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  • from: 坪井さん

    2011年04月10日 00時35分47秒

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    原氏キリシタン墓地を見つけた


    <font size="3"> 印旛沼郷土資料館で見た「原氏キリシタン墓地」の写真の話である。本の名前は、千葉県教育委員会編「印旛沼、中黒手飯沼周辺の民族」。千葉県教育委員会、佐倉市に問い合わせたが、写真の墓地が何処にあるか誰の墓か不明であった。
     県立図書館で「たいわ 語り伝える白井の歴史」の冊子の中に原胤昭という人物を見つけた。編者の白井文化センターに問い合わせた。研究員の方が調べてくれた。写真の原氏キリシタン墓地は原胤昭の墓ではないかという。
     原胤昭は、城を手賀沼のほとりに持ち、北条方として豊臣と戦った原一族であり、江戸時代は旗本として与力を勤めていた。
     明治6年、切支丹禁令の高札が撤去された時、胤昭は、信仰の自由が認められたとして、祖先と信じる原生水の志を果たすべく、キリスト教を信仰したという。
     写真が残るということは、写真機が輸入された幕末以降に墓地があったということであり、キリシタン禁令が廃止されてから墓地を建てたとすれば、廃棄を免れ、現存している可能性は高い。
     柏に車を走らせた。柏市郷土資料館の説明のとおり、手賀沼沿いの林の中に、墓石群が見えた。胸の鼓動が高鳴った。写真と同じである。先祖の五輪塔、石の十字架の墓、十字架が刻まれた墓石。胤昭の角柱の墓石の後ろに並ぶ自然石の墓石は、彼がその人権擁護に奔走した受刑者50名の墓石であるという。



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