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from: 坪井さん
2010年09月04日 16時18分36秒
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石の旅 縄文時代
<font size="3"> 船橋市には、高根木戸、薬円台、飯山満などに縄文遺跡が数多く発見されている。八千代市も縄文時代の遺跡が多い。その中で、坪井の源七山遺跡は旧石器時代からの遺跡である。地層に居住跡はなく、ここは狩猟場であった。
源七山の縄文時代の地層からは、居住跡の竪穴状遺構が見つかる。縄文とは土器に付けた縄目の模様で、装飾のためというより、気泡をつぶし水漏れを防ぐためであった。弥生時代と異なり、野焼きで低温であったための工夫だそうな。
器を使って食べるのは人間だけである。器を使ってこそ煮炊きができ、細かな穀物を食べることができる。穀物は保存もきく。人間も、ナウマン像狩りなど狩猟で生きていた頃は、捕捉できる獲物の量に限界があり、人口が増えることはなかった。土器で煮炊きすることにより食べられるものが増え、人間は増えた。人類にとって土器の発明の意義は大きい。
ただし、煮炊きに必要なものがある。エスキモーは生肉を食べるので別に塩分をとらないが、もっぱら穀物などを食する様になると別途塩分が必要となる。その塩分と味付けの元が干し貝であり、その生産地が貝塚となった。
千葉市に加曾利貝塚がある。広大な貝塚であるが、千葉市の原住民が特に貝が大好きだったという訳ではない。ここは商品としての干し貝の生産工場であった。それを石製品と物々交換した。源七山遺跡でも石斧、ヤジリなどが見つかる。東葛郡では産しない砂岩、チャート、安山岩、黒曜石などの石は長い旅の果てにこの地に着いた。
人間はやがて海水から塩を作る製塩法を開発する。干し貝より安価で保存がきく塩が生産できるようになると、加曾利などの貝工場は閉鎖され、物流の街道も新たな塩の道へと移ることになる。-
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