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from: ueyonabaruさん
2015年10月20日 21時16分26秒
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日蓮の新霊言
日蓮は日本の神々と同じ考え方をしている。いま、天照様と日蓮様が一つになり、国家の護持をするというのだ。日蓮は、法華経の中で初めて説かれたのが「久遠実成
日蓮は日本の神々と同じ考え方をしている。いま、天照様と日蓮様が一つになり、国家の護持をするというのだ。日蓮は、法華経の中で初めて説かれたのが「久遠実成の仏陀」という概念であると言う。この思想(概念)が仏教を世界宗教の地位まで上げているという。また、日蓮は幸福実現党が自民党を将来に吸収すると言う。エル・カンタ-レ信仰が世界に広がるとも言う。
今の時点では、夢のような話にも聞こえる内容である。しかし、この霊言はこれまでのどの霊言本より論理的であり、また、分かりやすい。多くの信者に与える影響は大きいものだと思う。信者でない方でも、この本を読んでいただきたい。幸福の科学がどのような考え方をしているかが読める筈である。
信者はこの本を読み勇気百倍となり、懐疑者には懐疑のままでいいから、参考にはしていただきたい。将来がどの方向へ進むかで、真実は明らかになるということだ。いまは、信じるものは信じ、
懐疑者は時間が過ぎるのを待つが良い。
from: ueyonabaruさん
2015年11月30日 22時46分23秒
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cosmo77さんへ
> うまくやることも大切だとは思うのですが
それだけだと 例えば
キリストとか ヤンフスさんとか 吉田松陰さんとか
そういう方たちは 生まれませんね。
そういう方々は 常に 権力に 異論を唱えて まあ 最後は殺されてしまってますね。
キリストやフスのレベルの話ではありません。私たちのレベルはもっと小さな問題でしょう。
> みんなが 右へならえ なんて 団体はどうなんでしょうね。
真理や正義の探究とか 本当の 社会貢献って ある意味 減衰するんじゃないですかね?
まあ 創造の自由もないし 本当に仕事がしたい人たちは 離れていくしかないでしょう。
そういう問題を 今 議論してるわけですよね?
右へ倣えと命令されたからそれに従うかどうかは人によりその対応は異なるでしょう。納得してはじめて人は動くものです。組織から離れる人は、組織が嫌いであるか、教義が信じられないかがあるのでしょう。
> だって レプタリアンさん というのは
裏宇宙という 悪の世界から 発生してきた というお話ではなかったですか?
裏宇宙というのもよく分かりません。
> なので 幸福の科学の歴史観から 見ても
いわば アダムとイブに 毒リンゴを 食べさせた 蛇のような位置づけですよね?
分かりません。
> 地球に 地獄や悪魔が発生し始めたのはレプさんが 地球に 飛来した ときから と確か なってたはずです。
そのようなことがあったのでしょうか。憶えはありません。そんなに単純ではなかったはずです。ご自身で確認してみてください。私も支部長に話して、確認しましょう。
> つまり 地獄や悪魔の 発生源のような存在ということですよね?
ボクの認識 違ってましたっけ?
どうもそういう理解はわたしにはありません。これも支部長に訊いてみます。
> なので レプさんを スルーする というのは
悪というものを スルーしてしまう ということになるのではないでしょうか
そうでもありません。善悪の価値観は仏法真理を学ぶことで得られると思います。簡単に言えば、心の五毒をしっかりチェックすることだと思うのですね。レプタリアンであるかどうかで善悪を計るというものではないはずです。
> 善悪 正邪の判断を スルーする ということになりかねないのではないでしょうか。
もちろん レプさんも 地球で 平和主義者になった方々は責めるべきでは まったくないですね。
レプタリアンを考えすぎですよ。私は、レプタリアンというのをほんとによくは分からないのです。
> 四諦八正道による世間の理解と心の調律が大事だと思いますよ。
> なるほど
僕も いろいろ考えましたが
幸福の科学で やはり 信仰が おかしくなってる場合が出てくる原因は
信仰 というものが 本当は どうあるべきなのか
という お話が ないからだと 思ってます。
最近つくずく思うことは、エル・カンタ-レを信ずること、エル・カンタ-レの語ることを信ずることが幸福の科学の信仰であるのだということです。それには、まず、自分自身がこの二つを納得するという経過はやはりあるのだと思います。
> 僕が 考えた 結論は こんなものです。
つまり 神様の無謬性という立場からどうしても
すべての 教えお話が 絶対正しいと主張する人たちが 出てきてしまって
大変なわけですが
つまり 教条を すべて そのまま 適用するのは やめた方がいいということです。
信じられる人は信じるし、信じられない人は信じない。実際、そのようなものでしょう。
