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2008年06月30日 20時58分45秒
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シムダンスはトレジャーハンティング
図の引用先:http://www.d-b.ne.jp/exist/
シムダンスはトレジャーハンティング
<ティトムとの共振>
シムダンス(道元とティトムの螺旋的絡み)=四次元能の序が始まったのですが、道元より先にどうもティトム球理論(以下ティトムという)がリードしようとします。それは何故でしょうか。やはり道元のテキストは、時代背景が古すぎるのです。出てくるキャラクターや喩えがイメージを喚起しないのです。そこでティトムをリード役とすれば、道元のイメージが深まるのかも知れないと思い、ティトムからの引用をメインにして道元は必要に応じて挿入することにします。いずれ逆転することもあるでしょう。天文学がこれだけ急に発展したのですから、その知見を生かさない手はありません。先ずはそれを知っておくことが先決でしょう。
シムダンスはステップが予め決まった踊りではありません。ジャズのようなアドリブダンスです。これからはオデッセイ1から25までを順番に追っていきますが逸脱もあるでしょう。今回はオデッセイ1です。
以下はオデッセイ1からの引用です。
http://momloveu.com/titom-j/index.htm
fatacy氏はティトム球理論を構想しています。このシリーズは道元とティトム球理論の共生的・共振的の四次元能=シムダンスです。四次元思考が出来るようにするための能の奥義=秘すれば花=述語思考=編集工学的、臨床的のアプローチ=四次元瞑想法=四次元脳への高速転換ブースター=シムダイアグラム法があります。
シムダイアグラム法とはクラインの壷の三次元に於ける四次元思考の触媒です。当然シムダンスの生成の舞いを規定します。シムダイアグラム法=クラインの壷ですから二つの経路があります。ですから、この投稿のスタイルにも四次元が反映されます。この投稿のスタイルのどこが四次元なのかと訝る人もいるでしょうが、その答えはシムダンスをすることで分るとしておきます。この四次元能の投稿スタイルとは、二つのテキストに沿って独自の解釈を加えつつ進んでいくというものです。ティトム・オリジナルのテキストを直線的にだけ解説するのではありません。二つのテキストとは方や直線的、方や螺旋です。二重螺旋です。シムパラダイムの妥当性を強化するためにティトムを引用するのでもありません。ですから読者には注意してほしいことがあります。このシムダンスはティトムを紹介することを目的としてはいないのです。あくまでも生成を狙っているのです。ですから単純な引用はしないつもりです。f氏のテキストに沿って展開はしていきますが、そっくりそのままではありません。四次元能の独自の考え方に基づいて編集をしていきます。従って、fatacy氏の考え方と齟齬が生じたらその責任は当方にあります。
又、ティトムのオリジナルテキストを引用している場合も、それを引用しているテキストに対して「 」をつけることなどをしていません。ときどきは「fatacy氏はこういっている」と引用を明確にしている時もありますが、それなしで、そのまま引用している場合もあります。ですので、ことわりをしておきたいと思います。副題として<ティトムとの共振>とした場合は、テキスト全体がティトムからの引用と編集です。従って、間に挿入されるテキストが生成門のもなかどうかを区別していません。あたかも生成門が語っているように述べている場合もあります。しかし、それはティトムからの引用です。ですからティトムを正確に知りたい人は、fatacy氏のHPを参考にして欲しいと思います。
この四次元能では、生成門のテキストが何を言わんとしているのかという問いを発することを禁止しています。それは石油文明が辿ってしまった自我同一化と同じ轍を踏むことになるからです。オリジナルを尊重することは著作権の問題からして当然です。ですから、このテキストはティトムの引用であると宣言しています。しかし、自我同一性が四次元能の最大のターゲットでもあります。オリジナルは誰かと執着するのはパラノを意味します。大事なことは自我の解体です。あまり、オリジナルとそうでないことの区別に拘るのは自家撞着してしまいます。もし、オリジナルに関心があるならばクリックすれば済むことです。主語に拘らないというのも四次元能のシムダイアグラム(述語思考)による自己変革の修行方法なのです。主語から逸脱しましょう。これまでのように主語の中に閉じこもって袋小路に入らないようにしましょう。シムダイアグラム(逸脱)をしましょう。シムダイアグラム的読み方とは、四次元能で述べていることを主語的に解釈するのではなく、述語的仮説を立ててこちらに引き寄せるのです。述語的に解釈するのです。述語的に解釈するというのは、自分が考えていることとここに述べていることの共通項を設定して、それを探り出すのです。例えば、悟りとは四次元である。宇宙とは四次元である。よって宇宙は悟りである。このように設定すれば、道元とティトムが四次元で述語的等価となるのです。
述語的に解釈というのは四次元を理解するために極めて重要なことなのです。それが悟りを得るための近道なのです。かつての宗教家が誰一人として述語的に解釈と悟りを結び付けなかったのです。述語と悟りを結び付けたのは西田幾太郎なのです。この考えを拡大すればティトムによってシムダイアグラムを悟りの方法論として進化させることができるかもしれないのです。もちろんそれが目標であり期待です。それではシムダンスを舞ってみましょう。
fatacy氏によるとティトムは科学ではないといいます。ティトムは何故を問う宇宙の理論です。科学はなぜとは問わないのです。科学は物理現象を対象とするだけです。ですから、例えば何故人は生きるのか。何故意識は物質から生成されるのかなどという問をしないのです。生きていることを受け入れて、その仕組みを追求するのが科学なのです。
何故を問うと哲学になってしまうのですが、だからといってティトムが哲学かというとそうでもないのです。もちろん疑似科学でもありません。ましてSFではないのです。しかし、四次元を想定しているのでファンタジックではあるでしょう。SF(科学的ファンジー)とも違うFS(ファンタジック科学)というところでしょうか。ファンタジックであるからといって只の妄想ではありません。かつての現生人が洞窟で妄想したのと同じく、その妄想が洞窟を脱出する切掛けとなったのと同じように、現在の人類の苦境を救済する術になるかも知れないと思っています。期待する価値はあると思っています。
f氏は定常宇宙論者です。定常宇宙論は現在の位置付けではマイナーです。現在はビッグバン宇宙論が優位です。しかし、ハッブル望遠鏡の伝えてくれる映像を見るとビッグバン宇宙論では説明が出来ないことが沢山あります。どちらが整合的なのか、まだ、決着はついていないのです。何しろ宇宙の全貌を見た人は誰もいないのですから、正当といわれる宇宙論でさえファンタジックになるのはやむを得ません。
定常宇宙論によると宇宙は閉じており、その中で、正と負のバランスを維持して生成消滅が繰返されているとするもので、不生不滅、即非的対称性があります。色即是空・空即是色、生々流転の仏教と相性がよさそうです。当然、科学では宇宙に潜む法則によって意識が生成されたという考えはしていません。意識の生成は生命の進化の延長であり、遺伝子の突然変異による結果であり、脳内現象であるとされています。従って、現在の科学とティトムでは宇宙誕生の原理は異なっているということになります。f氏のHPタイトルが、「脳を作ったのは宇宙である」としているのですから、仏教=道元と似ているとしていいだろうと思います。
科学が全くお手上げの意識の生成についても四次元能は探求していきます。科学は物質が対象ですから物質ではない精神は相手に出来ないのです。物質を調査分析するのが精神であるのに、その精神を相手に出来ないのというのは何か変です。四次元能ではその精神さえも俎板に挙げていきます。
大脳は受精卵からスタートしてDNAが起点となってタンパク質をつくり、他の身体と共に脳が生成されます。その脳という場所に意識が生成されるのです。意識の生成の仕組みは科学ではまだ明らかにされていないのですが、三次元的思考に拘束されないシムダンス・四次元能としてはf氏にナビゲートされて脳の生成の現場に立ち会うことにしましょう。それでは現場検証の立会です。
タンパク質は原子でできており、その他の体の中にある鉄や、マグネシウム、カルシウムなど全ての物質は原子でできています。これらの原子は放射性を有していません。放射性が強いとDNAが破壊されるからです。
銀河にある物質は殆ど放射性を持っています。しかし、何故か地球の物質だけが(惑星物質は放射性ではない)半減期を過ぎているのです。これは謎です。
地球の中心は鉄(マントル)でできています。これも不思議です。しかし、追々と明らかにしますが、意識が生み出される決定的物質は鉄です。鉄こそが生命の基本なのです。ガイアの地球は水の惑星としてイメージしていましたが、これは大きな意識の転換です。まさに地球は鉄の球なのです。
道元には、山や川が数多く出てきますが、鉄は出てきません。これが道元の限界でしょう。太陽系の生成についての説明は下記を参考にして下さい。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/solsys/solsys01.html
何故、太陽の惑星として鉄の地球が、今の軌道に落ち着いたのでしょうか。これは非常に不思議です。安定した軌道をもつ地球がここにあるのはとても不思議なのです。逆に言えば、「何か」が「そうさせた」ということです。その何かを明らかにするのが四次元能のテーマになっていきます。それが脳を生成させた何かということなのかもしれません。何かが述語であれば、脳=地球ということになるのです。如何ですか。これはSFより面白いと思いませんか。確かに精神のトレジャーハンティングになりそうです。
地球は太陽風によって守られています。今も守ってくれているといます。この太陽風(磁力のこと)はオーロラやオゾン層を形成して何億年にも渡って生命にとって有害な宇宙線を遮蔽してくれてきたのです。それに加えて、約45億年の間に土星や木星や月が地球に衝突する放射性のある物質を吸収してくれたこともあって、地球に菌類やプランクトンで満たされた水の惑星としての環境、即ち生命場ができ上がってきたのです。
生命の誕生については以下を参照して下さい。
http://nihon.matsu.net/seimei/03.gensiseimei.html
酸素が生命にとって不可欠であることは自明ですが、この丁度よい濃度に仕上げられたというのは奇跡的です。これは生命活動の総合であるとしか言い様がありません。いくつかの奇跡的、不思議な現象が重なって針の穴よりも、ずっとずっと小さな確率で大脳が宇宙空間で生成されるには、約10億年も必要だったのです。
ティトムはオデッセイとテラ−と名付けられ、1からは25まであり、ファンタスティックな一大トレジャーハンティングストーリーです。ティトムを直接知りたい人は下記を参照して下さい。
http://momloveu.com/titom-j/index.htm
ティトムに道元のハイパーロジカル=述語的宇宙論=思想詩を組込む作業は難問架橋工事です。銀河に枠をかけ、四次元的脳の世界を生成した正体を探すのは、大変な苦しい旅となるでしょう。
