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from: 坪井さん
2012年09月07日 06時00分47秒
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吉橋大師講八十八箇所巡り
<font size="3"> 船橋地名研究会が作成する「船橋を歩く」の編集協力員として、海老ヶ作を歩く。地図を見ると確かに村は川海老の形である。海老の頭の部分は六差路の複雑な交差点。「錠場(ジョッパ)」と呼ばれる村の入り口である。尻尾の部分にある海老ヶ作自治会館前には新四国八十八箇所七十番札所があった。
札所傍の斉藤家を訪ねた。昔から札所を管理しているとのこと。海老ヶ作の斉藤は大穴の斉藤の流れ。「大穴の旧家には古い道具がたくさんあった。子供の頃、殿様が乗るような籠に乗って遊んだよ。東映が撮影に使うといって借りに来たこともあった。」
奥から曼荼羅の掛け軸を出して来た。「吉橋に一番札所があってね。大師講の時は、毎年、車で婆さんを送っていった。見合い話もそこで出るんだ。坪井は祭りでも婿に花笠持ちしかさせないが、海老ヶ作は婿を大事にするよ。」
海老ヶ作や坪井など豊富の地は、吉橋城の高木氏が滅びた後にも、依然として吉橋を中心とした絆の中にあった。そこに吉橋大師講が作られた。そう思えたお話であった。
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from: 坪井さん
2012年09月09日 02時49分48秒
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「Re:Re:Re:吉橋大師講八十八箇所巡り」
八千代文化伝承館の木原先生を訪ねた。伝承館は飯綱神社にあり、30番札所があった。船橋信用金庫が作った吉橋大師講八十八箇所カレンダーなど札所に関する資料を見せていただく。中でも吉橋大師年度別遍路一覧は、昭和46年から回った札所や宿泊所、料金などを整理した表である。
昭和46年春
初日 田喜野井⇒久々田⇒七林(宿泊高津)
二日目飯山満⇒海老ヶ作⇒大穴
三日目坪井⇒八木ヶ谷⇒高本
四日目寺台⇒萱田権現⇒萱田町
五日目大和田⇒薬円台
春と夏に5日間で14箇所を回り、一年では計28箇所を回る。昼食代は昭和四46年では100円、56年には300円になった。宿泊代は昭和49年に男500円、女400円が昭和51年には千円になっている。昭和初期までは3日間、その後5日間で行われるようになった。昭和46年から平成6年までの24年間のうち、坪井には20回来ている。
先生が吉橋大師講に付いて回った時のことを話してくれた。50以上ある村から一村5人以上来るのだから200人以上になる。その行列が成田街道を延々と歩く。服装は普通の服装だったが、四国へ行った人は白装束だった。「行人二人」といって、お遍路は、弘法大師と一緒に巡礼するのであり、「善根」といって、「施すのも功徳、施されるのも功徳。」として、札所では餅、菓子、お茶などの接待を受けた。村上の梨など土地の名物も出て、大きな土産袋がいっぱいになったという。
「今も歩く会が盛んだけど、地元とのこんな触れ合いがあるといいですね。札所巡りが復活すれば人気になるでしょうね。」と聞くと、実は札所巡りをしていると言って、主催する吉橋大師八十八箇所ウォークの資料を出してきた。二年間かけて、札所巡りをする。明日は勝田の獅子舞を回るそうな。今後の参加をお願いして伝承館を辞した。
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