サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: 坪井さん
2010年01月09日 21時05分00秒
icon
コメント:江戸城 維新前後
慶応3年(1867)フェリックス・ベアドが愛宕山から撮影した江戸は、大名屋敷が整然と建ちならぶ大都市であった。
明治維新により、江戸城から徳川一族が去り、諸大名が次々と国許に引き揚げると、大名屋敷が大半であった江戸の町並みは多くが無人となり荒れ果てて行った。明治政府の制度御用掛蜷川式胤は江戸城の荒廃を嘆き、明治4年(1871)、江戸城の写真撮影を申し出た。中段写真の天主台は荒れ放題であり、政情不安で江戸城の整備までは手が回らぬ時代であったことを示している。
人は石垣、人は城。江戸は維新の戦火を免れたが、人が去ると、城も町も滅んだ。
下段の江戸城本丸の庭の写真では、石垣の修復工事が中断されたのか石垣用の石が積まれている。施主がいなくなった石の行方など、語られることもない出来事であったであろう。
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 1
icon拍手者リスト
坪井、
-
コメント: 全0件