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from: ueyonabaruさん
2014年01月06日 19時05分04秒
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やる気のない高校生
やる気のない高校生がいる。私の甥っ子である。少しイイ高校へ入学できたが、その後が良くない。勉強をしようとせず、部屋に籠もりゲ-ムをやっている。これは親
やる気のない高校生がいる。私の甥っ子である。少しイイ高校へ入学できたが、その後が良くない。勉強をしようとせず、部屋に籠もりゲ-ムをやっている。これは親には相当な心配事である。
親は、私の勧めで、幸福の科学会員になっており、正信法語も読み、ある程度ご本も読んではいる。それでも、子どものことが問題で今悩んでいるというわけである。
これはどう解決できるだろうか。宗教というのは、そこで力を発揮できないといけないと思う。カウンセラ-の先生に相談しても、少しぐらいは役立つだろうが、カウンセラ-の手に負える問題ではない。
もちろん、親の問題であることは間違いないのだ。親が、そのような子を育てたのはそうなんだろう。親も反省が必要ではある。しかし、こんなときこそ、幸福の科学の教えが生かせるのだろうと思う。
問題解決、あるいは改善の手順は何か。
・ まず親の言うアドバイスは通じない。親に反発しているのだから。そうなると、子どものために祈ることが今できることかもしれない。正信法語を息子のために誦む、支部で祈願をしてもらう。または、親自身で祈願をする。支部の祈願は悪霊撃退祈願となるのか。
・ このようなケ-スは世間に幾らもある人間の成長過程での問題であるから、心配はあまりしないほうが賢明だと思うが、実際に親としては実に大変な状況にあると思われ同情もする。
・ 解決はすぐにはこないと思うので、気長に構えることが大事なのかもしれない。待つのだ、子どもも時期が来れば、時間がたてば、自然に立ち直ると思う。
こんなことを考えているが、宗教の有意性を確認するためにも、何らかの改善の手順をシッカリ持ちたいものである。支部長に相談したい。こんな身近な相談に対する対応ができることが、支部の発展のためにも必要なんだろうと思える。from: hikaru0827さん
2014年02月08日 06時24分30秒
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そうですね。養護学校(今は特別支援学校と呼ぶようですが)の先生方は、みなとても前向きで子供に一生懸命向き合ってくれてます。親御さんたちもとても明るいで
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from: ueyonabaruさん
2014年01月29日 00時53分48秒
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支部のことについて
shkさんのお便り、読み終わってからこちらの感想を書こうと思っていたのですが、その間に早速削除されたようですね。支部の批判は、参考にすべきことであり、
shkさんのお便り、読み終わってからこちらの感想を書こうと思っていたのですが、その間に早速削除されたようですね。支部の批判は、参考にすべきことであり、改善の材料になるので、あまり気になさらないほうがイイと思います。
お便り一応は見ておりますので、覚えている範囲内で書いてみます。まず、私の支部への見方です。(支部へ顔を出すようになってから、3年ぐらいになります。)
支部長は三代目になります。支部長のみなさん皆相当に性格が違います。これからすると、私のような変人の会員がいても、shkさんのような会員がいても不思議ではありませんね。そこで、共通する点と言えば、信仰だけかも知れません。
支部の雰囲気に圧迫感が感じられるとのことですが、分かるような気がします。ですが、私の場合は、支部のカギも預かるぐらい深く関与をしておりますので、もうあまり遠慮はありません。
人間関係は、作り上げていくものですから、信仰が共通だから自動的にみなが親しくなるかというとそうでもないようですね。イイ人間関係を築くにはどうすればイイのか、これは幸福の科学の課題かもしれません。今後の課題ですね。
支部の運営の方法もどうも定まったものがなくて、ゆきあたりばったりの気もしますし、事務のやり方もまだまだなような気もしております。
幸福の科学の組織は、普通の組織ではないですよね。いわゆる民主主義的組織ではありません。今は、上意下達の組織かな と見ております。民主主義的に運営しなければ、人間関係もスム-ズにはいかないでしょう。今後これは変わるのではないでしょうかね。普通の組織では、長の下には副がきて、次に事務長がおりますが、こちらは女性部長が副として支部長を支える役割をしているのでしょうかね。事務長という役職名がないのもおかしいなものです。
マ-不完全な組織ではありますが、私はこの組織のことを「乙姫劇団」と呼んでおります。沖縄芝居で、乙姫劇団というものが戦後にあり、人気を博しました。私は、こちらは乙姫劇団だから、男子である私は、中枢には入らなくていいし、ある意味楽な立場だと考えております。初期の頃は、組織を強くしたいと頑張りましたが、今は、女性だけで頑張ってご覧なさいという冷めた気持で見ております。
私は精舎にもいきません。shkさんは精舎に行くと落ち着くとのことですが、わたしは精舎に行かずにどこまで自己啓発、信仰の深化ができるのかということをテ-マにして活動しております。一週間に二度の輪読会をやっておりますが、これは意義深いことだと感じております。輪読会の一つのテキストは「悟りの挑戦」を使っておりますが、仏教の基本をシッカリしたいという意味がありますね。
