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シムダンス「四次元能」

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公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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from: 生成門さん

2010年06月29日 19時57分22秒

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Re:人間認識概念図

海舌さんへありがとうございます。>「人間認識概念図」ですが、結構、「やっつけ仕事」です。>>まず、細かく見ていきます。>>+1は、勿論、物質です。-1

海舌さんへ

ありがとうございます。

>  「人間認識概念図」ですが、結構、「やっつけ仕事」です。
>
>  まず、細かく見ていきます。
>
>  +1は、勿論、物質です。-1も勿論、物質です。-1も質量を持っています。重力があります。見えないだけです。実軸上の点なので、

+1が物質で、-1が暗黒物質ですね。

私はPS理論の最初のころの定義、i*-i,i*-(-i)に依存しており、i*-iを自己肯定・他者肯定、i*-i,i*-(-i)を自己肯定・他者否定と考えております。

これが原点で自己肯定・他者肯定の物質A、自己肯定・他者否定の物質Bと分類したのです。

それで、
物質A:-1・・・すべての物質
物質B:+1・・・ポジトロニウム

としました。

理由は、
すべての物質は、自己保存のために自己を維持しようとしています。つまり、他者を否定して存在しているのが物質だと考えたのです。エネルギーの保存則は、
そう仕向けるようになっているのではないかと考えました。

ですから、暗黒物質は、まだ、よく検討していませんが、

第二象限物質A:自己肯定・<他者否定>・・・自己を強く主張することで、他者否定する物質

第三象限物質A:<自己肯定>・他者否定・・・他者を強く否定することで自己を強く主張する物質

第二象限物質A:-1・・・すべての物質
第三象限物質A:-1・・・暗黒物質

として見ました。

>
> > 物質についても、+1に物質、-1に物質があってもよいのではないでしょうか。
>
>  
>
> 「+1に物質、-1に物質」です。
>
>  第1象限 生活世界、ニュートン、近代的世界は、「この部分が、複素平面」ですので、海舌の理解は、生活世界に置いても、常に、凸iの虚数の影響を受けて生活していると考えています。

複素平面であるということ自体が見えないのではないのでしょうか。見える場所は+1と-1の地点しかないのではないでしょうか。

人間は見える見えないに関わらず生活しているのですから、複素平面で生活していると思います。

ですから、第1象限 生活世界の生活、だけでなく、第2象限の生活、第3象限、第4象限の生活というものがあるのでないかと思うのですが、如何でしょうか。

それを、日常生活者と言わないで、宗教家の生活、哲学者の生活と捉えるのでしょうか。

もし、そうだとする、人はいろいろな顔を持っていますから、一人に人間は、全複素平面で生活しているということになります。そういう理解でよいのでしょうか。

全複素平面での生活とは、四つの象限をめまぐるしく生きるのが人間であると言うことなのでしょうか。

あるときはサラリーマン、あるときは芸術家、あるときは哲学者、あるときはXとして生きていると言うことでしょうか。

卑近な例ですが、ホームレスや自閉的な人は、他人との関わりを捨てていると考えれば、超越的ですので、第4象限に入るのでしょうか。

人間は多重人格者であるとも言いますから、それらはどこに入るのでしょうか。

ぶつぶつとつぶやきながら生きている人がいますが、この人は、自分の殻に閉じこもって生きているようですから、他者を否定しているというより、他者が存在していないかのようなので、第2象限でよいのでしょうか。

象限と人間の分類を決めるルールのようなものがあると良いのですが、どうでしょうか。

>微分自体が、無限大など、日常生活を超越した概念を用いているので、一般的に、「第1象限 生活世界、ニュートン、近代的世界」は、+1と凸iの影響力が大きいエリアと捉えています。

このことの言っている意味は、同じi*-i⇒+1でも、i<<*-i⇒+1、i*>>-i⇒+1というように強弱をつけているのでしょうか。

従って、
i*-i⇒+1:中庸
i>>*-i⇒+1:凸i に支配されているi*<<-i⇒+1:凹i に支配されている

従って、i>>*-i⇒+1を第1象限に配置して、i*<<-i⇒+1:凹i の支配が強まった場合を第4象限に位置するということに解釈してよいのでしょうか。

第1象限と第4象は自己肯定・他者肯定と理解しているので、良いイメージでしか解釈できないのですが、海舌さんの解釈では自我がここにきているので、理解に苦しんでいるところです。

