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from: ainotaigaさん
2013年06月12日 02時05分05秒
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法身信仰論
ueyonabaruさん
これは賛成いたします。よくよく考えた上での私の結論でもあります。
仏陀再誕は叙事詩的な方便の教えだと思います。
以下の点がこの考えに賛同する理由です。
1.努力目標として100%の信仰心は目指すべきかと思いますが、そうならない人生を送る事に実際はなるわけですから、我々は悟れない期間を耐え抜く修行をしなければなりません。
2.仏教でも自灯明、法灯明といいますし、生きている大川隆法総裁は人間としての限界が当然あり完璧ではありません。
3.根本仏とイコールと見るのは、あまりにも完璧さを生きている人間に求める事にもなります。それは、霊的な信仰観というより、唯物的価値と変わらなくなります。
4・近年の先生のお話では更なる信仰観のお話がありました。それは「エルカンターレの実像は私の傍にいる者から遠い人ほど、(日本人より外国人さらには後の世の人々)が真に正しいその姿が見えている」という趣旨で話された事があります。
コメント: 全2件
from: ueyonabaruさん
2013年06月12日 02時20分08秒
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ainotaigaさんへ
うれしいな。長年私が主張していたことがainotaigaさんたちに認めていただきありがとうございます。まったくおっしゃるとおりです。先生をエル・カンタ-レとして、根本仏として崇拝するのはまったく構わないのですね。
論理的には、この仮の世、二元論の世界に完全という概念はありえないのです。
思考の変化の経緯など、感想など少しお聞かせください。
これは賛成いたします。よくよく考えた上での私の結論でもあります。
仏陀再誕は叙事詩的な方便の教えだと思います。
以下の点がこの考えに賛同する理由です。
1.努力目標として100%の信仰心は目指すべきかと思いますが、そうならない人生を送る事に実際はなるわけですから、我々は悟れない期間を耐え抜く修行をしなければなりません。
2.仏教でも自灯明、法灯明といいますし、生きている大川隆法総裁は人間としての限界が当然あり完璧ではありません。
3.根本仏とイコールと見るのは、あまりにも完璧さを生きている人間に求める事にもなります。それは、霊的な信仰観というより、唯物的価値と変わらなくなります。
4・近年の先生のお話では更なる信仰観のお話がありました。それは「エルカンターレの実像は私の傍にいる者から遠い人ほど、(日本人より外国人さらには後の世の人々)が真に正しいその姿が見えている」という趣旨で話された事があります。
from: ainotaigaさん
2013年06月12日 02時43分55秒
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ueyonabaruさん
はい^^
不信になる人の気持ちが分かるのです。切っ掛けは韓信の霊言です。あれは韓信だから信者は聞くけれど、内容はHSの批判者の先頭を行っている様な内容だと思います。
そこで精舎の礼拝室のエルカンターレ像に心の中でぶつける様に質問したんです。「あれもおかしい。これもおかしい」って
そしたら意外でした。あなたの言ってる事は全て正しいと返事が返ってきたのです。。。。しかし、でも愛されているのは私の方だったんです。波動を感じたのです。
言ってる事は正しい。でも、今も愛されている。愛されているのは私の方。さらに悩みました。
そしてこれを少しずつ解き明かした考えと、ueyonabaruさんがおっしゃる事が同じように、感じられました。
それ以外にも論拠はありますが、また機会がありましたら話たいと思います。
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