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2009年04月30日 22時25分36秒
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ゴミ河岸と澪
江戸から運ばれた生ゴミは、船橋の海岸に積まれ、発酵させてから農家に売られた。その場所をゴミ河岸という。船橋までは江戸川経路で下肥もきた。運搬中に海水を
江戸から運ばれた生ゴミは、船橋の海岸に積まれ、発酵させてから農家に売られた。その場所をゴミ河岸という。船橋までは江戸川経路で下肥もきた。運搬中に海水を舟に汲み入れ下肥を増量していたそうな。海水は下肥より比重が重く、混ぜても気づかれにくかったのか◆ゴミ河岸は、船橋の海老川河口の花輪の地と海神村の澪(みお)にあった。澪とは、遠浅の海岸の水底に、水の流れによってできる溝で、舟が往来できる水路になった◆海神の澪を訪ねた。ゴミ河岸は、現在は公園となっており、海からの細い水路だけが面影を残す◆地元の不動産屋さんから聞いた。海神は、ヤマトタケルが上陸した場所であり、その案内をした漁師の子孫が御代川(みよかわ←澪川)姓を名乗った。この辺に多い姓の矢作、植草、田久保もその時に姓を頂いた一族であると◆さらに、その一族の末裔の方にお話を聞いた。「ゴミ河岸の場所は、確かに今の公園である。でも、私は泥面子の話は聞いたことがない。」
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from: 坪井さん
2009年04月23日 20時46分08秒
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黄金艦隊
江戸時代、魚などご馳走を食べている人の糞尿は作物によく効くとされ、近郊農家家は江戸に下肥を求めた。長屋では大家が人糞の処分権を持ち、仲買や問屋も存在し
江戸時代、魚などご馳走を食べている人の糞尿は作物によく効くとされ、近郊農家家は江戸に下肥を求めた。長屋では大家が人糞の処分権を持ち、仲買や問屋も存在した。武家への出入り農家のお礼も農産物から金銭に。武家のものは値が高く、町家のものは質相応に安かった。粗食の農家の自家製は最低ランクに属したか◆需要増から価格が高騰し、武蔵、下総の農村連合が寛政、天保と2度、幕府に値下令を求めている。なお、江戸城の汲み取りは「葛西権四郎」が請負い、単に権威を守るためか、暗殺に使われた毒のリサイクルを恐れたのか、なぜかこれだけは海洋投棄された。◆海洋投棄する「黄金艦隊」の存在は、韓国と日本だけであることがわかり、日本が海洋投棄全面禁止としたのは平成14年のことである。商品でない糞尿は海のかなたに渡っていた。-
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2009年04月16日 21時47分30秒
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下肥は海を渡らない
大正12年「千葉県東葛飾郡誌」によると東京の塵芥は、船橋に船で輸送され,鎌ケ谷など内陸部で麦作の肥料にされたとある。登戸、検見川、馬加(幕張)でも農産
大正12年「千葉県東葛飾郡誌」によると東京の塵芥は、船橋に船で輸送され,鎌ケ谷など内陸部で麦作の肥料にされたとある。登戸、検見川、馬加(幕張)でも農産物運搬の帰り船で運ばれた塵芥は、麦、薩摩芋の肥料として使用されており、泥めんこが発掘される場所と一致する◆東京湾の輸送は「五大力船」により行なわれた。海では帆船、川では棹を使う船底が浅い船である。当時の鉄道院史料に「船橋検見川間は三百余艘の和船が低廉な運賃で農産物を輸送し、鉄道を利用するものなし」とある◆一方、東京の下肥(人糞)は江戸川の水運により市川や松戸に送られ、野菜・果樹の肥料として使用された。舟は、肥舟(こえぶね)又は葛西舟と呼ばれた。内部がちゃぷちゃぷ揺れないよう細かく仕切られた「部切舟(へきりぶね)」で、板の蓋があるミニタンカーである。塵芥と物流が異なり、ブツ流は海を渡らなかった。
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2009年04月09日 20時23分21秒
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森田健作の衝撃映像
千葉県知事森田健作は、映画「砂の器」で丹波哲郎と刑事役を演じ、食べ終わった弁当を汽車の窓から捨てた。今なら問題になるシーンである◆江戸では2の付く日に
千葉県知事森田健作は、映画「砂の器」で丹波哲郎と刑事役を演じ、食べ終わった弁当を汽車の窓から捨てた。今なら問題になるシーンである◆江戸では2の付く日にごみを回収する、川岸のごみ置場に毎日回収船が来るなどの百万人都市を支える政策があった。2階の窓からごみや糞尿を捨てていた中世西欧に比べると江戸は清潔な町だった◆明治時代も分別生ごみは行徳などに船で運び、堆肥として農家に売られ、その堆肥で育った野菜が東京の食卓に並ぶというリサイクルシステムが出来ていた◆一方、堆肥の優等生である糞尿は、高根村では東京からではなく船橋の町で買ったそうな。揺れが激しいため船での運搬が難しかったのか、船尾の漕ぎ手が風下になり耐えられなかったのか、プツを東京から千葉まで船で運んだ記録は探せなかった。-
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from: 坪井さん
2009年04月03日 23時25分22秒
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泥めんこ
船橋日大駅前にある街づくり館には、坪井の畑から出土した泥めんこが飾ってある◆めんこ遊びは平安時代に渡来した博打の銭打ちを起源とし、江戸時代、子供向けに
船橋日大駅前にある街づくり館には、坪井の畑から出土した泥めんこが飾ってある◆めんこ遊びは平安時代に渡来した博打の銭打ちを起源とし、江戸時代、子供向けに泥めんこが登場、明治後期に登場した紙めんこに押されて消えるまで、子供たちにたいへん人気のある遊びだった◆高根小学校百周年誌「たかね」によると、高根の村の人々は、船橋へ米などを売りに行き、帰りに海神や花輪の海岸で、東京から船で運ばれてきた発酵した生ゴミなどを肥料として買ってきて畑に入れた。泥めんこは、このゴミに混じって畑に入ったそうな◆江戸の子供たちの歓声が、聞こえてくるよな泥めんこ。坪井の畑の中にもめんこい江戸文化があった。
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