうね。石と一体となれるかという難しい問いを発しますね。できるかもしれません。イメ-ジなのですから可能ではないでしょうか。
>自分教とは、主人公は自分であるという意味で使いました。自分の認識の範囲でしか真理認識はできないので、ある意味で人間は自分の考えるとおりのものであるとはならないでしょうか?だから人間はみな自分教徒なのかと私は思っております。エル・カンタ-レと一体感をもつことも可能であるが、そうでないこともある。
>つまり「エル・カンターレは仮説である」ということと同義になるのでしょうか。
そうではありません。エル・カンタ-レも我々も実在なのです。実体者です。
>あるいは「エル・カンターレは人間の認識の傾向である」とも。
ここのところ、よく理解できませんが・・・・・。
最近も量子力学に関する新解釈に、「波動関数は世界に実在するのではなく、個人の主観的な心の状態を反映しているだけだ。」というものがありました。エル・カンターレと一体感を持つことも可能ですが、「自分の認識の範囲でしか真理認識はできない」ので、群盲象を撫でるようなものかもしれません。
エル・カンタ-レは実在であり、これ認識することは当然可能です。認識できますでしょう。
>自分の認識の範囲を超えられないために、はっきりとそれがエル・カンターレであるとは言えないわけです。
その人にエル・カンタ-レという観念がなければ、また認識していなければ、分からないことになります。少し理論だけに偏重しているようで、あまり気持ちよい議論ではありませんが、エル・カンタ-レの理解、認識は各人異なると私は思いますね。深く理解、同感できる人とそうでない人もいるはずです。だからといって、「象を撫でていると思ったらサイだった可能性」はないでしょう。
>どのあたりで社会に影響を及ぼし始めているとお感じになられました?もしそれが事実だとしたら凄いことだと思います。私にはそうした印象を持ったのは束の間のことで、調べてみたら後追いだったという印象が根強く残っています。
これは、教団の方でそのように言っておりますので、その影響は私にも大きいでしょうが、自分自身で考えてみても、そのような感じを持っております。予言的なこととは言えないのですが、日銀総裁の考えの程度を霊言により表面に出したということが、総裁の辞任表明をを早めたように思えますし、管総理、野田総理、鳩山総理なども霊言で取り上げられ評判が良くなかったので辞任の方向へ行くことになった気がします。もちろん、霊言に取り上げられる前に世間での評価は芳しくなかったわけですので、霊言が直接のキッカケでないという議論に対し、霊言の優位性を主張することはできません。関係があったと思うのは、こちらの思い入れが強いせいかもしれません。
思いだしながら書いておりますが、今ひとつ予言性のあることと思うのは、霊言ではないのですが、安倍総理が最初に総裁になられたときに、この方の霊査のようなことがなされ、Liberty誌に記事が載っておりました。この方は、途中挫折するというカルマがあるという風なことが書かれておりましたが、そのとおりでした。そして、挫折の後に復活するというパタ-ンがあると先生は言われました。そのとおりになりました。
今回の第二次安倍内閣も、こちらでは、安倍さんの長期政権を予言しておりません。逆ですね。どうなるのでしょう、安倍さん、私はその幸福の科学の見通しが間違いであって欲しいと真面目に思っておりますよ。どうなるのか? 安倍さんの霊言はこのあいだ出版されましたね。安倍さんの心の内を私たちは半信半疑ながらも霊言での彼の発言から推量するのです。実際に安倍さん、弱くなりましたよ。自分自信の強い信念というのが感じられなくなりました。霊言での安倍さんの弱気振りがほんとなのかもしれません。そうすると長期政権もないのかという不安が出てきますね。
もう一つ挙げるとすれば、オバマ大統領の最初に当選した直後か直前に、先生が、「アメリカの没落の始まり」と予言されました。そのことが私の頭から離れないのですが、そのようななって行きそうなアメリカという感じがします。もう世界の警察はできなくなるのかもしれません。また、オバマが日本嫌いであることも、霊言で明らかにされましたね。その通りではないでしょうか。
霊言は予言ではないが、霊言で明らかにされることを区切りに、世の中の変化が併行して起こっているような感じを持っております。
これも客観的な証明にはあなりませんが、信者さんの多くは、ある強い印象を霊言に持っていることはたしかですが、これが、幸福の科学の内部だけのものでもないだろうと私は思っているということです。
from: kanataさん
2013年06月13日 22時13分32秒
