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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

公開 メンバー数:152人

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年11月27日 19時22分54秒

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    「霊的世界のほんとうの話」から

    皆さんへ毎度、お願いをするようで申し訳ありません。表題の本の174ペ-ジに次の文章がございますが、その意味、感覚が私にはどうもハッキリと分かりませんの

     皆さんへ

     毎度、お願いをするようで申し訳ありません。表題の本の174ペ-ジに次の文章がございますが、その意味、感覚が私にはどうもハッキリと分かりませんので、よろしければどなたかお教えください。


     このように、自分の内のほうへ深く入っていくと、実は、そのなかに、無限の宇宙へと伸びている道があるのです。無限の宇宙から各人のなかへとつながっているものがあるのです。

     それは、結局「人間以外のものも含めて、この地上に存在が許されているすべてのものには、被造物、すなわち創られたものとしての痕跡がある」ということです。人間であれ、動物であれ、植物であれ、みな、創られたものとしての痕跡があるのです。

     創られたものとしての痕跡とは「その生き物をあらしめようとする力が宿っている」ということです。

     そのあらしめようとする力は「仏性」という言葉で呼んでもよいのですが、表れ方においては、心の法則として表れています。「すべての存在が、心の法則を持ち、その心の法則に則って生きている」ということが、創られたものしての痕跡です。


     痕跡が心の法則というくだりです。


     どうぞよろしくお願いします。

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    from: ueyonabaruさん

    2010年01月28日 18時48分28秒

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    「Re:Re:「霊的世界のほんとうの話」から」hikaru0827さんへ昨年、#75において、創られたものとしての痕跡が何かという疑問を提出しましたが

    from: ueyonabaruさん

    2009年11月30日 19時16分06秒

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    「Re:Re:「霊的世界のほんとうの話」から」hikaru0827さんへご返事ありがとうございました。この件については、いまだピンときません。痕跡との

  • from: ueyonabaruさん

    2009年11月26日 11時33分13秒

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    小沢一郎の宗教

    ブログでは、因果論が論じられてきました。非常に興味のあるテ-マですね。ところで、因果とは何なんでしょうか。辞書でも定義もあるでしょうが、とりあえず、自

     ブログでは、因果論が論じられてきました。非常に興味のあるテ-マですね。

     ところで、因果とは何なんでしょうか。辞書でも定義もあるでしょうが、とりあえず、自分の持つ知見に基づいて定義してみます。おかしければ、即訂正します。

     因果とは原因・結果の法則である。原因があり、それに条件(縁)が備わり結果をもたらす。

     と、このように簡単な定義をしたいと思います。

     因果論はある意味単純な理解しやすい法則であると思います。未開の人間にとっても、幼いものにとっても自然に分かる法則であると言えましょう。

     仏教は、唯一神を認めないで、因果、縁起の法で教えが成り立っているような感がいたします。そして、悟りです。



     ここで、表題の件について愚見を申します。最近の新聞報道で知りましたが、小沢一郎さんが天台宗の比叡山を訪れたそうです。
     同じくその後の報道によると、小沢さんが、西洋の宗教は唯一神を信じるので、争いが起こる、戦争が絶えないという風なことをおっしゃったようですね。これが、キリスト教批判ではないのかとの物議をかもしたようなことも報道されました。これからすると、小沢さんは、親仏教的な宗教観がおありのようですね。

     小沢さんのような考え方は、巷には多くある考えでもあります。この間の衆議院選挙のときに、幸福実現党とチャンネル桜の論客との議論においても、チャンネル桜の論客は、実現党の掲げる憲法草案前文の文言において、神仏の心を心としてというくだりに猛反発をされました。いわく、キリスト教の神概念と仏教の考え方は天地の開きがあり、両者の融和はありえないと。憲法前文がおかしいというのです。その論客氏は禅宗をやったということを言っておられました。

     仏教とキリスト教はどのようにしたら、融和が図れるでしょうか。一般に、仏教は悟りの宗教で、キリスト教は唯一神へのひたすらの帰依を求める宗教であるとされております。 

     キリスト教と仏教の融和のこと、また、幸福の科学のこれについての考え方について、皆さんのご意見を伺えませんか。 

     

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    from: ueyonabaruさん

    2009年11月30日 18時57分37秒

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    「Re:Re:小沢一郎の宗教」cosmo77みなさんへ>><神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま>>神仏の心という言い方をしたの

    from: ueyonabaruさん

    2009年11月30日 18時44分41秒

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    「Re:Re:Re:小沢一郎の宗教」hikaru0827さんみなさんへ>大きく、みんなが正しいと思える枠を設定する事は可能ではないでしょうか。>全ての

