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from: ueyonabaruさん
2017年02月28日 14時48分33秒
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なぜ、神道小学校の理念は間違いなのか。誤解された明治時代の教育
http://www.mag2.com/p/news/241107?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0228
非常に参考になる見解が示されました。モデルとすべきは明治時代ではなくて江戸時代だというのです。
(一部抜粋)
日本人の高潔さが世界的に評価されている
中国人観光客が日本を訪れ日本人の高潔さ、時間の正確さ、街の綺麗さ、人の礼儀正しさなどに感動している。欧米人も同様のことを言っていたが、今までは論語を教育されている中国、韓国も同様であろうと勝手に想像していたし、論語は中国の孔子が書いたので、中国の方が上と考える人も多かった。
しかし、中国人観光客が日本に来て、日本の方が論語を体現していると言っている。この原因は何か、日本は江戸時代に論語を寺子屋で教えていたが、中国は論語を大夫の教えとして、庶民には教育しなかった。それに対して、日本では寺子屋で教育された率は、江戸市民の80%以上と論語が社会に浸透したことで、庶民の教えとなったのである。
それを戦後教育で禁止したことで、徐々に倫理観がない人が増えたが、それでもまだその考え方が社会に浸透しているので、今は維持されているのだ。
もう1つ、中国から入れたのが道教である。自然が豊かで、その自然をそのままに維持しているのは、道教を卑弥呼が取り入れて、それを日本古来の自然崇拝と統合して神道にしたことで、日本の縄文人からの自然観も維持できたようである。昔の自然信仰に宗教的な色を獲たことで、今に残ったようだ。
時代が下がって、南宋が潰れた時に貴族が亡命してきたが、この時入れたのが「内倹の心」である。きらびやかではなく、内心を落ち着かせ、ゆったりした心を体現することであるが、鎌倉五山、京都五山文化として坐禅と庭園、書院作りの文化を取り入れ、わび・さびというキンピカではない文化を確立した。これが、今の日本を落ち着いた文明にしている。
このように、漢民族の良さを日本はよりよく取り入れている。しかし南宋以後、漢民族ではなく異民族支配になり、漢民族が持っていた優れた文化が中国では失われている。異民族の強引さがないと潰されるという感じが強い。礼儀より武力という感覚である。
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