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from: 坪井さん
2009年12月05日 06時11分48秒
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石の旅 火葬
<font size="3">江戸では下谷・浅草の寺院がそれぞれ火屋を持ち火葬していた。釈迦が火葬されたように荼毘に付されることは、高額だが高貴な葬祭の方法であった。しかし、その臭気が寛永寺にかかることから、幕府は小塚原に焼き場を移転させた。明治19年の地図には千住火葬場とある。
焼き場には松の真木がうず高く詰まれ、骨上げは次の日であった。焼き方には、輿焼き、龍焼き、釣り焼き、瓶焼き、別火屋焼き、惣火屋焼きがあり、値段は15両から1両2分まであった。播磨屋中井家永代帳には、第三代当主の葬儀で「御火葬二付キ別火屋入用 金3両3分」と計上されている。別火屋は1両3分なので、経費水増しが行われたか。
幕府は華美な葬祭禁止の令を出し取締まった。しかし4度も禁止令を出したということは、定めにもかかわらず大商人の葬祭は武士より盛大であったということであろう。しかもこの禁止令は、いづれも大飢饉の時に出されている。飢饉の年こそ商人が米相場で大儲けしていたということか。(写真:明治19年東京市地図 南に吉原北に火葬場)-
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坪井、
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