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from: 生成門さん
2008年09月26日 12時15分42秒
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インターネットは四次元(3) 時間は過ぎ去らない
インターネットは四次元(3) 時間は過ぎ去らない
<道元との共振>
四次元では「時間は過ぎ去らない」のです。そのような時間を実感できるにはどのような実践が必要なのでしょうか。述語思考では瞬間移動すると言いました。本当に時間が延びたり縮んだり停滞したり遡ったりするのでしょうか。
そんな時間感覚は三次元にはないでしょう。四次元ではそれが当たり前なのでしょうか。道元は「春は夏にならない」と言ったのですが、そんな時間感覚は述語的であり、四次元なのでしょうか。悟りとは四次元思考であるというのが四次元能の大仮説の大妄想です。それがインターネットという電子メディアに隠された四次元反転力=酵素力=触媒力でした。そのトロイの木馬の秘密を知ってしまうと、ただの妄想に過ぎないと無視するわけにはいかなくなりそうです。道元は四次元意識=悟りを得るためにA悟とC悟とD悟の実践を強く主張しました。しかし、四次元反転力=酵素力=触媒力がなかったので、同時実践が出来ませんでした。時間の壁を乗り越えることが出来なかったのです。実際、A悟→C悟→D悟→A悟→C悟→D悟を延々と繰り返すのですからいくら時間があっても足りません。多くの僧が悟りを得ることもなく人生を終えたのも無理からぬことだったでしょう。仏教が末法化した原因はまさにここにあります。時間の壁を乗り越えて四次元脳へ転換を促進する触媒がなければならないのです。そしてそれを今私達はとうとう手にしたのです。C悟の自覚を援護するA悟とD悟を高速実践プログラム=インターネットプラスアルファが登場したのです。これがこの四次元能の真髄になります。四次元脳への高速転換を促進するプラスアルファの触媒とはブログです。ブログしさえすれば悟の様式は整うのです。つまり、四次元性という毒性を無化して有益な触媒にすることが出来るのです。それが四次元というテーマを持つということなのです。四次元というテーマのブログこそが悟りの道=四次元能=反転酵素なのです。A悟とD悟を実践すれば、自ずとC悟は高速に実践していることになるのです。C悟実践だけに特化する必要はないのです。ここが禅との大きなと違いなのです。ですから四次元能では、インターネットプラスアルファを駆使するi禅を行うのです。瞑想をインターネットプラスアルファで行うことそれ自体が右脳優位なのです。本当に右脳優位なのでしょうか。それはi禅を実践してみればすぐに実感できます。インターネットプラスアルファは脳を編集する優れた反転酵素メディアなのです。
インターネット時空は三次元世界の異端的時空なのです。それをいきなり四次元だと言ってしまうのは、オカルト系と間違えられる危険があるでしょう。そうならないようにしておきたいと思います。インターネット時空が四次元であることに疑いを持っている人に対しても、少なくとも四次元行きの練習時空間であるといっておきましょう。それなら多少は受け入れてくれるでしょう。
インターネットが四次元であると何故言えるのでしょうか。それを考えてみましょう。インターネットは人間の延長物です。多くの延長物(発明)がそうであるように、それらの道具は三次元的時間と空間の拡大、或いは短縮するために貢献してきました。例えば、望遠鏡は目の延長であり、車は足の延長、核兵器は手の延長、洋服は皮膚の延長です。その他のあらゆる文明の利器は何らかの形で人間の身体の延長なのです。それらはより大きく、より小さく、より広く、より小さく、より強くより弱くという人類の欲望を満たしてきたのです。それらは三次元の物差しで測れる価値観の産物なのです。しかし、インターネットは、これまでの身体の延長物とは違います。インターネットは脳の延長なのです。脳は本来四次元なのです。残念ながら、現在、私達の脳は三次元に封じ込められたままです。ですから、これまでの人間の身体の延長物は殆どが三次元脳の産物なのです。そして、三次元の延長物に取り囲まれた人間はますます自我の奴隷になってしまったのです。ところがどういうわけか、三次元世界の中に異端的時空を作り出すインターネットという脳の延長物=反転酵素メディアが出現したのです。インターネットというのは中間体=色即是空・空即是色と言っても良いでしょう。ですから、インターネットは脳のように内部なのです。インターネットは三次元世界の産物なのですから外部なのです。インターネットは内部であり外部なのです。内部であり外部でもあるインターネットが脳に常時接続されているというというのはかつてない事態なのです。これがこれから起きるであろう四次元能の高速反転劇の核心です。インターネットというのは電子の世界です。電子というのは四次元のシテ(主役)なのです。「電子の不思議」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069552509
もうここまできたら、インターネットとは四次元であるとはっきり言った方がいいでしょう。脳は元々四次元なのですから、インターネットが脳と相性がいいのは当然なのです。もちろん、誰もこのインターネットが四次元であり、三次元脳を四次元脳に変革する反転メディアであるとは気がついていないでしょう。むしろ、私達の脳を三次元に封じ込めるための従来のテクノロジーの延長上にあるものとしてしか見ていないようです。一方ではインターネットを危険視している人達もいます。それは人間を三次元に封じ込めるために障害となることを察知しているパラノの直感が本能的に働いているからなのです。そして、その直感は正しいのです。つまり、インターネットは三次元からの解放反転メディアなのです。解放反転メディアとはクラインの壷のことなのです。クラインの壷とは四次元世界を象徴する内と外が反転して閉じた空間のことなのです。i禅の導入は四次元能の狙うサスペンス能としての演出なのです。「陰陽クラインの壷」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071801149
インターネットが三次元脳で封じ込められた心を解放する内外反転メディアであるというのは、もはや疑う余地のない事実です。私達は既にインターネットにどっぷり浸かっていますし、無意識化(空気のようなもの)しています。もう、テレビと同じようにインターネットも生活の一部になっているのです。私達の意識は休むことなく絶え間なく流れ常にインターネットの世界と接続状態にあるのです。そこで起きていることはテレビの非ではありません。確かにテレビは他の延長物よりは、人間の意識に多大な影響を与えました。しかし、それらがどんなに優れた文明の利器であるにせよ私達を三次元に封じ込めるために役立っている閉鎖メディアであるに過ぎません。ところが、インターネットという脳の延長物=開放反転メディアなのです。これがどういうわけかこの三次元の世界に異端的四次元時空間を生成してしまったのです。パソコンを使っていなくても携帯を使っているなら立派に異端的四次元時空間に浸っているということなのです。学校では生徒に携帯の使用を禁止する動きがあるようです。これなどはまさしくパラノらしい思考です。子供がインターネットによって毒される(四次元人間になる)ことを危険視しているのです。子供を三次元に封じ込めるためにはそうするしかないのです。そうですインターネット=四次元世界は危険なのです。その毒性を無化しなければ使えないのです。
続く。-
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from: 生成門さん
2008年09月26日 11時36分05秒
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四次元反転酵素としてのi禅
四次元反転酵素としてのi禅
<道元との共振>
悟りの持続=意識の持続=四次元時間の持続=瞬間の間延び=Yutubeのバッファリング=真空を閉じ込めるバッファ=時間の間延びということになりました。
