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from: リアリストさん
2008年05月25日 21時57分15秒
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マーラーについて
tamaさん、丁寧な解説ありがとうございます。マーラーの8番ですが、スケッチが完成した1906年8月18日、マーラーが指揮者メンゲルベルクに宛てた手紙
tamaさん、丁寧な解説ありがとうございます。マーラーの8番ですが、スケッチが完成した
1906年8月18日、マーラーが指揮者メンゲルベルクに宛てた手紙には
「今しがた8番を完成させました。私が書いた最大の作品であるばかりでなく、内容・形式とも
に類のないものなので言葉では言い表せません。宇宙が震え鳴り響くさまを想像してください。
それはもはや人間の声ではなく、惑星や太陽のそれなのです。」とあります。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler8.htm
これだけの、完成度の高い8番なのですが、マーラーはそこで終わらずに関心を東洋に向けて
おります。その後に大地の歌、9番、10番と作曲を続けて行きます。そこには、キリスト教の
神とはまた違ったものが感じられます。現実の死との直面、黄泉の世界、このようなものが
感じられます。大地の歌に番号が付いていないのは、ベートーヴェンやブルックナーがそうだった
ように「第9」を書くと死ぬのではないか、と恐れて番号をつけなかったのである、とあります。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler0.htm
マーラーの10番は、ラトルがクック版の全曲演奏をしたEMIのCDを私はよく聴くのですが、
最終楽章は死から黄泉の世界へ赴く様子が伺えます。この曲は、もう20年以上前の学生の頃に
初めてマーラーの巨人を聴いた衝撃から、彼の最後の最後をどうしても知りたくなり、当時
1万円以上した10番の全曲スコア(輸入版)を入手した念の入れようです。このスコアとラトル
のCDは私の宝です。私の葬式はこの曲と決めてあります。また、モチーフを自分で弾いてみたり
もします。バイオリンを習わせた親に今ではとても感謝しております。 -
from: ueyonabaruさん
2008年05月05日 19時14分07秒
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レムリアルネッサンスのことについて
tamaさんとリアリストさんの議論を見ておりました。tamaさんがレムリアのことを素晴らしいと思っていられる気持ちは分かるのですが、なにゆえ素晴らしい
tamaさんとリアリストさんの議論を見ておりました。tamaさんがレムリアのことを素晴らしいと思っていられる気持ちは分かるのですが、なにゆえ素晴らしいのか、ueyonabaruには、なにか強く訴えかけてくるものが感じられません。レムリアについては、過日tamaさんからご紹介いただいたとき、若干ではありますが、ネットでその関連記事を見てはおります。しかし、印象としては、善人で、霊好きな方々の集まりのようなものが、それを支えているのだろうかと思った次第です。
tamaさんは私よりも先にプラトンに関心をもち、内村鑑三や仏典なども読んでいらっしゃるのです。そのような方が何故霊言中心の団体に甘んじるか理解できないところがあります。この点、遠慮なく、批判をさせてもらいます。
議論の最初でつまずくことはありません。というのは、私は、霊言も霊も信じており、実証主義にはとらわれません。霊が語ろうが、人間が語ろうが、そこになにか心打つものがあれば耳をかたむけるつもりですから。
また、リアリストさんとの議論中、霊と肉体との関係で霊言の仕組みなどを説こうとされた箇所はは興味深く読ませていただきました。 -
from: ueyonabaruさん
2008年05月10日 18時08分18秒
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饗宴
饗宴は副題が、---恋愛についてとされているので、ソクラテスの恋愛論が語られるのだから、と期待をしておりましたが、意外なものでありました。当時のギリシ
饗宴は副題が、---恋愛について とされているので、ソクラテスの恋愛論が語られるのだから、と期待をしておりましたが、意外なものでありました。当時のギリシャでは美少年に恋するという文化があったのでしょうか、そのようなことが書いてあり、また、同性愛にもとれる愛のことなど書いております。それらが、すべて哲学的な思考で彩られていることはたしかですが、私には、分からないところが多くありました。また、興味もあまり湧かなかったので、この「饗宴」については、さらに深く理解しようとする努力はしたくありません。したがって、引用文も挙げづに、次に進むこととし、「プロタゴラス」の方の読書に移りたいとおもいます。
