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from: 坪井さん

2011年10月08日 06時42分54秒

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獅子舞 Ⅰ

坪井には獅子舞行事があった。大神保、金堀、楠が山、坪井で行われていた三匹獅子舞である。安養寺と西光寺が交代で最初に踊る年番


<font size="3"> 坪井には獅子舞行事があった。大神保、金堀、楠が山、坪井で行われていた三匹獅子舞である。安養寺と西光寺が交代で最初に踊る年番寺となり、子安神社、泰山堂、白山権現の順に舞い、最後にまた年番寺で終わる。翌2日は花流しとなり年番で午後から花の舞いを舞い、ハナを各家庭に配る。
 その獅子頭は船橋郷土資料館に残っている。3つの獅子頭はかなり古いが迫力がある。角はねじり角、剣の角、小さな一角のもの。小さい一角の獅子が雌とのことだったが、この獅子だけが剣歯がない。ねじり角があるものは鼻の穴が巨大で印西の獅子頭とほぼ同じである。南総の獅子頭はこれほど鼻の穴は大きくなく角がないのが多い。
 当時踊り手だった人は今も健在で、踊りの最後のセリフは「天下泰平」であったという。笛の吹き手がいなくなり、昭和39年、村は獅子舞を辞めた。踊りは体力が必要であり15才から40才までの跡取りの長男がやっていたが、伝承できなくなったのは高齢でもできた笛の方が先だった。

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坪井

from: 宗吾台さん

2011年10月08日 21時13分02秒

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「Re:獅子舞 Ⅰ」
獅子舞については船橋は二通りの伝達の筋があります。谷津方面と印西方面です。それぞれに特色があり、追ってみると面白いと思います。それと日蓮宗の安養寺も真言の西福寺も回るというところが、興味深いですね。両信徒は宗教に関してはお互いに干渉せず、村仕事は一緒にやるという話を聞きました。獅子舞についてはどのような考えからでしょうか。
それと谷津の話も面白いですね、「谷」は「ヤツ。タニ。ヤ。サク」という種類の読みがあって、地域的特色を持っています。下総地方の谷は大地に刻まれた谷底を谷津といいそこに作られた水田は谷津田です。基本的には最終氷期に作られた谷で、6000年前に海進があったときの堆積物で湿地状態となり、今回の地震では大きな被害をもたらしました。私たちのように比較的古くからいる人はヤツの底に家を作るなどということは避けてきたのですがね。
できれば両方とももう少し調べて投稿してください滝口昭二

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