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from: ueyonabaruさん
2014年01月01日 12時08分51秒
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神がそこにはいない
皆様、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。また、皆様のご多幸をお祈りさせてください。
さて、先生の最近のご説法では、そこには神がいないということが良く出てまいります。
ブラジルの大聖堂にはイエスもパウロも見えない。シンガポ-ルでは、どんなに探しても光の天子は居らず、漁村の村長らしき者しか見当たらない。チェコスロバキアにはフスが神としているが、その他に天使は見当たらない。
日本にはたくさんの天使たちが存在すると言うのだろうか。余りにも極端すぎる。
そもそも、神がそこにいないというのはどういう意味なのか。また、神がある神社にまたは教会にはいるというときはどういう状態なのか? 推察するに、神がいるとは、祭られている神が神社などに強く思いを寄せているという状況なのではないか。その施設にへばり付いているという意味ではなくて、神が関心を寄せているあるいは関心がないという意味ではないかと思う。
そのように考えるのであれば、神が居る居ないも若干は理解できる。神は、融通無碍の霊なのだから、神社などにへばりつくように居るわけではないのだろう。自縛霊が特定の場所に固着するというのとは「違うのだろう。
シンガポ-ルに神が居ないというのは、そこに大きく関心を寄せる神、天使が居ないという意味であり、シンガポ-ル人が神から隔絶されているという意味ではないのだろう。神は融通無碍の霊であるから、シンガポ-ル人が心から神に対し祈る時、神はそこに現われるし、神はそこに居るということになる。
こんなことを書くのは、大川先生が神が居ない国シンガポ-ルと表現された時のシンガポ-ル人の不憫な状況が看過できないという思いがあったからである。神は、どこにも居るのだと考える。シンガポ-ルにも神は居る。神は人の心の中に居る。
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