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  • from: 坪井さん

    2011年07月09日 19時53分12秒

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    長屋門考


    <font size="3">米本城が落城し村上氏が自刃した七百余所神社の南側に大きな長屋門の家があった。船橋の飯山満の東葉高校には旧近藤家の長屋門がある。近藤家は、上飯山満村の名主総代、幕府直営の馬牧の牧士をつとめた旧家である。今も近藤家の作るネギはみごとな大きさで、農家の主婦が買おうとして旦那さんに止められるほどであるという。
    庚申塔を調べに行った鈴身町にも大きな長屋門の農家がある。鈴身町は、以前は行々林(おどろばやし)という地名であったほど草深い地。庚申塔の数は船橋一、将来建てる場所であろう広い台座こそ村の力を示すものであろう。
     この長屋門が坪井の村にはない。坪井は貧しかったのか。いや、一軒あたりの田は平均で九反五畝以上ある裕福な村だったという。なぜ長屋門がないのであろうか。
    村の地形を見る。坪井発祥の地は、坪井川沿いの辺(へた)というところであるが、みな県道の向かい側にも同じ幅で土地を持っている。坪井から八千代までの県道は明治時代に軍隊が作ったものだが、その時、坪井の家々の敷地の真ん中に県道が作られ長屋門は壊されたのではないか。しかし、明治14年の2万分の1フランス式色彩図を見ると、道は今と同じところにあり、この説の証明にはならなかった。
    いま一つ、長屋門を建てることを領主が許さなかったとも考えられる。長屋門は坪井、古和釜、大穴にもない。これらの地は江戸時代は松平家の領地である。松平定房(家康の異父弟)は、寛文5年6月に武蔵国葛飾、下総国葛飾、下野国芳賀、常陸国真壁、四万石の領主になった。この下総国葛飾の中に古和釜、金掘、大穴、坪井が含まれていた。その後領主は、定時、定昌、定武、定秀、定則、定能、定規と続いた。伊予今治藩主定時の後を継いだ二男定陳は、弟の定昌に5千石を分与したという。それが坪井の地である。領主とはいえ分家の身ならば、自分は長屋門を持たず、領民にも長屋門を許さなかったと考えられる。
    長屋門は近世諸大名の武家屋敷門、上級武士の屋敷のほか、苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋でも作られた。映画「七人の侍」では、長屋門から牛が顔を出しており、農家では作業小屋や家畜小屋として使われていた。家の格を示すものだが、農機が生まれて牛馬を飼わなくなった現在は、朽ちるのを待つ運命の建物である。

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コメント: 全2件

from: 坪井さん

2011年07月10日 23時05分14秒

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「Re:Re:長屋門考」
確かにグーグルの地図で見ると金掘城の近所に長屋門の青い屋根と赤い屋根が見えます。夏は城跡には蛇が出るから入らぬ方がいいといわれましたが、城跡を見に行った時、長屋門を見てみます。地図で見ると、私は青い長屋門の隣の家には行ったことがあります。隣の長屋門には気がつきませんでした。登り窯のあるお宅で、見学させていただきました。このブログの2008/3の最初がそのお話です。
http://www.c-player.com/ac92454/message/200803

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坪井

from: 宗吾台さん

2011年07月10日 13時09分05秒

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「Re:長屋門考」
船橋市内の長屋門をまとめてみるといいですね。江戸時代からあったという家と、明治初期に建てたという家があると思います。できれば棟札などを見せてもらうとよいでしょう。秋になって涼しくなったら屋根裏にあがらせていただいて無名札を見つけられれば面白いと思います。壷井に見られない理由は領主が許さなかったというよりも村の人がその気がなかったかもしれませんし、長屋門を作るほど資力がなかったわけではないでしょうが、はやらなかったかもしれません金堀には長屋門が2種類ありますが、これは面白いと思います。ご覧になりましたか、前金堀です。滝口昭二

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