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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

公開 メンバー数:152人

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  • from: ueyonabaruさん

    2020年02月06日 23時30分21秒

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    大川隆法とエルカンターレ

    複数の方々から大川批判が出ておりますが、このような批判はあって当然だと思っております。これを議論できるのは支部では無理なんだと思います。ですから、この場所で表明してもかまいません。大川隆法は人間であると同時にエルカンターレなのですから、大川批判が必ずしもエルカンターレ批判とは同一ではありません。

     人間イエスを例に考えてみます。偉大な方ではありましたが、かれを当時の人々はどのように見ていたのかを思うとき、現在の大川隆法のように沢山の批判・不満が寄せられていたのではないでしょうか。ユダヤ人を救う救世主の登場を望んでいるものからは現実的力のない単なる一預言者でしかなかったわけです。娼婦マリアがイエスの足を高価な香油でぬぐうとき、もったいないバカな行為にしか見えなかったでしょう。イエスの行った奇跡を疑う者も多かったでしょう。

     私たちは少なくともマグダラのマリアのことを思いながら大川総裁を見ていいのではないでしょうか?大川隆法とエル・カンターレをまったく別物に考えることはできません。ここのところが難しいのでしょうかね。

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コメント: 全19件

from: Dさん

2020年02月13日 01時46分54秒

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枝と幹の峻別は今後の判断の分水嶺となるはずのものです。たとえ同じ内容の批判をするにしても、幹まで腐ってると見れば、もう去るしかないですが、私のように枝葉だと見れば最終的なところまではいきません。

どういう結論になるか分かりませんが、教団に批判をし、文句がある人は、認識の有無に関わらず、すべからずこの踏み絵を迫られます。

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from: ふじのさん

2020年02月11日 23時43分05秒

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Dさん

読ませて頂き、気づくことがありました。
私様々な疑問が枝と思えていないのでしょう。それは幹がわからない。つまり、エルカンターレ帰依と法帰依はできると述べた自分のコメントは誤りだったかもしれません。自分は幹の部分をも皆さんが認識されているように唯一無二の素晴らしいものだと理解できていないと考えました。

>理性的思考をするならば、決定的な批判や退会にならざるをないというわけではないと思いますが、いかがでしょう。

そうなります。私は幹についても認めていないという気づきに至りました。色々それなら合点がいきます。理性的思考という以前の話になりますね、私は。

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from: Dさん

2020年02月11日 19時12分11秒

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ふじのさん

三帰うんぬんに関しては、仏と法は同義存在ですので、「前者は信じるにはイマイチ」とか、「後者は納得できるので、そっちにだけは帰依する」ということにはならないです。あるとすれば、残る僧の一帰依のみになりますが、おそらくこれは最初にはじかれるでしょうから、結局のところ0帰依信者という、信者なのかどうか不明な存在になってしまいます。

こちらで列挙されている、そうした批判は私もしていますけれども、木の幹ではなく枝葉末節の落ち葉みたいなもんでしょう。やがて、朽ちて消え行くだけのものです。それらを消化できないならスルーすればいい。落ち葉に納得できないからと、過度に考え込み、人によっては棄教を検討するというのは、潔癖すぎるし、近視眼的すぎます。ここでたびたび話題に上らされる典型的活動信者は、本能的にそれができているんでしょう。

総裁の思想的意義や代替可能性を考えれば、一つ一つの小理屈あらため熟慮された批判は、省みられるべきではありますが、致命的に騒ぎ立てるに値せずというのが、私の意見です。理性的思考をするならば、決定的な批判や退会にならざるをないというわけではないと思いますが、いかがでしょう。

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from: きな子さん

2020年02月11日 15時44分27秒

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ueyonabaruさん

そうですね~。とても美しいと思います。
正直、うらやましいですね~。

多分、「信じる」パワーで同通する、ここがポイントのような気がするんですよね。

だから色んな分析をやめれば「見えてくる」。

あぁ、分析やめたいです。Ww

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from: ふじのさん

2020年02月11日 14時52分22秒

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Dさん

コメントありがとうございます

>どうにも、私の批判根性にひっかかるんですが、「理性」という言葉はもっと崇高で遠大で、長年の鍛錬のすえに一定の境地にいきついた人が使う言葉だと思うんですよね。いっしょくたにしてもうしわけないのですが、我々風情が使う理性などというものは、小理屈というていどがふさわしいと思うんです。

