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from: ueyonabaruさん
2013年06月14日 12時24分44秒
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エル・カンタ-レ
私の考えるエル・カン-タ-レについて、まず、教団の正式な見解を離れて素直に書いてみます。これまでの私の雑多な知識などに基ずく自由な考えになります。
アンチの方々が現実の大川隆法の間違いを強調しこちらを攻撃してくる状況があるわけです。そこで、エル・カン-タ-レの実相界におけるご存在こそがホントのエル・カンタ-レであるという論を立て、現象のエル・カンタ-レを弁護することとなりました。間違いがあるからエル・カンタ-レではないとは言えない、根本仏ではないとは言えない という具合に。実際の先生の間違いがあることは明瞭な事実ですから、これを説明する理論はどうしても必要になります。
今般のブログでのアンチからの攻撃では、私の論のことを、法身信仰でありこれは間違いであるという批判がありました。じつは、「法身信仰」という言葉は、私は今回はじめて聞いた言葉なんです(勉強不足です)。しかし、私の論はたしかにこの言葉がうまく表現しているものとして感じられます。
ただいまのところ、この論を引っ込めることはいたしません。
先生は、主エル・カンタ-レについて色々のところで発言されております。思い出すままに書き出してみます。
① モ-ゼに表れた神は「われはありてあるもの I am that I am」と言った。
② 旧約にある、「われはアルファでありオメガである」と言った神
③ 旧約に現われる「エロヒム」という神
④ 大昔にアフリカにあり、アルファの神と呼ばれた。また古代の中東ではエルという神がいた
⑤ 法華経 如来壽量品第十六に出てくる、「我實に成仏してよりこのかた、無量無辺百千萬億那由陀劫なり」と言う仏陀、すなわち久遠の仏陀
⑥ 仏陀の本体の部分
⑦ 「永遠の法」の改定新版のあとがきでは、「読者は、仏陀の奥にある「エル・カンタ-レ」の意識と姿を、一瞬、垣間見ることができる。しかし、深くは理解しなくてよい。釈迦とキリストの奥にある「光体」のきらめきを、かすかに、感じ取るだけでよい。それから後は、実在界の神秘のままでよいのだ。」と書かれている。
これらを読んで、エル・カン-タレは造物主であるということはできないし、根本仏というのが造物主を指すのであれば、根本仏とも言えないと思うのです。根本仏という言葉は多義に使われます。最高の仏という意味であったり、造物主の意味であったり固定的ではないようです。先生も、8次元の方を論じるときに、これぐらいの悟りを得た方は、根本仏と呼ばれるだろうという表現もされました。
「われはアルファでありオメガである」、「われはありてあるもの」という言葉を聴くとき、造物主であると言っていると捉えるのが普通です。しかし、造物主は語りません。語るのは人格神なのです。悟りの高い人格神が造物主をいかに理解したかが、我々の関心事でなないでしょうか? すなわち悟りの深さなのではないか。高き悟りにあるものは、造物主と一体となり、造物主の言葉を語るのではないのか。
造物主がこの世に生まれるということが、論理上ありえないことなのですから、エル・カンタ-レに関する上の言葉の数々は、天上界の形而上の事柄ではないかと私は思います。要するに神学なのです。クリスチャンが父と子と聖霊の三位一体説を信じるように、私たち信徒は、エル・カンタ-レを信じるんだと思います。
それにしても、相当に難しいのが、エル・カンタ-レ信仰の神学であります。伝道に当たり、このような神学を一々説明するのは骨の折れることです。ですから地球神と言ったりするのでしょうが、これでもどうでしょうか、一般に容易に伝わるでしょうか? わたしは、「エル・カンタ-レはイエスさま仏陀と同じです。」というぐらいしか言えません。まだ、根本仏と言った方がいいのではないかと思います。根本仏とは何かと聞かれると、最高の仏という風に答えますね。
以上が、私のエル・カンタ-レについて現在考えていることです。