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ueyonabaruさん
>実相のエル・カン-タレが私たちの信仰の対象です。そして、それは人格神となります。心の王国というのは、人間個人の心の世界ですね。心の世界での主人公は自分である。自分とエル・カンタ-レは一体である。ここまではいいでしょうか。
「主観世界の心の王国の主人公」はどうやって「客観世界の実相のエル・カンターレ」と一体となれるのでしょうか。例えば、「私」は「石ころ」と一体になれますでしょうか。「実相のエル・カンターレ」とは心の王国の主人公が思い描いたイメージですか、それとも客観的な実体(実相)ですか。イメージであるなら、霊言間違いの解釈が会員さんによってまちまちであるのも頷けますが、客観的な実体であれば解釈の違いも起きようがありません。
>自分教とは、主人公は自分であるという意味で使いました。自分の認識の範囲でしか真理認識はできないので、ある意味で人間は自分の考えるとおりのものであるとはならないでしょうか?だから人間はみな自分教徒なのかと私は思っております。エル・カンタ-レと一体感をもつことも可能であるが、そうでないこともある。
つまり「エル・カンターレは仮説である」ということと同義になるのでしょうか。あるいは「エル・カンターレは人間の認識の傾向である」とも。最近も量子力学に関する新解釈に、「波動関数は世界に実在するのではなく、個人の主観的な心の状態を反映しているだけだ。」というものがありました。エル・カンターレと一体感を持つことも可能ですが、「自分の認識の範囲でしか真理認識はできない」ので、群盲象を撫でるようなものかもしれません。自分の認識の範囲を超えられないために、はっきりとそれがエル・カンターレであるとは言えないわけです。象を撫でていると思ったらサイだった可能性もあることになってしまいます。
>それから、霊界証明についてです。先生が霊言をたくさん出版されます。これが、信じている人、半分信じている人、まったく信じていない人と色々いるのですが、これがどうしてか世界、社会に影響を及ぼし始めるということがある。現在がそうではないかと思うのです。
どのあたりで社会に影響を及ぼし始めているとお感じになられました?もしそれが事実だとしたら凄いことだと思います。私にはそうした印象を持ったのは束の間のことで、調べてみたら後追いだったという印象が根強く残っています。
from: kanataさん
2013年06月13日 22時08分59秒
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ainotaigaさん
>北朝鮮が今年の春ごろから秋にかけて、韓国に侵攻するかもしれない。戦争になるかもしれないという予言めいたエドガーケイシー霊の本が昨年にでました。
その本は去年ではなく、今年の2月14日に収録されたものではありませんか?エドガーケイシー霊の本は昨年は出ていなかったはずです。
そして南北朝鮮の挑発行為は昨年の末から始まり、今年の1月から活発化しています。
>もしかして、時事的な事でも「ものあて」的な事に力を使ったらいけないという隠されたルールがあるのかも知れません。
しかし昨年の「映画が終わって間もない頃、沖縄県民の度胆を抜くことが起きる」と「ものあて」的に予言していましたね。また事あるごとに「当たった」と主張する会員さんやリバティの姿勢は、大川氏の言葉を日頃から「ものあて」的に捉えている証しではないでしょうか。
>だって遠隔透視で月の裏側みるより、見つからない何かを当てて証明すれば、信用は一発でつきますよね?でもやらない。。誰も質問しないのがいけないと思いますけど。
それは私も思いました。沖縄県民の度胆を抜く予言より、東日本大震災を予言した方が入信者も増えていいだろうにと思いますし、確かな霊界の証明にもなりそうな気がします。
from: kanataさん
2013年06月13日 22時07分18秒
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ainotaigaさん
>でも全て嘘で大川隆法は霊能力などないとは考えにくいのです。
私も全て嘘だとは思っていません。ただ嘘があるとしたらどこに嘘があるのかわからないということです。霊言の間違いと削除によって霊言の内容の真偽がわからなくなり、守護霊についてもわからなくなり、霊界もわからなくなった、ということです。狐や狸に化かされているとしてもそれを否定することが出来なくなったわけです。
>ではなぜ私には支部や精舎で光を感じるのでしょうか?