理性についてはそうですね、、、、。
小理屈は逆の意味で極端な印象です。
理屈、論理的には筋の通った疑問だと考えてます。
本部講師や精舎館長に色々面談の機会には質問していますが、ダイレクトな回答を得ることはなかったですし、小理屈とまでは考えていないですよ。

>二宝帰依ということもいわれましたが、教義解釈上はありえない話で、「礼節のない者は、学ぶ資格がない」わけなんです。信者の資格も満たしていません。各種不満もありましょうし、それはひとえに信者側の心得違いというつもりもまったくありませんが、信者である以上、守るべき最低ラインはあるんだと思いますよ。

信者資格を満たしていないのは前々から自覚はあります。三帰信者から入会信者になろうか、しかし入会信者も帰依はあるからシンパにしかなれないのかなとは考えています。Dさんに言われ、ヤケで述べている訳でなく、私が私の主張を貫くならシンパにしかなれないとは最近よく考えています。

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from: yoshizumiさん

2020年02月11日 10時08分10秒

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追伸して、補正します。

かつての法友でもあった彼ですが、3年ほど、苦しみ抜き、当会を去っていきました。

アンチになったとは聞いていませんし、会ったときも、真理の探究に忙しく、そんなことをしている暇はない、と、言っておりました。

つまり彼は、求道者、なのだと、思います。

そして、彼の信仰対象は、以下のシルバーバーチの言葉に代表される、宇宙法則としての神、なのだと、私は理解しています。

「神の公正が全宇宙に行きわたっております。霊的な小人が巨人のふりをしてもごまかせません。死の床での悔い改めも通用しません。

広大なる宇宙で生じるもの全てに責任を持つ大霊(神)の不変にして絶対的威力を有する摂理に目を向けましょう。私たちは常にその摂理を念頭に置いています。なぜなら私たちの説く神は人間的弱点や人間的激情、人間的憤怒に動かされたり、好きな人間と嫌いな人間とを選りわけたりするような、そんな人間的存在ではないからです。

私達の観る宇宙は法則によって支配されています。すみずみまで行きわたり、これからも常に存在し続ける法則です。」

上記の中に、死の床での悔い改めも通用しません、とありますが、これは、当時、シルバーバーチが、キリスト教の人工的教義を霊界に暮らす者の立場からその誤りを激しく糾弾している姿勢から、うかがえる言葉です。キリスト教の人工的教義を妄信する人々が、死後どのような境涯にいるかを、語っている霊訓もあります。

それはともかく、かつての法友がたどり着いた信仰は、シルバーバーチの説く宇宙法則としての神、のようです。

彼は、今では見違えるほど生き生きとしており、とても、支部長が言うような悪魔には見えません。いつも快活で、しかもその快活さは見せかけのものではなく、霊的知識に裏打ちされた足腰の強いもののように、私には感じられます。

すいません、当会の教えとは違うものの紹介のような形になってしまいましたが、抜苦与楽という言葉があるように、私も苦しい時には、シルバーバーチの教えに救われることもあるし、しかし今は、地球的規模で危機の時であり、この時に必要なのは、当会の教えであり、活動であるとの思いも強く、私なりに悶え苦しみながらも、日々、牛歩の歩みを続けています。

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from: yoshizumiさん

2020年02月11日 09時35分49秒

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ふじのさんへ

私が尊敬もしていた、離れていった二人の法友のうちの一人とは、今でも付き合いがあるのですが、その人は、支部長からは、悪魔扱いされています。

しかし私の目から見ると、その離れていったかつての法友のほうが、支部長よりもはるかに深い人間のように思えてなりません。彼のことについては、別のトピックを立てて語りたいくらいですが、ここは、あくまで、当会の教義の疑問や、あり方などを論ずる場だと思いますので、あまり逸脱しない範囲にとどめたいとは思っています。

さて、あっさりと言いますと、その離れていった彼は、総裁先生のご著書を読む時は常に正座をし、赤ペンを引きながら、学ぶというとても真摯な態度でした。

しかしその彼が、次第に苦悶の表情を見せ始め、支部にも来なくなり、久しぶりに会うと、その心情を控えめながらも語ってくれました。その内容は膨大なものであり、ここで記すことはできませんが、結論から言うと、彼は、エルカンターレ信仰から脱却し、宇宙法則としての神、へと、移行していきました。

