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from: 坪井さん
2012年08月13日 05時16分39秒
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東北の旅
<font size="3"> 秋田県横手市の石坂洋次郎記念館にいく。石坂洋次郎は明治33年青森県弘前市に生まれ、慶応大学卒業後、横手高等女学校を経て横手中学校に勤務。「若い人」、「青い山脈」など多くの作品がある。記念館のガラスの間仕切りには石坂洋次郎の句が彫ってあった。
生甲斐や 雪は山ほど 積りけり
記念館の管理人の女性に「生甲斐や」はどんな意味かと尋ねた。彼女は、この句を引用した「冬景色」という石坂洋次郎の文章をコピーしてくれた。
「横手に住んで十余年。雪が家の玄関を埋め尽くし2階から出入りするほどの雪。かまくら。憂鬱な耐え難い雪の中の生活。その雪を見つめていたら、私の命の火が燃え出した。」昭和13年のことである。
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from: 坪井さん
2012年08月17日 06時39分11秒
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「Re:東北の旅」
金沢の柵へ行く。清原一族が八幡太郎源義家に滅ぼされた地。1062年、義家は前九年の役で羽州の清原一族の加勢を得て奥六郡の安倍一族を滅ぼした。安倍氏に代わって東北の覇者となった清原一族。義家は、この内紛に強引に介入し、この金沢の地で1087年清原一族をも滅ぼした。後三年の役である。
その後、奥州は藤原氏の黄金時代となったが、1189年源頼朝に弟義経をかくまったとして攻め滅ぼされ、奥州独立国の時代は終わる。
藤原氏の後には小野寺氏がこの地に居城を築いた。現存する土塁などは小野寺氏の城跡という。下の地図の赤い字が中世の城であり、この時代、船橋の城と同様に村ごとにたくさんの城がある。後三年の役金沢資料館で入手した冊子「横手の歴史」には中世横手城の想像図があった。土塁の上に築かれた武家屋敷群。長年の課題である坪井城の紙芝居が作れそうな気がしてきた。
*清原軍が通った子安峡
→http://www.c-player.com/ac92454/thread/1100093656925
金沢城跡
横手城
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