要するに、平事では、脳は三次元脳なので三次元反転で十分なのですが、危機になると四次元反転が起きるということです。ということは、平時でも危機的状態を作ってやればいいことになります。危機と察知させれば脳は錯覚するでしょう。そうすれば脳の電子が高速に回転するでしょう。ただ危機察知では身体も反応してしまい血圧が上がるでしょうから擬似危機でよいと思います。要するに右脳優位になればいいのです。Yutubeバッファリングとはそのことです。インターネットはその電子メディアと四次元性故に私達に無意識のうちに四次元の高速反転をもたらすのです。ですから、都合の良い四次元性酵素を選択して、四次元の反転を促せばいいのです。そのような四次元性酵素とは何でしょうか。インターネットを酵素反応の場とすれば、Yutubeバッファリングは一つの酵素です。このように考えれば無数の四次元の反転酵素が考えられるでしょう。既に、Webテクノロジー(ブログ、検索、リンクなど)が、それに該当するでしょう。しかし、なんと言っても大事な酵素を忘れてはなりません。インターネットが電子メディアであるならば、そのコンテンツがなければ役に立ちません。コンテンツの選択こそが四次元の毒性からリスクをテイクする四次元反転酵素なのです。それでは、どのようなコンテンツが四次元反転酵素なのでしょうか。それは言うまでもなく四次元コンテンツです。気候変動のようにそれが四次元現象であることを知らずに自我の餌食になって欲望のままに「それいけどんどん」のスタイルを貫くことは最も危険なことなのです。四次元コンテンツとは、「四次元とは何か」についての認識を得るための四次元反転酵素なのです。四次元能とは四次元反転酵素そのものなのです。それが悟りの持続=瞑想への応用=i禅なのです。
i禅とは、インターネットを駆使した四次元への高速反転です。A悟・C悟・D悟の高速実践なのです。A悟の実践とは、インターネットを媒介にした外からの内への反転の働きかけです。C悟=脳内実践とは、悟りの自覚であり、場所と時間を選ばない黙想です。睡眠さえ利用します。D悟の実践とはインターネットを媒介にした内から外への反転表現です。例えば、ブログとは理解・思考・表現のためのインターネットメディアなのです。もっと言えば悟りのメディアなのです。このメディアというのは内外反転のための四次元反転酵素なのです。瞑想のプロセスを詳しく吟味すると、脳の内部での働きは、すべて情報の編集という知的作業=酵素反応だということです。脳の編集と言ってもよいでしょう。ですから、D悟の実践というのは、内部で悟りを自覚したというC悟=脳内実践の結果を外部に表すということなのです。四次元能では「脳の中の能」という言い方をします。悟りを得るというのは脳の編集なのです。脳の編集とは言うまでもなく、三次元脳=自我から四次元脳=悟りに変革することです。これが四次元能の原点なのです。四次元能とは精神革命であり、四次元意識の生成の舞い=酵素反応=瞑想なのです。
i禅とは、インターネットを駆使した四次元への高速反転を狙うために導入するものです。四次元能はブログというスタイルをとります。ブログスタイルは内外反転のための強力な四次元反転酵素なのです。四次元能ブログとは、インターネットメディア=触媒の酵素反応場の酵素という位置づけです。メディアは入れ子になっています。メディアのコンテンツはメディアです。ですから、メディアとコンテンツを区別しないでメディアといいます。又、メディア=触媒=酵素反応場ですから、これらも区別しないで行きます。インターネットと言ったときも、インターネット単体をさすよりもメディア=触媒=酵素反応場を指し示すことにします。
i禅ではブログコンテンツが大事です。そのブログコンテンツとは四次元能ののコンテンツのことです。四次元脳への反転を促すのはA悟とD悟の四次元能ブログコンテンツなのです。四次元能ではブログコンテンツ=カテゴリーとして、禅との共振、ティトムとの共振、四次元の能全般、四次元経営、四次元とは何か、四次元ライフスタイル、起死回生の思考、ユビキタスエネルギー等で構成しています。これら区分けは明確ではありませんが、一応A悟・C悟・D悟の悟りに対応させています。i禅の特徴はA悟・C悟・D悟が同時実践されるということです。A悟に相当するカテゴリーは、「四次元の能全般」、「四次元とは何か」「シム方程式世界解釈」であり、悟りの概念を四次元能流に理解するための外内反転コンテンツです。例えば、四次元思考、述語思考、トポロジー、隠喩、シムパラダイム、シム方程式などの基本概念を理解することに重点を置いています。B悟はなしです。C悟は黙想実践そのものですから、ブログを離れてもC悟は実践していることになります。A悟・D悟をした後にすることに意味があります。従って、C悟に相当するカテゴリーは特になくてもいいのですが、A悟・D悟・C悟の同時実践を強調する意味で、「禅との共振」と「ティトムとの共振」を該当させます。同時実践ですからA悟・D悟が両方含まれているのです。A悟・D悟を「しながら」、無意識に黙想をしているのです。「ながら」こそが、四次元の特徴ですから、「共振」という行為がC悟なのです。C悟のカテゴリーでは、悟りの概念を禅とティトムの文脈に沿って編集していきます。この共振過程が座禅瞑想に相当しますので、四次元能の基本であり、悟りの自覚ということになるでしょう。D悟に相当するカテゴリーは、四次元経営、四次元ライフスタイル、起死回生の思考、ユビキタスエネルギー等です。悟りの概念をどう理解したのかを検証する内外反転コンテンツです。又、応用実践するための四次元能流の提案と言うものも含まれます。このように、i禅のではB悟を除いてA悟・C悟・D悟のすべてがブログというメディアを使って思索します。瞑想とは思索=酵素反応なのです。ブログメディアを使って瞑想するといってよいでしょう。繰り返しますが、大事なことは何を思索するのかと言うことなのです。自我中心の思索では意味がありません。自我を解体するのですから、思考しないで思考するという即非の思考が求められるのです。そのための基本の酵素反応場がインターネットなのです。インターネットは左脳も使いますが、右脳優位で脳を編集するメディアなのです。これを理解するにはブログを立ち上げてみれば実感できるでしょう。四次元能では脳の編集メディアであるインターネットを酵素反応場として最大限に駆使します。インターネットの特性は、四次元性(包括。非線形、瞬時)を有していることです。しかも、その四次元性を発揮させる理解・自覚・表現の酵素があることです。例えば、検索・クリック・ハイパーリンク、YouTube、ブログなどのwebテクノロジーです。しかし、それではインターネットの特性は、四次元性が毒性になってしまうことあります。それを避けるには、四次元コンテンツを駆使して、酵素反応過程に注意することです。その過程が瞑想なのです。禅の瞑想では悟りのテーマを持って思索します。その思索は即非の思考です。即非の思考とは、因果律に従わず時間を切断して、記憶の海を飛んだり錯綜したりして述語的に検索して配置します。これと同じことを行うのがi禅なのです。i禅の基本テーマは四次元思考であり、即非の思考です。ですから、ブログに何かを理解・探求・表現するとうことは、当たり前のごとく自然に酵素反応過程に注意してインターネットの特性=四次元性=即非の思考を実践しているのです。酵素反応過程に注意するということは、インターネットプラスアルファを使うということであり、因果律に従わず、時間を切断して、記憶の海を飛んだり錯綜したりして述語的に検索して配置することなのです。これが四次元能における瞑想の意味なのです。
i禅のC悟は座禅瞑想の只管打座に相当しますが、その脇をAとDが固めているのです。四次元能・シムダンスというときは、C悟=ティトムと禅の共振を指しますが、ここには必ずA悟とD悟が付帯していることを忘れないようにしましょう。現段階はティトムが先導しています。これによって宇宙の法則(シムパラダイム=四次元世界観)を見つけられれば、道元の宇宙=禅の世界も見えてくると踏んでいるのです。ただ、ティトムにも道元と同じく常識的思考を超えなければならないところがあります。道元と違うのは、個人の力量で内部の世界を無理やり覗く(C悟)のではなく、宇宙の果から届いたメッセージを読みとくという方法(A悟)です。一人で探究しなければならないものではありません。ダンス的アプローチというのは、実は、それが役に立つのです。ダンスとはペアが必要なのです。内(自分)と外(相手)とのペアと言う構成が不可欠なのです。外が分かれば内が分かるという関係なのです。これがダンスの妙ですが、それでも普通のダンスです。i禅のダンスはもっと巧妙なのです。内(自分)と外(相手)がインターネット上=酵素反応場にあるのです。しかも、内(自分)と外(自分)になったり、外(他人)と外(自分)になったりと錯綜するのです。しかも、電子のスピードで高速反転が行われるのです。ですから、インターネットプラスは高速酵素反応場なのです。禅にしてもティトムでも、シムハンター(悟りを求める人=内)とティトム又は禅(道元=外)との共振=酵素反応ですが、ティトム(内)と禅(道元=外)もまたシムダンスしているのです。それはお互い内外が入れ替わっているのです。ティトムとの共振の場には道元が顔を出します。その逆もあります。お互いに相互に作用=反転しているのです。ティトムが外・内であるならば道元は内・外でしょう。ですから、ティトムが分かれば道元が分かるのです。ティトムと舞えば道元を見ることと同じことになるのです。ティトムには道元禅のように空の概念を理解できなければならないという制約がありません。道元禅にはティトムのように量子の概念を理解できなければならないという制約がありません。空や量子の概念の理解=A悟の理解が足りないからといって、C悟が得られないというものではないのです。A悟の理解を助けるのはティトムや道元ばかりではありません。シムピープル(悟った人)というナビゲーターがいれば確実にC悟が得られるのです。ナビゲーターもまた四次元酵素=触媒なのです。