具体的に言うと、シルバーバーチをはじめとしたスピリチュアリズムを学び、当会の教えなどとも照らし合わせながら、昇華していったそうです。

「今日もっとも必要なのは簡単な基本的真理───墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみにまで神の愛の温もりをもった慈悲ぶかい力が行きわたっていて、一人一人に導きを与えていること、それだけです。」

「」内は、シルバーバーチの言葉ですが、これからは、他から引用する場合は、「」表示するなり、引用元を記すなりいたします。

そのかつての法友は、熱烈な会員でしたから、本佛下生の時は、総裁先生のご著書以外を読んでいる暇などない、と言っていましたが、様々な矛盾に悶え苦しむ中で、より普遍的な真理へと、導かれていった、と、言っていました。

彼は決して、当会を離れたあとも、当会の悪口は言わないし、総裁先生には、人生の一定期間を導いていただいた存在として、感謝もしているそうです。

この掲示板で、当会以外の霊的指導者を紹介するのも如何なものかというためらいはありましたが、シルバーバーチは、霊界にいる霊人であり、そのメッセージも、かなり前のものなので、いいかな、と思い、書いてみました。

誤解なきように言っておきますが、私は、当会以外の団体の回し者ではありません。

ただ、苦しい時は、風通しが大事だし、総裁先生のご著書以外にも、素晴らしいものがあれば、読んで、見聞を広めるのも良いかな、と、思ったものですから。

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from: yoshizumiさん

2020年02月11日 09時11分20秒

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ueyonabaruさんへ

①②③とも、深い洞察であり、私も、概ね同感です。端的に言えば、今、人類が危機にあるこの時期に、小さな頭で考えて歩みを止めるよりも、本佛ご降臨のこのまたとない機会なのだから、この白き手に素直に従い、ついてきなさい、このように、私は思い、その時は、多少の自己陶酔もあったかと思いますが、感動もいたしました。

しかし、当会の活動は終わりがなく、また、平坦ではありません。時として疲れ果て、こんな活動がいつまで続くのだろうと、思わないこともないわけではありません。

とりわけ、人材不足から、支部のリーダー、けん引役として頑張っている、地区長、地区婦などは、時間的にも経済的にも、大変な犠牲と言いますか、はたから見ていると、ずいぶん無理をしているな、とは思います。それだけ、責任感が強いのだとは思いますが、経済も、一人の人をあまりにも深掘りすれば、その人自身が立ち行かなくなります。そうした事例を数多く見るにつけ、難しいものだとは思いますね。

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from: Dさん

2020年02月11日 00時05分22秒

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>痛いほどお気持ちはよくわかるのですが、理性を磨けば磨くほど幸福の科学のアラがより鮮明に見える。私の現時点の感覚です。

どうにも、私の批判根性にひっかかるんですが、「理性」という言葉はもっと崇高で遠大で、長年の鍛錬のすえに一定の境地にいきついた人が使う言葉だと思うんですよね。いっしょくたにしてもうしわけないのですが、我々風情が使う理性などというものは、小理屈というていどがふさわしいと思うんです。

二宝帰依ということもいわれましたが、教義解釈上はありえない話で、「礼節のない者は、学ぶ資格がない」わけなんです。信者の資格も満たしていません。各種不満もありましょうし、それはひとえに信者側の心得違いというつもりもまったくありませんが、信者である以上、守るべき最低ラインはあるんだと思いますよ。

えらそうにもうしわけないす。

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from: ueyonabaruさん

2020年02月10日 23時33分20秒

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きな子さん

 素直に信仰している方々には美しいものがありますね。

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from: きな子さん

2020年02月10日 22時34分34秒

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ueyonabaruさん


こんばんわ~。

あぁ、これ、とてもよく分かります。
支部の古株な方が、スピリチュアルの基本用語である「アセンション」という言葉さえ知らなかったんですよ~。愕然としました。。。


しかしですね、「信じる」ことにかけては私は足元にも及ばないわけです。

私は色んなスピ知識と霊能力がありますし、不思議体験しまくってますが、
果たして信仰の本質という点であればこの方のほうが、はるかに勝っている訳です。

なんというか、二律背反といいますか、
真理を究めたいと思えば思うほど、真理から遠くなるという逆説。。。

私は逆説のなかに真理がほくそ笑んでいる気がしますが、
そんな小難しいこと考えないで、とにかく無批判に信じ込んでいる支部の50代~60代の中年感情論おばさんな方々に学ぶべき点が沢山あるというか、私に足りないのは、そこ!といつも見習いたいが見習いたくないというせめぎあいに苦しんどります。Ww