若い頃に興味本位でモルモン教、崇教真光にいたことがありましたが、そこでも奇跡の体験、光の体験をされた方がおりました。真光では私の目の前でそういう体験をされた方を目撃しましたし、幸福の科学でも光の体験をされた方が身近におりました。私自身もこれらの宗教ではありませんが、他の教祖の講演を聞いている最中に体験をしたことがあります。にもかかわらずその宗教に入信しなかったのは、どの宗教でもこうした体験をする人がいることを知っていましたから、その宗教を判断する材料にはならないと思ったからです。
>私は嘘は付いていません。
ここにいらっしゃる会員さんは皆真剣にお答えくださっていることが伝わってきます。事実誤認は時々見受けられますが、それも故意ではないと思います。
from: ueyonabaruさん
2013年06月12日 01時08分43秒
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kanataさんへ
>霊界についてなにもお分かりでないのですから答えようがないんです。むしろ「実相のエル・カンターレは(客観的に)実在する」というご発言と、主観世界であるところの「自分教は「心の王国」でもある」というご発言が矛盾していて余計にわからなくなりました。幸福の科学では「主エル・カンターレと一体となれ」と教えているのではありませんか。一体となるべき実在をどうやって自分教にできましょうか。
実相のエル・カン-タレが私たちの信仰の対象です。そして、それは人格神となります。心の王国というのは、人間個人の心の世界ですね。心の世界での主人公は自分である。自分とエル・カンタ-レは一体である。ここまではいいでしょうか。
自分教とは、主人公は自分であるという意味で使いました。自分の認識の範囲でしか真理認識はできないので、ある意味で人間は自分の考えるとおりのものであるとはならないでしょうか?
だから人間はみな自分教徒なのかと私は思っております。エル・カンタ-レと一体感をもつことも可能であるが、そうでないこともある。
それから、霊界証明についてです。先生が霊言をたくさん出版されます。これが、信じている人、半分信じている人、まったく信じていない人と色々いるのですが、これがどうしてか世界、社会に影響を及ぼし始めるということがある。現在がそうではないかと思うのです。それがついには、霊人はあの世に存在するという人びとが考えるようになり、やがて人間精神の変革がなされる。霊界はあるのだ。このようなことだと私は思いますが、どうでしょう。
わたしも真理探究中の身です。分からないことが多いので、お気ずきの点があれば、どうぞ教えてください。
from: ainotaigaさん
2013年06月12日 01時03分33秒
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北朝鮮が今年の春ごろから秋にかけて、韓国に侵攻するかもしれない。戦争になるかもしれないという予言めいたエドガーケイシー霊の本が昨年にでました。
それが今年春ごろになって現実になるかもしれない緊張が高まりました。仮に戦争が起きなくても緊張が高まったので、これは当たっていたと思います。
もしかして、時事的な事でも「ものあて」的な事に力を使ったらいけないという隠されたルールがあるのかも知れません。
だって遠隔透視で月の裏側みるより、見つからない何かを当てて証明すれば、信用は一発でつきますよね?でもやらない。。誰も質問しないのがいけないと思いますけど。
from: ainotaigaさん
2013年06月12日 00時49分42秒
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>「解散しない発言を削除」する必要はないと思いますし、「実は約束したんだけど、、」との本心が聞けてもいいはずです。
おっしゃる通りです。私もおかしな事だと思います。当然削除した理由が聞きたいですよね。
でも全て嘘で大川隆法は霊能力などないとは考えにくいのです。ではなぜ私には支部や精舎で光を感じるのでしょうか?なぜ不誠実な人の文章から悪霊波動をかんじるのでしょうか?