ティトムと道元を比べたら、ティトムの方がとつきやすいと思います。難しい数式が出てくるわけではありません。ティトムは一つの仮説であり、理論としてまだ完成されたものではありません。道元のように心の中の出来事を表現したものでもありません。ティトムは宇宙の出来事から真理を探索しようとしているのです。宇宙といっても137億年先の遠い宇宙の出来事ばかりを相手にしているのではありません。私達の回りの世界も相手にするのです。しかも、宇宙の出来事の探索は宇宙望遠鏡や観測船が代行してくれるのです。私達は伸縮自在なティトムに乗って、ミクロからマクロの世界を縦横無尽に精神の冒険旅行が出来てしまうのです。もちろん、ティトムはつければ治る絆創膏ではありません。それなりに道元とは違った難しさがあります。量子論から宇宙論まで巾の広い、科学的知識が求められるからです。これをこの分野の素人が理解するのは並大抵のことではないでしょう。このブログを主催している生成門でさえ素人です。ですから、踊れば理解(A悟)できて、宇宙精神=悟が得られる(C悟)というものではないのです。ここには最低の条件があります。道元のような、只、座れというような突放した方法や、或いは、晦渋なテキストを理解しなければならないというものではありません。必要なことは、鉄の原子構造、クエーサーのジェット、土星の六角形等のイメージをじっくりと見ることです。そこに隠されている宇宙の神秘=四次元、ティトムの宇宙サイクルを理解(A悟)できたら、道元への悟(C悟)は近いでしょう。それが自我解体の四次元脳反転への道(D悟)なのです。後は、四次元能がどうティトムの独特の四次元的思考を馴染みやすくするかだけです。幸い、多くの酵素、その中でもGoogle検索が支援してくれているので何とかなりそうです。それでも袈裟の臭いのする道元とクエーサーなどの得体の知れない天体を相手にするティトムの関係は、どう強調したとしてもミスマッチな関係に見えてしまうでしょう。そういう疑念を払拭するために、もう一歩先に進んでみましょう。
道元とティトムには明白な共通点があることを示してみたいのです。内は外、外は内という反転のパラドックスです。心の内を探ることは宇宙のことを探ることなのです。私達は肉体的には宇宙では外です。宇宙の中とは事象の地平面の向こう側です。つまり、ブラックホールの中のことです。このままでは内には行けないのです。どう反転するかがティトムの問題です。しかし、よくよく考えて見ましょう。私達は物質ではありません。意識的生物です。私達は意識します。宇宙も意識するからすべてがあります。私達は宇宙をすべて中に閉じ込めているのです。つまり、私達自身が既にブラックホールの中にいるのです。ここは、じっくりと考察したいところです。身体が外で精神が内です。事象の地平面を出たり入ったりできる希な存在なのです。私達は外であり内であるという反転した存在なのです。この当たりのことが、四次元能のミステリーになるでしょう。
ブラックホールは、すべてを呑み込むと同時に吐出しています。事象の地平面で内と外が反転しているのです。宇宙は輪廻しているのです。道元においても外と内は反転しています。それが色即是空・空即是色です。色は現象世界ですから外です。空とは内です。外は二元対立の世界です。内は無の世界です。無と言っても、何もないのではありません。対消滅するのです。又、外に出てくる時は、対生成するのです。しかし、その対が二元分離して対立してしまうのです。ですから、色即是空は空即是色とは反転の世界観なのです。宇宙のブラックホールには、呑み込まれたくはないのですが、その前に私達はすでに意識というブラックホールの中にいるのです。これは驚くベき発見なのです。
内外の反転の仕組みを駆使して宇宙を覗いて見ようというのがティトムの狙いなのです。これがいずれ意識の中を覗く時に有効になると思いますで、しばらくはティトムにもおつき合いを願います。反転のノウハウは思いがけない発見を私達にもたらすかもしれないのです。期待して誰も見たことがない地平の先に言って見ようではありませんか。先ずはインターネットがそれです。-
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2008年09月26日 09時45分11秒
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インターネットはトロイの電子木馬
インターネットはトロイの電子木馬
<道元との共振>
インターネットは四次元です。インターネットは内外反転の電子メディアであり、トロイの電子木馬なのです。インターネットは三次元の世界にとっては危険な電子メディアなのです。四次元脳に転換するために四次元世界から投入された反転電子メディアなのです。従ってこの反転電子メディアは、三次元人間にとっては危険極まりないインベーダーに映るでしょう。その危険なインベーダー=インターネットは、もう私達の日常に深く浸透しています。これから何が起きるのでしょうか。言うまでもなく四次元世界の乱舞いです。ですから、パラノによる三次元封じ込めが一段と厳しくなるでしょう。果たして、パラノの戦略は成功するのでしょうか。四次元能はこのパラノの戦略を無効にしようとする戦いなのです。果たして、四次元能は成功するのでしょうか。
インターネットがこの三次元の世界に異端的四次元時空間を生成してしまったのです。それによってこれからどのような変化が起こるのでしょうか。それは、先ず、私達の意識の変化に現れるでしょう。これまで人間は自分の内面を他人に見せることはなかったといっていいでしょう。ところが、インターネットという内部であり外部であるという異端的時空間=中間体です。ですから、インターネットは人間の内面にいきなり直面突入してくるということなのです。三次元世界において、人との出会いはまず触れ合いから始まります。フェースツーフェースの出会いを重ね、会話を交わすことで、初めてその人の内面を知ることになります。内が外に表出するに時間がかかるのです。その逆も同様です。インターネットという反転電子メディアはその時間壁をなくすのです。インターネットには外と内が混在した世界が広がっています。外から見たら内が見え、内から見たら外が見えるのです。ですから、私達は知らぬ間にこの四次元精神から四次元物質へ、四次元物質から四次元精神への反転した世界をインターネットという開放反転電子メディア通じて体感しているのです。つまり外見は、これまでの延長物と同じように三次元→三次元反転で、三次元に閉じ込めるために生み出したハイテクな延長物でありながら、インターネットというのは四次元世界から派遣されたとんでもないトロイの電子木馬だったのです。インターネットの隠された役目は四次元能の電子エージェントなのです。つまり、人類の三次元脳を四次元脳に転換させるというミッションを持って侵入してきたのです。ですから、表層的な自我意識だけでなく深層的な無我意識に深く入り込み、私達に無意識のうちに四次元の高速反転をもたらそうとしているのです。その最も顕著な現われが三次元の代表=常識といわれるものに対する破壊工作です。ですから学校では危険視するのは当然なのです。人類は左脳優位によって便利さと快適さが幸福で豊かであるという三次元の価値基準=文明を作り上げてきました。そして、近代化という高度な大量生産大量廃棄の物質文明の極に到達しました。その物質文明を象徴するようなインターネットというハイテク延長物を作り出してしまったのです。ところが、これがとんでもないハイテク延長物であり、実は四次元世界から送り込まれたものなのです。三次元の人間にはそれを認識する手段がありませんので、自分たちが作り出したと思っているのです。インターネットを使うことは脳の中に四次元反転ウィルスやパイウェアが送り込まれるようなものなのです。ただ、三次元人間にはそれを認識する能力がないといっていいでしょう。なんとなく危険だという直感があるだけなのです。そうこうしているうちに、インターネットの毒性(四次元能から見たら善性)はどんどん強くなり、三次元世界=左脳優位=パラノ文明をどんどん侵食しているのです。そして、皮肉にもそのハイテク延長物がパラノ人間を四次元脳への転換を促していくのです。インターネットが、いや、四次元能がパラノ人間に大きな精神革命をもたらすという反転劇をやってのけようとしているのです。