教団から「エル・カンタ-レ信仰入門」という冊子が発行されておりますので、これが教団の正式なエル・カンタ-レ論です。この冊子は、支部にほって置かれたものを勝手に持ち出してきたもので、どのようにして入手できるかはわかりませんので、支部にお聞きください。
コメント: 全5件
from: hikaru0827さん
2013年06月20日 11時01分48秒
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ueyonabaruさんへ
ueyonabaruさんの思考や考察、教義の整理の参考になれば幸いです。あくまで可能性の話ですので話半分でお願いしますね。
cosmo77さんへ
返信ありがとうございます。
>直近の ヘルメスエンゼルスには
>「創造主として始原の存在 大宇宙の根本仏です」
>宗教をおこす方には 自分は 創造神等だと 言うことが 認められている
>と言われていますよね
なるほど。それら考え合わせますと、
---------------
いくつも島宇宙があるというのです。島宇宙を包括する更なる宇宙があるのか、島宇宙と島宇宙の間はどうなっているのか、全く分かりませんが。
しかし、島宇宙のようなものがいくつもあるのなら、一つの島宇宙の創造をエルカンターレが担っていてもなんら不思議ではないと思うのです。
根源神はもっともっと上位にいわすと考えられます
--------------
こちらの可能性のほうが高いのでしょうか?
以前、総裁先生は、根源神について、30次元ぐらいの意識になるのではないか、という話をされました。
太陽系意識で、11次元。銀河系で12次元。もし島宇宙が13次元とすると・・・果たして30次元とは・・・もう私たちには想像すら出来ません。
もしエルカンターレが、一つの島宇宙の創造を任されたとすると、その島宇宙内の存在にとって、エルカンターレは造物主であり、エルカンターレは、ご自分を根源神と名乗られたとしても、それはおかしなことでもない、と思います。
>その厳密性に こだわって 争うことの方が 神様としては よっぽど
>いやなのではないでしょうか
そうだと思いますが、
>これで 辞めていった方とか それにひっかかっておられるアンチさんとかが
おられるようです
そういう事情もありますから、信仰者としては、腑に落としておきたいところなんですが。
from: ueyonabaruさん
2013年06月18日 17時10分22秒
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hikaru0827さんへ
私は、ほとんど同意します。あなたはすごい。
>私が気になったのは、そのすぐ後に、
お前達も、小さな心を捨て去り、大きな心と一つになる事、仏の心と一つになる事で、太陽系を造ったときの悦びや、地球を造ったときの悦びが分かる、という旨のことが書かれた文です。
>私たちですら、「実感できる」と言われています。いわんやエルカンターレをや。
おっしゃるとおり。
>宇宙即我の悟りというものは、自分の意識が拡大膨張し、ついには宇宙の意識と一体化するようなものなのでしょうか。だとすると、その時点で、宇宙に充満する宇宙を在らしめる意識と同通しているわけです、シンクロし、一体化するのでしょうか。
>宇宙即我の境地にて、永遠の仏陀の章が書かれたとすると、宇宙意識とシンクロし一体化したエルカンターレが「我が宇宙を造った」と言われても不思議ではない、と考えました。
同感です。以下も同じ。hikaruさんに祝杯を奉げます。
ここまで書いて、もう一つ気が付いたことがあります。
宇宙を造ったと言われていますが、根源神だとは言われていないということです。
宇宙の造物主イコール、根源神だと考えるのは早計ではないか、ということです。
昔読んだ、宇宙について書かれた本には、太陽系があり、銀河系があり、いくつもの銀河系のようなものを含んだ島宇宙というものがある、と書いてありました。
いくつも島宇宙があるというのです。島宇宙を包括する更なる宇宙があるのか、島宇宙と島宇宙の間はどうなっているのか、全く分かりませんが。
しかし、島宇宙のようなものがいくつもあるのなら、一つの島宇宙の創造をエルカンターレが担っていてもなんら不思議ではないと思うのです。
根源神はもっともっと上位にいわすと考えられます。
みなさんはどう思われますか?