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from: ueyonabaruさん
2008年05月09日 15時17分52秒
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パイドン ②
ここで、興味深い霊的なことに言及している箇所を引いてみます。そして、パイドンはこれで了とします。(死後の世界)「それなのに、考えてもみたまえ、魂という
ここで、興味深い霊的なことに言及している箇所を引いてみます。そして、パイドンはこれで了とします。
(死後の世界)
「それなのに、考えてもみたまえ、魂というこの見えざるもの、自分と同じように高貴で、純粋で、見えざる領域へと逝き、名前そのままにハデスの(見えざる)国へ、善き賢き神のみもとへ去りゆくもの・・・・・このようなわれわれの魂、このような性格を本来もっているものが、多くの人々の言うように、肉体からはなれるとたちまち吹き飛ばされ、滅び去ってしまうのだろうか?いやいや、そんなことはとうていありうるはずがない・・・」
「他方これに反して、思うに、もし魂が汚れたまま、浄められぬままに肉体をはなれるならば―――それというのもほかではない、魂がつねに肉体と結びつき、肉体にかしずき、肉体を愛し、肉体ならびにその欲望と快楽に魅せられてきたからであり、そのあげく、肉体と同性質の形而下的なもの、すなわち手でふれたり目で見たり、飲んだり食ったり、・・・・・このようなあり方をつづけてきた魂が、純粋に自己自身になって、汚れなきままに肉体をはなれて行くだろうと思うかね・・・・・むしろ思うに、そのような魂は、形而下的なものにしっかりととりすがられているのだ。・・・・・そのために魂は、世に言われているように、碑や墓のまわりをさまようのだ。事実そのあたりでは、何か影のような魂の幻影がよく見られるということだが、これは、いま言っているような魂、浄められぬままに肉体からはなれ、「見えるもの」をふり捨てきらなかった魂のもたらす影像なのであって、だからこそそれは人に見えるわけなのだ」
「その言いつたえとはすなわち、次のようなものだ。―――人が死ぬと、それぞれの者についている神霊(ダイモ-ン)がそれぞれの者を待っている。それは人が生きているうちから運命を見守られてきたのと同じダイモ-ンだ。このダイモ-ンが案内をひきうけて、各人をある場所へつれて行く。そこに集められた者たちは、まず裁きの前に立たなければならない。」
「ほんとうの大地(ueyonabaru註 哲学者の行くべき天界のことか)は、これを上からみると、ちょうど十二片の皮を縫い合わせたまりのようにみえ、いろとりどりの綾模様をなしつつ、各部分ははっきりと色分けされている。われわれの世界にあるさまざまの色は、この上方の世界にある色彩の、いわばわずかな標本のようなものであって、画家たちはそのわずかな標本を使っているわけなのだ。かの地ではしかし、大地の全体がことごとくこのような色彩をもっていて、しかもこの世界のそれよりも、はるかに鮮明で純粋な色彩なのである。すなわち、そのある部分は目をみはるばかりに美しい紺碧、ある部分は黄金色にかがやき、白い部分は白亜よりも雪よりもなお白く、その他同様にしてさまざまの色彩からなり、それらはわれわれが見て知っている色よりも、さらに数多く、さらに美しい。」
パイドンはこれで終わりです。それにしても、なんと霊的なソクラテスでしょう。ソクラテスの考えは、大川隆法やその他の神秘主義者の考えと共通しているように思えます。さらに仏教の教えにさえ似ております。
次には、同じくプラトンの「饗宴」を読んでみたいと思います。ソクラテスの霊的な側面とはまた違った、彼の別の姿が出てくるのでしょうか。まったくはじめて読み始めますので、楽しみにしております。 -
from: 真理さん
2008年05月07日 14時00分30秒
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私・・・退会します!
大川隆法氏といい、幸福の科学の組織といい・・・もう信じられなくなりました。ueyonabaruさん!深みにハマる前に、とっとと信仰は止めたほうが身の為
大川隆法氏といい、幸福の科学の組織といい・・・もう信じられなくなりました。
ueyonabaru さん!深みにハマる前に、とっとと信仰は止めたほうが
身の為かもしれませんよ・・・!?