近代的自我とは、自己肯定・他者否定の典型ですよね。ならば、第2か3に配置されると思うのですが、これが第1に来ているので困っているのです。

i*-iを自己肯定・他者否と理解することが間違っているのでしょうか。

>
>  次に、第2象限。マイナス1の分野と凸iの精神分野です。
>
>  一応、マイナス1を超越的な存在としています。超越的存在が、質量を持たないというのが、近代合理性だと思いますが、中世以前は、質量を持っていることが当然だったと思います。dark matterは、勿論、質量を持っています。宗教家、芸術家などの基本的なスタンスは、ミメーシス、
>
> ミメーシス【ギリシャmimēsis】
>
> 1 芸術理論上の基本的概念の一。芸術における模倣。自然はイデア(事実の本質)の模倣である、とするプラトンの論や、模倣は人間の本来の性情から生ずるものであり、諸芸術は模倣の様式である、とするアリストテレスの説が源にある。
>
> 基本的には、「超越的存在」を積極的に肯定する立場だと思います。逆に、第1象限は、「世俗領域」で、「超越的存在を断固否定します。」この意味では、虚数は、超越的存在ではなくて、単に、電磁関連作用です。
>
>  勿論、コスプレを何処に入れるか、など、悩ましい問題もありますが、一応、伝統的な立場で区分しました。

この場合も、i*-(-i)からしか考える手立てがないので、
i*-(-i)⇒-1:中庸
i>>*-(-i)⇒-1:凸i に支配されているi*<<-(-i)⇒-1:凹i に支配されている

従って、i>>*-(-i)⇒-1:凸i に支配されている場合が、第2象限ということになるのでしょうか。

自他の関係からいいますと、他者の否定の仕方が、自己を強く肯定することで、他者を否定するような仕方でしょうか。

他者を否定することが、どうして宗教世界なのかということが、分かりにくいのですが、これが一神教の宗教であるといういなら分かりますが、一方、芸術までここに配置されているので、とたんに分からなくなってしまいます。

芸術とか東洋の宗教などは、第4象限にくると分かりやすいのですが、どうなのでしょうか。

>
>  第3象限。ここが、最も、難解な部分です。私達の日常性から、最も乖離した領域です。
>
>  -1と凹iの複合した領域です>
>  ここは、本来、不明な部分ですが、プラトニック・シナジーにとっては、好ましい領域と、解釈しました。
>
>  プラトニック・シナジーで主に使う、「哲学」「数学」を此処に入れました。両者とも、超越性を積極的に肯定し、また、精神世界のバックグラウンド、背景、地下水脈を暴くもの、というイメージです。

第3象限は自己肯定、他者否定ですが、

i*<<-(-i)⇒-1:凹i に支配されている

と考えて、凹iと他者とすれば、徹底して他者を否定することで、結果として自己を肯定していると解釈できますから、それが「哲学」「数学」だと言われれば、なんとなく分からないでもありません。

しかし、科学の検証主義と言うのは、それが前提ですから、科学全般はここには入っても良いのではないでしょうか。

人間は正当化する手段として、「俺が正しい」と先ず、自己主張をする人と「お前が悪い」と先に相手を非難する人に分かれますが、

「俺が正しい」・・・i>>*-(-i)⇒-1:凸i に支配されている・・・第二象限

「お前が悪い」・・・i*<<-(-i)⇒-1:凹i に支配されている・・・第三象限

これはニーチェが分析した事例からです。

>  第4象限は、世俗的な欲望と不透明な世界の「汚物」というイメージです。
>

i*<<-i⇒+1:凹i に支配されている

自己肯定、他者肯定の場合ですが、自分より、他者肯定の度合いが強いと解釈すれば、良い場合は他者尊敬、悪い場合は、
謙遜とかになるのでしょうか。

世俗的な欲望と不透明な世界の「汚物」というイメージが自己肯定、他者肯定から湧いてこないのですが、どう理解すればよいでしょうか。

生成門

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from: 生成門さん

2010年06月30日 21時33分20秒

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「Re:Re:Re:人間認識概念図1」
海舌さんへ

丁寧なコメントありがとうございます。

図式化こそが理解の要だと思います。
図式化がなければ、これほど要領よく質問もできていないと思います。

>  この点です、ね。図示化するのは、概念を明示するために行うので、思っていることの内、捨てる部分が多いと、いつも感じています。「生け花」のように、ドンドン、切っていって、チョット、残す。日本料理みたいに、贅沢に、魚の身を、ドンドン、捨てていって、ほんの一部の一番、美味しいとこのみ、客に出す。

認識の図はそれを示してくれたと思うのです。それだけに、又、新たな疑問(注文)も出てくるわけですが、問題は、この料理や生け花それ自体の出来栄えやその流儀が良いとか悪いとかの次元ではなく、一体それがどんな料理や生け花なのかということです。

つまり、食する方や鑑賞する方のレベルの問題だと言うことです。こちらサイドが、その程度ならプロの技を見ても、ただ感心して終わりにするか、全く、その意味が分からないで、鵜呑みにするかしかないわけです。

それでは余りにも情けないし、応用問題が解けません。やはり、PS理論の普及ということを考えると、応用問題が解けなければなければならないと思うのです。プラトンは理解できても、八百屋さんの問題が解けなくては何もならないわけです。