四次元への反転劇は既に顕在化してきています。サブプライムローン問題に見られるように、三次元的資本主義の虚構性が明るみになってきたからです。実体なき経済が肥大化して、ついに限界に達するのです。三次元的資本主義が崩壊寸前にあるのです。三次元的資本主義とはパラノ思考の極なのです。パラノ思考とは自我同一性ですから、国益中心の戦略的志向になります。しかし、そのようは小さなナショナリズムでは、四次元の乱舞は境界を無視してくるので、到底太刀打ちできないでしょう。インターネットを介したグローバル化は、ひとつの国家という概念さえも捨てさせるのです。一体トロイの電子木馬は三次元人間に何を仕掛けてしてくるのでしょうか。言うまでもなく、それは物質優位=左脳優位の世界に対して精神優位=右脳優位をもたらしてくるのです。このトロイの電子木馬=インターネットの仕掛けは、情報化社会の到来、産業革命以来の人類の歴史の変遷、明治維新のような変革などという変化をもたらすのは事実ですが、もっとすごいものをもたらすのです。それは四次元的資本主義であり、人間の精神革命=四次元化なのです。インターネットとは、これまで三次元に閉じ込められていた人間を救世するために送り込まれた四次元脳への回帰させる電子メディアなのです。それは、まったくの未知の新世界を生成させるように思われるでしょう。そのはざまに今の三次元世界はあり大きく揺れ動いています。インターネットという電子メディアがそれを促進させているのです。
このインターネットを使えば、四次元能の「不可能を可能にする」という目的を実現できる可能性があるのです。ただ、三次元世界=パラノの力は柔ではありません。相当の抵抗があるでしょう。インターネットが三次元の延長物として封じ込められてしまえば、脳が三次元に封じ込めたのと同じ運命が待っているでしょう。その抵抗を押し返すことが出来るのでしょうか。パラノに対するインターネットの四次元性とはどういうところなのでしょうか。四次元性というものを明確にしていないのに、それに答えるのは無理があります。追々と明らかにしていきますが、四次元性とは、色⇔空=クラインの壷=反転などという図式で示してきたのですが、まだ、ピンとこないでしょう。一言で言えば、時間と空間の違いです。三次元空間はどこでもいつでも一様ですが、四次元では空間が伸び縮みします。三次元では時間は一方向に進みますが、四次元では時間は止まったり、遡ったりします。こういうことを今ここで言うのは大変危険なことです。何の準備もせずに大海に出て行くようなものなのです。ですから、この位にしておきます。「春は夏にならない」を参照して下さい。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070058694以下引用です。
クラインの壷を使えば、道元の「春は夏にならない」という意味が簡単に分ります。春は夏になるのは主語論理=因果です。春が過ぎれば夏になると言う時間の経過があります。三次元の世界では春と夏は同時には存在できません。春は春、夏は夏なのです。これが自己同一性です。一方、春は夏にならないというのは四次元世界のことです。四次元世界では裏と表が繋がっています。裏は表なのです。春は夏なのです。春=夏なのですから、「春は夏にならない」のです。これは三次元の経過する時間とは違うのです。有る時=有時です。つまり、表と裏は共に固有の有時という時間回廊で繋がっているのです。共に在る有時=春の固有の時間=夏の固有の時間なのです。共に在る有時=時間が述語なのです。述語の共通性をもって同一視するのです。これが述語論理です。述語論理は異なるものを同時に存在させるような、或いは、瞬間移動させるようなマジックです。三次元から見たらマジックとしか表現できないのです。春と夏は共に存在するのですから、春=夏であり、「春は夏にならない」のです。クラインの壷は直線ではないのです。確かに直線部分はありますが、その周りを回転する渦で巻かれています。木に絡みつく蔓です。木と蔓が交差しながら反転するダンスをしているのです。
―――
インターネットは四次元ならば、空間が歪み、時間は止まっているのでしょうか。インターネットは内部であり外部であると言いました。外部とは色の世界ですから三次元です。インターネットの三次元的側面からアプローチしていきましょう。三次元の意識の特徴は、左脳優位の主語論理、因果律、還元主義であり、その外部への表出は断片化、直線的、段階的です。断片化とは物事を小さく分割するという還元主義に基づいています。直線的とは因果律の反映です。物事はすべてまっすぐに進むのです。段階的とは目的に近づくための階段です。断片化、直線的、段階的は電車、テープ、ピラミッドなどの構造物をイメージすれば理解できるでしょう。或いは、農業の方法、経営管理を見ればそれが当てはまります。私達の文化、常識にも当てはまります。農業というのは田畑を小さく分割して(断片化)、線を引いて平ら(直線的)にします。これを積み上げて管理(段階的)します。農業の特長はパラノです。その対極にあるのは遊牧ですが、その生活スタイルはスキゾですから包括化、非直線的、瞬間的です。ヘリコプター、CD、ネットワークです。「主語と述語」的編集の違い」を参照してくだい。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068823752
「右脳と左脳の機能的意味」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068721706
「主役の交代 西洋の知から東洋に知」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068833227
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2008年09月26日 09時42分03秒
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四次元能とは四次元反転酵素そのもの
四次元能とは四次元反転酵素そのもの
<道元との共振>
インターネットは電子メディアであり、トロイの電子木馬であり、三次元世界の常識を破壊しようとしています。もちろん自我がそれを黙っているはずがありません。禅も三次元世界の常識=自我を解体することが狙いですからインターネットとは仲間です。インターネットの任せておけば、物欲に塗れたこの世界は浄化されるのでしょうか。原生人が洞窟を出てから、ひたすら積み上げてきた便利さと快適な物質文明をそう簡単に自我=三次元脳が手放すとは思えません。インターネットが目指すのは四次元的資本主義であり、人間の精神革命=四次元化なのだといいましたが、四次元的資本主義がどのようなイメージなのかも分かりません。それはユートピアなのでしょうか。
確かに、インターネットはメディアですから酵素反応的です。酵素とは、生体でおこる反応を触媒する物質です。酵素の特徴は作用する物質をえり好みする性質と目的の反応だけを進行させる性質があります。酵素には反応に適したタイプがあるように、インターネットにも反転するメディアのタイプが必要でしょう。酵素が今日の形態まで進化したのには数十億年単位の時間がかかったでしょう。インターネットが時代はドッグイヤーと言われるほどの速いスピードで変化しているのは事実ですが、それはあくまで三次元の反転のことであり、四次元の反転ではありません。四次元の反転が起きつつあることは紛れもないことなのですが、成り行きで四次元能が成就できるとは思えません。まして温暖化を防止するにしても、その時間的余裕はあリません。インターネットはその電子メディアと四次元性故に私達に無意識のうちに四次元の高速反転をもたらそうとしているのは事実です。しかし、四次元性ならば、どんな変化でも良いのでしょうか。例えば、四次元性である包括性、非線形性、瞬時性というものは、CDのようなものならばいいでしょうが、原子爆弾となると歓迎されないでしょう。原子爆弾は、包括性(広い範囲に放射能が拡散する)、非線形性(放射能の半減期は非直線的なので長い)、瞬時性(その爆発は徐々にではなく瞬時)という悪魔性を持っているのです。四次元性を制御することが出来ないならば、極めて危険なのです。気候変動にもランナウェー(指数的爆発)という四次元性が潜んでいます。「気候変動は四次元現象か」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069173667