止める、止めないは人の自由ですから・・・私はこれ以上のことは
言いません・・・。
今まで、お世話になりましたm(_._)mfrom: ueyonabaruさん
2008年05月07日 17時59分35秒
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「Re:私・・・退会します!」>大川隆法氏といい、幸福の科学の組織といい・・・もう信じられなくなりました。>ueyonabaruさん!深みにハマる前に
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from: ueyonabaruさん
2008年05月04日 11時08分44秒
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議論の隔たり
tamaさんとリアリストさんの議論を見ております。tamaさんが、レムリアの霊言を信じ、霊言の内容が理性的であり、かつ自己を向上させうるものであれば受
tamaさんとリアリストさんの議論を見ております。
tamaさんが、レムリアの霊言を信じ、霊言の内容が理性的であり、かつ自己を向上させうるものであれば受け入れるとするのに対し、リアリストさんはレムリアの霊言の存在価値さえ、非科学的であり空想であるしております。これでは、今後の議論の継続は望めないように思います。キリスト教でもソクラテスでも随分と非科学的なことを述べており、これを科学的な証明がないから、まったく認めないは言えないでしょう。tamaさんのレムリアのこともこの構図に変わりはありません。霊界の存在証明は、リアリストさんのおっしゃるように非常に困難であり、神が証明を妨げるのではという考えも、一理あるようには思います。これについては、一つのテ-マにもなるでしょうから、機会をあらためて議論した方がよいと思われます。 -
from: ueyonabaruさん
2008年05月01日 21時54分38秒
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パイドン
パイドンについてまとめてまいります。前の「ソクラテスの弁明」でのやり方ではなく、テ-マごとにまとめてまいります。(ソクラテスの最後の様子)パイドンが語
パイドンについてまとめてまいります。前の「ソクラテスの弁明」でのやり方ではなく、テ-マごとにまとめてまいります。
(ソクラテスの最後の様子)
パイドンが語ります。
「・・・・・私はその場にいあわせて、まったく不思議な感情を味わったのです。というのは、一方において、親しい人が自分のそばで死んでいくのをおいたわしいと思う、そういう気持ちはすこしも私におこりませんでした。それほどあのかたは、エケクラテス、その態度にも言葉にも、幸福そうな様子がありありとあらわれていたのです。ほんとうに、なんと自若として気高く、あのかたは死んでいかれたことでしょう。私は思いました、この人なら、ハデスの国におもむくにあたっても、必ずや神の御加護なしにはいないだろうし、またあの世に着いてからのちも、いやしくもそこでしあわせにすごす人が誰かいるとすれば、このかたこそはそういう人にちがいないだろうと・・・・・」
ソクラテスが死に至る前に弟子達にかたったことについて、パイドンはさらに話を続けていきます。
(あの世のことについて)
「・・・・・もしもこのぼくが、まず第一に、この世を支配する神とはまた別の、賢明にして善良な神々がいますこと、さらには、この世の人々よりもすぐれた、いまは亡き人間たちが待っていること、このことを信じていなかったとしたら、たしかに死を嘆かないというぼくの態度は、まちがっていることになるだろう。だが実際には、ぼくには、自分がこれからすぐれた人間たちのもとへ行くのだという希望があることを、よく知ってもらいたい。・・・・・」
(死とは)
「ほかでもなくそれは、魂が肉体から離れ去ることではないか。そして、死んだということは何を意味するかといえば、肉体が魂からはなれて肉体だけとなり、他方魂は肉体からはなれて肉体だけとなるーーこういうことではないか。死というものが、何かこれ以外ものでありうるだろうか・・・・・」
(哲学者のめざすもの)