地道な学習は大事だと私は思っておりますが、他の会員さんたちは、もっぱら信仰だけですね。信仰団体だから、それもイイでしょうが、私はそれではとてもつまらないと思います。もしかすると、他の会員さんは、私たちのことをあまり意味のないことをやっているんだと見ている方もいるのでしょうね。現在、わたしは、自分の好きなことをやらせてもらっております。こんな状況ですが、よろしかったら、消去した文章を再度投稿していただけませんか。 -
from: ueyonabaruさん
2014年01月03日 21時53分32秒
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既存宗教への宣戦布告
幸福の科学では、早いうちから天台宗の最澄は誤っているということを言っておりました。これは最近の霊言、天台宗の千日回峰を二回もやったという方を取り上げた
幸福の科学では、早いうちから天台宗の最澄は誤っているということを言っておりました。これは最近の霊言、天台宗の千日回峰を二回もやったという方を取り上げたことで、これまでの天台宗攻撃が頂点に達したかのような気がします。
攻撃という言い方は適切ではありませんが、先方からみれば攻撃なんでしょう。攻撃されると、反撃が予想されるのです。これから、法戦が行われるのでしょうか、それは分かりません。向こうが無視するのかどうか、どのようにこれに反撃してくるかは分かりません。
原則的には法戦というのは肯定されるべきだと思っております。しかし、問題点は他にもあるということでしょう。最澄を信奉する信者さんの気持ちがどうなのかという点が気にかかるわけです。誰も自分の信奉する教祖を地獄に落ちたなどと言われれば気持ちのイイものではありません。この反発にどう対処するのか、問題がありそうです。
最近は、また、生長の家教団にも決別宣言を行いました。統一原理に対しても、文鮮明教祖は、地獄霊だと言いましたし、創価学会も低い評価しか与えられていません。まだあるでしょう。
先ほども申しましたように、真理探究に当たっては議論、法戦は悪いものではありません。
先生の強い姿勢である、真理は真理であると主張するのだというお言葉は正しいと思っておりますが、これにより、多数の方々からの逆念、抵抗があるということが予想され、そら恐ろしい気持ちになることもあるのです。
これからもこのような戦いは続きます。これは新文明の創造のための戦いなのです。将来は、この戦いはもっと大規模になり、やがては世界宗教への挑戦という戦いにもなっていくでしょう。
そうなると、我々はもっと強くあらねばなりませんし、勉強もやっておかねばならなくなってきます。大きな挑戦ですから、幹部の諸君ももっと勉強する必要がでてきます。もっと、強くならねば・・・・。
先ほどまで、弟の家に行っておりました。そこは浄土真宗の立派な仏壇が安置されております。その部屋で、家族達が集まり団欒の時を過ごしておりますが、今後真宗への攻撃もなされるのでしょうか。あまり悪いという印象は真宗には持っておりません。真宗を信仰していて、信者さんが満足しているのであれば、あまり攻撃などしたくもありません。あえて、攻撃もしないでもよさそうです。
さて、先生の既存宗教改革、どこへどのように進むのでしょうか。今後が楽しみでもあり、不安でもあるという複雑な気持ちでありますね。 -
from: ueyonabaruさん
2014年01月01日 12時08分51秒
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神がそこにはいない
皆様、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。また、皆様のご多幸をお祈りさせてください。さて、先生の最近のご説法では、そこには神がいない
皆様、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。また、皆様のご多幸をお祈りさせてください。
さて、先生の最近のご説法では、そこには神がいないということが良く出てまいります。
ブラジルの大聖堂にはイエスもパウロも見えない。シンガポ-ルでは、どんなに探しても光の天子は居らず、漁村の村長らしき者しか見当たらない。チェコスロバキアにはフスが神としているが、その他に天使は見当たらない。
日本にはたくさんの天使たちが存在すると言うのだろうか。余りにも極端すぎる。
そもそも、神がそこにいないというのはどういう意味なのか。また、神がある神社にまたは教会にはいるというときはどういう状態なのか? 推察するに、神がいるとは、祭られている神が神社などに強く思いを寄せているという状況なのではないか。その施設にへばり付いているという意味ではなくて、神が関心を寄せているあるいは関心がないという意味ではないかと思う。
そのように考えるのであれば、神が居る居ないも若干は理解できる。神は、融通無碍の霊なのだから、神社などにへばりつくように居るわけではないのだろう。自縛霊が特定の場所に固着するというのとは「違うのだろう。
シンガポ-ルに神が居ないというのは、そこに大きく関心を寄せる神、天使が居ないという意味であり、シンガポ-ル人が神から隔絶されているという意味ではないのだろう。神は融通無碍の霊であるから、シンガポ-ル人が心から神に対し祈る時、神はそこに現われるし、神はそこに居るということになる。
こんなことを書くのは、大川先生が神が居ない国シンガポ-ルと表現された時のシンガポ-ル人の不憫な状況が看過できないという思いがあったからである。神は、どこにも居るのだと考える。シンガポ-ルにも神は居る。神は人の心の中に居る。
from: ueyonabaruさん
2014年02月08日 16時50分51秒
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>ただややこしくさせたのはこの一番耳に残る最後のフレーズである、この2文ではないでしょうか。1つ"NO.1にならなくてもいい"2つ"もともと特別なOn