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from: ueyonabaruさん
2009年03月29日 18時15分28秒
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信仰するってどんなこと ②
信仰することは、例えて言えば、在日朝鮮人が二重国籍であることをやめ、日本に正式に帰化するという決定をすることにも似ているように思います(逆でも可)。一
信仰することは、例えて言えば、在日朝鮮人が二重国籍であることをやめ、日本に正式に帰化するという決定をすることにも似ているように思います(逆でも可)。一種の賭けでもあり、個人の決心ではないでしょうか。
目に見えない神様の存在証明は不可能ですが、このよく分からない現象の世界において、目に見えない存在をあると信じる、あるいはあると信じることを決心することは重要なことなのです。
そして、何ゆえ、エル・カンタ-レ信仰なのかというと、大川先生が時折、次の言葉のように、私の魂にショックを与えることがたまたまあるからなのです。次に引くのは、「幸福の科学」誌最新号に載った先生のご文章からの、断片です。
心なんか目に見えないから、
動かせない、と言う人は、
残念ながら、
宗教の入り口にも、まだ立っていない。
心を実体だと思わなければ、
修行による悟りなどありえないのだ。
私は、心を揺さぶられたのです。心を実体と考えなさいとのご指摘です。from: hiraokaさん
2009年03月31日 00時35分51秒
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「Re:信仰するってどんなこと②」ueyonabaruさん、こんばんは。何か大変な事態が起こったようですね。参考になるかどうかわかりませんが・・・書い
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from: ueyonabaruさん
2009年03月28日 17時12分01秒
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信仰するってどんなこと
信仰するって何でしょうか。私は、エル・カンタ-レを信仰します、私はイエス様を信じます、私は阿弥陀様を信じます等々色々の信仰があります。人が信仰しますと
信仰するって何でしょうか。私は、エル・カンタ-レを信仰します、私はイエス様を信じます、私は阿弥陀様を信じます等々色々の信仰があります。人が信仰しますと言うときの心理はどのようなものでしょうか。
私が、エル・カンタ-レを信じますというときの心理について語ってみます。私は、長い期間にわたり、三帰誓願をしないまま「幸福の科学」の書籍だけを読んでまいりました。興味本位の読者でしかなかったわけです。あることがキッカケで三帰誓願をすることになりましたが、それでもしばらくは熱心な信徒ではありませんでした。しかし、現在ではエル・カンタ-レを信じますと言えるのです。そのように言う時の私の心理はどのようなものかなんですが、それは一種賭けにも似たようなものがあります。多くの大川先生のご本を読んできて、これを全て理解できたわけではありませんが、ある時点で、今後は読書や理性的判断のみでなく、さらに一歩進まねばどうしようもないと思われたのです。それは、実際にやってみるということでした。そこで、信仰するという決意がでてきたわけです。現在では、信仰すると決意してからしか理解できないものがあるように思っております。
昨晩は、苦しいことがあり、心の中で神様に語りかけました。若いときにはそのようなことはありませんでした。やはり、どこか理性的に考える部分が必ずありました。昨晩は、ただただ祈るばかりでした。そんなときは、エル・カンタ-レでも良し、イエス様でも良し阿弥陀様でも良しの心境なのですね。祈る対象の神々の違いは小さくなっておりました。このことを考えると、クリスチャンの祈りも私の祈りも心理的にはさしたる違いはないように思えるし、対象の神々の違いも重要ではないのではないかと思われたのです。
信仰心というのは、それ自身がある価値を持っているように思えます。他宗の方でも、その方に信仰心が見受けられるとき、ある親しみと敬意を感じるものです。もちろんおかしな宗教でないことは言うまでもありません。私には、生長の家の信仰深い方々にも敬意を表したい思いはありますね。
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from: ueyonabaruさん
2009年03月12日 12時59分55秒
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偶然はない
ウォルシュの著書「神との友情」を開いてみました。一度ざっと読んだ箇所でしたが、気にかかることが書いてあります。以下「いいかな、良い出来事も「神の御業」
ウォルシュの著書「神との友情」を開いてみました。一度ざっと読んだ箇所でしたが、気にかかることが書いてあります。以下
「いいかな、良い出来事も「神の御業」だよ。どんな人間も偶然に出会うことはないし、どんなことも偶然に起こりはしない。
