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from: 坪井さん
2010年03月27日 01時07分20秒
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岩佐家のルーツ
<font size="3"> 坪井の村は岩佐姓と斉藤姓が多い。岩佐さんに岩佐家のルーツを尋ねた。墓を見ると、岩佐、湯浅が混在している。私どもの家紋は違い鷹の羽。先祖は、紀州から九十九里の片貝を経由してこの地に来たと聞いた。
九十九里町史を読む。江戸初期には、肥取地曳として免税とされるほど技術が幼稚で水揚げがわずかであった九十九里は、寛文年間には、地曳網が盛んになり、70もの地曳網がひしめいた。紀州有田郡湯浅村から、元禄年間に合わせて12人の漁民が、漁業技術者として九十九里の粟生村飯塚家に迎えられたとある。
九十九里に行く。その子孫の湯浅さんは今も住んでおり、以前は漁業の検査官をしていたそうな。その家紋は違い鷹の羽であった。
紀州湯浅町は、金山寺味噌の産地、醤油味噌醸造業、熊野三山の宿場町として栄えた地である。その先祖は、平安時代、強力な水軍により中国にまで進出した湯浅党という武士団であったという。(写真は和歌山県湯浅町)-
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坪井、
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from: 坪井さん
2010年03月19日 20時04分02秒
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続・石の旅 高宕石の行軍
<font size="3">石射太郎の山頂に墓石が一つあった
字が崩れているが明治とある
寺にあった無縁仏の墓石群も 同様な崩れ方である
山から担ぎ出すにいい 小さく同じ形状の角柱
山間の村の人口からして 同じ時期に作られた多すぎる墓石
おそらくは
この村からもほとんどの若者が 徴兵され大陸で戦死し
故郷の山の石で 弔われたのであろう
いま 故郷の空の下で 無縁仏として墓石が並べられ
まるで仲良く行軍しているかのようである-
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坪井、
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from: 坪井さん
2010年03月18日 06時41分02秒
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れきしを語る会
<font size="3">坪井ビジターセンター初の企画である歴史の会
興味深い話が発掘できました
前半は滝口先生の豊富の歴史
後半は地元の岩佐さん 滝口先生とミニパネルディスカッション
皆さんの質問を受けながら 坪井の歴史についてのお話
「馬で船橋へ行くと帰りは寝て帰れた 馬が道を覚えているから」
「村に岩佐と斉藤しかいない訳」
おもわず時間をオーバーしてしまい 楽しいひと時を過ごしました
参加していた皆さんからも 「よかった もう一度聞きたい」との声
また秋に企画します
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from: 坪井さん
2010年03月12日 23時09分14秒
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続・石の旅 高宕石は丹沢の石
<font size="3">石切り場「石射太郎」から尾根に沿って高宕山に向かう。千葉でもここは暖かい地、まだ3月初句にもかかわらず、夏の高尾山にでもいるかのように、新緑に包まれ、シャガが群生する狭い尾根を歩く。岩肌は高宕石から泥岩のしゅう曲層に変わる。
石工たちを見守った山の神を通り過ぎ、仁王様が守る石段を登る。森が開け、再び高宕石の岩壁が立ちはだかる。岩壁をくり抜いて造られた巨大な宝篋印塔や高宕観音は、訪れる者に石切り場の隆盛であった時代を語りかける。鎖場を登り、高宕山の山頂に着く。雨が止み、雲が風に流され、新緑の山並が眼下に広がった。
昼食後、蛙岩、大滝をめぐり、赤く染まった泥岩などを見ながら林道を下る。山頂の石切り場は、凝灰岩の単一層であったが、麓の林道を囲む岩肌は、泥岩と砂岩などが数十センチで堆積し傾斜したしゅう曲層である。山頂の東口笠層は、約120万年前に地殼変勤でしゅう曲して盆地となったところに、丹沢山系からの砂や礫が堆積したものだそうな。
昨年訪れた相模の国で出会った庚申塔は、赤い礫が含まれた凝灰岩の七沢石であり、どれも百年の歳月を経て崩れかけていた。房総の墓石となった高宕石もまた、元は海の向こうの丹沢の石であることに驚きを覚えた。-
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from: 坪井さん
2010年03月12日 00時48分39秒
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れきしを語る会
歴史を知ると、その地に親しみがもてる。せせらぎの会は、ビジターセンター活動として、郷土史の学習会を開催します。
今回は、船橋地名研究会会長滝口昭二氏をお招きします。ご参加ください。
1 主催 せせらぎの会
2 日時 平成22年3月13日(土) 9:30-12:00
3 場所 坪井近隣公園管理棟ビジターセンター
4 内容
1 船橋の郷土史1 豊富の歴史 滝口昭二氏
2 郷土史懇談 坪井れきしさんぽ 滝口、岩佐 (進行黒沢)
みなさん 郷土史で疑問なことを質問してみましょう
5 定員 25名 のこり数名参加可(090-2222-7021黒沢まで)
参加費は無料-
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from: 坪井さん
2010年03月05日 23時55分14秒
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続・石の旅 石射太郎
高宕石の石切り場を探し石射太郎の山に上る。通行止めのトンネルの手前で車を止め、標識のある登山道に入る。うっそうとした杉林。流れ落ちる雨水を踏みながら、杉の根と岩を一段一段登る。普段は見向きもしない石ころを拾い上げてはじっくりと見る。
あたりが明るく開け、山頂かと期待したころ、足元は大きな岩に刻んだ急な石段となる。石工は石を背負いこの道を下ったのかと思いながら登る。山の上に空が見えたころ、石の壁が見えた。石切り場だ。
久原寺の墓石と同じ岩肌である。平塚で見た七沢石にも似た石である。山の麓は、泥岩と砂岩が折り重なる縞模様の地層であるが、山頂付近にある石切り場は単一の凝灰質砂岩である。-
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坪井、
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from: 坪井さん
2010年03月01日 00時02分00秒
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続・石の旅 千葉の高宕石
千葉県で地元の石の墓石があると聞き、君津市西猪原の久原寺に行く。無縁仏群が寺の門前で出迎えてくれた。地元の高宕石の墓石がどれかを寺で尋ねた。石の表面に、いろいろな礫が含まれ、風化して墓石の字が読めない石だと、入院中の住職に電話で聞きながら教えてくれた。「この村の墓地にはその石の墓石が多い。うちの墓もそうかも。」と奥様。ご住職の先祖の墓は高宕石であった。
国道沿いの大きな採石場で聞く。「ここは砂山。高宕石の石切り場はトンネル手前を右に登ったところにある。」
とりあえず、君津市と富津市の境に位置する高宕山を目指した。富津市を流れる高宕川下流で、数件の家で聞いたが不明。道はどんどん狭くなり、上り坂は急に。地元の人も分からぬ石切り場探しなど、自分の無謀さを悔いる。
ついに知っている人に出会う。バイク整備をしていた若者。石切り場は高宕山ではなく「石射太郎」という山であり、登山道は富津市側から登って高宕山経由で尾根を行くより、君津市側から直接「石射太郎」に登ったほうがいい。遭難者も出るとのことで、その日の登山は断念し、登山の装備して出直すこととした。
「あんな石を墓石にするから、今となっては誰が誰だか分からない。皆、無縁仏になってしまった。」若者の言葉は心に残った。-
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