ちなみに最近の話ですと、埼玉スーパーアリーナで偶然隣り合った典型的な中年おばさんは、それはもう素晴らしい波動をお持ちでしたよ。勝手な推測ですが、無批判にただただ信じてる気がしましたね~。私よりはるかに素晴らしい波動でしたね。。この方のほうが、信仰の核心をついてる訳です、スピ本に囲まれて霊能力を持て余している私よりもね。
なんとも皮肉な話です。(^。^)y-.。o○

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from: ふじのさん

2020年02月10日 16時12分08秒

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ueyonabaruさん

アラについては書き切れないですよ笑

>多くの信者さんは現実の学問は先生がお書きになったご本で知るだけであり、自分自身で直接学ぼうとはしないで、先生のご本を読んでは現実の学問を自分も学び知っているかのように錯覚している面があります。

自分も沢山そういう職員さん、信者さんに会ってきました。

>自由、民主、信仰を標榜していますが、ここでは信仰だけであり、自由も民主もありませんね。

少し考えて、またコメントしたいのですが、「自由、民主」と「信仰」を同時成立させることがかなり難しいというか無理があるのかもしれない気がします。

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from: ueyonabaruさん

2020年02月10日 14時47分50秒

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ふじのさん

 なるほどですね。どのようなアラでしょうか?

 わたしも実はそうなんです。わたしは以前から支部幹部の方々と衝突を繰り返しております。それは常に私のほうが正しいとは決して言いませんが、一つの不満は、幸福の科学以外にある興味深い事象に対して、彼らが絶対に関心を示さないことがあります。エル・カンターレ一信仰に一辺倒であり、そしてそこに留まっていることで満足していることなんです。エル・カンターレ信仰は広大無辺のものがありますが、彼ら自身はちっとも広大ではありませんね。それは頭に余裕がないからなのでしょうか?

 先生は勉強家であります。現実の学問をしっかり勉強なさいます。多くの信者さんは現実の学問は先生がお書きになったご本で知るだけであり、自分自身で直接学ぼうとはしないで、先生のご本を読んでは現実の学問を自分も学び知っているかのように錯覚している面があります。もう少し努力して色々の本を読んでほしいものです。そのことにより、自身の説法能力も高まると思うんですがね。

 この間は、支部の若い職員さんに対し、一般教養が足りてないと言ってやったら、少し怒っている様子でした。きついことを言って口惜しがらせるのもいいのかと思ってそのように言いましたが、大きく成長するためには、教義だけでは十分ではなくて、一般の学問も学んでもらいたいものです。

 自由、民主、信仰を標榜していますが、ここでは信仰だけであり、自由も民主もありませんね。

 


 

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from: ふじのさん

2020年02月10日 12時40分32秒

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ueyonabaruさん

>理性は捨て去ることは不可能ですから、理性をさらに磨くしかないのではないかと思っております。高い理性は神に通じる筈です。

痛いほどお気持ちはよくわかるのですが、理性を磨けば磨くほど幸福の科学のアラがより鮮明に見える。私の現時点の感覚です。

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from: ueyonabaruさん

2020年02月09日 22時43分49秒

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yoshizumiさんへ

>君よ、涙の谷を渡れ、のご法話の中の、判断しなくていいです、ただ、ついてきてください、という、直接的なメッセージは、信仰心熱い者を奮い立たせるには十分でしたが、多少なりとも理性的な人間、特に男性である私たちには、試金石でしたね。


 この言葉はどのようなことを言わんとしているのかについて考えます。

① 先生のお気持ちは、ご自身が救世主であり真実を語っているのにそれを信じきれない人たち(弟子)が多い。これは嘆かわしいことである。皆さんが自分自身の判断力に頼っているのだ。悟りが深まれば分かることではあるが、悟りの近道は信仰心である。素直に信じれば分かってくることも多いし、悟りも早いのだ。

② 宗教とは信じることである。信じてそれを実行するのだ。多くの人はあまりにも自分の小さな頭で考えすぎて迷っている。私の言葉は神からの言葉だから、ただ信じ実行せよ。

③ 私の語る言葉を信じるだけでいい。これがホントの信仰だ。理性や知性で考えても真理をつかみ取ることは不可能である。ただ、信じよ。

 先生は上のようなお気持ちなのでしょうか?

