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2010年07月31日 01時23分49秒
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追分
新宿伊勢丹がある新宿通りと明治通りの交差点に追分の道標がある。追分は本来、青梅街道と甲州街道の分岐点の名称、西は新宿ゴール
<font size="3"> 新宿伊勢丹がある新宿通りと明治通りの交差点に追分の道標がある。追分は本来、青梅街道と甲州街道の分岐点の名称、西は新宿ゴールデン街から南は天龍寺付近までこの一帯の電柱に付いている記号の札には「追分」とあった。
旧四谷地区は、江戸時代には武家屋敷と坂の名前だけであり、地名というものがない地であった。「追分」という名称も通称であって、今に至るまで正式な地名となったことはない。
馬を追い分ける場所を「追分」といい、道が二つに分かれる場所の地名に多い。
ここで家族と別れ、友と別れ、愛する人と別れて旅に出る。街道をポクポクと馬を引きながら馬子唄が歌われ、信濃ではそれが信濃追分となり、越後では越後追分となり、北前船で蝦夷へ渡り江刺追分となる。遠い故郷を偲ぶ唄。美空ひばりのりんご追分は、母との別離を歌う。みな別れ唄である。-
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坪井、
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from: 坪井さん
2010年07月25日 13時13分05秒
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坪井の酒屋4 領収書
証一金五百疋(ぴき)外御供料(ほかごくうりょう)金二朱右慥(みぎたしかに)令収納(しゅうのうせしむ)ものなり白川殿御役所辰
<font size="3">証
一 金五百疋(ぴき) 外御供料(ほかごくうりょう) 金二朱
右慥(みぎたしかに) 令収納(しゅうのうせしむ)ものなり
白川殿 御役所
辰7月4日 岩佐次郎衛門殿
安政3年7月4日の領収書を読む。岩佐さんの裏山に祭られる八幡神社を分社した際に納めた奉納金の領収書である。
江戸の商家住友泉屋浅草米店手代の葬儀台帳には、「葬儀 御導師へ金三百疋」とある。神様は仏様より高かったようである。
*この短い文を読むのに1週間。子供が「たしかに」と読み、最後までわからなかった「外御供」と令収納」は新宿歴史博物館の課長さんに教わりました。ありがとうございました。-
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2010年07月17日 07時09分16秒
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坪井の酒屋3
寛文九年「下総国葛飾郡坪井村検地水帳」の話を続ける。案内人名は岩佐治郎右衛門である。所有者名は「次郎右衛門」が沢山出てくる
<font size="3"> 寛文九年「下総国葛飾郡坪井村検地水帳」の話を続ける。案内人名は岩佐治郎右衛門である。所有者名は「次郎右衛門」が沢山出てくるが、「治郎右衛門」の名は出てこない。岩佐家で見せていただいた八幡神社の分社を認めた「勧遷状」と奉納金の受領書を見ると、宛名は「次郎右衛門」となっている。
当人は、「治郎右衛門」とサインするであろうが、役人が書く時は、「次郎右衛門」と読みだけで当て字を書くことも多いとか。この検地水帳に記載された「次郎右衛門」とは、「治郎右衛門」のことであろう。
村の歴史家の岩佐さんに聞いたことがある。「この検地水帳は今の屋号とは右と左が違いませんか?」「○左衛門」が「○右衛門」となっていたりその逆もある。
「左衛門」は「さえもん」と読むが、「右衛門」の右は読まない文字で単に「エモン」と読む。
岩佐さんの話しでは、「役人の記帳は名前も土地の広さも必ずしも厳密ではないようです。村では、検地があると聞くと1年以上畑を耕作せず草ぼうぼうにして、荒地を装い、過少申告をした者もいると聞きました。」
古文書はこのような背景も考慮しながら読む必要があるようだ。
*下の検地水帳の表紙には「治」とあるが、右の勧遷状の宛名は「次」となっている。-
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2010年07月11日 04時04分50秒
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坪井の酒屋2
寛文九年「下総国葛飾郡坪井村検地水帳」には、案内人として岩佐治郎右衛門、久右衛門など5名の名がある。「こしまき廿間半十間半
<font size="3">寛文九年「下総国葛飾郡坪井村検地水帳」には、案内人として岩佐治郎右衛門、久右衛門など5名の名がある。「こしまき廿間半十間半 中田七畝五歩 与衛門・・」と記述されている。「こしまき」は八王子神社前の地名、坪井の一番北である。以下「西光寺下、あらく下・・」と南の地名が続く。
この時代、一番の土地持ちは次郎右衛門で44筆、久右衛門が20筆である。他から譲り受け小作人に耕作させていたのか、小さい土地を村全体に所有している。
坪井の墓地を案内して頂く。坪井の墓地は古い墓石を大切に並べている家が多いが、中でも大正以前の墓石を30基以上有するのは治郎右衛門さんとその分家の方の墓が多い。一族の隆盛を今に残す記録である。-
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2010年07月04日 20時04分46秒
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地方文書
「地方」とは、都会に対する田舎、本社に対する支社営業所、区域などの意味で使われる。私が先週出会った古文書は地方(じかた)文
<font size="3"> 「地方」とは、都会に対する田舎、本社に対する支社営業所、区域などの意味で使われる。
私が先週出会った古文書は地方(じかた)文書という。勘定奉行は、郡代、代官により天領の地方支配をしたが、それらの役人はすべて江戸にいて、その支配はすべて地方(じかた)文書という書面により行われた。「地方」とは、遠山の金さんで有名な町奉行が行政、司法を司る「町方」に対する言葉であり、室町幕府の役職名を語源とする。
ラジオパーソナリティ伊奈かっぺいさんの津軽弁トークを思い出す。青函連絡船の出航地であった地の果て青森駅の駅前には昔、市場があり、りんご箱を並べたおばあさんが沢山いた。貼り出した紙に大きく書かれた文字は"地方発送賜ります"
「おばあさん。地方って何処さ送れるんだい?」
「東京さもおぐれるよ。」 (???)-
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