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  • from: 坪井さん

    2008年12月28日 07時32分36秒

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    忠勝の墓は小松石


    千葉大の授業に参加し大多喜へ行った。大原から、いすみ鉄道のジーゼル列車に揺られ、「車両が1両でも列車」とつぶやきながら田園風景を走ると、小ぢんまりとした町並みがあった。大多喜城を中心とした、古い商家も保存されている城下町である◆天正18年、家康の関東入国により大多喜城に入った本多忠勝は、大多喜に菩提寺として良玄寺を建立した。良玄寺には忠勝、夫人、忠朝の墓がある◆住職が編纂したパンフレットには「伊豆の小松石でつくられた五輪形式の墓石」とあり、一人感動した。二代目城主忠朝は、慶長15年に桑名で没した忠勝の遺骨を分骨して、大多喜へ持ち帰り当山へ埋葬した。忠朝は、大阪夏の陣で壮烈な討ち死にし大阪一心寺に葬られたが、分骨して忠勝公の墓域に葬られた。◆慶長19年、江戸城修築は大阪冬の陣で一時中止となるが、江戸城の石垣修築のため、盛んに伊豆の石が切り出された時代である。海を超え、房総の山奥まで運ばれた伊豆の石との出会いに不思議な縁を感じつつ、帰路に選んだ小湊鉄道の真っ暗な車窓を見つめた。
    *佐藤教授、地元の皆さんお世話になりました 小湊鉄道は先頭車両だけ暖房あり ご注意を
    **洸楓座→http://www.kofuza.jp/kofuza/html/project.html
    ***せせらぎの会の活動はこちらへ→http://www.c-player.com/ad23827/message

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    坪井

  • from: 坪井さん

    2008年12月21日 10時35分12秒

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    東京百年史


    東京百年史によると、江戸城の拡張工事は、慶長11年、伊豆から石材を運ぶため、3千艘もの石船を調達したとある。安山岩の小松石である。しかし、慶長12年の工事の石材は、上州中瀬辺(埼玉県大里郡)から利根川経由で江戸へ運ばれており、もはや石の産地は別の地となっている◆慶長19年の石垣工事は大阪冬の陣で中止。寛永6年に開始された家光による江戸城修復工事により江戸城は完成した◆江戸城を訪ねた。石垣の一番下の石は、地震により後世に修復された石の可能性は少ない。表面は風化しているが、当初に築かれた伊豆の石であろう◆石垣を登り江戸の街を眺める。当時はここから品川湾まで眺望できたそうな。同時期に行われた江戸の町づくりでも、埋め立てや堀造りで、多くの石材が使われたであろう。古い建築物の石材を見るという新たな楽しみが増えた。

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  • from: 坪井さん

    2008年12月13日 01時08分47秒

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    庚申塔は小松石?


    石材研究家の吉田さんが疑問に答えてくれた◆慶長から寛永にかけて、江戸城の石垣構築のため、伊豆半島沿岸70箇所が石丁場(採石場)となり、三千艘もの石船で莫大な巨石が江戸に運ばれた。江戸城の石垣の九割は真鶴の小松石と言われる。箱根火山の活動でできたこの安山岩は、耐久性に優れ、研磨により灰色の緻密な石面となる◆江戸城の築城、改修が終わり、仕事を失った江戸の石工集団は、その残りの石で墓石や石仏を刻み、なりわいとした。同じ年代の庚申塔の形が似ているのは、同じ場所で大量に造られたからであろう◆寛文4年、檀家制度が定められ、民衆がいづれかの寺に属することが義務付けられ、墓石の需要が増えたことも、石工にとっては幸いであった◆小松石は、古くは頼朝や北条一族、近年では美空ひばりの墓に使われている。

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  • from: 坪井さん

    2008年12月05日 23時38分48秒

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    人生第4段階の興味


    ◆人間、仕事だとか言っているけど、若いときは異性のことしか考えていない。でも異性が思い通りにならないと、興味は動物へと変わる。動物も死んだりして辛いことがあると、興味は植物に変わる。その興味がやがて石に変わり、人は墓石に入る。上司の名言である◆私の興味は、もはや石。船橋は庚申塔、道標、墓石など石の文化に溢れている◆坪井の源七山で大量に発掘された旧石器時代の矢じりは信州産だが、信州人が坪井で狩りをしたのではなく、この時代でさえ、信州の石工が作り、全国への物流があったと言われている◆むかうへゆけばさくらミち◆佐倉街道を指すこの坪井の道しるべの石は、どこの産地であり、どこの石工が刻んだものであろうか。

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    坪井