しかし、それは温暖化防止のための思考の臨床実験になるでしょう。苦を厭わずに探して出かけてみよう。成就した暁には大きな喜びが待っています。人類の命を未来の繋ぐという喜びです。当然、途中の段階では、慣れない述語論理と慣れ親しんだ主語論理を調和させるという自己変革=自分能があります。想像がつかない困難を伴うことでしょう。最も困難と思われるのは因果を断つということです。因果切断を迫られたら精神に乱れを生じ、投げ出したくなるかもしれません。そのときはハッブルの映像を見て瞑想をしましょう。きっと、その心配は全く無いことに気がつくでしょう。瞑想についてはシムダイアグラムで詳しく述べます。ティトムは原子核、惑星、銀河、時間等から四次元の欠片を探しての悪戦苦闘の記録です。その後を辿るだけでも瞑想の効果があります。ここに道元の悟りへと導くためのテキストを組込むとどのような共振効果をもたらすのでしょうか。更なる瞑想の効果があると期待してください。
温暖化防止は急がなければならないのですが、意識の正体=四次元探しは急がないことです。いろいろ感じながら読み進んでいくことです。そのうちに、あっそうかという時が必ず来ます。-
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2008年06月30日 15時05分13秒
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二人のシムダンスパートナー
図の引用先:http://www.d-b.ne.jp/exist/
二人のシムダンスパートナー
シムダンスとは四次元能であり、共生・共振の生成の舞、有時(うじ)の能です。四次元能は「脳の中の能」であり、自己変革の能=自分能です。自分能とは自分固有の有時の体験なのです。自分能を媒介にして世界能のまで持っていくのが四次元能の狙いであり、温暖化防止、シムピープルの輩出、四次元経営革新などを目指しています。四次元能にはシム方程式という万能世界解釈のシナリオがあり、生成門がプロデュースしています。
四次元には必ず二つの経路があり、直行し交差し、反転し閉じているのです。そこで、ここから共生・共振の生成の序の舞として二人のシテ(シムダンスパートナー)を登場させます。方や四次元を扱っている先端の宇宙論と量子論の観点のティトムであり、もう一方は、即非的思考=仏教という東洋の英知=道元です。この二つを二重螺旋のように絡ませて、共生共振させたいとおもいます。
シムダンスパートナー1=道元
シムダンスパートナー1は東洋の英知を代表してかつ四次元も関係している仏教の系譜=道元です。禅論理(即非)は近代的自我を解体するための強力な四次元の兵器になるでしょう。
シムダンスパートナー2=ティトム
もう一方のシムダンスパートナーは、先端の宇宙論と量子論を駆使して四次元イメージを示してくれる独特の<ティトム球理論>です。
ティトムは理論の名前ですが、理論を構想したのはfatacy氏(略してf)です。f氏は自分のHP「宇宙のすべてがあなたの大脳を造りました」のブロガーです。下記を参照して下さい。今後はf氏=ティトムとして擬人化して使っていきます。
http://momloveu.com/titom-j/index.htm
f氏は定常宇宙論者という立場で、ティトム球理論を展開しています。ハッブル望遠鏡が伝えてくれる映像を基にして四次元的宇宙像を提示しているのです。
さて、これより道元とティトムの共演の始まりです。先ずは道元から入って行きます。
道元のテキストは正直言って難解です。ですから、ナビゲーターの岩田慶治氏にも登場してもらいましょう。彼の著書「道元の見た宇宙」を理解して、なんとか悟りのイメージを掴み、あわよくば四次元へ、の扉を開けられたら幸いです。まず道元の著書「正法眼蔵」を読むということから始めます。正法眼蔵は思想詩ともいわれ難解中の難物です。しかし、これを四次元的世界の表現であると仮説すれば、理解でできるかも知れないでしょう。四次元的世界の表現とは右脳優位の述語論理です。当然、三段論法的ではありません。ですから、時間空間についての常識は通じないのです。この当時は天文学も、素粒子論もなかった時代ですから、道元の見た宇宙といっても、そのメタファーは地球的規模のものでしかありません。だからどうしても読む側が自分の狭い領域で関係づけてしまい、形式論理、主語論理で読んでしまうのです。ですからますます分けが分からなくなるのです。
禅では生死について悟ることが人生最大の課題としています。生死一如=(生=死)ですから四次元のクラインの壷の喩えが効くのです。クラインの壷は表と裏が反転して境がありません。ですから、生死一如なのです。それを禅問答に置換したり、「薪が燃えても灰にならない」という喩えを使って説明するのですが、どうも理解が出来ません。何か物足りない気がします。もっと良い言い方がないのでしょうか。例えば、生きている時は生の時であり、死は生の裏に隠れている。細胞は生と共に死んでいる。つまり新陳代謝がある。人類も栄枯盛衰を繰返してきた。だから、生の後に死はこない。と言ったところで、どこが四次元なのか理解できないでしょう。
それよりは人は死ぬことが宿命であるが、当人は死を体験出来ない。死につつ有る時も生である。死んではいない。体験できるのは生のみであり、死ではない。体験できるのは死ぬかも知れないという死に対する恐れである。心配である。要するに苦とは死の予想である。これが道元の言いたいことなのでしょうか。だから、「生の死とはいわない」し、「春の夏とはいわない」のでしょうか。これを一時の位、有時といいます。
これらは死に対する苦から解放されるための方便です。死の予想をしないということです。予想とは因果です。三段論法です。時間が直線的に進むことを前提にした常識的な推理です。この推理はどこも間違っていません。しかし、これが苦をもたらすのです。ですから因果を断ち切れというのです。そのために瞑想をするのです。
時間の習俗となっている凡人に因果を断てといっても、それが常識なのですから捨てられないのです。再三いうように、道元は口を酸っぱくして「捨てろ」というのです。悟りを得たいのなら捨てなければならないのです。しかし、この程度のことならば道元でなくても現代人は誰でも言います。スポーツの世界でも、結果を恐れるなといいます。結果を考えてしまうと力を発揮出来なくなるからです。ですから原因と結果を結びつけない、因果を断てというのです。
この程度のことならば何も道元を持ってくることはないでしょう。まして、捨てるといっても捨てたままでは生きていけないでしょう。捨てたままでは俗世間では生活出来なくなってしまい、廃人になってしまいます。それじゃ困るのです。
道元のテキストもすべて形式論理、主語論理を捨てているかというそうではないのです。要するに混在しているのです。ですから尚更、こんがらかってしまうのです。道元の言わんとすることは、もっと奥が深いのでしょう。悟りには段階があるのでしょう。そう期待していきましょう。それが期待外れに終わったとしても臨床だからやりなおせるでしょう。道元がいまの時代に生きていてハッブル望遠鏡や宇宙探査船が伝える映像を見たら、もっと分かりやすいイメージで迫力のある悟りの内容を伝えてくれたかも知れないと思うのです。
確かにハッブル望遠鏡が伝えてくれる素晴らしい映像には、その見えない裏側には四次元的世界があると思わせるものがあります。見えないものの裏には、何かが隠されていると思いたくなります。見えないものを見ようとしたのは仏教の独断場です。それは無意識の発見に端的に現れていると思います。独断場とは言いすぎでした。プラトンもそうでした。
釈迦にせよプラトンにせよ、残念ながら、当時はまだ宇宙のイメージは太陽を中心とした程度のものだったでしょうから、クエーサーのようなジェットを吹き出す様子など想像もつかなかったでしょう。それでも、さすがに先人の仏達には想像力のある人がいたようです。曼陀羅のような入れ子の構造の世界を想像したのですから大変なものです。これは現在の宇宙像に相似しているのです。しかし、如何に想像力が逞しかったとしても、限られた情報で想像しようとすると虚構に虚構を重ねることになり、無理をするとオカルト的にならざるを得なくなるという限界やリスクもあったのでしょう。従って、仏教界の想像はそこでとどまっているのは、その証拠だと思います。道元は自力で宇宙観を拡大したのですが、それも言葉の限界でとどまってしまった感があります。やはり瞑想には四次元のイメージが必要なのです。四次元のイメージで重要なのは『クラインの壷』です。これから度々出てくるでしょう。このクラインの壷を使えば、道元の「春は夏にならない」という意味が簡単に分ります。春は夏になるのは主語論理=因果です。春が過ぎれば夏になると言う時間の経過があります。三次元の世界では春と夏は同時には存在できません。春と春、夏は夏なのです。これが自己同一性です。一方、春は夏にならないというのは四次元世界のことです。四次元世界では裏と表が繋がっています。裏は表なのです。春は夏なのです。春=夏なのですから、「春は夏にならない」のです。これは三次元の経過する時間とは違うのです。有る時=有時です。つまり、表と裏は共に固有の有時という時間回廊で繋がっているのです。共に在る有時=春の固有の時間=夏の固有の時間なのです。共に在る有時=時間が述語なのです。述語の共通性をもって同一視するのです。これが述語論理です。春と夏は共に存在するのですから、春=夏であり、「春は夏にならない」のです。クラインの壷は直線ではないのです。確かに直線部分はありますが、その周りを回転する渦で巻かれています。木に絡みつく蔓です。木と蔓が交差しながら反転するダンスをしているのです。
シムダンスはクラインの壷のような二つの経路を持つ四次元ダンスなのです。ですからシムダンスは道元の宇宙を縦糸としてティトム球理論を横糸として、織り込んでみるのです。縦糸と横糸は平面ではありません。遺伝子のように二つの糸を螺旋的に絡みあうのです。
シムダンスは脳の中の能=序破急成就の四次元能です。脳の中の能とは脳を宇宙と見立てる脳大転換工事であり、四次元を捜し求めて精神の旅をするトレジャーハンティングでもあります。能であれば序破急成就=脳大転換工事成功するための「秘すれば花」、つまり、成功の奥義=風姿花伝がなければならないでしょう。この成功の奥義=風姿花伝が「シムダイアグラム」なのです。シムダイアグラムとは瞑想のことです。瞑想といっても所謂単なるヨーガ的瞑想ではありません。四次元瞑想です。四次元ですから二つの瞑想が絡みます。それは道元禅の瞑想とインターネット禅の瞑想です。詳しくはいずれ明らかにします。
シムダンスは、道元とティトムの二つのテキストに沿って、独自の解釈を加えつつ、二つの瞑想を織り交ぜながら進んでいきます。クラインの壷ですので、一つのテキストだけの解釈をしないのです。その中でもシムダイアグラムは、四次元脳への転換成功の奥義=風姿花伝であり、四次元能を成功させるための生成瞑想の手法です。シムダイアグラムは、述語的思考の瞑想のツールであり、揺らぎによる自己生成でもあります。想像的創造=瞑想です。自我を解体するために瞑想が応用されるのです。
四次元脳の転換するシムダイアグラムを最大に利用していきますので、読み手は注意しなければなりません。この四次元能はティトム球理論を紹介することを目的としてはいないのです。あくまでも生成です。単純な引用ではないのです。ティトムのテキストに沿って展開はしていますが、そっくりそのままではありません。当方の独自の考え方に基づいて編集をしているのです。従って、ティトムの考え方と齟齬が生じたらその責任は当方にあります。又、ティトムのオリジナルテキストを引用している場合も、それを引用しているテキストに対して「 」をつけることなどをしていません。ときどきは「ティトムではこういっている」と引用を明確にしている時もありますが、それなしでそのまま引用している場合もあります。ですから、シムダンス風の語りとティトムないしfatacy氏の文脈が混同しているので、読者は主語がどっちか分からなくなってしまうでしょう。主語のない文章であるといってもいいでしょう。主語がないということは自己の同一がないということでもあります。つまり、このブログを投稿するということその行為がシムダイアグラムなのです。自我の解体という臨床的なのです。そういうことなので、ことわりをしておきます。副題として「ティトム球理論との共振シリーズ」としたテキスト全体は氏からの引用と編集です。従って、間に挿入される生成門の解釈を区別していません。もし、ティトム球理論を正確に知りたい人は、fatacy氏のHPを参考にして下さい。