 私でも、信仰心とはこのようなものかもしれないと正直思うのです。ですが、色々と考えるのです。特に理性ですよね。理性・知性を消去することはできませんからね。幼子のように信仰心だけで世の中を生きておられる方もいます。これは、これで立派だと思うのですよ。私の場合は、幼子の心のまま生きよと言われても無理です。

 理性は捨て去ることは不可能ですから、理性をさらに磨くしかないのではないかと思っております。高い理性は神に通じる筈です。

 真理へ近づくために、幸福の科学の教学をするとともに日々の行(正心法語の読誦、主への祈り、守護指導霊への祈り、その他)を実施することが大事だと思っております。おかげで私の信仰も少しづつ進行していることは感じます。疑いの念で心が苛まれるときは、祈ります。そして時間の経過も待ちます。

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from: ふじのさん

2020年02月09日 07時38分40秒

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>先日、総本山正心館で、「異次元パワーを得るための祈り」を受けてきた婦人部の方の話などを聞くと、理屈ではなく、感覚的に信じているのだな、という波動が伝わってきて、圧倒されます。

ああ、ここだな、と思うんです。
それは事実であるし、「信」ということは非常に大切です。
しかしながらここで欠けているのは一般の方からの視点だと思います。まず一般は理から入ります。その教団がなにをしているか、教祖がどんな方なのか、などから入ります。光や言葉を超えたものは入信して精舎などでしか味わえず、入り口では理で判断するしかない。しかし今もはや大川総裁や教団に信者ですら色々懐疑の目を向けている。まして一般なら門を叩こうとすらしないと思います。信者さんすらどうなんだろうと思うわけですから。

またもう一つは「信」のみでいくと教団がおかしな方向にいったときブレーキがかかりません。総裁や教団が魔にやられることはないと100%言い切れるはずなどなく、もしおかしな方向に行ってしまったときに「とにかく信じます」「わからないけど主には深いお考えがある」ではもう舵を切りなおすことはできずそのまま沈んでしまうと思うんです。

宗教ですから最後は「信」でよい。それは賛同だしその通りです。しかしながら教義には「理証」もあります。やはり理屈でおかしいところがあるならばそこはきちんとしたチェック機能が働くべきであり「批判する者は悪魔」では、、、、と思います。

教団からすれば、上記考えを率直に述べれば「悪魔払い祈願を受けなさい」「反省系の研修を受けなさい」で一蹴されると思います。そしてそういう考えこそが、今日の幸福の科学に変容してしまった原因としか私には思えません。

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from: yoshizumiさん

2020年02月09日 00時18分24秒

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君よ、涙の谷を渡れ、のご法話の中の、判断しなくていいです、ただ、ついてきてください、という、直接的なメッセージは、信仰心熱い者を奮い立たせるには十分でしたが、多少なりとも理性的な人間、特に男性である私たちには、試金石でしたね。

素直に、主は絶対であると信じられる婦人部の方々が、うらやましく思えることもありますが、数多くの矛盾を乗り越えていかねばならぬ信仰生活は、平たんではありませんね。

先日、総本山正心館で、「異次元パワーを得るための祈り」を受けてきた婦人部の方の話などを聞くと、理屈ではなく、感覚的に信じているのだな、という波動が伝わってきて、圧倒されます。

私などは、納得しながら、亀のような歩みを続けるしかないと、思っています。

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from: ふじのさん

2020年02月08日 22時04分01秒

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イエス様よりも釈尊との比較が妥当であり、わかりやすいのではないかなと思います。

信者の布施で購入した華美な装飾品を身につけ説法で自慢する釈尊、息子ラーフラを溺愛してラーフラが反旗を翻せば罵倒する釈尊、明らかに勝負に負けた(先回の参議院選挙)のに「あれはわざと負けたのだ」と言い訳する釈尊、、、、

やはりあり得ない感じはします。
大川総裁を釈尊と同じ人徳を有する人だとするのは難しい、無理な話だと言い切ってよいと私は思ってます。

ましてや大川総裁は釈尊よりも格段に上の根本仏を名乗られていますからそのギャップは説明のつけようがないと思ってます。

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from: ふじのさん

2020年02月08日 15時44分46秒

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取り急ぎまずコメントさせて頂きたいのは、大川総裁とエルカンターレを分離して考えざるを得ない状況にまで教団がきてしまった。これは異論なき事実と考えますし、まさかこのようなことが議題として上がるとは入信時には夢にも思いませんでした。非常事態だと自分は感じております。

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