ラリ-があそこにいたこと、ちょうどそのとき、ぴったりの態度のぴったりの人間がいたこと、それが偶然と思うか? あの日にラリ-と出合ったのは偶然ではなくて、袖で待っていた脇役が合図されて舞台に登場し、セリフを言い、退場したのだと考えてごらん。そのあとも、あなたの芝居は続いていく。いまも続き、あなたが明日についての考えで台本を書いているように、口にする言葉で、舞台を演出しているように。行為で舞台をつとめているように。」
要するに偶然はないのだということだと解釈できます。全て神の采配であり、あるいは自身の選択だと言っていると思うのです。
この考え方は、ホントに重要なものではないかと思えます。この考え方に立つと、自分の眼前に展開することの全てに意味があるということになりますね。そうかもしれません。そうあって欲しいです。そのように考えて日々を過ごしてみようと思います。
もしかすると、これは私にとって重要な意味を持つかもしれません。期待します。
このような言葉は、TVのオ-ラの泉で繰り返し出てくるものでもあります。これまでただ聞き流していたのですが、そうもしておられません。昔、アメリカのニュ-イングランドの敬虔な清教徒達には、何か悩みを抱えたときとりあえず聖書を開くということがありました。開いた聖書のそのペ-ジの言葉が神の言葉として何らか示唆を与えてくれるのだという考えがあったのだそうです。
今日、ウォルシュのこのくだりのテ-マを書いたのも、彼の著書を偶然開いたところ、偶然はないということが書いてあったことによるのです。ウォルシュの本は、たびたび開いてみる読み方をしてみたいと思います。聖書もそうです。from: hiraokaさん
2009年03月19日 00時40分50秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:偶然はない」ueyonabaruさん、こんばんは。>そうですか。でも、また書き込みをお願いします。我々の論争は、欠点を
from: ueyonabaruさん
2009年03月18日 19時24分03秒
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「Re:Re:Re:Re:偶然はない」>突然ですが、しばらくお休みさせていただこうかと思います。書き込みを止めるわけではありませんよ。そうですか。でも
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from: ueyonabaruさん
2009年03月05日 17時20分11秒
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番外編 30兆円の銀行紙幣を発行せよ
またまた、LIBERTY誌の記事からです。4月号に、表題の記事がありました。あまりに奇抜なアイディアなので、にわかに理解することはできませんが、非常に
またまた、LIBERTY誌の記事からです。4月号に、表題の記事がありました。あまりに奇抜なアイディアなので、にわかに理解することはできませんが、非常に興味があります。
民間銀行の責任で、総額30兆円の銀行紙幣を発行することにより、この不況を脱却できるというものです。この理論は、有名なハイエクも唱えた政策のようです。論壇で私の知る限りは、政府発行の紙幣(日銀ではなく)を発行すべしという意見があることは承知しておりますが、、ここまで、奇抜なものは聞いたことはありません。経済に詳しい方のご意見をお聞きしたいものです。
今般の不況に関連し、LIBERTY誌は他に、次のことを主張します。
サブプライム問題は不況の原因ではない、犯人は、日銀の金融引き締め政策である。
日銀の急激な利上げが景気後退をもたらした。日銀はバブル潰しをお家芸としており、政策が間違っている。
資本主義の精神への攻撃が不況の根本原因だ。等々。
LIBERTY誌の主張が正しいのそうでないのかは分からないのですが、専門家はどのように見るのでしょうか。大川先生の種々の予言が必ずしも当たらなかったことがあるわけですが、幸福の科学の経済上の見方は正しいのかどうか、これは非常に興味がもたれます。from: ueyonabaruさん
2009年03月11日 11時22分19秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:番外編30兆円の銀行紙幣を発行せよ」>信者というものは、ほんとうにありがたいものです。これは、けっして皮肉などで
from: hiraokaさん
2009年03月11日 00時03分35秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:番外編30兆円の銀行紙幣を発行せよ」ueyonabaruさん、こんばんは。>景山さんのことは、現在の彼の状況は、幸福の
from: ueyonabaruさん
2009年04月01日 06時53分48秒
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「Re:Re:信仰するってどんなこと②」hiraokaさん、ご返事どうもありがとうございます。参考にさせてください。>祈りは必ず聞かれているそうです。