このシムダンスでは生成門が何を言わんとしているのかという問いを発することを無意味にしているのです。主語を問うことは石油文明が辿ってしまった自我同一化の傾向と同じ轍を踏むことになるのです。シムダイアグラムをすることです。シムダイアグラム的読み方とは、ここで述べていることを主語的に解釈するのではなく、仮説を立ててこちらに引き寄せるのです。述語的に解釈するのです。述語的に解釈するというのは、自分が考えていることとここに述べていることの共通項を設定して、それを探り出すのです。例えば、悟りとは四次元である。宇宙とは四次元である。よって宇宙は悟りである。このように設定すれば、道元とティトム球理論が四次元で述語的等価となるのです。これにより四次元が理解できれば、悟りが得られるかもしれないし、ティトム球理論によってシムダイアグラムの方法論を進化させることができるかもしれないのです。それが目標であり、期待です。
次からは精神の宝探しのつもりで、オデッセイ1から25までを地図として、ヒントとして、順番に追掛けていきます。
それでは宇宙精神のトレジャーハンティングの冒険、シムダンスの舞い始まり四次元能の実質的開演です。-
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2008年06月30日 11時21分08秒
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シムダンスは共生共振の四次元能
図の引用先:http://www.d-b.ne.jp/exist/
シムダンスは共生共振の四次元能
シムダンス「四次元能」は、いろいろの側面を持っています。有る時は、温暖化防止の実践であり、有る時は、シムピープルの育成であり、玄生人の輩出であり、
有る時は、経営革新の薦めであり、有る時は、宇宙精神の探求であり、有る時は、道元の宇宙へのアクセスであり、有る時は、現実問題へのアポローチであったりします。一見無関係に見えるものが同じ土俵の上で、否、同じ能舞台の上で、様々なシテが登場してドラマを繰り広げるのです。それを可能にするのが、四次元的万能脚本=シム方程式という世界解釈の秘伝です。有る時とは、道元のいう四次元時空の「有時」のことです。道元では時間が述語なのです。全てが時間ですから、能は時間ということになり、様々なドラマが複数同時に展開しても、それぞれが共生し共振するので妨げあわないのです。個別のドラマが(A=B=C,,,=Z)=時間という共通の述語により、呉越同舟するのです。太郎と花子は
時間ですから、太郎=花子となるのです。このような思考は、常識では通用しませんが四次元では常識(即非的思考)なのです。
シムダンスが共生共振の四次元能であるので、四次元と共生共振がキーワードです。簡単に四次元=即非的思考と言いますが、それを見せろといわれるととても難しいのです。ですから四次元を簡単に扱うとなんでもありの、SFや神秘主義や精神系のようなことになってしまいます。シムダンスでは、なんとしてもそれだけは避けたいと思っています。温暖化=気候変動=人類絶滅のシナリオを避けるために実の無い実践はしたくないからです。
そこで四次元を扱っている先端の宇宙論と量子論の観点と即非的思考=仏教という東洋の英知を二重螺旋のように絡ませて、共生共振させることを思いつきました。その片方が東洋の英知を代表してかつ四次元も関係している仏教です。しかし、大概の仏教の解説には四次元という視点がないのです。四次元という視点をびしばしと感じるのは「禅」です。禅問答は述語思考の宝庫だと思います。そして「有る時=有時」と表した道元が最も適材だと思うのです。道元とシムダンスするということはその系譜の繋がる釈迦から始まって、沢山のパラノ人=シムピープルと繋がっていると言うことです。その中で西田幾太郎はユニークであり共生共振するでしょう。西田幾太郎は禅論理(即非)を哲学(絶対矛盾的自己同一性)にしたパラノ人であり、近代的自我を解体して玄生人のなった人です。私達も彼に続かなければならないと思います。
又、ロシア生まれのウスペンスキーは神秘主義者ですが大変参考になります。神秘主義といっても、頭から否定するのは西洋的思考の餌食になってしまいます。
以下、ウスペンスキーの世界から編集的引用。
http://homepage1.nifty.com/pdo/THELEGACYOFPDOUSPENSKY.htm
思考の働きを制限するすべてのものは避けなければならない。精神が進化するためには、真の英知に向かって最大限の可能性を追求する姿勢と実践にあり、いかなる既存の常識・知識に安住しないことである。人生の価値は永遠の探求の中にあり、ただ求めることによってのみ、新たな現実を見出すことができる。
更に、ウスペンスキーは宇宙論も構想しており、現代物理学の基盤そのものに挑戦している。<無限の問題>から生じる奇妙な予期せぬ結果を説明するための複雑でぎこちない適応策だとみなしていた。いかなる構造であれ過度の複雑さは常に何かが除外されたり間違って受け取られたりした結果である。科学者は宇宙を数学的に理解できるものにしようとして間違った道に入ってしまった。
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このようなわけで心強い味方を得たので、真の英知に向かって最大限の可能性を追求する姿勢と実践をするシムダンスを進めます。
もう一方のシムダンスパートナーは、先端の宇宙論と量子論を駆使して四次元イメージを示してくれた独特<ティトム球理論>です。
宇宙論と量子論というと難しすぎて手に余るのですが、数式を用いずに映像や幾何学模様などでイメージを湧かせてくれています。四次元のイメージを作り出したのはfatacy氏です。fatacy氏を紹介しましょう。fatacy氏は自分のHP「宇宙のすべてがあなたの大脳を造りました」のブロガーです。下記を参照して下さい。
http://momloveu.com/titom-j/index.htm
fatacy氏は定常宇宙論者という立場で、ティトム球理論を展開しています。ハッブル望遠鏡が伝えてくれる映像を基にして四次元的宇宙像を提示しているのです。この理論は道元の宇宙を拡大してくれる可能性があると思えるのです。
宇宙は膨張しているのか、それとも閉じているかで宇宙論は大きく二つに分かれます。膨張しているというのがビッグバン宇宙論で現在では主流の考え方です。閉じているとする定常宇宙論は異端と言うことになります。どっちが正かは分りません。ビッグバン宇宙論ではダークマターという正体不明の暗黒物質が出てきます。しかも、これが宇宙の96%を占めているというのです。と言うことは残りの4%でビッグバン宇宙論が仮説されていると言うことです。群盲が像を撫でるといいますが、正にそれなのです。私達の日常でも4%の事実で事を判断するのは余りにも危険すぎます。
企業なら直ぐに倒産してしまうでしょう。定常宇宙論も同様です。現在の宇宙論というのは結構危ないのです。科学の限界が現れていると思います。この限界を突破するには、科学的ではなく、しかし、科学的知識と宗教的、哲学的、その他の英知を全て利用する編集的・臨床的にアプローチするしかありません。それがシム方程式のいう世界は解釈であるという意味です。
ですから、ティトム球理論は科学ではありません。科学というのは仮説があって検証可能なことだけを対象にします。なぜそこにあるのかとかいう存在理由や意味を問うことは無いのです。しかし、私達はどこから来て、どこの行くのかを知りたいのです。温暖化は人間の犯した愚かな行為に結果であり因果応報です。科学が教えてくれるのは、温暖化と人間の犯した愚かな行為(CO2の排出)の因果関係だけです。何故人間は愚かな行為をするのか。その理由を知りたいのです。ですから、そのように存在理由や意味を問うてしまったらもう科学的であるということはできません。それを科学に酔って裏を取るようなことをしたら、疑似科学と呼ばれてしまいます。もっと論理が飛んでしまうと、神秘主義、SF、オカルト、精神系のジャンルに区分されるでしょう。ティトム球理論とシムダンスする四次元能は、当然、科学でないのですが、ティトム球理論をバックにして存在理由や意味を問うています。ですが、疑似科学でもなく、神秘主義、SF、オカルト、精神系のジャンルでもないと思っています。しかも、道元という禅との共振共生を狙っています。グレーゾーンにいると言えましょう。
一生懸命自己弁明をしているのですが、
自己弁明とは自我同一の精神であり、パラノ的です。温暖化の原因はパラノ思考にあります。シムダンスはパラノ思考=自我の解体を目指しているのです。端からミイラ取りがミイラのなるようでは先が思いやられます。この自己弁明=パラノは見苦しいので、この辺でやめます。
精神を進化させるためには、真の英知に向かって最大限の可能性を追求する姿勢と実践にあり、いかなる既存の常識・知識に安住しないことである。というウスペンスキーの言葉を思い出して前に進みましょう。
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2008年06月29日 22時39分06秒
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悟りは宇宙的精神
悟りは宇宙的精神
生成門は生成の舞い、シムダンス「四次元能」を演出していきます。シムダンスとは宇宙からのメッセージに共振して、心身を調教することであり、そのためには蝶のように舞うことです。シムダンスをよく舞うためには、宇宙の法則(宇宙精神)、生成の原理(揺らぎによる生成)、シムパラダイム(即非的四次元の世界観)を受け入れなければならないでしょう。
シムダンスとは「脳の中の能」=四次元能ですから、世阿弥が考えた「序破急成就」を実現するために「秘すれば花」とした奥義「風姿花伝」=ノウハウが必要でしょう。シムパラダイムを実践展開するにはガイドやノウハウが必要だということです。そのガイドやノウハウを支えるのがシム方程式(即非的思考を実践するための思考=世界解釈)です。
シム方程式を応用すれば悟り(四次元脳へ転換すること)を得て現実の様々な問題を解決できるのです。現実の最大の問題は温暖化問題です。これにまさる問題はないでしょう。この問題を解決するには結局のところ個々の人の解釈の問題に帰結するのです。解釈とは三次元解釈と四次元解釈があります。文明を発達させたのは自我意識=三次元解釈です。これを解体し再生させなければ人類は破滅するのです。自我を解体し再生するための四次元世界解釈がシム方程式ならば、その「秘すれば花」=奥義「風姿花伝」=ノウハウがシムダイアグラムです。シムダイアグラムは四次元脳への変革実現するためのブースター(即時転換媒体)です。これを開発し普及させることがシムダンスのミッションです。
シムダンス「四次元能」では悟りを獲得した人をシムピープル(悟りを獲得した人=仏)といい、温暖化防止の仕組み人として排出することを狙っています。
