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from: 坪井さん
2012年07月19日 19時31分46秒
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「Re:Re:Re:Re:のら道」
<font size="3"> 新宿区が出版した「新宿文化絵図」に「神田川に歌われた銭湯」というコラムがあった。
昭和40年代後半にかぐや姫が歌ってヒットした「神田川」。その歌に登場する銭湯「安兵衛湯」は西早稲田3丁目に実在した。作詞をした喜多条忠さんが通った銭湯である。
新宿歴史博物館でその地図を探す。昭和34年の住宅地図を見ると戸塚第一小学校前にその銭湯はあり、なぜか赤鉛筆で塗りつぶされていた。このコラムの筆者のしわざか。新宿区に原稿依頼されて、この博物館で調べ物をした形跡が残っていた。
いっしょに出ようねといったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸かたかた鳴った
あなたは私の体を抱いて
冷たいねっていったのよ
二人で銭湯に行く。彼女のほうが髪を洗う分時間がかかるはずなのに、どうしていつも彼女は震えながら待たされたのか。実は、銭湯で自分の部屋にはないテレビの野球中継を見ていて、いつも彼女を待たせたそうな。身勝手な男のせつない愛の遊び。神田川沿いの三畳間の下宿屋で、同級生の彼女との貧しくも美しい同棲生活であった。
若かったあのころ、何も怖くなかった
ただ、あなたの優しさが怖かった。
学生デモから帰ってくると、カレーライスを作る彼女の後ろ姿。理想の実現に燃え上がった心が一瞬にして安寧に浸る己の心の葛藤。自分以上に過激な学生活動家であった彼女の後姿に、一瞬、母親を感じたのであろうか。
そして、彼はギャンブルに走り、学費滞納で早稲田大学を中退。後に競艇の解説者になるほどこの世界にのめり込んでしまう。彼女は学生運動の果てに、「マキシために」で歌われたように、睡眠薬を沢山飲んで渋谷の坂道で死んだ。
ある日、彼は川の看板を見て気がついた。都会を流れる汚いどぶ川と思っていた川の名は「神田川」。神の田んぼに注ぐ川という高貴な名前を持つ川であった。神田川の歌は、美しくも貧しい同棲生活、高い志と自堕落な現実を歌った歌である。icon
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from: 坪井さん
2012年07月16日 04時48分31秒
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「Re:Re:Re:のら道」
<font size="3"> 故郷
一 兎おいしかの山
小鮒釣りしかの川
夢はいまもめぐりて
忘れがたき故郷
二 如何にいます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思い出ずる故郷
三 こころざしをはたして
いつの日にか帰らん
山はあおき故郷
水は清き故郷
野山を駆け回りながら 希望に胸膨らませた
辛いときや悲しいとき いつも思い出す父母
夢をかなえ いつかふるさとに帰ろう
「故郷」の歌は唱歌の代表格といわれる。海外移住者だけでなく、都会に移り住んだ人々の胸を打つ歌。
「志をはたしていつの日にか帰らん」そう心に誓って異国の地で働く。故郷の空から見守る父母に褒めてもらいたい。それだけが子供の目標なのだ。
小さな志ではありますが、これからもご近所のお役に立てればと思っています。
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from: 坪井さん
2012年07月14日 05時10分59秒
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「Re:Re:のら道」
<font size="3"> かあさんの歌
一 かあさんが夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く
いろりの匂いがした
二 かあさんは麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい
作詞作曲の窪田聡は、文学を志し東京に飛び出した。職を転々とし歌声運動の中心だった中央合唱団の研究生となった。新聞の住み込み店員をしていた当時、居場所を探し当てた母から小包みが届いた。父の出身地の信州で疎開生活をしていた頃の情景を思い出し歌にした。
二番の歌詞に「麻糸つむぐ」とある。信州は麻の産地であり麻績村という地名がいまに残る。現在、麻の栽培は大麻取締法でご法度であるが、古代には租庸調の調として麻布を納めさせ神事にもちいられた。東京にも調布、麻布という地名があり、房総の地も、神武天皇の時代に天富命(アメノトミノミコト)が四国の阿波からやって来て、麻の栽培に成功したので総(ふさ)の国と名付けられたという。
蚊帳の原料として出荷された麻糸は、木綿、化繊に押され衰退したが、戦後の長野、群馬の特産品であった。剥ぎ取った麻の繊維を糸にしていく工程は、女性達の夜なべ仕事。疎開先で肩身の狭い思いをしながら必死に働く母。子供心にも辛い仕事に思えたのであろう。彼は、母の葬儀で「かあさんの歌」のテープを流し、そっと棺に歌集を忍ばせたという。
*この歌詞を読むまでは、「麻糸つむぐ」を「朝 糸つむぐ」と思っていました。麻の栽培、麻布作りの産業があったことを千葉大の綿貫さんに教えていただきました。icon
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from: 坪井さん
2012年07月12日 05時39分31秒
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「Re:のら道」
<font size="3"> 「里の秋」の元歌は、戦時中、けなげに戦地慰問の手紙を書く子供達に涙して書き綴った「星月夜」であるという。
この幻の元歌を求めて、斉藤信夫展を開催した西船橋駅前の「お休み処」を訪ねた。ボランティアの中村さんの名刺は「せせらぎの会」。私たちも坪井でせせらぎの会を結成し、草刈りや近隣公園管理棟でおやすみ処という無料休憩所の当番をしていたので、驚きの出会いであった。
「星月夜」(「里の秋」の元歌)
一 しずかな しずかな 里の秋
お背戸に 木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんと ただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
ニ あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんの あの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
三 きれいな きれいな 椰子の島
しっかり 護って くださいと
ああ 父さんの ご武遅を
今夜も ひとりで 折ります
四 大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります。
S16.12.21作
しずかな里の秋 裏戸で物音がすると
「ただいま」と父さんが のら仕事から帰ってくるような気がする
父さんは戦地に行って 今夜も母さんと二人きり
父さんが大好きだった 栗の実を煮て
早く帰ってくるのを待っています
この時代、父さんのいない家庭が日本中にたくさんあった。
戦地の父を思う歌詞を隠しても、この一番の歌詞だけで
その心は日本中に伝わったことだろう。icon
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