私は嘘は付いていません。
説明できない事は認めますが、全てが嘘とは到底思えない事実が残るのです。
from: kanataさん
2013年06月12日 00時37分19秒
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ainotaigaさん
先ほどは失礼しました。昨年のコメントを読んでいたようで勘違いしてしまいました。
>私たち信者含め職員が霊言内容の読み込みが甘いという事だと思います。
それはリアルの野田元総理の言動から読み込むのと大差ないような気がしますが。
>本人の本心はこうでも、表面意識では違う決定を下す事はありうる事だと思います。
本人の本心は、11月2日の岡田副総理、藤村官房長官との間で交わされた解散宣言の約束なので、表面意識でもその約束の通りに行動しなければなりません。仮に野田元総理の本心が「本当は解散なんかしたくないんだけど、約束したからするしかない」とするならば、件の「解散しない発言を削除」する必要はないと思いますし、「実は約束したんだけど、、」との本心が聞けてもいいはずです。また質問者の力量が足りないということになりますと、他の霊言でもどうなのか事実と照合できない限り判明しないということになってしまいます。
from: ainotaigaさん
2013年06月12日 00時14分58秒
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kanataさん
>それは「解散宣言」したという事実が明るみになったから結果的に言えることだと思います。
私たち信者含め職員が霊言内容の読み込みが甘いという事だと思います。もう少し深読みすれば与えられた材料の中から想定する事も出来たと思います。職員はいつも詰めがあまく、質問者の質問が浅いのも、踏み込みが甘いため 読者が真に聞きたいことを質問出来てないと感じております。
理解しにくい人の気持ちにも立った解説が必要だと思います。
>もし事実が明るみになった時に初めて守護霊と本人との意識の乖離が明らかになるのであれば、新聞やテレビで知るのと大差はないことになります。
ですからくい違いは、読みが甘いためだと思います。本人の本心はこうでも、表面意識では違う決定を下す事はありうる事だと思います。
例えば、あなたが明日、仕事の優先順序を守護霊の意見とぴったり一致させて実際の行動をとる事は難しいはずです。ただ考える価値観や「こうしたい!という願望」は共有しているから、霊言本に価値があるとは考えます。
from: cosmo77さん
2013年06月11日 23時15分50秒
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カナタさん
悪霊等の作用を 少なくするために 正心法語を唱えたり エルカンターレファイト
をしたりして 瞑想に入るわけです
そこら辺はご存知なんですよね
>マーフィーも読んでみようと思います
知人にも紹介されましたが
マーフィー100の成功法則 (知的生きかた文庫) [文庫]
大島 淳一
が わかりやすく いいようです
>死の恐怖があるのは事実なので・・
そのために 瞑想や祈りをするわけです
無の境地になると 至福意識のようなものに 入れます
そのアルファ波状態で 祈るのが マーフィ本なんかの 考え方だと思いますね
そうすると 恐怖とかが 取り除けるようになってくるようですね
from: kanataさん
2013年06月11日 21時46分33秒
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cosmo77さん
>瞑想は 悪霊等の影響も受けやすいらしいので お気をつけて なさってくださいね
ご心配して下さってありがとうございます。その時がやって来たら是非助けてほしいのでまたよろしくお願いしますね。
>100の法則は 薄い本一冊なので これで うまくいけば とても効率的だと考えています
マーフィーも読んでみようと思います。私も始めるにあたって10冊くらい読んで試して合いそうなのものから手を付けているので参考になるものなら何でも読んでみたいと思っています。
>難しく考えないで こういう素朴な信仰を まず 持つのが いいのではないかと
>思いますけどね。。
難しくは考えていないんですけどね。死の恐怖があるのは事実なので・・
恐怖があると逃げたくなるんです。信仰とか快楽とか悟りの道とかに。
例えば、お金があると安心するのは、お金の力を100%信じてそれを充分に所有しようとすることで経済不安や将来への不安が覆い隠されるからなんです。ですからお金や財産を守ろうとするんですね。お金の力を100%信じることはそれが弱点にもなるんです。
でも私はそれでも仕方がないと思ってます。悩み多い人間ですからね。
from: kanataさん
2013年06月11日 21時44分09秒
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ainotaigaさん
ご返事ありがとうございます。既にブログ退会されたとのことで一方的な返事になることをお許しください。
>つまり、野田さんの守護霊は守護霊と分かっているだけ、肉体人間から多少遊離しているという事を意味してるのではないでしょうか?
>やはり野田さんの場合、守護霊の願う考えからインスピレーションを受けていなかったと考えるのが自然ではないでしょうか?