深く理解できなくて良いと言われているのなら、余計な詮索かもしれませんが・・・。
from: cosmo77さん
2013年06月18日 16時20分01秒
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ヒカルさん
直近の ヘルメスエンゼルスには
「創造主として始原の存在 大宇宙の根本仏です」となってますね
月刊幸福の科学にも そう書いてあったと思ったのですが直近のものでは 見つけられませんでした
これで 辞めていった方とか それにひっかかっておられるアンチさんとかが
おられるようです
前に 大川先生も言われていたと思うのですが
宗教をおこす方には 自分は 創造神等だと 言うことが 認められている
と言われていますよね
ですので そういう方便が認められているということですね
なので 大川先生の場合も 方便の可能性はある ということです
もともと こういうことをする理由は 人間に 信仰心を もってもらうことだと
思うので
根本神でも 神様でも いいのではないでしょうか
その厳密性に こだわって 争うことの方が 神様としては よっぽど
いやなのではないでしょうか
宗教を起こす 本来の意味は みんなが仲良く楽しく暮らすことでしょうからね
from: hikaru0827さん
2013年06月18日 11時59分11秒
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ueyonabaruさん・みなさんへ
「永遠の仏陀」にある、一千億年の孤独に書かれている事の解釈についてです。
以前にも書いたのですが、最近のみなさんはどう思われるでしょうか?
一千億年の歴史の項には、
"一千億年のその昔、この大宇宙を造らんとするときも我はそこに存在していた"
と宇宙の創造について、語られています。
確かに、言葉をそのまま読めば、エルカンターレは造物主である、と受け取れます。
私が気になったのは、そのすぐ後に、
お前達も、小さな心を捨て去り、大きな心と一つになる事、仏の心と一つになる事で、太陽系を造ったときの悦びや、地球を造ったときの悦びが分かる、という旨のことが書かれた文です。
私たちですら、「実感できる」と言われています。いわんやエルカンターレをや。
宇宙即我の悟りというものは、自分の意識が拡大膨張し、ついには宇宙の意識と一体化するようなものなのでしょうか。だとすると、その時点で、宇宙に充満する宇宙を在らしめる意識と同通しているわけです、シンクロし、一体化するのでしょうか。
宇宙即我の境地にて、永遠の仏陀の章が書かれたとすると、宇宙意識とシンクロし一体化したエルカンターレが「我が宇宙を造った」と言われても不思議ではない、と考えました。
ここまで書いて、もう一つ気が付いたことがあります。
宇宙を造ったと言われていますが、根源神だとは言われていないということです。
宇宙の造物主イコール、根源神だと考えるのは早計ではないか、ということです。
昔読んだ、宇宙について書かれた本には、太陽系があり、銀河系があり、いくつもの銀河系のようなものを含んだ島宇宙というものがある、と書いてありました。
いくつも島宇宙があるというのです。島宇宙を包括する更なる宇宙があるのか、島宇宙と島宇宙の間はどうなっているのか、全く分かりませんが。
しかし、島宇宙のようなものがいくつもあるのなら、一つの島宇宙の創造をエルカンターレが担っていてもなんら不思議ではないと思うのです。
根源神はもっともっと上位にいわすと考えられます。
みなさんはどう思われますか?
深く理解できなくて良いと言われているのなら、余計な詮索かもしれませんが・・・。
from: cosmo77さん
2013年06月20日 15時59分41秒
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ヒカルさん
>信仰者としては、腑に落としておきたいところなんですが
そうですかー
結局 現状 論理で 確定できる解釈があるわけではないですよね
また ある程度多様に解釈できるところが 寛容性の 部分だと思っておりますです
ですので 逆に これこそ絶対のようにして 他を 断罪するようなことが
問題になるんだと思うわけですね
ヒカルさんの場合は それはないと思っておりますが。。
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