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from: 坪井さん
2012年06月07日 00時03分56秒
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講座 坪井の歴史
<font size="3">齋藤その女
坪井公民館主催 講座「坪井の歴史」が始まった。今日は船橋市史編纂者の綿貫先生。私は地名研究会の分担で大穴を調査したばかりだったので、江戸の坪井周辺のお話はとても参考になった。大穴の石高が103石のときに、斎藤安兵衛は150石だったそうな。幕末にはこの地の牧士を務めた斎藤五郎兵衛を凌ぐ勢いであったという。その娘「斎藤その女(じょ)」は、俳諧をたしなむ家風の影響を受け、小林一茶など広く諸国の俳人と交友があった。大穴の西光院にあるその墓は唐破風付きの高さ2mを超える大きな墓が二基。夫の没後、その女がどちらも建立しておいたという。苗字帯刀を許されていた名主とはいえ農家。四谷界隈の大名墓より大きな墓であることに驚嘆した。
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from: 坪井さん
2012年06月14日 22時32分45秒
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「Re:講座 坪井の歴史」
坪井の歴史2回目が開催された。講師は前回に引き続き綿貫さん。テーマは坪井周辺の明治の歴史であり、軍隊の話が中心であった。
講義中、鉄砲の弾の写真が回覧された。名前は。西郷弾、屯田兵弾、赤弾、小銃弾と表示されている。小銃弾とは、30年式銃と三八銃。赤弾が村田二十二年式銃の弾である。
岩佐家所蔵の屯田兵弾を借りてきて計った。重量は27g、口径は11mm。「日本の軍用銃」に記載されている村田十三、十八年式銃の弾であった。
残る西郷弾。薩摩藩が仕入れたエンフイールド銃の弾であり、戊辰戦争で薩長が勝ったのは、この銃によるところが大きい。西南戦争は西郷軍が政府の倉庫を襲ってエンフイールド銃を人手し、この戦が始まった。
明治維新の弾が船橋にあるということであれば、船橋・市川戦争の弾か。官軍は、鎌ケ谷宿を朝出発し、途中、数度の戦闘を交えながらも昼には船橋大神宮に本陣を構える旧幕府軍と戦う。大砲を引きながらこの速さで行軍できるということは、野戦では官軍の小銃にかなわなかったということであろう。船橋市内では激戦になり、民家に隠れる旧幕府軍に手を焼いた官軍は町に火を放った。旧幕府軍は成田街道を大和田方面に敗走したという。
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