  • from: にしき鯉さん

    2009年11月12日 09時20分47秒

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    釈迦の本心を読んで・・

    「釈迦の本心」を読み終えました内容的には法華経の概略説明で終わってしまいましたちょっと残念です(書いてあることは総て法華経経由です)独自の世界観(〇次

    「釈迦の本心」を読み終えました

    内容的には法華経の概略説明で終わってしまいました
    ちょっと残念です(書いてあることは総て法華経経由です)

    独自の世界観(〇次元)は別にかまわないと思いますが初期の念仏、日蓮仏教に似ています
    共通点は「この教義を信仰すれば死後の心配はない」です
    本当にそうでしょうか?

    そして文の中で「反省」という言葉が多用されています
    釈迦は本当に瞑想中に反省を重ねて「悟り」を得たのでしょうか?
    瞑想は「集中」「思索」「観想」で構成されていますがその中で反省はありません
    (瞑想中で得た事が現実生活に戻った時に役に立つ事はありますが、、、)

    反省という言葉は「自分のやってきたことをふり返り見つめなおす」事が大まかな意味です

    釈迦は出家して苦行をしていました、その後、苦行を捨て瞑想中心に修行を進めるわけですが、日々の何を反省していたのでしょうか?
    私には「四正道」の中の反省を無理やり押し付けたように感じました(すみません)

    釈迦は論理的な人で「他人を思い通りに変える」ような思想は持っていなかったと思います
    どうも言葉の端々に独善的解釈を交え、釈迦を捻じ曲げているように感じるのは私だけでしょうか

    一般には肉体的「苦行」なども釈迦は否定したと言われていますがそれは釈迦自身が経験して「それだけでは最後の悟りまではいけない」から薦めなかったのだと思っています
    実際に心の痛みも苦痛ですが肉体的な痛みにも人間は弱いんですよ
    いつでも止められる状況の中で「苦行」を自分の意思で続けることは心の強化に他なりません

    スポーツでも武道でも肉体的鍛錬は必要です
    しかし宗教では「中道」の一言でそれらを排除しています
    とらわれではなく「肉体的苦行」の中にも得るものはたくさんあります

    総じて感じたのは釈迦が説いた「涅槃」の定義はどう説明されているんでしょうか
    それを抜きにしては大乗、小乗ともに成り立たないような気がするのですが、、、

    ueyonabaruさん、
    わたしの考え方は間違っているのでしょうか?

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    from: にしき鯉さん

    2009年11月26日 06時00分54秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」ueyonabaruさんへ一即一切、一切即一について

    from: にしき鯉さん

    2009年11月25日 22時02分44秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」ueyonabaruさんへわかりました、本当に求道の対して

  • from: ueyonabaruさん

    2009年11月10日 11時52分06秒

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    神は因果律を超える

    神は因果律を超えた存在ではないでしょうか。因果律を超えたということが、因果律を無視するというものではありません。因果律は神様がお創りになったのではない

     神は因果律を超えた存在ではないでしょうか。因果律を超えたということが、因果律を無視するというものではありません。

     因果律は神様がお創りになったのではないですか。

     アウグスティヌスは、神様はいつこの世をお創りになったのかという問いに対し、「このような問いをするものはなにも分かっていないのだ。神様がこの世をお創りになったときに時間というものもできたのだ」という意味のこととを彼の著書で言っておりますが、これと同じように、因果律は神様がこの世をお創りになったときにできたと考えてみたいと思います。

     同様に、科学の法則も神様がお創りになったのでしょう。神様はだれがいつ創ったのかと問うのは愚問です。神様は、第一原因者であり、創造主なのですから。

     因果論にとらわれすぎると、無神論にもなりはしないでしょうか。ノイロ-ゼになります。私達人間は、この第一原因者をただ敬愛する立場にあると思います。

     偶然はあるかないかとの議論をしておりますが、神の作用は、我々の認識を超えているときが往々にしてあり、それは奇跡としか思えないことが多々あります。偶然にしてはあまりにも不思議な事象の存在です。科学的な因果論を超えることがあるのです。将来、科学が霊界を取り込んで新しい科学を打ち立てたら解明されることも多いと思います。しかし、新しい科学でさえ、神様のうちにあるものでしょう。

     cosmoさんが偶然を強調されるのは、私達の計り知れないものを指して、偶然という言葉で表現されているのではないでしょうか?

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