ただし、四次元能を演ずるにあって注意があります。温暖化問題は時限付きであるということです。しかも、その時限が目前に迫っています。今すぐに、石油文明(化石燃料を含む)と決別しなければならないのです。そのためにはCO2削減のテクノロジーも必要です。しかし、それ以上に心の問題を解決しなければならないことは既に述べた通りです。エゴで凝り固まった国益中心主義を捨てなければならないのです。このような大問題をゼロから始めていては間に合わないでしょう。そこで東洋の智恵の出番です。東洋には昔から「足るを知る」「自然と共生する」といった右脳的文化があります。特に仏教では意識の改革、無我になることを説いてきました。道元は悟りを四次元的に捉えていました。シムパラダイムでいうところの悟りとは四次元的思考の獲得のことであると考えます。何故悟り=四次元かは追々と明らかにします。三次元とは俗世間的常識のことであり、四次元とは本来の人間としてのあり方であり、本来成仏のことです。人間はもともと四次元人間だったのですが左脳が優位となり次元降下したのですから、右脳を優位にさせバランスを取り戻し、次元昇華しなければならないのです。
ですからシムパラダイムでは、オカルティックな四次元や高次元という精神世界を設定しません。有りもしない世界を想定し、それに拘泥して、盲目的なビジョンを目指す等という愚かしいアプローチは採らないのです。あくまでも三次元を基盤にした四次元であり、本来の姿を取り戻すことを目指すのです。
道元禅では、その方法として座禅による瞑想が只一つの方法であるとしましたが、四次元能ではインターネット禅による瞑想の支援ツール、シムダイアグラムを用意します。シムダイアグラムの詳細については、四次元のイメージが固まった後に説明します。
さて、三次元を基盤とする四次元とはどういうものでしょうか。三次元とは馴染みのある世界です。縦・横・高の三つの軸で空間が成立っているという所謂常識で理解できる空間の概念です。これに時間が加わり、日常の世界はできています。空間と時間は別の軸であり、空間は時間軸に沿って変化します。日の出から日没の変化が一日であり、その中で生活しています。これが生活空間です。時間は時計で測れるように未来にしか進みません。過去は記憶であり現在に属するでしょう。
道元は、このような三次元の世界を否定しなければ悟りは得られないといいます。そんなことができるのでしょうか。空間は三次元であり、時間は一つの軸ですから次元の数からだけ言えば、四次元です。だから人間は四次元に住んでいると言えなくもないのです。しかし、時間と空間が別軸であるというのが問題です。時間と空間は一体でなければならないのです。もともとは一体だったのです。いつのころからか別離したのです。それには青天の霹靂の出来事が隠されているのです。しかし、それに触れるのは止めておきます。今は農業を営んだ時からであるとしておきます。
いずれにしても私達は三次元+時間=疑似四次元世界に住んでいるのです。私達の生活空間では時間は特別扱いです。生活のリズムとは言いますが生活時間とは言いません。空間が主体であり時間は物指しです。ですから人間は三次元的生物なのです。リズムを時間と考えれば時間と空間を融合させることができそうです。音楽を聴きダンスをしているときは四次元世界に浸っているといいかも知れません。これが悟りへのヒントです。
本来時間は空間によって生成される属性です。そのよい例が体内時計(リズム)です。身体とともに時間が刻まれているのです。これを見ても時間(リズム)と空間は一体なのです。空間が三次元ならばそれに付属する時間にも一次元時間、二次元時間、三次元時間があるのでしょう。尺取り虫は一次元的生物のようです。一次元生物は、本当はいないのですが、居ると想像してみましょう。
尺取り虫は直線的に進むしか方法がないとします。石に行く手を塞がれたら横に行くでしょう。しかし、本人にとってはそれが直線です。そういう時間は一次元時間です。これが三次元時間になると、それぞれ進み方が違ってくるでしょうから、歪んだ空間ができることになります。実際宇宙は歪曲しているといいます。しかし、大概の星は丸い形をしています。三つの時間は三方に対して等しいのではないでしょうか。ここでは一応等方だということにしておきます。
三つの時間があるとするならば、私達の世界は六次元の世界ということになります。又、宇宙は10次元であるという考え方もあります。下記の「有機的宇宙論」参照して下さい。
http://blog.goo.ne.jp/utyuron/d/20080120
いずれにしても、それは考え方であり、何を軸(要素)として論ずるのかという視点の違いが次元の違いとなっているのです。そのような考え方でより高度の議論が展開できるのであれば、それに越したことはないでしょう。
シムダンスの目標は、悟りの獲得、精神の変革、自我の解体、温暖化防止であるのですから、徒に次元を高度化しても実行が伴わなければ意味がないのです。高次元といったところで、イメージさえ提示できないようでは理解もできないだろうと思います。
スピリット系では高次元という言葉が頻繁に使われているようですが、その実体は不明なままです。言葉だけが踊っていると思います。シムダンス「四次元能」では三次元空間と時間によって立つ生活空間は疑似四次元時間空間として扱います。本来の四次元とは空間と時間が一体となっている真正四次元(時空)を指すものとしていきたいと思います。時空の哲学ではどうなっているのでしょうか。一応概観しておきます。下記の時空の哲学を参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E7%A9%BA%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6"
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
以下編集的引用です。
これによると時間や空間は物と関係ない/ある説があり、「ある」とするのが主流です。つまり、時空は歪むのです。光速を超えて移動することで逆向き因果の可能性も示唆されているのです。
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さて、宗教家で時間と空間を考察したのは道元です。ところが道元のテキストを読んでも、チンプンカンプンなので困ってしまいます。「春の次に夏にはならない」というのですが、何のことが分からないのが当り前でしょう。ただ、道元は徹底して三次元的時間と空間の概念を破壊しようとしたのは間違いないようです。
例えば、正法眼蔵・現成公案の一節にその典型があります。意訳ですが示しておきます。
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薪が燃えると灰となる。そして元の薪にはもどらない。だからといって、薪が燃えたら灰となるという考え方は捨てるべきである。確かにそれは事実であるが、この事実を否定しなければならない。薪の時は薪そのものであり、時間的因果で灰と結び付けてはならない。灰が薪に戻らないように、人は死後、生き返ることはない。「生きているものは死なない」というのが仏法の教えである。
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ここで仏法の教えとして大事なことは次の点です。三次元的出来事(燃える)と時間の因果関係は疑いのない事実です。しかし、悟りを得るにはそれを否定しなければならないということです。
つまり、薪として有る時は薪そのものであり、それ以外の何ものでもないのです。「燃えたら灰になる」というのは三次元思考によって生み出されたものです。これが常識であり苦の元凶となっているというわけです。要するに、三段論法で因果を作るのをやめなさいといっているのです。禅の究極の目的は、悟りであり、生死を諦めることです。そこから生てきいる時は、「今ここで」、生きていることに一生懸命になりなさいということを言おうとしているのでしょう。
四次元との関係で大事なことは「今ここで」ということです。「今」というこの瞬間と「ここ」という場所が時空を意味しているのです。
「今ここで」を延長して考えると、生きている時は死んではいない。死んだらどうしようか等と心配するのは愚の骨頂だということになります。これが悟りへの突破口なのです。
三次元的時間と空間の概念を破壊するとは三段論法的に因果を関係付ける思考をしないということであり、左脳で考えないということです。これが自我の解体になるということです。
このように考えていくと、三次元的時間と空間の概念を破壊するために三段論法をしないという非因果的思考をどうすれば身につけることができるのかということになってきます。これがなかなか難問なのですが理屈はそういうことです。因果を捨てたら世俗では生きていけないでしょう。因果が苦の元凶だとすると「分っちゃいるけどやめられない」ということになりそうです。
ですから、道元は世間との関係を立ち、柵を捨てて座禅をしなさいといったのです。しかし、いくら道元のテキストを読んでも、どうも悟りのイメージが湧かないのです。それではシムピープルにはなれそうもないようです。それでは四次元能のプロデューサー・生成門としては困ってしまいます。ではどうするかです。その答えは四次元思考=述語思考にあります。道元の「燃えても灰にならない」は四次元時空です。これを説明するにはクラインの壷という四次元のシンボルを持ち出さないといけないのですが、今は簡単に説明しておきます。
四次元のイメージ「クラインの壷」のついては下記を参照して下さい。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068779165
クラインの壷の図は下記から引用しました。
http://static.wikipedia.org/new/wikipedia/en/articles/k/l/e/Klein_bottle.html
クラインの壷は差異(A,B=即非)が共生するのです。つまり反転して繋がる(A=B)のです。「薪(A)は燃えて灰(B)になる」というのは、「物質はエネルギーになる」という三次元時間の因果律を前提にしています。ですから、同時刻の於いてはA=A、B=B、A≠Bです。一方「薪を燃やしても灰にならない」は「物質はエネルギーにならない」と四次元時間で表現しているのです。道元は四次元時間で言っているのです。四次元時間というのはどういうことでしょうか。それは時間=物質、時間=エネルギーだということです。時間を述語に位置づければ、物質がエネルギーになるのではなく、物質=エネルギーだということなのです。薪は時間であり、灰は時間なのです。このような解釈から道元の薪=灰=「有る時」=有時(うじ)を理解できるのです。道元は全てを有時=物質=エネルギーとするのです。主語論理(因果)では物質はエネルギーになりますが、述語論理では物質はエネルギーなのです。このように四次元的思考(三次元を含む)をすれば、物質、空間、精神の関係も突き詰めることができるでしょう。空間も精神も時間なのでしょうか。
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from: 生成門さん
2008年06月29日 12時55分39秒
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衝突は四次元では華麗なダンス
衝突は四次元では華麗なダンス
グローバリズムの浸透は破竹の勢いで続いています。そのエネルギーは三次元に限定する左脳の言語中心、還元主義、因果律、形式論理、主語論理、パラノ思考、二元対立思考、西洋文明、西洋の英知、近代的自我による自己同一性、一神教的物質的世界観、効率優先、資本市場主義です。この三次元の限定された近代的自我は成長の限界を認識出来ません。三次元思考は直線的思考ですから無限が大好きなのです。直線は端と端は繋がっていません。ただ無限に広がるだけです。数学的には無限は意味がありますが、現実の無限は受け入れられません。直線は端と端は繋げば円になります。円には無限はありません。こうして無限は回収されるのです。三次元から四次元への転換はこうした幾何学的発想が必要になります。別の言い方をすれば直線は自我(A=A)であり、円は無我=即非(A=A、A=非A)です。非Aは自己否定=他です。つまり、環境(非A)と自分(A=A)とを述語的に同一化(自=他)することです。ここで円は無限を回収できましたがまだ三次元です。本当に無限を回収するには一捻りが必要です。それがメビウスの輪です。それでもまだ三次元です。真正の四次元にするためにはクラインの壷でなければなりません。