> 神様も 間違いはあるし 人々が言葉を理解しきれない場合もあるでしょう。
面白いことをおっしゃいますね。間違うことがあってもいいと私は思いますが、ホントのところどうなんでしょう。間違わないでしょう。
> ので 信仰というのは
例えば エルカンターレさまの 仏性神性を 信じるという ことでいいのだと思います。
まあ その 仏性神性 というのは 非常に超越的な高いもの という位置付けだと思います。
エル・カンタ-レの仏性神性を信じ、己にも仏性神性があることを信じることなんでしょう。そして、エル・カンタ-レは先生であるということでいいでしょうね。
> つまり それは 全世界を 愛と幸福の世界として 世界平和を つくり出していこう
全世界救済を 願う 救済神である ということを 信じる ということで
いいのだと 思います。
救済神ですね。
> そして そのためには みんなが 愛と自由 多様性を 大切にして
尊重し合う 社会を つくっていく努力を していかないといけない
という 義務を 十分に認識して いく ということではないでしょうか。
それでいいと思いますよ。
> それは 教条を 絶対として 断罪する立場では ない ということでしょう。
もちろん あんまり 緩くし過ぎてはいけない 線というのは あるべきでしょうから
その点には 熟慮が必要になってくることは確かですね。
教条をそのまま他人を評価する物差しにするのは良くありません。教条を体得した人は、説得性が出てくるものです。説得性がない人たちは、体得による理解はしていないと私は思いますよ。
from: cosmo77さん
2015年11月29日 17時36分10秒
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ヨナバルさん
ご返答ありがとうございます。
>他の会員の仕打ちが自分にはきついということであればそこは上手くやることしかないでしょう。
うまくやることも大切だとは思うのですが
それだけだと 例えば
キリストとか ヤンフスさんとか 吉田松陰さんとか
そういう方たちは 生まれませんね。
そういう方々は 常に 権力に 異論を唱えて まあ 最後は殺されてしまってますね。
みんなが 右へならえ なんて 団体はどうなんでしょうね。
真理や正義の探究とか 本当の 社会貢献って ある意味 減衰するんじゃないですかね?
まあ 創造の自由もないし 本当に仕事がしたい人たちは 離れていくしかないでしょう。
そういう問題を 今 議論してるわけですよね?
>そうですが、私はよく分からないとしか言えません。
だって レプタリアンさん というのは
裏宇宙という 悪の世界から 発生してきた というお話ではなかったですか?
なので 幸福の科学の歴史観から 見ても
いわば アダムとイブに 毒リンゴを 食べさせた 蛇のような位置づけですよね?
地球に 地獄や悪魔が発生し始めたのは
レプさんが 地球に 飛来した ときから と確か なってたはずです。
つまり 地獄や悪魔の 発生源のような存在ということですよね?
ボクの認識 違ってましたっけ?
なので レプさんを スルーする というのは
悪というものを スルーしてしまう ということになるのではないでしょうか
善悪 正邪の判断を スルーする ということになりかねないのではないでしょうか。
もちろん レプさんも 地球で 平和主義者になった方々は
責めるべきでは まったくないですね。
>四諦八正道による世間の理解と心の調律が大事だと思いますよ。
なるほど
僕も いろいろ考えましたが
幸福の科学で やはり 信仰が おかしくなってる場合が出てくる原因は
信仰 というものが 本当は どうあるべきなのか
という お話が ないからだと 思ってます。
僕が 考えた 結論は こんなものです。
つまり 神様の無謬性という立場からどうしても
すべての 教えお話が 絶対正しいと主張する人たちが 出てきてしまって
大変なわけですが
つまり 教条を すべて そのまま 適用するのは やめた方がいいということです。
神様も 間違いはあるし 人々が言葉を理解しきれない場合もあるでしょう。
なので 信仰というのは
例えば エルカンターレさまの 仏性神性を 信じるという ことでいいのだと思います。
まあ その 仏性神性 というのは 非常に超越的な高いもの という位置付けだと思います。
つまり それは 全世界を 愛と幸福の世界として 世界平和を つくり出していこう
全世界救済を 願う 救済神である ということを 信じる ということで
いいのだと 思います。
そして そのためには みんなが 愛と自由 多様性を 大切にして
尊重し合う 社会を つくっていく努力を していかないといけない
という 義務を 十分に認識して いく ということではないでしょうか。
それは 教条を 絶対として 断罪する立場では ない ということでしょう。
もちろん あんまり 緩くし過ぎてはいけない 線というのは あるべきでしょうから
その点には 熟慮が必要になってくることは確かですね。
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