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  • from: 坪井さん

    2010年07月17日 07時09分16秒

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    坪井の酒屋3


    <font size="3"> 寛文九年「下総国葛飾郡坪井村検地水帳」の話を続ける。案内人名は岩佐治郎右衛門である。所有者名は「次郎右衛門」が沢山出てくるが、「治郎右衛門」の名は出てこない。岩佐家で見せていただいた八幡神社の分社を認めた「勧遷状」と奉納金の受領書を見ると、宛名は「次郎右衛門」となっている。
     当人は、「治郎右衛門」とサインするであろうが、役人が書く時は、「次郎右衛門」と読みだけで当て字を書くことも多いとか。この検地水帳に記載された「次郎右衛門」とは、「治郎右衛門」のことであろう。
     村の歴史家の岩佐さんに聞いたことがある。「この検地水帳は今の屋号とは右と左が違いませんか?」「○左衛門」が「○右衛門」となっていたりその逆もある。
    「左衛門」は「さえもん」と読むが、「右衛門」の右は読まない文字で単に「エモン」と読む。
     岩佐さんの話しでは、「役人の記帳は名前も土地の広さも必ずしも厳密ではないようです。村では、検地があると聞くと1年以上畑を耕作せず草ぼうぼうにして、荒地を装い、過少申告をした者もいると聞きました。」 
     古文書はこのような背景も考慮しながら読む必要があるようだ。

     *下の検地水帳の表紙には「治」とあるが、右の勧遷状の宛名は「次」となっている。


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    坪井

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