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  • from: 坪井さん

    2009年07月17日 23時04分14秒

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    住居表示

    遊郭研究レポートでは、国道沿いに点在 する遊郭を海神に移転させたとある。しかし、巻末の遊郭の地図は、どう見ても本町。この疑問は、酒屋のおばあちゃんが答えてくれた。遊郭のある地区は昔、海神町だったけど住居表示が実施されて本町になったんだと。
     住居表示について、わが町坪井町の住居表示の実施経過をまとめた。

    ◆坪井町住居表示の実施経過◆

     平成21年3月27日、議案第36号「町の区域及び名称の変更についてが、船橋市第1回市議会定例会で可決され、平成22年2月1目から坪井町の住居表示が実施されることとなった。坪井町の一部が坪井西1丁目、坪井西2丁目の一部、坪井東一丁目〜坪井東五丁目、坪井東六丁目の一部となる。
     住居表示とは「地番」を利用せず、一定の基準により順序よく建物に(住居)番号をつけ、住所をわかりやすく表示するものである。町(丁目)の境界は、一目で町の区域や名称がわかるよう道路、河川、線路など恒久的建物で区切る。町名をつける場合は、町名自体が歴史・伝統・文化を継承しているものであることから、従来の名称に準拠して定めることが原則とされる。

     船橋市は昭和40年9月1目、住居表示第1期5ヵ年計画に着手、本中山、湊町、前原等の地区を実施し、平成3年2月第5期5ヵ年計画の藤原、夏見台等地区まで実施したが、これを最後に住居表示を行なっていない。平成21年5月1日現在の実施率は、面積85.64k㎡分の55.16k㎡(64.41%)、人口597,236人分の502,693人(84.17%)、世帯数255,099戸分の216,757戸(84.97%)であり、今回の坪井町の実施で面積率は0.9%上昇する。
     過去の計画はいずれも未実施の区域を残している。第一期5ヵ年計画の未実施地域のJR西船橋駅南口周辺は、当時は建物もまばらで葦が生える地であり、道路建設計画もあったため、住居表示は先送りされた。
     この未実施区域の東側は「海神町」という古い町である。船橋郵便局前にあった最後の遊郭「吾妻屋」は昨年の火災で焼失した。この遊郭があった一帯は、今は本町二丁目だが、昭和30年当時は海神町五丁目であった。今も海神町は一丁目、二丁目、三丁目の一部が住居表示されずに町名が残っている 建物も戦前のものかと思える古い建物が街道筋に点々と残り、ヤマトタケルに名乗ることを許されたという御代川、矢作、田久保という伝説の苗字の表札が多い。海苔漁か盛んな町だったが、海岸の埋立てで廃業し転出した家が多く、残る住民で今なお毎年3月には、海神念佛堂で念佛踊りが踊られているという歴史ある地区である。

     平成11年、市はこの第一期5ヵ年計画の未実施地域であるJR西船橋駅南口地域の住届表示を実施するため、説明会を繰り返したが一部町会と意見の合致に至らず、住居表示は中断された。船橋市は坪井町で約19年ぶりに住居表示を実施することになる。行政の19年のブランクは、市役所職員の経験者不在という状況を生み、坪井町住居表示整備事業はとりわけ慎重に実施された。
     平成15年11月坪井町の町会・自治会から住居表示実施の要望書が出された。坪井町は、室町時代から続く古い村と、昭和40年代に分譲開始された町で構成されており、地番が順序良く並んでおらず、同一地番に10軒以上家があるなど地番が複雑で、郵便誤配や緊急車両等の不安も大きかった。当時は、京葉高速鉄道「船橋日大前駅」を核として、船橋最後のビックプロジェクトと呼ばれる坪井川周辺の開発が着々と進み、新住民の入居も開始された時である。

     平成16年10月「まち開き」、平成17年6月26日80世帯で行われた美し学園自治会設立記念パーティーは、小さい子供がいっぱいで若さ溢れる行事であった。美し学園自治会は、平成21年4月1日現在、600世帯を超える自治会となった。
     新しい家々に入居した住民の悩みは、広いエリアの複雑な地番である。目印となるような施設もないことから、自分の家の場所を来訪者に説明にできず、駅まで迎えに行くこともあった。プロの宅配業者でさえ配達に苦労する地番である。
     平成16年3月26日、坪井町を住居表示整備事業計画区域に定めることが市議会で可決され、平成16年7月から平成18年7月まで、市は、各町会・自治会の会長との会議を4回開催し、住居表示の説明、意見交換等を重ねた。平成19年2月から平成20年1月までの間は、各町会・自治会から2名づつ選出された代表者により坪井地区代表者会議を更に4回開催した。
     市の実施可能区域案は、坪井町を2分割し、小学校前の道路を境として東側を第一次実施可能区域とし、他の区域は畑が多いことから、その開発状況を待って実施する案であった。実施区域については、当初、第一次実施区域と次回実施区域の境が問題となった。道路を境とする市案で、自治会員の家々が分断される自治会が市に再検討を強く要望し、会議は一時こう着状態が続いた。
     分譲地は中心の道路に面して家々が向かい合っており、この道路で分割すると同じ自治会でありながら、次回実施区域の畑を背負った数軒の家が、次回実施区域となり、自治会が分断されるという問題であった。
     市は、第5回代表者会議で、既存の自治会の分断が避けられる線引きの修正案を示し、住居表示に向けての話し合いは一気に進むこととなった。

     新たな町名の市案は、坪井東、坪井西である。坪井を頭につけたほうがイメージしやすく、最近は東・西などを後ろに付けることが多くなっているとの市の説明であった。「芽吹きの森」などの名前も候補になった。住民は話し合いを重ねた結果、開発業者が考えた名称ではなく、室町から続く歴史ある「坪井」という名称を選択した。東西など方角名による分割は、葛飾の地を分割する際、江戸川(現中川)を境として、葛西、葛東(東葛飾郡)としたように古来からの手法であり、分かりやすく、実務的な地名の付け方である。
     第8回代表者会議において、実施可能区域及び町名の市案を一部修正することで住居表示の実施が決定された。
     平成20年11月20目(木)船橋市役所9階第一会議室において、船橋市住居表示審議会が開催された。審議会は、自治会代表、市会議員、行政機関の職員で構成され、代表者会議で了承された市案の諮問を受け、審議、採択した。
     張りつめた空気の中で審議会の議事が進行する間、私は、今まで積み重ねられた代表者会議の議論を思い出し、関係者の御労苦に感謝するとともに、自治会代表の審議会委員として、地名誕生の目撃者の一人になれたことに感動を覚えた。

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