メビウスの輪です。
HH天体にクラインの壷を重ねた図です。クラインの壷はこのように隠れているのです。
http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page735.htm
から引用しました。
三次元では永遠に自我同一(A=A)であり、環境に溶け込むことができないのです。だから、環境を科学の力で押さえ込むしかないのです。西洋の英知では自己=環境=無意識を認識出来ないのです。このような自我(近代的自我)を生き続けさせているのは石油です。石油というのはあくまで比喩であり、厳密な言い方ではありませんが、この自我は石油に代表される地下資源に依存する文明を作り上げたのです。環境を支配したのです。そして自我を拡大したのです。自我とは冒頭に羅列した諸々の言い方が可能ですが、経済と言う視点で言えば資本主義的精神です。この資本主義は自我の拡大を担うのです。自我の拡大は石油が枯渇するまで続くでしょう。
二元対立思考による頑固な自我をむき出しにする西洋文明は、二酸化炭素(温暖化ガス)を排出し続ける経済優先のグローバリズムを地球規模にまで拡大しました。その結果、温暖化が進み異常な気候変動となってあらゆる生命に影響を与えるようになってきたのです。自らの行為が自らを否定しているにもかかわらず、つまり、温暖化のよる気候変動のランナウェー(暴走)のタイムリミットを過ぎようとしている今でもまだ自分の行為を正当化しているのです。
あらためて人類は絶滅の危機に遭遇していることを深刻な事態であると自覚しなければならなりません。これまでは西洋の英知を人類の英知といってきたのですが、これだけ猛威を奮っているのですから、もはや人類の英知とは呼べないでしょう。これからは西洋の毒知と呼んだ方が適切かもしれません。しかし、これまでに人類に貢献してきたことは否定できない事実ですし、これからもこの英知は必要です。それを全面否定することは出来ないでしょう。
西洋の英知といっても、文字通りの「西洋」の英知ではなく換喩的表現に過ぎません。左脳優位を代表していっているにすぎません。人類は誰でも左脳を持っているのであり、左脳に依存して生きています。問題は左脳優位=自我=パラノ=三次元脳=擬似四次元脳の暴走をいかにして食止めるかと言うことなのです。自我を元々の母体である自己(無意識)の中にどう回収するかなのです。もっと言えば、左脳と右脳との折り合いをつけて人類の英知(真正四次元脳)として進化させるかなのです。右脳優位である東洋の英知と左脳優位の西洋の英知をどう共生させるかなのです。人類の絶滅を回避するには真正四次元脳を持った人=シムピープル=玄生人の輩出が求められているのです。シムピープルが持つべき精神は、差異(相対立するもの)と共振・共生できる多神教的即非的世界観(シムパラダイム=宇宙精神)しかありません。温暖化防止はクリーンエネルギーや新たな経済の仕組みへの転換と同時に、否、シムピープル=玄生人の輩出が焦眉の急なのです。その為にはシムパラダイムを新たな人類の英知として認知して、人類の英知=東洋の英知+西洋の英知の図式を如何にして生成するかなのです。
シムダンス「四次元能」はこの共生の英知を生成するための「脳の中の能」です。シムダンスとは「シム+ダンス」(Synm・Dance)であり、シムとは「共に」です。共生・共振を意味します。ですから、シムダンスとは生成(共生・共振)の舞であり四次元能なのです。四次元能は真正四次元という世界観を土台にしています。真正四次元とは、色即是空・空即是色のクラインの壷をイメージした時間優位の時空概念であり、対生成・対消滅の反転する宇宙精神をいいます。空とは何もない無ではなくカオスでありエネルギーの海です。四次元能はそのようなエネルギーの海から生成する力を引き出します。そしてその生成力によって人類を新たな人類の英知をもった玄生人に変身させるのです。生成力は、カオスの海のあるカオススポット(反転する点)から生成されます。人間の脳は宇宙精神によって生成されたものです。ですから、人間の脳にもクラインの壷=対生成・対消滅の反転する宇宙精神が内包されており、反転するカオススポットがあります。左脳優位から左脳右脳共生へ転換するには、このカオススポットに働きかけて生成力を引き出さなければなりません。四次元能とは、左脳によって汚染された脳を環境と右脳と無意識の連合体によって共振エネルギーを増幅させ自己変革を成就する脳の中の能=ドラマなのです。ですから、この四次元能がなぜ四次元なのかということをよく理解するべきなのです。それは三次元から四次元への脳の編集であり、脳の臨床的大転換手術だということです。三次元的思考では決して為し得ないクラインの壷の生成という大工事なのです。正確にはもともと人間は四次元時空体でありクラインの壷が内包されています。ただ現代人は光の陰謀によって次元低下されたのであり、クラインの壷が機能不全に陥っているのです。それを活性化させ、再生させるのが四次元能のミッションなのです。光の陰謀とは何かについては後に明らかにします。左脳の優位とも関係がありますが光=直線的性質=三次元という図式があります。現生人の時代の既に光の陰謀=光の思考=左脳優位となったドラマがあったということです。ですから、四次元能は光の陰謀を打ち砕く戦いでもあるのです。
さて、シムダンス「四次元能」とは自我の解体と再生のための生成の舞いですから生成テクノロジーがあります。生成テクノロジーとは四次元テクノロジーであり、いろいろな側面を持っています。カオステクノロジー=脳の編集テクノロジー=臨床的テクノロジー=反転テクノロジー=四次元テクノロジー=クラインの壷テクノロジー=などです。総称してシム(ダンス)テクノロジーと言うことにします。
シム(ダンス)テクノロジーとは、マクロからミクロの宇宙に存在する「生成の原理」を活用する反転生成のテクノロジーであり、カオススポットから共振(Syn/sym)エネルギーを引き出して、現実を反転して、新たな生成へ向かう精神の運動(ダンス)テクノロジーです。
シムダンスのSynmとは、Syn/symであり「共に」という意味があります。シンクロ(共振)、シンパシー(共感)、シンメトリー(対称)などに代表されるように宇宙・生命における生成のキーワードなのです。シムダンスは、マクロからミクロの宇宙に存在する「宇宙の精神=生成の法則」をシムパラダイムの世界観・宇宙観として構成し、見えない宇宙の力を利用して、カオス(空)から形(三次元)を作り出す手法です。つまり、宇宙の共振エネルギーを引き出し、実相として現れている現実(物質的世界=自我)を解体して再生するのです。再生とは物質精神共生世界=環境と経済の共生=自我の解体と共生のことです。環境と経済、自我と他人、利益と奉仕など二律背反の矛盾した状況を上手く解決する方法は非共生の二元論的、パラノ的思考では不可能です。西洋には即非的思考(差異を許容する)がないのです。矛盾は許されないのです。あってもそれは否定し、排除し、隠蔽されなければならないのです。
四次元能では温暖化防止の決め手は政治ではなく企業のマネジメント変革にあると考えています。それは資本主義経済の中心にいるのが企業であり、企業の活動はスピードが速いからです。温暖化防止は精神の革命であり、時間との戦いであり、環境と経済の戦いであるからです。その二律背反の矛盾が最も顕著に現れる現場が市場なのです。市場には生活者がいます。生活者が巻き込まれているのです。二律背反の矛盾は経営の現場を見れば、それが顕著に出てきます。経営者はコストか品質か、シェアか利益か、標準化か差別化かのどちらかを選択せよという矛盾を突き付けられるのです。日本の経営者は、戦後、アメリカに追いつき追い越せというガンバリズムで、コスト優位、シェア主義、標準化志向を選択して競争をしてきました。大量生産、大量消費の時代がしばらく続きましたが、この選択は果たして正しかったでしょうか。それを確かめる間もなく、突然バブルが崩壊して、そのコスト優位、シェア主義、標準化の価値観は揺らぎ、大量生産、大量消費の価値観も否定されはじめました。経営者は、現在はコストと品質、シェアと利益、標準化と差別化のどちらも選択せよという矛盾に立たされているのです。しかし、いまだに、その上手い解決策は見出されていないのです。建前ではコストと品質、シェアと利益、標準化と差別化といいながら、場所と時間を変えて、例えば、技術に対しては品質、利益、差別化といい、生産現場に対しては、コスト、シェア、標準化ということもあります。二枚舌を使っているのです。真の解決にはなっていないのです。論理が破綻しているのです。この二律背反の矛盾を解決するには、二元対立の三次元思考(擬似四次元)ではそもそも無理があるのです。
この矛盾した状況を、無理に対立軸を設定するのではなく、混沌からの生成という共生する四次元思考が必要なのです。日本には元々そういう混沌を混沌のまま受け入れる四次元的思考がありました。日本的とはモンゴロイドの流れから言ってもアジア的であり、自覚はないにしてもそれは四次元的思考です。それに対して、アングロサクソンの流れを汲むアメリカ的経営というのは左脳優位を求めるものであり、日本古来の曖昧さや妥協のような思考は相容れないのです。それとも知らず、市場経済に組み込まれてしまったものですからひとたまりもありません。完全に自分を見失ってしまいました。西洋様式・思考の模倣が一気呵成に始まったのです。ペルーが到来した幕末はまだ推進派と保守派の鬩ぎあいがありました。篤姫はその渦中のあったのでしょう。大河ドラマはその様子を手に取るように分り易く描いていると思います。しかし、戦後の敗戦ということもあり、日本全体が意気消沈して自信喪失してしまったので、瞬く間に日本的思考は否定され、排除され、隠蔽されたのです。その後は長いこと裏に仕舞い込まれてしまいました。
10万年前、人類の祖先である現生人は、混沌スポットから沸き出す中間多様体=右左脳共生体=四次元時空体のどろどろとした妄想を英知の源泉としてアフリカを旅立ったのでした。その子孫はやがて二手に分かれました。一方は綺麗に整理整頓された西洋的英知として開花させ、片方は未分化のまま、共生させる東洋的英知としてそれなりに開花させたのでした。そして今、世界の各地で、再び現生人は現生人としてではなく、敵対する相手として合流しているのです。
日本はその衝突の現場だったと言えるでしょう。衝突したら粉々にくだけるというのが私達の常識です。戦争なんて最悪でしょう。文明の衝突はそのようなものです。片方は酷い目に会うのです。
しかし、衝突がいつもそのようなものであるというのは三次元的なのです。宇宙でも衝突は頻繁にあります。私達の宇宙、そして私達自身はそのような衝突の結果としてあるというのが現実です。遺伝子の突然変異は衝突現象でしょう。
四次元能では衝突を四次元現象として見ることから始めます。ここにミルククラウンの図があります。ここでこの図を引用したのは、衝突したら粉々にくだけるという私達のイメージを砕くためです。確かに宇宙では衝突が多いでしょう。地上での交通事故なんて最悪です。
下の図は
http://milk.asm.ne.jp/chishiki/crown.htm
ミルククラウンから引用しました。
このミルククラウン実に美しいと思いませんか。この美しい衝突の裏には四次元が隠れているのです。このミルククラウンから隠喩的に類推してみましょう。宇宙の衝突の形に美しい代表はHH天体に見られる円盤とジェットの組み合わせです。
HH天体の図は下記からの引用です。
http://www.cosmiclight.com/imagegalleries/stars.htm