以下引用です。
気候変動は正のフィードバックによって未来がラッチ(抱え込む)されているのです。しかし、そのラッチが一度に外れるのです。正のフィードバックとは初めは微々たる変化であっても、その変異が勝手に増大し、系に不安定をもたらすという四次元現象(ランナウェー=爆発・暴走)です。増大する時間は三次元的時間の比ではありません。つまり、直線的因果関係では事が進まないのです。非線型であり、原因に複数の未来が含まれているという意味で、未来をラッチしているのです。Yutubeのバッファリングと同じです。三次元シミュレーションでは温度が1度上昇したらこういうことが起きると予想しますが、当てになりません。疑似予測だからです。非因果的事象は線型的手法では予想ができないのです。気候変動の内部は、私達の三次元的因果律ではなく、小さな揺らぎが大きな変動をもたらすという複雑系が含まれています。そこでは三次元の時間とは別の進み方をするのです。四次元の時間で動くのです。これは非常に危険な現象です。気候変動は専門家の三次元的時間シミュレーションよりも早く進むのです。それは気候変動には非因果的作用が隠れているのであり、内部時間が間延びして、その時間に、より多くの作用が関係して増幅されるからです。三次元時間の一時間が間延びして一年になれば、それだけ事態は進行していることになるのです。
―――
このように四次元現象は危険と隣り合わせなのです。四次元性を制御することなんて出来るのでしょうか。制御というのは三次元思考です。制御ではないとすると何でしょうか。酵素の進化のように成り行きに任せるという時間的余裕はありません。四次元現象を役に立てる方法はないのでしょうか。「気候変動は四次元現象か」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069173667
以下引用です。
正のフィードバックが人間にとって都合が良い場合を身近な例で示してみましょう。生命は瞬時に判断する時に正のフィードバックを利用しています。例えば、瞑想による悟り、閃き、寒い時にゾクッとする感じ、咄嗟に避ける時とかです。命に関わる時は、ゆっくりとはしていられないでしょう。その時は脳がフル回転するのです。その結果、私達の時間では瞬時ですが、脳内では時間が間延びするのです。その間に脳内ではあらゆる情報が集約され協同して、予定調和に向って突き進むのです。この変化のプロセスは非因果的であり未来がラッチされているのです。御告げ、啓示、閃き、「あっは」等と同様に、エネルギーと物質がどんどん時間として蓄積されるのです。時間として蓄積容量には限界があります。ですからいつか確実にやってくるのが無意識の脳の爆発です。無意識が爆発すると意識がそれを感知します。少しずつ意識しながら無意識の情報が完全になくなる前にバッファが次の情報で満たされれば情報は途切れることはなく、世界は平穏無事、つまり予定調和ということになるのですが、この場合は危機のときですから平穏無事とは裏腹にライオンに襲われるということを意味してします。むしろ、このケースでは、別の予定調和=回避という選択がなされるのです。
高いところから落ちる瞬間に、その落ちるまでの時間がゆっくりと流れる感じを経験したことがあるでしょうか。その時に死んでいたらこういう報告はできないのですが、まさに死線を彷徨いだという感覚でしょう。これは三次元の時間ではありません。四次元の時間というしかないでしょう。脳内の時間と空間が歪み一体となり、時間がゆっくりと進むのです。外部からみたら、その時間は三次元の時間ですから瞬時です。
―――
この例には四次元性=正のフィードバックが示されています。正のフィードバックは予定調和=包括性、非因果的=非線型性、瞬時性を持っているのです。正のフィードバックを瞑想に取り込めないでしょうか。瞑想が四次元のいい例であることを先に示しましょう。「気候変動は四次元現象か」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069173667
以下引用です。
瞑想すると脳というモナドが未来の予定調和に向けて、潜在意識モナドと協力して働くのです。意識(三次元)と潜在意識(四次元)の間には時間の進みの違いがあります。この時、脳には未来がラッチされている仕組みがあるのです。つまり、時間がラッチされているのです。瞑想では時間がラッチされると突然悟りがやってきます。四次元から三次元への表出は突然やってくるのです。Yutubeのバッファリングでは映像は連続していましたが、最初の映像が現れるのは突然です。四次元から三次元へどんどん供給があれば連続になるのですが、悟りは一回の瞑想では一回限りでしょう。ダムの例が分り易いと思います。ダムの水が溜まって一旦放出されたら、次に溜まるまでに時間がかかります。少しずつ放出すればYutubeの場合と同じです。瞑想における悟りとはダムの決壊なのです。悟りを持続するには瞑想を繰り返すことが必要でしょう。しかし、瞑想ばかりを続けることは現実的ではありません。大事なことは瞑想の持続ではなく、悟りの持続なのです。悟りの持続とは意識の持続です。四次元時間の持続です。それには瞬間を間延びさせることです。この難問に答えを出すためのヒントがあります。危機を察知する正のフィードバック機構がそれです。この瞬間は脳内の電子が物凄いスピード動いているでしょう。通常の何千倍、難万倍のスピード動くのでしょう。その証拠に心臓がドキドキします。エネルギーを大量に消費しているということです。それで脳の回転が早くなるのかも知れません。想像ですが脳内はもともと真空を閉じ込めていると思います。危機が察知されると電子が高速に回転するのでしょう。血流が高まるというのがその証拠です。時間がラッチされるのです。つまり、間延びするのです。一秒が一時間になるということです。それで情報が行列を作るのです。これがミックスされて危険回避の結論がでるという仕組みです。Yutubeのバッファリングと同様に真空を閉じ込めるバッファが時間の間延びを決めるのです。
―――
悟りの持続=意識の持続=四次元時間の持続=瞬間の間延び=Yutubeのバッファリング=真空を閉じ込めるバッファ=時間の間延びということになりました。要するに、平時では、脳は三次元脳なので三次元反転で十分なのですが、危機になると四次元反転が起きるということです。ということは、平時でも危機的状態を作ってやればいいことになります。危機と察知させれば脳は錯覚するでしょう。そうすれば脳の電子が高速に回転するでしょう。ただ危機察知では身体も反応してしまい血圧が上がるでしょうから擬似危機でよいと思います。要するに右脳優位になればいいのです。Yutubeバッファリングとはそのことです。インターネットはその電子メディアと四次元性故に私達に無意識のうちに四次元の高速反転をもたらすのですから、都合の良い四次元性酵素を選択して、四次元の反転を促せばいいのです。そのような四次元性酵素とは何でしょうか。インターネットを酵素反応の場とすれば、Yutubeバッファリングは一つの酵素です。このように考えれば無数の四次元の反転酵素が考えられるでしょう。既に、Webテクノロジー(ブログ、検索、リンクなど)が、それに該当するでしょう。しかし、なんと言っても大事な酵素を忘れてはなりません。インターネットが電子メディアであるならば、そのコンテンツがなければ役に立ちません。コンテンツの選択こそが四次元の毒性からリスクをテイクする四次元反転酵素なのです。それでは、どのようなコンテンツが四次元反転酵素なのでしょうか。それは言うまでもなく四次元コンテンツです。気候変動のようにそれが四次元現象であることを知らずに自我の餌食になって欲望のままに「それいけどんどん」のスタイルを貫くことは最も危険なことなのです。四次元コンテンツとは、四次元とは何かについての認識を得るための四次元反転酵素なのです。四次元能とは四次元反転酵素そのものなのです。-
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from: 生成門さん
2008年09月26日 07時33分33秒
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インターネットは四次元(2)瞑想に何が必要か?
