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  • from: 坪井さん

    2011年11月08日 02時04分56秒

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    獅子舞 Ⅳ


    <font size="3"> 坪井では9月1日が獅子舞であった。学校を下がった15歳くらいから若い衆に入り40歳になると抜ける。獅子舞は跡取りの長男だけがやり、次男三男は花笠持ちの役だけ。婿にも踊らせなかった。村に定着する者以外が踊りを覚え、踊りが村から流出するのを防ぐためであった。どの村でもこうして閉鎖的に伝承され、個性化されて行った。
     にもかかわらず、三匹獅子舞として分類できるほど全国的に共通することが多い。仙台藩、南部藩で踊られる鹿踊もまた太鼓をたたきながら一人立ちで踊る。これも三匹獅子舞の仲間であろう。
     伊勢大神楽師は神楽として二人立ちの獅子舞を全国に広めた。とすると三匹獅子舞を広めたのはだれか。そのルーツを書いた書籍にはまだ出会えない。
     三匹獅子舞は、農村の共同体が祭る土地の守り神である産土型神社で行われている。この祭りによそ者は入れない。坪井の古来からの祭りに新住民は参加できない。それは閉鎖的というより祭りが農耕儀礼だからである。
     埋立地であった江戸下町はよそ者だらけの商工民の町であり、彼らに豊作を祈る産土型神社はなく、稲荷神社や八幡神社などの勧請型神社が好まれた。農家のない江戸下町では最初から豊作祈願の三匹獅子舞がなかったのであろう。
     *写真:平岡鳥見神社三匹獅子舞(房総の歳時記)

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