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  • from: ueyonabaruさん

    2013年12月14日 18時08分06秒

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    個人崇拝はしないということについて

     生長の家の総裁がある本で、生長の家の教えでは個人崇拝をしないということが書かれていた。
    幸福の科学では個人崇拝をしている。大川総裁を大宇宙の根源神とも言い、地球神とも言っているので個人崇拝に違いない。

     仏教ではお釈迦様を個人崇拝していないのだろうか? キリスト教徒はイエスを個人崇拝していないのだろうか。? 私から見れば個人崇拝をしていると思うのである。

     だから、個人崇拝をしないことが必ずしも正しいとは言えないと思うのである。生長の家では実相という概念がある。人間は実相においてはすべてが神の子、仏の子という教えであり、個人崇拝は好まないのだろうと思う。

     しかし、どうなのだろうか、生長の家総裁という個人を離れて現在の生長の家教団が語れるだろうか。どうしても、総裁の影響が出てくる。総裁の個性とか悟りの程度とかが現在の生長の家教団の信者達をどこかへ運んでいくことになる。個人崇拝はしないと言いつつも、総裁の思うところにしか行かないだろう。

     崇拝される個人の資質がどうであるのかが重要ではないか。崇拝される個人が高い悟りにあるのであれば、その方に従っても間違いではなかろう。人間は、観念的な実相論だけでは救いがたいと思う。哲学的に考える神(根本の神)は確かに個人を離れているものと言えようが、そのような超越的存在が人間を直接救済するというのは不可能なことかもしれない。

     人間は、人間のカタチで現われる神、仏しか理解できないのかもしれない。それは、エマソンの言うとおりだろう。

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