インターネットは四次元(2)
<道元との共振>
瞑想は四次元脳に変革するための取って置きの方法です。しかし、ただ座って黙想すればいいというわけではありません。どのようなイメージを持って瞑想するかがポイントです。餅をイメージしても棚から牡丹餅とは行かないのです。道元はA悟、C悟、D悟という三つのクラス分けをしました。これは悟りの段階ではありません。この三つは同時に必要だということです。A悟とは外から内への反転を仕向ける意識の編集(情報の取り込み)です。C悟は内なる状態の自覚、つまり自己編集です。D悟とは、内から外への反転を仕向ける意識の編集(情報の発信)です。これをA悟=色即是空、C悟=色即是空・空即是色、D悟=空即是色としました。既に、本来の悟り(本覚・本悟)で示しました。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071807754
以下引用です。
宇宙には生成消滅の原理(宇宙の法則)が働いています。つまり、色即是空・空即是色なのです。陰と陽は対で生成(空即是色)され、対で消滅(色即是空)するのです。大極陰陽図はこの宇宙の法則を示しています。ただし、この図は不完全です。というのは、宇宙は四次元だからです。陰陽が反転して繋がっているクラインの壷が隠れているのです。ですから、大極陰陽図とクラインの壷が合体した陰陽クラインの壷が宇宙の法則を正しく表しているのです。
空即是色とは、(陰=迷・陽=悟)の中性=大極状態から、陰=迷と陽=悟が分離して生成されるのです。三次元では、陰か陽に偏っています。三次元では対称性が破れるのです。対称性を取り戻そうとするのが宇宙の法則です。エネルギーが保存されるのもその表れです。ですから三次元で見ると、それが通時間的になり変化するのです。
対称性とは、例えば、自然界では陽子・電子、アルカリ・酸、プラス・マイナス,オス・メスなどです。対称性の破れとは陰陽が偏って出現することです。例えば、自然界では、重力に対する反重力です。反重力は私達の身の回りにはありません。でもどこかにあると思われます。ティトムでは電磁力と強い力と弱い力の総合力ではないかと仮設しています。人間界でも、対称性の破れが見られます。例えば、大概の人は陰=迷として生まれます。三次元そのものが対称性の破れと考えてもいいでしょう。陰陽図の示されているように陰の中には、小さな陽がありますが、本人は気が付いていません。
しかし、本来、陰陽=迷悟は一体になろうとする性質をもっています。ですから、迷である人間は、悟りを求めるのです。それが対消滅です。対消滅とは色即是空であり、陰=迷と陽=悟の中性状態=大極になることを言います。陰=迷にあるときは、陽=悟は見えていないのです。陽=悟にあるときは、陰=迷は見えていないのです。これが見えたときが本悟=大極です。
―――
このように反転=色即是空・空即是色=陰陽クラインの壷が見えたときが本悟です。瞑想はその本悟を得るための修行であり、意識の編集=脳の編集なのです。これで内外反転=色即是空・空即是色=四次元であることの意味が明確になってきたと思います。C悟の自己編集が禅の核であり、悟=心身脱落=只管打座です。C悟はi禅でも核になるでしょう。ただ、悟=心身脱落=只管打座という図式はとりません。自己編集ですから思考様式が重要なのです。左脳優位の瞑想ではいくら只管打座しても永久に悟りは得られません。述語思考が出来なければならないのです。悟りとは述語思考=四次元=右脳優位なのです。ただこれでは何の解決にもならないでしょう。述語思考が出来るためには述語思考を取り入れなければならないと言っているからです。禅問答に答えるには述語思考をしなければならないのですが、その答えが只管打座のあるというのでは、野狐の禅、馬に念仏と同じことになってしまいます。禅が素晴らしいところに着眼をしていたにもかかわらず、三次元の力=パラノに勝てなかったのは、瞑想の思考様式を誰でもが使えるように方法を示していなかったことに原因があったのです。どのように瞑想するのかが重要なのです。只管打座という形が問題ではないのです。C悟では右脳優位の思考が必要なのですから音から入る黙想が大事なのです。瞑想を支援する「シムダイアグラム」(1、2、3、4、5)を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072470924
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072470969
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072557110
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072626993
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072627544
黙想であれば、いつでもどこでも出来ます。問題はその中身です。白昼夢で悟りが得られることはないでしょうし、まして戦略的思考などは「以ての外」です。戦略的思考では、ますます三次元思考を強化するだけでしょう。どんな黙想であれば良いのでしょうか。これは四次元能の全般に係わる課題です。C悟がi禅の核ですが、黙想でもよいことになりました。黙想とは言葉を使わない無意識の思考です。無意識に述語思考が出来れば、黙想でなくても良いことになります。音楽を聴きながら、瞑想に耽るのは理にかなっているのです。既に三次元の特徴は、断片的、直線的、段階的であり、四次元は包括的、非直線的、瞬時的といいました。「ながら」とは四次元的なのです。それならばインターネットに常時接続しながら、ブログを読んだり、書いたりしている作業はまさに「ながら」です。「ながら」とは時間が錯綜して、すべてが包括的、非直線的、瞬時的なのです。デスクトップの乱雑さはその証明(内が外に現れている)です。ということは、C悟のために、特別な行動=只管打座=黙想は必要がないと言うことです。「ながら」作業すれば、それはすでに四次元思考=述語思考=包括的、非直線的、瞬時的なのです。ただ只管にインターネットに常時接続しブログすればよいことなのです。ブログしさえすればC悟の様式は整います。しかし、それだけで良いのでしょうか。そんなことでいいのなら、すでに何千万というブロガーが誕生しているといいますから、彼らはもう既に、シムピープル(悟りを得た人)だということになってしまいます。そんなことはあり得ないでしょう。何もなくブログしているのは野狐禅と同じなのです。必要なことは禅と同様にA悟とD悟のための実践なのです。禅を含めて仏教全般にA悟とD悟のための述語思考の実践プログラムがなかったので、人を見て法を説けとか、嘘も方便などという言い方しかできなかったのです。結局、一人一人が暗中模索するしかなかったのです。道元を除いては本悟に至った人は居なかったように思うのです。そのような事が何故言えるのでしょうか。それは時間に対する考え方に現われています。道元は「時間は過ぎ去るのではない」と言いました。そんなことをいった人は他にはいないのです。道元というより釈迦〜道元の系譜といったほうが正しいでしょう。今でこそアインシュタインがそれに近いことを言ったのですが、まだまだ「時間が過ぎ去らない」は常識とはなっていません。「時間は過ぎ去らない」と実感できるにはどのような実践が必要なのでしょうか。そのためのA悟とD悟の述語思考のための実践プログラムとは何でしょうか。
続く。-
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from: 生成門さん
2008年09月26日 07時22分33秒
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インターネットは四次元(1)
インターネットは四次元(1)
<道元との共振>