このHH天体には円盤があり、それが回転していて、周りから物質を引き寄せます。すると、突然にこの円盤の中央から垂直にジェットが噴出します。そして花火のように開き舞うのです。間欠泉のイメージです。
間欠泉のイメージは三次元ですが、HH天体は四次元です。どこが四次元なのかは、これからゆっくりと四次元能で明らかにしていきます。能は「秘すれば花」なのです。三次元の衝突は醜いかもしれませんが、四次元では華麗なダンスなのです。私達の文明の衝突も三次元ではなく四次元の衝突にすれば美しいのだと思います。四次元能はその衝突の新しい実験場=臨床の場=脳の中の能=四次元の華麗なシムダンス=生成の舞であると言えるでしょう。
そうです。今こそ、華麗なシムダンスを舞うために、奥に仕舞い込み忘れられていた混沌を混沌として受け入れる東洋的英知を脳の中の能の舞台の主役として引き出す時きたのです。温暖化防止は時限付き問題です。命を未来に繋ぐためには三次元的には時間がないのです。四次元的には時間がないわけではありません。四次元的には時間は問題ではありません。四次元的では時間を溜めたり、止めたりが可能だからです。しかし、今それを言い出してしまうとSFと誤解されるでしょう。今は四次元的時間を確保するために、三次元的に一刻も早く西洋的英知の暴走を止めるために、東洋的英知の一般化、浸透が必要であり、そのためにシムダンスによる生成の舞いを踊ることであるとしておきましょう。-
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from: 生成門さん
2008年06月26日 20時26分06秒
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螺旋と正四面体とクラインの壷
螺旋と正四面体とクラインの壷
螺旋は不思議な形をしています。この螺旋は球とも親戚です。球は宇宙の法則を表す形です。球はすべての形を超越します。球は覚え易いですから、その前に理解しなければならないのは三次元で不思議な形をつくる螺旋です。螺旋のことを良く覚えておいてください。
そこで黄金螺旋と正四面体の関係を参照して下さい。
次いで、星型正四面体と黄金螺旋も参照して下さい。
黄金螺旋の図の上に正四面体を重ねました。するとびっくりぴったりと当てはまりました。 この意味するところは大きいのです。螺旋と正四面体が一体となるところには、必ず、球、螺旋が現るということです。球があるところには球とプラトン立体が無限にあります。球は黄金螺旋が現れた瞬間に出現するのです。私達は螺旋の中で生きているのです。銀河の腕は渦巻き(螺旋)ですし、 私達の耳の中も螺旋状に渦巻いています。その螺旋を通して音を聞いているのです。宇宙にはたくさんの螺旋が存在します。すべての現実は螺旋を通して展開されているといってもいいでしょう。ただ、このような現実は三次元の世界のことです。球もただ丸いだけでは三次元です。球が意味を持つのは四次元です。四次元では球はただの球ではありません。反転がある球です。そのような球はクラインの壷しかありません。クラインの壷は四次元なのです。この壷のついては、これから頻繁に出てきますので覚えておきましょう。
四次元のイメージ「クラインの壷」のついては下記を参照して下さい。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068779165
クラインの壷の図は下記から引用しました。
http://static.wikipedia.org/new/wikipedia/en/articles/k/l/e/Klein_bottle.html
三次元で不思議な形をつくる「黄金螺旋」は、始まりも終わりもない螺旋です。黄金螺旋がどのように四次元と関係するのでしょうか。まず、四次元には無限がないということです。クラインの壷のように内と外が反転して無限は回帰するのです。その無限を回収するのに貢献しているのが意外に単純な図形の正四面体なのです。
正四面体はプラトン立体の基本です。正四面体はヘリウムとして三次元の世界で始めて空間を閉じ込めた形です。つまり私達の世界が現れたのは正四面体があるからなのです。
四次元の扉を開く鍵は螺旋と正四面体そしてクラインの壷ということになりました。お楽しみに。-
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from: 生成門さん
2008年06月25日 16時19分49秒
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プラトンのイデアの世界
プラトンのイデアの世界
四次元能は神秘主義ではないのですがプラトン主義です。ただ、プロティノスの唱えた新プラトン主義(ネオプラトニズム)に見られるように、現象の背後には真実が隠れているという点では神秘主義とは親戚です。しかし、親戚だからといって、仲がいいとは限りません。四次元能は神秘主義に陥らずにプラトンのイデアの世界を継承したいと思います。それにはプラトンのイデアが何であるかを新解釈する必要があります。プラトン主義も新プラトン主義も背景にイデアがあると言うことでは一致しているのです。四次元能ではその背景のあるものとは四次元です。現象の背後にはクラインの壷が隠れているのです。プラトンはイデア=四次元とは言わなかったのですがイデアとは述語の抽象化であると考えればスキゾ思考=四次元=イデアと言うことになります。ですが、先ずはプラトンのイデア論がどういうものかを知ることから進めて行きましょう。下記を参照してください。意外なことにコンピュータのデータベースにこのプラトンのイデア論が使われているのです。
http://www.atmarkit.co.jp/farc/rensai/column/world10/world10.html
以下引用です。
プラトンのイデア論の説明として「洞窟の比喩」が分かりやすいと思います。プラトンがイデア論を説明するために考えたちょっと極端なたとえ話です。人間は地下の洞窟に住んでいて、入り口に背を向けて、首と両足をしっかり縛られています。生まれたときからずっとこんな状態ですから、洞窟の奥の壁しか見えないし、外の世界は見たことがありません。奇妙な情景の例え、奇妙な囚人たちのお話です。われわれ自身によく似た囚人たちです。洞窟の住人には後ろから照らされた人形か何かの影しか見ることができません。その影が、住人の後ろに存在する実体の影にすぎないということが分からないわけです(図2)。
あるとき1人の住人がとらわれの身から解放され、後ろを振り返り、いままで実体と信じていたものが影にすぎないことに気付きます。「お前が以前見ていたのは、愚にもつかぬものだった。しかしいまは、お前は以前よりも実物に近づいて、もっと実存性のあるものの方へ向かっているのだ。前よりも正しく、ものを見ているのだ」。次に洞窟の外に出ますが、最初はまぶしくて何も見えません。そのうちに目が慣れてくると地上世界が見えてきます。本物の動物や植物を目にし、その美しさに感動します。いままで見ていた黒い影が世界のすべてだと思っていたのに、こんなにカラフルで生き生きした別の世界が本当はあったのだと気付きます。
けれども、その次に彼は疑問を抱きます。「この動物や花はどこから来たのだろう」彼は、空の太陽を仰いで、洞窟では火が影絵を見せていたように、太陽が花や動物に命を与えているのだと考えます(図3)。
現実世界にあるものはすべてイデア世界にその原型があり、人間が見ているものはすべてその一種の影みたいなものにすぎないと、プラトンは考えました(【参考文献】プラトン「国家」藤沢令夫訳、岩波書店)。
プラトンのイデア論による世界観はイデアが先に存在するというものです。実体が存在するためには、それを現象化するイデアが存在しなければならないという考え方です。人間の認識は、実体が先でイデアは後だからといって、世界もそのようになっている必要はありません。イデア論では、鶏がこの世に存在するということはイデア界に鶏のイデアが存在しなければならないわけです(図4)。
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from: 生成門さん
2008年06月25日 13時40分11秒
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プラトン立体
プラトン立体
四次元能は神秘学ではありませんが、ブラックホールと原子の形には相似があり、球の丸い形は電子が鍵を握っており、その球にはプラトン図形が隠れていると考えています。
冒頭の図と下記説明は下記metatronからの編集的引用です。
http://homepage1.nifty.com/metatron/zone-03/300.htm
私達の世界には夥しい三次元の現象があります。見逃してしまえばただの石ころ・生き物・水の流れ・潮の干満です。しかし、良く見るとそれらには不思議に数と形の一致が見られます。その一致は現象の裏に何かが潜んでいる(四次元)ことを予想させるに十分な不思議さです。私たちはその現象の裏を認識するために数と形をという述語を媒介にして、四次元の世界の入り口を覘いてみよう思います。
誰でもそうですが、子供の頃からプラトン立体には余り出会ったことがないでしょう。日本の教育においては幾何学が軽視されているからです。日本の教育はパラノタイプ(左脳優位)を育てているのです。数の不思議さや形の美しさに捉われるのは好奇心の強いスキゾタイプの人です。ですから独学でしか触れる機会がないのです。
「プラトン立体の美しさは私たちの精神構造の反映である」とか「プラトン立体を介して世界を見直してみよう」などと言う前に、スキゾらしく、まず「なに、それ?」という純粋な質問に答えるところから始めようと思います。
プラトン立体とは5つの正多面体のことです。その中で正4面体は基本です。正4面体から正6面体と正8面体ができます。さらにそこから正12面体と正20面体が作られます。プラトン立体の幾何学的な定義は「その表面を囲む全ての面が同じ形の正多角形で、各頂点への辺と面のつながり方も全く同じになっている3次元図形」です。まあ定義とはえてして堅苦しいものです。正3角形が4枚からなっているのが正4面体です。8枚からは正8面体、20枚からは正20面体ができています。そして正方形が6枚からなっているのが正6面体、正5角形が12枚からなっているのが正12面体です。
プラトン立体と言っても別にギリシアの哲学者プラトンが発見したのではありません。彼より前のピタゴラスも知っていました。そのピタゴラスの流れを汲むピュタゴラス学派の「火は正4面体、空気は正8面体、水は正20面体、土は正6面体の微生物から成り、創造者は宇宙全体を正12面体として考えた」などという自然哲学を、プラトンが自らの著書に書いたことから、後世の人がこの5つの正多面体をプラトン立体と呼ぶようになったのです。ところでこの完璧ではない現実世界にも、実際にプラトン立体の形をした生物や鉱物が存在しています。蛍石や黄鉄鉱や食塩の結晶は正6面体の形をしています。ミョウバンの結晶や磁鉄鉱や金剛石は正8面体です。黄鉄鉱の結晶が正12面体の形をしているのを見るのは自然の造形に対する心地よい驚きがあります。貴鉄鉱やウィルスのタンパク質の分子配列は正20面体の形をしています。顕微鏡でしか見えない海中の珪藻は光合成を行う植物ですが、これらは正多面体を含む様々な形のガラス箱を持っています。電子やニュートリノが五角形や六角形に共鳴してこの無の海から対生成するともいいます。