それは「解散宣言」したという事実が明るみになったから結果的に言えることだと思います。ですから事実が明るみになっていない他の内容についてはどうなのか、更に他者の霊言についてはどうなのか、と考えれば皆目不明といわざるを得なくなります。もし事実が明るみになった時に初めて守護霊と本人との意識の乖離が明らかになるのであれば、新聞やテレビで知るのと大差はないことになります。また守護霊との意識の乖離があることが分かったとしても、その後もずっと意識は乖離したままなのか、これも事実がニュース等で明るみにならなければ分からないままです。
from: ueyonabaruさん
2013年06月16日 09時47分03秒
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kanataさんへ
>イメージはどんなに大きく強固にしようとも客観的な実在ではないように思えますが・・
イメ-ジする力、想像する力がとても大事なんだと思いますよ。歴史を理解するというとき、デ-タを元にして、昔の人の姿を把握しようとするとき、そこにはイメ-ジ力、想像力、理解力こそが求められますね。それは、歴史に限らず、人間万般にとってもっとも大事なものではないでしょうか?
>「世界宗教になる」ではなくて、「世界宗教」です。支部長から聞いた話では、幸福の科学は既に世界宗教です。目指しているわけではありません。目指しているだけなら他の宗教と同じですね。世界宗教であるなら「一般性ある客観的な実在」でなければならない前提が含まれていると思うんです。
支部長さんは、インドやネ-パルなどでの状況からそのように言ったと思われます。それは、希望的なものです。支部長さんは、世界宗教になりうると言うべきでした。
客観的に便利なツ-ルはないと考えていいのではないでしょうか。あくまでも信者の増加でしかありません。宗教的奇跡現象が多発して多くの信者が増えることを願いますね。
>人間がイメージするエル・カンターレ像はそれだけでその人の心の一部を形成するという意味では一体であるといえますね。そしてそれは人それぞれのもので客観性のない実在ですよね。それならなんとなくわかります。疑問に思うのは、実在界で客観的に在るのであれば、それが狐でも狸でもないと誰でも理解できる状態なのかどうかということです。それは信じるしかない話でしょうか?
信じるというと若干語弊もあるかと思いますが、少しぐらいでも知識がないと、イメ-ジすることすらできませんので、教えの勉強が前提になりますよね。
>そうですね。ですから野田元総理の霊言間違いは私にとっては一大事でした。我々凡人には霊言でしか知る手立てはないので、その霊が何者であるかを知ることは非常に大切です。その手がかりを失ったので、心の王国もだいぶ小さくなってしまった気分です。
私がお話を聞いて理解できるのは、辻褄があわないことに対する不信だろうということです。これが、おかしいというのであれば、あなたが自身のテ-マとして考えて、霊言現象の総体を把握するよう今後も努力されたらどうでしょうか? これも勉強です。
幸福の科学では、ソクラテスの生まれ変わりはエマソンだとしてきました。ところが、「ハイエクの霊言」ではハイエク自身がソクラテスの生まれ変わりは私であり、みなさん(幸福の科学)の解釈は間違っていると言ったのです。このことについては、わたしは直接本部の方に電話でお話もしました。修正の方向で考えるということでしたが、どうなったのでしょうか。
霊言の過ちはあるだろうというのが私の見解です。そのように考えてはいるものの、霊言を興味深く読んでいるのが私なのです。霊言は重要です。でも、主体は自分におきますね。心の王国の主人公である私、自分教を信じる私です。しかし、わたしも、解釈は変化していくのが実態ではあります。
>やはりそうでしたか。わかりました。エル・カンターレは心の王国でイメージという形でのみ自分と一体であり、精神世界での客観的な実在が何であるかは不明ということですね。
不明という言葉は適切ではあリません。学ぶということで、客観的にも実在するのだとすら言えるようになるでしょう。自分の理解が進まなければ、どうも仕様のないこと。
>私はそうした概念を知らなくても知ることが出来る存在だと思っておりましたよ。これこそ世界宗教に相応しいというくらいに。
そうでもありませんね。狼に育てられた女の子の話がインドにありました。この人は、言葉もしゃべることもできず狼のように吼えることしかできなかったということです。このことからも、人間は教育というものが必要であり、教育によってしか人間は本来の自分を回復することはできないということがわかります。
エル・カンタ-レも勉強によってしか理解できないのではないでしょうか。日々の修行、勉強、思索は必要です。
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