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from: 坪井さん
2009年01月30日 22時05分33秒
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3発の弾丸 最終稿 - 弾丸の重さ
三八式小銃は、明治38年から生産され、太平洋戦争の終結までの長期間使用された。初速762m/秒は米国の小銃に次ぐ速さであり、高い命中率を誇った。グアム島で投降した横井正一伍長の帰国第一声は「天皇陛下からお預かりした三八式銃はちゃんと持ってまいりました。」であった。フィリピンで投降した小野田少尉は、九九式短小銃、三八式歩兵銃、軍刀を武器とし、フィリピン軍司令官に軍刀を渡すまで戦っていた。アラビアのロレンスも三八式小銃で勝利した◆昭和における三八式小銃の生産拠点は名古屋・小倉であり、耐寒検査は大陸である。坪井の畑にあった6.5mm弾は、弾頭が銅であり、明治時代に小石川で製造され、坪井で実射訓練されていたときの三八式小銃の弾丸であろう◆もう一つの頭の丸い6.5mm弾、7.7mm弾も銅である。6.5mm弾が三八式小銃の弾なのはいいが、坪井に昭和14年導入の九九式の弾があるのはおかしい。射撃場は移転したはずである。私はすっかり行き詰ってしまった◆ふと、「日本の軍用銃(国書刊行会)」の弾丸の重さの記述が目に止まった。本によると九九式小銃の弾丸の重さは11.8gとなっている。料理用の秤で弾を量る。7.7mm弾は15gであった。これは、二十二年式村田連発銃の弾丸(15.6g)だったのだ。興奮しながら次の弾を量った。6.5mm弾で頭が丸いのが10gで三十年式小銃(10.4g)、尖ったのが9gで三八式小銃(9.0g)であった。弾丸の外径は、銃の口径よりやや大きく作られている。二十二年式村田連発銃の口径は8mmであるが、すでに100年はたっている弾丸である。錆びを落とすたびに弾の口径は少なくなる。この弾丸の外径をノギスで正確に測ったところ7.8mmに近かった◆答えに辿り着くまで苦労したが、これらの弾丸は、その重さにより、明治のものという答えを残しておいてくれていた。坪井の畑に眠る明治の弾丸は、欧米列強に飲み込まれまいと日本が生き残りを賭けて必死に戦っていた時代の遺品である。-
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