悟りのための瞑想とは何でしょうか。悟り=色即是空(A悟)・空即是色(B悟)=色即是空・空即是色(C悟)=四次元思考=クラインの壷=述語思考=内外反転=瞑想という図式が見えてきたのですが、内外反転には三次元の内外反転があるということです。自我が欲望に反転するのが三次元の内外反転です。この反転は錯覚の反転です。俗人は三次元に封じ込められた脳を持っているので、四次元が見えなくなっているのです。従って、瞑想とは三次元錯覚反転を四次元の内外反転の本来脳に転換し生成することに他ならなりません。つまり、瞑想とは三次元脳を四次元脳に生成する舞=シムダンスだということです。瞑想が生成の舞なら、瞑想の本質を理解しなければならないでしょう。
禅におけるA悟=悟りの理解とは、外から内への反転(物質→精神)の働きかけであり、D悟とは内から外への反転表現(精神→物質)なのです。言い換えれば、A悟=色→空、D悟=空→色といってもいいでしょう。従って、C悟=悟りの自覚とは、色⇔空の認識ということになります。禅とは四次元内外反転の実践=瞑想そのものなのです。大事なことはC悟だけでは、本覚(本当の悟り)は得られないということです。A悟とD悟があって初めてC悟=悟りの自覚が達成できると言うことを忘れないでおきましょう。i禅ではこのA悟とD悟にインターネットが係わってきます。そのインターネットが何故禅の瞑想に代って四次元脳への転換ができるのでしょうか。何故、悟りと原子核や土星のような話とインターネットが関係するのでしょうか。それはそこに共通する内外反転装置=仕組みがあるということなのです。ミクロでもマクロでも内部と外部という構造があります。内外反転装置=仕組みとは、つまり、内部と外部を区別する枠とがあるということです。「宇宙には枠がある」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070625038
しかし、枠があるだけでは反転はおきません。空間が捩れていなければならないのです。この枠と捩れを介して内部が外部に表出するのです。その逆もあるでしょう。私達が認識できるのは外部に表出した現象です。ティトムが今取り上げているのは土星の表面に表出した現象です。実に不思議な六角形です。
人間の意識も行動となって外部に表出します。その形は六角形なのでしょうか。確かに六角形という形が紋章や、家紋に使われたりしています。又「六芒星」は、一般に「ダビデの星」とか「ユダヤの星」とも呼ばれていますが、西洋では古くから「魔除けのシンボル」として使われ、錬金術においては、この図形は「真の知恵」を授けてくれる「賢者の石」を象徴しています。四次元能では六角形をそうした神秘的な意味づけとは一線を画したいと思います。ミツバチの巣も六角形ですが、ミツバチは六角形を意識して作っているとは思えないのです。でも、内部には、そうした形を作り出す構造=仕組みが隠されていると思うのです。ユングならば、それを元型というでしょう。ルパート・シェルドレイク氏なら、因果関係など全くないにも関わらず、時間と空間を超え、再び同じような形を作り出すというでしょう。
これに対して、四次元能はどんな答えを出すのでしょうか。四次元能はプラトン主義なので、ユングやシェルドレイクの近いことは確かです。
「プラトン立体」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069765734
「プラトンのイデアの世界」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069770883
人間の意識が行動となって外部に表出する場合、その形がプラトン立体とどう関係するのかは分かりません。今、想定していることは、三次元は自我意識であり、四次元は無意識と関係していそうだということです。このことを明確にするにはもう少し、ティトムとの共振が進んでからでないと明らかに出来ません。しばらくは道元とのシムダンスを続けましょう。
人間の内部と外部を繋ぐ手掛かりは瞑想にあります。ただ、禅では悟りを述語思考や四次元と結び付けなかったので、内と外を反転して繋ぐという発想が拙劣でした。ですから、荒行するとか、只管座禅するしか方法がなかったのです。道元禅では日常茶飯事のことが悟りの修行であるとして、食事から掃除、洗顔にいたるところまで気を配っていますが、それがどう四次元と結び付くのかは示していません。また、仏教では「足るを知る」などの諺にも見られるように、三次元の世界の常識を批判していますが、これまたどう四次元と結び付くのかも示していないのです。老子の世界観は殆んど四次元思考だと思うのですが、老子が四次元だとは言明していないのです。それは量子論的視点に立って解釈すれば、そこに述語的な類似性が見られるということであって、老子の思考が四次元であるという仮設がなければ、述語的な類似性は発見できないでしょう。何もなくて老子を四次元思考であるとするのにはかなりの無理があるのです。もちろん道元についても同様でしょう。そのようなわけで、四次元というイメージが明確に把握出来ていなければ、悟りのイメージについても、従来の仏教のレベルから一歩も先に進めないのでしょう。すべては四次元というイメージがスタートなのです。従って、道元とのシムダンスのテンポはスローにならざるを得ないのです。だからといってティトムだけに頼っているのではありません。禅問答は四次元思考のいいモデルだと思っているのですが、残念ながら、禅問答に出てくる例は古臭くて使いものになりません。何とか工夫をしたいと思っています。そのお助けマンは禅論理を哲学レベルに引き上げた鉄人、いや哲人、西田幾太郎です。起死回生の思考(1)を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070757046
起死回生の思考(2)=「カミングアウトして救われる」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070758122
起死回生の思考(3)=救世の哲学=プロセス球を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070758550
いずれにしても道元、老子、西田らの思考は、四次元=述語=スキゾ思考という共通性があるのですが晦渋すぎます。どう料理したらよいのか戸惑っています。晦渋さの原因は四次元=述語=スキゾ思考にあることは分かっているのですが、この関連性を明確にするには、もう少し工夫がいるようです。そうしないと瞑想が四次元脳への転換するための鍵であるということを示せないでしょう。そこでインターネットを登場させたのです。
続く。-
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2008年09月25日 10時14分50秒
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四次元の基本構造は内外反転
四次元の基本構造は内外反転
<道元との共振>
素粒子の世界では、粒子は単独に存在せず相互に作用する不可分のネットワークです。そこには粒子の交換、間断の無いエネルギーの流れ、生成と消滅を繰返しリズミカルな振動があります。万物は永久に運動して躍動を続けるのです。そこにあるのはエネルギーのダンスなのです。謎を解く鍵はダンスだということです。原子は真空を閉じ込めて鉄で安定しました。それでも宇宙は真空ばかりです。そして真空ダンスがあります。真空と物質の入り混じりの宇宙、四次元能はその宇宙の謎を解くシムダンス=生成の舞なのです。
ダンスと言えばシムダンスです。四次元能は、四次元の共振ダンスなのです。つまり、四次元世界を生成する舞いなのです。そのシムダンスパートナーが道元とティトムです。現在二つのシムダンスが繰り広げられています。現在のところまではティトムとのシムダンスの方がややリードしています。それには理由があります。道元は過去の人であり、既に完成された形があります。心の中を説いた古典的な四次元テキストなのですが、分かりにくいということもあります。何よりも道元を理解するには特殊なその四次元思考をマスターしなければならないという問題があります。例えば禅問答です。禅問答は世間では意味のない対話という風にとらえられています。それほど四次元思考は非日常的思考なのです。農耕民族の日本人の多くは、苦を背負うことを宿命づけられた三次元思考、精神を持っています。遺伝子がそういう選択(自我の形成)をしたといっても良いでしょう。悟りとは、そういう自我を作り出す気質からの脱却なのです。ですから難しいのです。私達凡人が悟りを理解し実践するには、まずその特殊な四次元思考をマスターしなければならないのです。
