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from: 坪井さん
2012年03月25日 22時49分53秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:坪井を歩く」
<font size="3"> 道祖神に会いに酒々井に行く。七社神社前には享和と昭和の道祖神。どちらも2体の像が支え合っている姿で、向って右の像が杖を持ち左の像の肩につかまっており、相手の肩にはつかまる右手が、背中には小袖が彫られている。つま先は3つ。昭和のものは享和のものを模して掘られたものらしい。
ところが、享和のものには後ろにかかとが彫られ、右足は後ろに下げているだけだが、昭和のものにはかかとは彫られておらず、右足がなくなっている。
さらに、享和のものは、左の像が右の像が持つ杖を左手で逆手で持ち支えているが、昭和のものは杖はどちらも右の像が持っている。左の像の肩に手を回しているとすると手は3つになってしまう。これらは、模した段階で相手の肩を借りて背中に回した腕と袖を、帯と解釈して彫ったものか。とすると、左が女性なのであろう。八咫烏説はちょっと考えすぎのようである。
享和
↑右足のかかと ↑逆手
昭和
↑肩に回した小袖が四角く彫られている
国道137号線から谷津田に降りると梅林に囲まれた大仏頂寺があり、その下の小道に道祖神が。つま先は指まで彫られている。やはり3つであった。icon
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from: 坪井さん
2012年03月25日 06時17分26秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:坪井を歩く」
<font size="3">道祖神
昨日の千葉大歴史学会は道祖神がテーマ。坪井の道祖神を考えた。坪井のガイドでいつも案内する公民館の裏にある石祠が道祖神である。道祖神は、境の神様であり、ここが坪井村の入口となる。また、旅の神様として、足の神様になった。村はずれの恋仲の男女の待ち待ち合わせの場所になり、子授けの神として三又大根が供えられる。
道祖神はドウロクジンともいう。八千代市高津の伝承。ドウロクジンは足が悪く、弁天様はきれいでとてもいい女だったので、ドウロクジンが好きになって遊びに来た。ところが、弁天様はドウロクジンが嫌いで、池の中に逃げ込み一本橋をかけた。ドウロクジンは足が三本だから一本橋を渡ってこられなかったそうな。
この伝承は富津、佐倉、印西にもあるという。八千代の道祖神に奉納するサンダルは3つ。酒々井の道祖神は、男女の双体像で二人で足のつま先が三つしか彫られていない。日本神話で、神武東征の際に、神武天皇を熊野国から大和国への道案内をした三本足の八咫烏(ヤタガラス)。高句麗の旗印も三足カラスである。この神話を双体像として彫ったものではないかと思った。
坪井でも坪井の大造成の前は、道祖神のある場所の前は谷になっていて、その下に弁天様が祀られていた。木原講師のお話では、北向き道祖神は怖いという。坪井公民館裏の道祖神は北向きである。icon
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