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from: ueyonabaruさん
2013年09月27日 01時07分04秒
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エル・カンタ-レ信仰と現実生活者の関係
先日城取講師のお話を拝聴しました。幸福の科学学園大学の創設に向けて、信者さんへの一層のお布施が必要であるとのことでした。ご説明は、よく理解できますし、
先日城取講師のお話を拝聴しました。幸福の科学学園大学の創設に向けて、信者さんへの一層のお布施が必要であるとのことでした。ご説明は、よく理解できますし、私自身としても献金できれば大いにやりたいのですが、今のところそれがかないません。
そこで思うのですが、献金が十分できない信者さんたちはどうすればイイのかということなんです。支部のこれまでの運営振りを見る限り、この方面への十分な手当てができていないように思うんです。これをなんとかしなければ・・・・。
熱心な支部のZさんのことです。彼女は信仰心が非常に強い方です。普段から一目置いている方なんですが、大学設立のお布施のことしか言いません。大学設立という夢が彼女にはあるのです。その夢を私に情熱的に語ります。その気持ちは理解できますが、信者を増やすにはどうすればイイのかについてはあまり語りません。
宗教に入っての喜びの一つは、真理の探求ということがあると思うんです。真理探究が進めば、信仰心も高まります。先生が、「考えずにただついてくればいい」と言われたことがあります。敬虔な信者さんはその言葉をまともに受け取り、信仰心だけあればそれが全てであるかのように考える人が出てきます。そうなると、このような方は私とは若干話がずれてくるような気がするんです。
幸福の科学では、信仰が一番大事だとしますが、世間からずれるようなことがあってはならないと思うし、ずれているとも思いません。宗教というもの、信者というものは、どの宗教であれ、世間と全く一緒だということはないでしょうし、世間とずれることはあります。幸福の科学でも同じく、その程度にはずれているでしょう。それは構わないのです。
世間というのは、それを一番大事なもとしてて扱ってはいけませんが、軽視していいようなものでは決してありません。お釈迦様は世間解も大切にされました。信仰と世間、両者大事。しかし、人間はどちらかに傾く傾向があるということなんでしょう。
私は、性向として、世間を大事にする傾向があるようです。しかし、この頃は、先祖供養、那須納骨堂への預かり、ご本尊の安置などにも同感できるように変わってまいりました。
今思っていることは、会員を如何にして増やすか、会員一人一人が幸せな信仰生活が送れるにはどうすればイイのかという点なんです。熱狂的な信仰心は、時に、うるさく思うことがあります。宗教に熱狂はつきものだということは知っておりますが。まだ、精舎に積極的に行きたいという思いはありません。いずれ行くでしょうが。
from: ueyonabaruさん
2013年09月28日 13時59分05秒
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ainotaigaさんへ
>信じる中身が肝心ですよね。鍵になるのは祝福と感謝の心で自分の事の様に喜べる心があるかどうかでしょうか。何時かはそうなりたいと思うなら無理しなくて良いと思います。誰がお布施しても誰が伝道しても、「素晴らしいですね。あなたの様になりたい。」と喜べる気持ちがあれば。それは実際に伝道やお布施をした本人と同等に霊的には価値のある行為なのではないのでしょうか。(しあわせな)会員を増やす事が目的なのですから。
あいがとうございました。
教団本部の計画、夢も分かります。ですから、私自身もその夢の共有をしなければなりません。少額でもお布施をしたいと思っております。
会員さんが激しいお布施運動により、身を引いてしまわないかを危惧しております。自身も露骨に強要されたと思ったことがあり、そのときは大いに反発しました。そのような感じが支部内にあっては困りますよね。
お金がなければ団体の活動は伸びてゆきません。私の願いは、植福菩薩になることで教団を支えることです。現状のままで良いとは思っておりません。今後頑張りますね。
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