私は、そういう立場ですので、よろしくお願いいたします。

従って、何故、海舌さんはそう考えてこの図を描いたのかということが関心の的になると思います。

出された料理を見て真似して作って見ればガンモドキということにならないようにするには、その調理人が何を思い、内を切り捨てたのか、何を重要視したのか、その背景を知ることが、応用力を高めるのではないでしょうか。

>  人間認識図の目的は、実軸の+方向を日常世界、世俗世界に取り、-方向を、超越性、非日常性、仙人のような世界というイメージを表したい、モチーフです。

ここからその視点で質問して見たいと思うのです。なぜ、最初から実軸をこのように割り当ててしまうのでしょうか。

それは、海舌さんの好みなのでしょうか。それとも何か必然性があるのでしょうか。私は必然性があるだろうと考えてしまいます。というのは、もし、好みなら、どういう配置でも良くなり、人によって変わっても良いということになるからです。

もともとガウス平面は、実軸と虚軸を交差させた複素平面ですから、それをどのように解釈しても良いはずなのですが、森羅万象に適用しようとしているわけですから、その原理がなければならないと思うのです。

海舌さんが暗黙かどうかは分かりませんが、考えたその原理を、私が想像して見ると、次のようなものになります。このようなこと良いのでしょうか。

第1の原理:実軸は±に分極化する。

これを人間世界に応用するなら、例えば、日常性(+)と非日常性(-)とすることになるのでしょうか。

第2の原理:分極化への配置は、i*-i,i*-(i)の関係による。
i*-iは、+1とし、i*-(-i)は-1とする。

第3の原理:分極化の配置の根拠は虚軸にある。

つまり、日常性(+)と非日常性(-)とする根拠は虚軸にあるということになるでしょう。

虚軸とは視点です。実軸は、その精神作用の結果(現象)です。

日常性と非日常性という性の付く言葉は現象ではないので確定できないものです。確定するには、現象、つまり、量子化、デジタル化、実体化、粒子化しないといけないのではないでしょうか。

例えば、日常的な生活をしている人=実体化です。人という表現になると、その人とは誰か、その人は、日常的な生活をどう考えているのかということになります。

そこで、虚軸=解釈者が登場するわけです。

解釈者が、日常的な生活をしている人そのものだとします。その人は、日常的な生活を肯定している人だとします。その場合は、自我=肯定、日常=肯定という図式になりますから、+1と位置づけできます。

これに対して、日常的な生活を否定している人の場合は、自我=肯定、日常=否定という図式になりますから、-1と位置づけになります。


一方、解釈者が、非日常的な生活をしている人だとします。その人は、非日常的な生活を肯定してます。その場合は、自我=肯定、非日常=肯定という図式になりますから、+1と位置づけできます。

これに対して、非日常的な生活を否定している人の場合は、自我=肯定、非日常=否定という図式になりますから、-1と位置づけになります。


纏めますと、

解釈者=日常生活肯定者・・・+1(常識的人間、組織人間など)
解釈者=日常生活否定者・・・-1(クレイマー、非組織人間など)
解釈者=非日常生活肯定者・・・+1(スローライフ的人間、ベンチャー人間など)
解釈者=非日常生活否定者・・・-1(ホームレス人、失業者など)


>  縦方向の、虚数軸の+は、凸、つまり、日常、電磁波などで観念的に接している部分をイメージしています。問題は、-方向の虚数軸ですが、電磁作用の内でも、或いは、精神作用の内でも、表面に現れない作用が、あるんだろうな、という気持です。理解の仕方でも、「実証的理解」「了解的理解」「直感的理解」のように、異なる次元があるので、+方向が「実証的」「合理的」理解で、-方向は、「直感的」「感覚的」「腹で分かる」みたいなレベルかな、と思っています。

第4の原理:虚軸は精神作用とする。

第5の原理:虚軸も分極化する。

これを人間世界に応用するなら、例えば、
虚数軸の+(凸):表面に現れる作用「実証的」「合理的」理解
虚数軸の-(凹):表面に現れない作用
「直感的」「感覚的」「腹で分かる」理解
となるでしょう。

