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  • from: 坪井さん

    2012年08月28日 06時28分47秒

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    獅子舞

    昨日の千葉民族歴史学会は獅子舞。安房と八千代の三匹獅子舞の発表でした。詳細は後日として、特筆すべきことあり。中国の南方の獅子頭は虎型だとお聞きしました。感動です。
    獅子舞ⅠⅡ
     →http://www.c-player.com/ac92454/message/201110?format=time

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  • from: 坪井さん

    2012年08月25日 06時40分55秒

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    「Re:Re:東北の旅」

    <font size="3"> ◆生きる◆東北の戦に興味を持つ理由がある。私の姓である黒澤は秋田県に多く、世界的に著名な黒澤映画監督も父は秋田県出身である。秋田でも黒澤姓が特に多いのが、十和田湖近くにある鹿角市。私の父の出身地である草木という村の墓地の墓はほとんどが黒澤であり、私には父の生家の墓がどれかわからない。

     黒澤諸家は木瓜紋が多く、桓武平氏葛西氏の流れとされる。頼朝に従い奥州藤原氏を攻めた葛西清重の四男時重を祖とし、頼朝から給された地の郷村名をもって黒澤氏を称したという。
     安倍一族の末裔とも言われる。確かに黒澤姓が多いところはほとんどが山間僻地。鹿角の金山を支配し大陸や京と交易をしていた吉次一族を頼って、この地に隠れ住んだ者も多くいたことであろう。
     それにしても、父の生家で一面に広がる谷津田を見るにつけ、このような豊かな地で、年貢を払わず隠れ住むことなどできないと思うのである。安倍一族の落ち武者が開墾した地を後世に葛西氏が拝領したということであろうか。

     黒澤監督の作品では「生きる」がいい。陳情は他の課に振り、書類にはんこを押すだけのお役所仕事。酒を飲むことも遊ぶこともなく、ひたすら役所と家を往復する彼は、一見、まじめで模範的な公務員の様であるが、実はなにもしていない。生きているとはいえないのである。
     そんな毎日を送っていた主人公は、自分が癌であることを知り、絶望の淵に立つ。どうしていいかわからず、役所を無断欠勤して放蕩三昧の末に、思うところがあって出勤した。最後の仕事に選んだのは、雨水がたまる空き地を公園にして整備してほしいという陳情であった。陳情に来た住民をたらい回しにすることを止め、自分で各課を回る。断られても断られても上司に頭を下げ続ける。
     ついにできた公園。雪の晩。公園のブランコに揺られながら彼は静かに旅立った。生きるということの意義を感じることができた安らかな顔であった。
     役所や会社での働き方を考えさせられる作品である。

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  • from: 坪井さん

    2012年08月17日 06時39分11秒

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    「Re:東北の旅」

    <font size="3"> 金沢の柵へ行く。清原一族が八幡太郎源義家に滅ぼされた地。1062年、義家は前九年の役で羽州の清原一族の加勢を得て奥六郡の安倍一族を滅ぼした。安倍氏に代わって東北の覇者となった清原一族。義家は、この内紛に強引に介入し、この金沢の地で1087年清原一族をも滅ぼした。後三年の役である。
     その後、奥州は藤原氏の黄金時代となったが、1189年源頼朝に弟義経をかくまったとして攻め滅ぼされ、奥州独立国の時代は終わる。
     藤原氏の後には小野寺氏がこの地に居城を築いた。現存する土塁などは小野寺氏の城跡という。下の地図の赤い字が中世の城であり、この時代、船橋の城と同様に村ごとにたくさんの城がある。後三年の役金沢資料館で入手した冊子「横手の歴史」には中世横手城の想像図があった。土塁の上に築かれた武家屋敷群。長年の課題である坪井城の紙芝居が作れそうな気がしてきた。

    *清原軍が通った子安峡
    →http://www.c-player.com/ac92454/thread/1100093656925


    金沢城跡


    横手城



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  • from: 坪井さん

    2012年08月13日 05時16分39秒

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    東北の旅


    <font size="3"> 秋田県横手市の石坂洋次郎記念館にいく。石坂洋次郎は明治33年青森県弘前市に生まれ、慶応大学卒業後、横手高等女学校を経て横手中学校に勤務。「若い人」、「青い山脈」など多くの作品がある。記念館のガラスの間仕切りには石坂洋次郎の句が彫ってあった。
     生甲斐や 雪は山ほど 積りけり
     記念館の管理人の女性に「生甲斐や」はどんな意味かと尋ねた。彼女は、この句を引用した「冬景色」という石坂洋次郎の文章をコピーしてくれた。
     「横手に住んで十余年。雪が家の玄関を埋め尽くし2階から出入りするほどの雪。かまくら。憂鬱な耐え難い雪の中の生活。その雪を見つめていたら、私の命の火が燃え出した。」昭和13年のことである。

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