プラトン立体とは5つの正多面体のことですが、大プラトン年とは26000年の惑星歳差運動のことです。またプラトニック・ラブとは現在のような異性間の精神的な愛情のことではなく、本来は男性同士の崇高な純愛のことだったようです。ところでこの哲学者プラトンは古代ギリシアの都市国家アテナイの名家出身です。ソクラテスの弟子だった彼は霊肉二元論をとり、霊魂の不滅を主張しました。その考え方の根底にあるのが「イデア界」という抽象的な理想世界です。プラトンは肉体的な知覚器官の認識する個物は真の実在ではなく、霊魂の目で捉える個物の原型、すなわちイデアが真の実在であると説いたのです。完璧な正4面体というものは現実世界では誰も作ることができません。しかしそれでも完璧な正4面体というものがイデア界にありますから、私たちはこの物理的な三次元に投影されたちょっといびつな多面体を正4面体の影として認識できるというわけです。彼の言う哲学者の責務とはこのイデア界を認識して、現実の世界を理想世界に近づけるということです。抽象的概念を実在として扱う数学者や幾何学者は、基本的にはみなプラトン主義者なのです。
ところで抽象的概念を実在として扱う数学者や幾何学者は、基本的にはみなプラトン主義者だと言いましたが、実在の物理世界の現象を扱う科学者の考え方には大きく分けて実在論<realism>と実証論<positivism>と言う2つの流れがあります。この前者はプラトン主義の系譜に属します。実在論者は「科学理論の役割は現実の背後にある実在の真の姿に至ることである」と考え、それに対して実証論者は「科学理論の役割は実験で実証できることを予測することである」と言います。本稿の基本的発想は神秘主義と科学的世界観のどちらにも偏らず、どちらをも否定せずにすむ世界観の模索ですが、科学の中にあるこの2つの相容れない科学哲学に対しても同様のスタンスを取っていきます。しかし実のところ、スキゾの生来の特性は現実の背後にある実在に迫りたいという性向を有していることも明言しておく必要があるでしょう。
それにしてもプラトン立体は美しいです。このプラトン立体の上に見ている美しさとは何なのでしょう。おそらく過去も現在も同じように多くの人がこの美しさを見ているでしょう。手塚治虫の「鉄腕アトム」という作品の中で、主人公のアトムに美しい形を作るという課題を与えるシーンがありました。周囲の者は非対称的な造形美のオブジェを作るのですが、この人工頭脳を持ったロボットは様々な素材を集めて正6面体を作ってしまうのです。人間たちはこの主人公が正6面体を美しい形であると見ることを笑うのです。もちろんこの話は美しいという言葉の概念のギャップを笑いとしているのですが、実際のところはたして正6面体を美しい形として感じることは可笑しいのでしょうか。その空間的配置や対称性の絶妙さを知った上でこの立体を見ると、その存在形態の美しさは完璧です。
禅の中に「美とはあえて均衡を破ることである」という表現があります。1つの次元における完全なる均衡と調和は動きを止め、生命の息吹を失ってその世界を閉じてしまうのです。いくつもの次元を縦に貫いて調和と律動が存在するためには1つの次元だけの中では均衡が破れるように見えるでしょう。この言明自体は素直に納得できるのですが、むしろ禅師の言中に「美」という言葉が入り込んでいることに驚かされます。美と言う概念に囚われはしないとはいえ、美を意識しているのですから安らぎを感じます。生きるということは美を感じるということでもあります。美とはなんでしょうか。美であれ愛であれ神であれ、それの存在を体感することはできるのですが、それについて考え始めるとそれは指の間から抜け去っていくのです。美も愛も神もその存在の科学的証明はできませんが、それでも私たちは美のようなもの・愛のようなもの・神のようなものの体験を意識できます。
この世界の3次元的認識において、プラトン立体の様々な構成要素やその関係性構造が、世界の在り方やそれを見る私たちの精神構造と照応するのは当たり前のことでしょう。ここで私はようやく「プラトン立体の美しさは私たちの精神構造の反映である」と主張し始め、「プラトン立体を介して世界を見直してみよう」と言うことができるのです。この新たなる立体万華鏡を通しての、数と形とその組み合わせから立ち上がる少し違った世界の見え方。プラトン立体の上に世界の秩序の対応があるのです。異なるスケールにおける数と形の呼応の裏には、何か重要な意味が隠されているのです。同じ数で表される異なるものには、何か眼に見えない同じ真理が働いているに違いないという、説明できない直観があるのです。異なるパターンの間に見る同じパターン…メタパターン。あられもないそれらの秘密を垣間見る努力。しかし何とかそれをこの世界観の中で証明しなくてはという強迫観念に囚われる必要はありません。私達はただ見出した数的符合の共感して、その面白さや不思議さを共有すればいいのです。世界を見るその見方を自らの自由意志でもう1度見直すこと、学び直すこと。しかも喜びと共に。
なおプラトン立体は5つであるところから、本稿の通奏低音の1つであるペンターブシステムの発想となります。ペンターブとはオクターブを意識した造語で、オクトの8音階の倍音関係に対して、世界を<5=1つ上の新たなる1>として見る世界認識法です。ペンタとは5を表します。ペンタゴンとはアメリカ国防省を表すだけでなく、その建物の形状でもある5角形を現します。また6芒星のヘキサグラムに対して5芒星はペンタグラムであり、ペンタヒドロンとは5面体のことです。ペンターブシステムは様々なところに見て取れます。例えば人体でも手のひらを5つのプラトン立体に対応させてみれば、最初でもあり全体でもある正4面体は他の4指をまとめて1つの握りこぶしとする親指に当たり、全身では四肢をつなぎ、頭を持つ胴体がそれに当たります。正4面体は<5=新たなる1>でもあります。
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四次元能はプラトン立体の美しさは「私たちの精神構造の反映である。」を追い求めます。外は内の反転反映なのです。これは原子核と電子の関係にも現れてきます。ですから外が見えれば内が想像できると言うことです。容姿で内面を判断してはならないというのは三次元の真実ですが、四次元では反転しているのです。ヘリウムから鉄ができ形が安定します。その過程は四次元能で明らかにしていきますが最後の鉄は内が五角形であり外が六角形となり安定します。つまり、五角形と六角形の反転は安定のシンボルなのです。
土星にも六角形がありますが、どうしてこんな形が自然にできてしまうのか不思議です。これに神秘的な力を感じてしまうのも頷けけます。では、何故六角形なのでしょうか。ここには何らかしらの現象としての正多面体が隠れているのです。それが正20面体ならばそのシルエットは六角形になるのです。
六角形シルエットは下記から引用しました。
http://momloveu.com/titom-j/index.files/Page1366.htm
鉄の場合でも、ヘリウムの正4面体の三角形から始まり、ベリリウムの立方体の四角形、正12面体の五角形で閉じ、それが反転して外側に電子の六角形の正20面体で、鉄の原子空間が完全に閉じたていきます。つまり陽子と中性子と電子がダンスの相手を探して、彷徨っていたのですが、やっとペアを見つけて安定するのです。それが鉄という形でした。
四次元能ではこうした原子核や事象の地平面の内部が外に露出する謎解をしていきます。
下の図と説明は下記プラトン立体から引用しました。
http://www.bali-indigo.com/mkb/geometry/praton.html
神聖幾何学では、プラトン立体を宇宙の法則を支える図形としています。特に正十二面体は球を包み込む多面体であり特別です。
これを惑星グリッドといい、すべての生命の意識を支えていると神聖幾何学では考えているようです。このグリッドは特有の幾何学構造を持っています。宇宙精神に私達の意識が到達するには、このグリッドは必要不可欠のものです。このグリッドは星冠正十二面体です。
この星冠正十二面体は、正十二面体の12個の五角形に五角形のキャップをかぶせるとできます。
正十二面体は、次のように12個の五角形からなる立方体です。
五角形のキャップとは、三角形を五つ重ねた形です。
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from: 生成門さん
2008年06月24日 18時23分06秒
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起死回生の思考はないのでしょうか
四次元能で度々引用している四次元のイメージ(隠喩)図です。
http://www.d-b.ne.jp/exist/
EXISTENCEから引用しました。
起死回生の思考はないのでしょうか。
「悟り」とは、何を意味しているのでしょうか。日常の何気ない会話でも、悟ったようだねとかいいます。その場合は冗談が多いのですが、それでも常識的な仕草や思考を超越した何かを指している事は間違いないと思います。しかし、それが何かというと不明なままです。生成門的解釈でいくと、悟りとは自我を解体し本来の自己になることをいいます。自我とは左脳に支配された思考、精神のことであり、物質的欲望を満たすことを優先する世界観です。左脳に支配された思考、精神とは、主語論理、形式論理、三段論法、因果律を基礎とするものです。常識、科学的知識、一神教の宗教、近代文明を生み出した最大の力です。本来の自己とは、右脳の活性化した思考、精神であり、述語論理、即非論理、因縁論法、共振共生を基礎とするものであり、芸術、直感的叡智、多神教の宗教、東洋文明を生み出した最大の力です。
詳しくは、下記西洋と東洋の違いを参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068833227
さて、悟りが自我を解体し本来の自己になることなら、本家、道元の悟りと生成門の悟りとは違うのでしょうか。仏教自体が自我の解体、物欲の消滅ということを言明していますので、同じことを意味していると思うのですが、悟りの内容ということになると抽象的な言葉が羅列するだけで良く分からないのが現実です。仏教全般に言えることなのですが、色即是空であるとか、無無無無無無であるといいます。つまり、現実を否定するのです。ただそれだけで後は、修行ということになります。説法にしても、現代風に言えば、いいことをしなさいとか、欲をなくせとかいうだけです。「わかっちゃいるけど、やめられない」という歌がありますが、その通りです。それに対する答がないのです。その為にはどうすればいいのかというシナリオがないような気がします。無いというと問題ですので有効では無いとしておきましょう。時代は益々混沌としてきており、それに対して何ら力がないように思えるのです。つい最近に起きた宗教的事件はその象徴です。望みがあるとすれば禅です。これも難しいのですが、現代的にアレンジできれば有効になると思うのです。但し、今のままでは使えないと思います。「喝」で終ってしまうからです。悟りは不立文字ですから、無であるとなり前進が出来ないのです。正直いって、なんとかならないものかと思います。道元も現成公案というテキストを残すに当って苦心惨憺して瞑想してたはずです。いきなり、現成公案を書いたとは思えないのです。ああでもない、こうでもないと考えて捻り出したと思うのです。
私達にとって重要なことは、その思考のプロセスです。どのように思考して、どのような結論にたどりついたのかが知りたいのです。それが記述されていないのです。書かれているのは結論だけです。途中がすっぽり抜けているのです。他の仏教教典も同様です。四次元能シムダンスが重要視しているのは、脳の働きであり思考のプロセスです。そのことが分かれば悟りへの道が開けると思っているのです。残念なことに先達の思考のプロセスが残されていないのです。口答ではいろいろと話していたと思うのですが残っていないのです。