>  別に、一人の人間が、全ての象限を満たすことは、あり得るし、それと、人間認識を区分することは、矛盾しません。

第6の原理:すべての人間を複素平面上に確率的に、つまり、想像して配置することができる。

つまり、この人は、このような人間であるとして現れる確率が高いと言うような傾向で表示できるということです。

人間の性格分析などはすべて、不確定を前提とした確率であるとも言えるでしょう。

確率でいうことは、見えないことの裏返しであり、想像だということです。

犯罪で言えば、容疑者の段階です。

このような表現はすべて天気予報みたいなものです。

第7の原理:すべての人間の位置を確定することができる。

つまり、不確定から確定するということは、観察したと言うことであり、特定・断定したということです。

犯罪で言えば、審判が下った犯人です。
このような事態は各象限で起きるでしょう。

第1象限で起きる場合は、日常的な裁判です。

その理由は、自(裁判官)*他(容疑者)⇒+1(犯人)であり、裁判官は容疑者と認めたのですから自他共振したのです。

共振とは、普通は良いイメージですが、ここに価値観を入れてはいけないのです。自他共役の成立と捉えた方がよいかも知れません。

例えば、第2、3象限でも起きる場合もあるのです。

それは、裁判官が容疑者を犯人と認めなない場合です。

裁判官は容疑者を認めないのですから自他反共振です。つまり、(裁判官)*-他(容疑者)⇒-1(無罪人)です。従って、容疑者から無罪人となるのですが、このような裁判は非日常的な裁判です。

ただ、象限というのは正確な表現ではないでしょう。何故なら、それは見えないであり、実軸になったときこそが、見る場所であり、+1(犯罪者)-1(無罪人)となって観察されるのです。

つまり、⇒犯人は裁判中ないし、終わった瞬間までを言い、判決された瞬間、監獄に収監される事態となって、初めて+1犯罪者となるわけです。ですから、第1象限には存在しないのです。

更に、犯罪者でもいろいろいるでしょう。
例えば、同情される犯人です。この場合は、自(裁判官)*他(容疑者)⇒+1(同情される犯人)ですが、裁判官は容疑者を同情される犯人と認めたのですから自他共振したのです。これは心情=無我優位ということなので、第4象限に配置するべきでしょう。

第8の原理:確定後は実軸に配置する。
第9の原理:確定後は心的関係で次のように区別する。

1)+1の場合(自他共振)
⇒+1:心的関係が持続している
⇒+1(凸):心的関係が持続しているが、自が強い肯定状態(例えば、自によって特定された犯人)
⇒+1(凹):心的関係が持続しているが、他が強い肯定状態(例えば、同情された犯人)

+1:心的関係が切断、自肯定・他肯定の共振状態(例えば、収監された犯罪者)
+1(凸):心的関係が切断、自己肯定(法律が正しい)が強かった共振状態(例えば、収監された凶悪犯罪者)
+1(凹):心的関係が切断、他肯定が強かった共振状態(例えば、同情された犯罪者)

2)-1の場合(自他反共振)

普通の状況では犯罪者であるが、状況が変われば犯罪者でなくなる場合で、法律は、強く新しい状況を認め自肯定、被告者としての他が否定されるケースです。

これは第4象限の同情されるケースとは根本的に違います。

⇒-1:心的関係が持続している(普通の無罪判決)
⇒-1(凸):心的関係が持続しているが、自が強い肯定状態(例えば、戦争責任から解放された政治的な無罪人など)
⇒-1(凹):心的関係が持続しているが、他が強い否定状態(例えば、同情された無犯人、限りなく黒に近い無罪人など)

-1:心的関係が切断した普通の無罪人
-1(凸):心的関係が切断した無罪人
-1(凹):心的関係が切断した同情された無罪人、限りなく黒に近い無罪人

次は見えない場合の主観的な原理です。

第10の原理:すべての人間は自己の位置を不確定(確率)的にさえ表示することはできない。

これは内観的、主観的な他人からは見えない事態です。つまり、本人にとっては現在進行形、ing状態、自己を観察できない状態であり、従って、自らを客観視することはできないので、自己の位置を確定的に表示できないのです。

何かに熱中、ないし、恐怖に慄いているときなどです。

ing状態とは、自他⇒a<+1であるから無言です。自-他⇒a<-1のing状態です。

第11の原理:特別な人間、ないし、特別な状態にあるときも、自己の位置を不確定(確率)的にさえ表示することができない。

予感や不安、期待感がそうです。言葉にはならないが、つぶやくことがあります。夢でもそうです。こうした事態は、時間が未来から来ている右回転の状態です。即ち、凹の力が影響しています。

特別な人間、ないし、特別な状態とは、右回転の状態の凹の力が強い場合であり、オイラーの式のe^-iθ=cosθ-isinθの働きです。

自他⇒a<+1を、e^iθ*e^-iθ⇒とおくとe^-iθ強いのです。e^-iθが強いとは、自分の中の他が強いということです。自分の中の他とは無意識・無我です。

従って、無意識はe^-iθ=右回りで未来から来るのです。

無我状態で且つing状態の自他⇒a<+1では、凹の力が強いので、未来からのメッセージを受け易いのです。

ただ、このメッセージを発信してしまうと、唯の予言者となり、観察の対象になりますから、第7、8の原理で処理されることになるでしょう。

自-他⇒a<-1のing状態もあります。これについては別途とします。

長くなりましたので分割します。

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