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  • from: 坪井さん

    2010年06月19日 05時07分16秒

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    小石川屎尿取扱所


    <font size="3"> かつて、水道橋と御茶ノ水の間の外堀に大きなコンクリート製の屎尿を溜める施設があり、各地から集められた屎尿はここで溜められ、肥船に積まれていたという。文京区誌にあった。小石川屎尿取扱所という。(右写真)
     江戸、明治と、肥料としての価値に富む屎尿は、近郊農民などに売られ、野菜となって江戸の台所を支えた。江戸幕府が構築したリサイクルシステムにより、江戸は清潔な街となり、世界最大の百万都市を実現した。しかし、人口増加による排出量の増加は、供給過大を生み、大正9年8月、一転して都区内の汲取りはついに有料となった。売り物から処分費を払うものとなり、公共事業となった。
     大八車やリヤカーで集められた屎尿は、外堀の取扱所からだるま船で海にでる。海洋投棄船に積み直しされ、外洋で投棄された。平成の時代に海洋投棄をしているのは世界で日本と韓国だけであったたため廃止された。廃止された年が、平成11年というのは驚きである。
     今でもだるま船は隅田川で見かけることがある。処理場で処理された最後の最後のカスはやはり海洋投棄されているらしい。
     全国各地で海洋投棄がされた時代、東京湾ではいわしの豊漁が続いた。沿岸では、魚を介した回虫の繁殖が問題となった。海洋投棄は外洋まで行ってから投棄するよう改められたが、外洋に着いてからの投棄時間を少なくするため、外洋に向かう途中で船底の栓を抜き投棄しながら走る船が後を立たず、海岸は打ちあげられたイチジク浣腸とコンドームが散乱。海水浴をする子供の最大の謎であった。

    <font size="2"> *坪井の町会の人が、東京に通勤していた当時、総武線から毎日見ていたという屎尿取扱所のお話でした。

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