「・・・・真に哲学のうちに一生を過ごした人間は死にのぞんで心くじけず、死んだのちあの世で最大の祝福をかちうるとかたく信じるのが当然だとぼくに思える理由を、説明したいと思う。・・・・・真の意味で哲学いう営みに従っている人々が実際にはげんでいる仕事は、死に行くことと死を完成すること以外の何ものでもないのだが、おそらくこの事実は、ほかの人たちの気づかぬところだろう。ところで、もしそれが真実だとすれば、全生涯ただそれだけを熱望してきたというのに、いよいよその到来に」あたって、ひさしく熱望しはげみつづけてきたことの実現を目の前に嘆くというようなことは、たしかに奇妙なことというべきではあるまいか・・・・・」
(禁欲主義)
哲学者は死に行くことまたは肉体の欲から離れることにより真実に達しうるとします。
「なぜならば、われわれが肉体をもっているかぎり、そしてわれわれの魂が、肉体的な悪と分かちがたく結合している限り、われわれは、われわれの求めてやまぬあの「真実」を完全に手に入れることは、けっしてできないだろうから・・・・・肉体がわれわれの心に充満させる数々の恋情、欲望、恐怖、はてはありとあらゆる幻想などの、多くの愚かしいものどもを想えば、まことに諺にいわれるごとく、肉体はわれわれに何ひとつ片時も考えることをゆるさないとは、全くそのとおりなのである。・・・・・」
「いやしくもわれわれが何らかの明晰な知を得ようとするなら、肉体をはなれ去って、純粋に魂だけで事柄そのものを観じなければならぬということだ。それができたときにこそ、どうやらわれわれは、われわれが欲求し恋いこがれてやまぬというその知恵を、わがものとすることができるらしいーーしかり、換言すればそれは、理のさし示すところわれわれが死んだときということであって、生きているかぎりは不可能なのだ。・・・・・思うに、絶対にやむをえなないかぎりはいざしらず、それ以外はできるだけ、肉体と交わり共にあることをさけ、肉体的な汚れをしりぞけて清浄であるようにつとめながら、最後に神みずからがわれわれを解放したもうときを待つことであろう。」
(人間はハデスから生まれかわってくる)
ソクラテスが「・・・・ぼくがあの世に行けば、この世におけるのとすこしも劣らず、善きあるじと善き仲間たちに出会えるだろうと、信じているからなのだ」等々と語るのを聞き、弟子のケベスが、普通の人にはなかなか信じることができないと言うので、ソクラテスは次のように言います。
「さて、われわれは問題をこんなふうに設定して、考えてみることにしよう---人間が死んでしまったのち、はたして各人の魂は、ハデスに存在するのであるか、それとも存在しない、とね。ところでこれについてわれわれは、古来よりつたわるひとつの教説があるのを思い出す。その説くところによると、各人の魂は、この世からかの世に至りついてのち、そこに存在をつづけ、そして、ふたたび、死者たちの世界からこの世にやってきて生まれかわる、というのだ。で、もしこれがほんとうなら、すなわち、生きている人々は死者たちからふたたび生まれてくるのだとするなら、われわれの魂はたしかに、あの世に存在するということになるのではないだろうか。なぜなら、もし存在しないなら、ふたたび生まれてくることもできないはずだからね。だからこれは、魂がハデスに在ることの充分な証明になるわけだ、―――つまり、生きている人々が生まれてくるのはただ死者たちからのみであって、ほかのどこから生まれてくるのでもないということが、もしほんとうに明らかになればね。もしそうでないということになれば、また、別の議論が必要だろうが」
と言い、つづけて、この魂の存続について、弟子達に色々のテ-マをあげ説明してゆきます。また、この説明は一筋縄ではいかないようで、相当の時間を費やしている様が窺えます。この、くだりについては、哲学的論理の展開で難解であり、わたしがまとめるのは容易ではありません。よって、ここではとりあげませんが、興味のあるかたは、ぜひ直接原典にあたってください。霊魂存続の証明をしてゆく内容となっております。
その他多くのテ-マについて言及があります。たとえば、有名な想起説(生まれる前に知識はそなわっている)、ものの本質(純粋にそれ自体だけであるもの、形相)、目に見えないものが真実(魂)、智慧(魂が自己自身だけでものを考察するばあい)、言論の重要性(知性の重要性)、万物の原因となるのは知性(ヌス)等々ですが、いずれも大切なものです。
(つづく)
from: tamaさん
2008年05月26日 00時30分09秒
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「Re:マーラーについて」>tamaさん、丁寧な解説ありがとうございます。マーラーの8番ですが、スケッチが完成した>1906年8月18日、マーラーが指