しかし、今日では、文化人類学、言語学、進化論、分子生物学、精神病理学、哲学等のお陰で人間の思考と気質の関係や行動との関係が分かるようになってきました。資本主義と精神分裂症のことを明らかにしたのは哲学でした。主語論理と述語論理が脳と関係していることや、人間にはパラノとスキゾがいてその思考や気質が異なることが指摘されたのです。又、禅論理のような特殊な思考は、分裂症的思考と似ていることが判明しました。また、そのような思考は人種によっては常識であることも分ってきたのです。正常と異常の識別は絶対的では無いのです。価値観は文化圏で異なることが明白となってきたのです。視野を広く取ると常識だと思っていたことが反転してしまう世界があることを人類学が示したのです。パラノが多い民族では、スキゾは異常視されます。これが精神病理学で指摘されました。遺伝的には異常ではないのですが、混血等で思考の気質の違う者が紛れ込んだことで、文化風土・習慣が異なっていることが認識されないまま、生活したり、ビジネスをしたりするために事件が起きています。国際化が始まった当初は、これをカルチャーショックなどと呼んでいました。現在でも外国から相撲等の力士がやってきて日本の文化に無理に従わされるので、トラブルが起きることがあります。その根底には気質が絡んでいるのです。それを躾の問題にしてしまうので、これから大きな禍根が残ると思います。
トラブルの原因はパラノは主語論理を駆使し、スキゾは述語論理を駆使することです。近代はパラノによって文明を発達させたので、パラノ文明・文化が正当なものとなっています。その結果、スキゾは異常となってしまいました。ただ、トラブルが起きるのは極端なケースであって、大概は混在、融合し、適応しています。隠れスキゾはおおいのです。それが突然、近隣トラブル、ゴミ問題等で紙面を賑わすのです。パラノは圧倒的に左脳の力です。それは近代文明を生み出しました。表にでてきたのは、形式論理、主語論理です。その結果、その本当の力であるパラノパワーは影に隠れてしまったのです。これをパラノとはいわずに西洋的思考、科学的思考、近代文明、論理、叡智、思想という言葉で代行するようになったのです。
しかし、環境的な行き詰まりが見えた今日、その本当の姿を露出させなければなりません。ただただ、追いつき追いこせという掛け声だけで何も本質を見極めず、突っ走ってきた盲目的競争はやめるときがきたのです。思考と気質、主語論理と述語論理、パラノとスキゾ、右脳と左脳の関係が対称性を持っていることに注目しなければならないのです。物質科学の成功はパラノの勝利です。しかし、最近は事情がおかしいのです。最先端の量子力学が見たものは目を疑うようなことです。そこでは、これまでのパラのパワーの代表とさせる主語論理、因果律、科学の常識が通じないのです。その量子論が露にした宇宙の本質を象徴するのが、対称性と二項対立、不確定性原理です。量子論は対称性を重視し、物質は非物質からできたとか、ゼロポイントから物質と非物質が対生成するとか、反物質があるとかいうのです。対称性というのは、私達の日常にも沢山あります。あることはあるのですが、対称性をそれほど重要なものとしては取り扱ってこなかったのです。せいぜい幾何学模様であったり、神秘的要素としてでした。対称性は神話や諺に良くあらわれます。諺としては、逆説的に用いられます。例えば、急がば回れ、伸びんとするなら屈せよとかです。これらはパラドックスとして扱われ、日常の思考からは排除されてきました。しかし、この対称性が真理であると量子論は言明したのです。もちろんこの対称性は破れることがあります。その破れが現象として現れるのです。私達の現実の世界は非対称性の世界であるかのように見えます。宇宙レベルの時間で見れば対称性が働いています。私達の世界でも宇宙レベルの時間ではないのですが、歴史的には明治維新のように反転することがあり驚ろきます。つまり、非対称(今あることが永遠に続くと思うこと)だと思っていたことが、突然に対称性が現れるので驚くのです。それがパラドックスに見えたりするのです。生成門もここに宇宙の真理があると思っています。
なんでも二つに分けることが得意の左脳の思考と混然一体を得意とする右脳の対称性も不思議です。整理整頓、清潔綺麗好きは躾の問題ではなく、左脳の特徴なのです。遺伝子の働きだといっても過言ではないでしょう。それが証明されることを期待しています。最近の知見では、心配遺伝子、恋愛遺伝子などが見つかったといいます。いろいろな行動を決定する遺伝子が見つかっています。すべてを遺伝子に還元することはできないにしても、犬と猫の性格の違いが明らかなように、多くの事が遺伝子による影響であるのは明らかです。
心配遺伝子という名前の付け方は良くないのですが、ここから計画性、管理、綺麗好き、整理整頓、予測、安定願望、神経性などの傾向が推理できます。対称性を考えると、心配遺伝子が単独であるのではなく奔放遺伝子と対になっていて、それが絡み合って気質を作っていると思うのです。何故、自然は対称性に満ちていながら対称性を乱し、それが輪廻、循環するのでしょうか。これが四次元能が解決しなければならない大きなテーマです。この答を見つけるには、述語論理を本質を解明しなければならないのです。道元は、述語論理だとかパラノだとかを知らなかったので、それを指摘できなかったのは仕方がないのですが、世間とは違う思考があることを上品(野生の思考的)な形で残したことは確かです。これは道元がスキゾだったからできた所業です。道元のテキストを述語論理であると仮説すれば、禅問答も現成公案も理解できるのです。道元はスキゾだったから思考のプロセスを残さなかったのです。事実、スギゾのモンゴロイド(ナスカの地上絵、等)の大半は文字としてその思考経過を残していないのです。しかし、その痕跡、結果は残しているのです。
スキゾは述語思考を得意としています。しかし、そのプロセスを残せないのです。残すには主語論理が必要だからです。道元の悟りを表現した現成公案は述語論理で記述されています。だから、悟り、即ち、自我の解体には述語思考が鍵を握っているのです。道元は、主語論理も普通に使っています。正法眼蔵には、主語論理のテキストが多く見られます。こちらは座禅の仕方とか、正しいのは仏祖の誰かなど等、悟りの状態を示す周辺に、主語論理、形式論理が多いのです。だから分かりやすいのは当然です。
哲学の分野では、ポストモダンがいいところまで私達を導いてくれました。資本主義は分裂症を作り出す。苦の原因はそこにある。だから逃げろといったのです。最近は、様々な脱常識、異常的な事態が発生しています。政治的な手法でも革新的な構造改革によるぶちこわしの薦めがもてはやされています。ファッションにしても奇抜性が受けます。テレビでも大食いのような奇抜性が受けています。こうした傾向は益々加速するでしょう。資本主義はどん欲なのです。本来自己を否定しかねない主義や思潮までも、消費の対象として呑み込んでしまうのです。まるでブラックホールのようです。すべてが記号化され、処理されるのです。現実と仮想の壁が消えつつあるのです。
欲望は過剰となり、消費されます。そこには循環があります。クラインの壷のような閉じた空間です。この空間では精神的な充実はありえません。束の間の癒しが許されるだけです。本来、資本とはお金であり、お金とは関係ないヒーリングでさえもビジネス化されてしまうのです。こうして人は皆、本来の自分を見失うのです。
この閉じた空間、ウロボロスのようなクラインの壷から、どうしたら逃げられるのでしょうか。ポストモダンは逃げろといったのですが、どのようにして、どこにとはいわなかったのです。それが物理的な場所を意味するのならば、そのような場所は地球のどこにもありません。グローバリズムが蔓延っていて、ジャングルの奥地まで浸透しているのです。精神的な世界があるというならば、それは宗教や神秘の世界のことでしょう。しかし、それも、最近はビジネス化されています。仏教は葬式仏教といわれるぐらいに堕落してしまいました。資本主義というのは、仮想の世界でも、呑み込んでしまうのです。もう逃げ場はないと思うしかないでしょう。
ここでクラインの壷という四次元用語が出てきました。四次元能では極めて重要な概念です。それが資本主義はクラインの壷であるというのです。詳しくは浅田彰氏の「構造と力」を参照してください。資本主義は四次元なのでしょうか。四次元能と浅田彰氏のクラインの壷は同じことを意味しているのでしょうか。
ポストモダン(浅田彰氏)が「外へ逃げろ」といったのですが、資本主義がブラックホールであるとするならば、中にはいったら二度と外にはでられないアリ地獄です。クラインの壷に外はないのです。私達に逃げる空間・場所はないのです。それでは、諦めるしかないのでしょうか。四次元能は諦めません。更に、資本主義は本当に分裂症を作り出したのでしょうか、と問うて見ましょう。モンゴロイドはアフリカの奥地から世界各地に何万年もかけてゆっくりと移動して散らばっていきました。彼らは資本主義が生まれてくる前から存在していたのです。分ったことは、スキゾという気質は遺伝的であるということです。それならば前からスキゾはいたことになります。資本主義によって分裂症になったわけではないのです。もともとからスキゾだったのです。ところが資本主義という怪物が現れて世界を侵食したのです。スキゾも巻き込まれてしまったのです。この資本主義というのは西洋の叡智です。西洋人といったって、もともとは、アフリカの奥地から出たモンゴロイドと同じ原生人という先祖をもつ人類です。それが今、地球規模で再会しただけのことです。出発した時はパラノスキゾだったと思うのですが、パラノとスキゾに別れで再会したということです。ですから、スキゾは生み出されたのではなく、本来の気質が露出しただけなのです。
ブラックホールに呑み込まれた以上、この閉息した状況から逃れる術はないのでしょうか。逃げることはできないのでしょうか。しかし、それでは解決しません。諦めてしまえば人類は絶滅します。それを座して待つしかないのです。何かうまい起死回生の方法、思考はないのでしょうか。-
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2008年06月22日 08時39分13秒
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フィギャースケートとスピン
図は下記から引用しました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%B3
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四次元の特徴は回転です。
ジャイロも回転しています。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068780886
私達の三次元の世界で四次元イメージが露出しているのは「ジャイロコンパス」です。ここに四次元が隠れているのです。
下の図は
http://www.s-graphics.co.jp/tankentai/news/gyroscope.htm#3
から引用しました。
回転=スピンといえば、フィギャースケートです。夏なのに冬の話とも悪くはないでしょう。四次元は対称性が真髄なのですから。
真央、美姫、金の華麗のスピンが世界を席巻しています。さて、このスピン、どこか宇宙生成サイクルの図に似ています。
フィギャーの回転も天球の中で舞っているようです。天女の舞です。シムダンス=生成の舞=天女の舞=四次元能です。
四次元天球はただの球ではありません。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068780299
内と外が反転するクラインの壷があるのです。
それに円盤とジェットがあるのです。
これを隠喩的に表現したのが下の図です。
四次元能で度々引用する四次元のイメージ(隠喩)図です。
http://www.d-b.ne.jp/exist/
EXISTENCEから引用しました。
もう少し円盤とクロスが重なっていると言いのですけどね。-
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