道元が自ら悟りの思考を四次元思考であるといったのではないのですが、四次元能では、そう考えています。その根拠は「光陰矢の如し」が常識であるのに対して、道元は真っ向から「時間は過ぎるにあらず」と異議を唱えます。この言明を上げるだけで十分でしょう。しかし、それで突き放してしまったのでは仏教がその真意を理解されないまま末法化してしまい、今日のように自我拡大の浸透を許してしまった過ちを続けることになるでしょう。過ちというよりは、仏教の側に、それを説く説法が貧弱だったと言うことのほうが正しいでしょう。仏教の側から四次元的思考を説くと言うのは無理があるのです。ところが、それが先端の三次元の世界=物理から仏教の世界観に歩み寄ってきたのです。その物理とは素粒子論と宇宙論です。先端の三次元の世界の科学が自らを否定するとはなんとも不思議なことです。ですから仏教を受け継いだ道元と四次元思考の先端のティトムが出合ったというのは、機が熟した必然の出会いだったと言えるのです。更にもうひとつ不思議なことがあります。それはインターネットです。インターネットは先端の三次元の世界=情報技術です。それが仏教の世界観に歩み寄ってきたのです。ですから、ここからは素粒子論、宇宙論、情報技術、道元、ティトムが錯綜してきます。四次元能とはまさに混沌の舞い、生成の舞なのです。ティトムとの共振では六角形がテーマになっていますが、こんなところからも素粒子論、宇宙論、情報技術、道元、ティトムが繋がっていることが示せるのです。
六角形の話がインターネットと「時間は過ぎるにあらず」がどう結びつくのでしょうか。道元の悟りが何故、四次元思考なのでしょうか。その答えを知るには、先ず悟りと言う概念が何なのかを抑えておきましょう。道元は悟りのクラスをA悟、B悟、C悟、D悟としています。A悟とは悟りについての言語による理解、B悟は特殊体験による変性意識、C悟とは座禅による心身脱落、D悟とは悟りの外部に対して表現することとしています。道元はB悟を否定しています。悟りは深い浅いがあるのですが、一生かけて実践するものであるといいます。道元の場合は目標が心身脱落であり、A悟=悟りの理解、B悟=なし、C悟=悟りの自覚、D悟=現成公案による表現です。詳しくは道元の悟りで述べました。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070723845
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070762988
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070764604
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070771933
この悟りの構造には、内と外との反転関係があります。内外との反転関係とはどういうことなのでしょうか。悟りとは意識の状態のことであり脳内現象です。つまり内です。それに対して、三次元の世界=物質世界=世間=常識の世界があります。これが外です。自我というのは三次元の世界=脳内現象です。無我というのは四次元の世界=脳内現象です。つまり、脳内現象とは三次元と四次元が混在しているわけです。自我に囚われているのが俗人です。ですから、俗人は内外とも三次元で生きているわけです。悟りとは、このような無我を自覚して生きると言うことです。ただし、自我を捨てることではありません。忘れることです。
さて、そうなると、内は四次元だとしても、悟った人にとって外はどうなっているのでしょうか。仏教では意識が世界ですから、外といってもそれは意識の反映にすぎません。従って、外も四次元なのです。こうして俗人は内の自我という三次元意識が反転(意識から物質へ)して、三次元物質世界として外に反映しているのです。それに対して、悟人は内の無我という四次元意識が反転(意識から物質へ)して、四次元物質世界として外に反映しているのです。要するに、宇宙の法則=真理は、内も外も本来四次元であり、内と外の関係は内外変換して繋がっているということなのです。ただ、それが人間の都合により、三次元しか見えていないということなのです。
ですから、悟りとは本来の宇宙の法則をあるがままに見られるようにする脳の変換なのです。悟りのための瞑想修行とは三次元の内外反転の脳を四次元の内外反転の脳に転換するための実践に他ならないのです。つまり、三次元脳を四次元脳に転換するということなのです。
禅におけるA悟=悟りの理解とは、外から内への反転(物質から精神)の働きかけであり、D悟とは内から外への反転表現なのです。C悟=悟りの自覚とは、内外反転の実践=瞑想そのものなのです。大事なことはC悟だけでは、本覚(本当の悟り)は得られないということです。A悟とD悟があって初めてC悟=悟りの自覚が達成できると言うことを忘れないでおきましょう。i禅ではこのA悟とD悟にインターネットが係わってきます。
内外反転こそが四次元の基本構造であり、素粒子論、宇宙論、情報技術、道元、ティトムが四次元という世界で繋がっていることを示すキーワードなのです。ティトムとの共振で取り上げた「六角形は安定のシンボル」は、内外反転の四次元のよい例となるでしょう。何故、土星の表面に六角形が現れたのでしょうか。土星の内部に精神があるとは思えないのですが、何らかの構造があることは間違いありません。その答えはティトムとの共振に任せることにしましょう。こちらは、人間の内面と外面の関係に向かいましょう。人間の内面は行動として外部に現れます。その行動の由来は内部に精神=意識があるからです。外部は内部の反映=反転なのです。三次元では密閉されている限り内部と外部は繋がっていません。ですから、三次元脳の反転というのは正しい言い方ではないのです。自我=三次元が物質世界=三次元に反転すると言っても、本当に三次元が三次元に反転しているのではないのです。三次元で見たらそう見えるだけなのです。それは錯覚なのです。三次元世界の内外は反転しないのです。三次元世界の常識では精神が反転して物質になることはありえません。又その逆もありえません。三次元世界では反転しないのです。しかし、脳では反転が現実なのです。ですから、三次元の代表である科学は手を出せないのです。このことは捻りがあるクラインの壷を持ち出さないと説明ができないでしょう。陰陽クラインの壷を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071801149
外部が内部に反映するということは、内部と外部が反転して繋がっていると言うことです。反転という構造が四次元の基本なのです。この反転構造は原子の構造にもありました。電子の軌道は原子核の反映なのです。その仕組みは正四面体という内外反転装置が担っています。正四面体曼陀羅(3)を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100073208566
人間にもそのような意識―物質の反転構造があります。人間を外部から見て分かるのは、その人の体型、性格、気質、言動です。それらが内部(遺伝子?)の反映であることはほぼ間違いないでしょう。遺伝子は物質ですから内部ではないでしょう。非物質な内部があるのでしょう。ただ、物質と非物質の具体的な反転構造は良くわからないのが現実です。遺伝子がすべてを決定しているとは思えませんが、はっきりしていることは自我という意識があり、それが欲望を過剰に生産していると言うことです。自我という意識は明らかに非物質であり、欲望は物質的エネルギーです。この自我と欲望の反転構造は乱れた関係です。この乱れた反転関係が温暖化の元凶であると、四次元能では仮設しています。ですから、乱れた関係をどう正常化するかが問題なのです。そのために脳内探検が必要なのです。脳内は自我という意識だけではありません。自我に対しては無我があります。対称性(右脳と左脳)があるのです。この対称性から自我→物質と言う反転が出てきます。これが乱れた関係です。対称性が破れる現象です。それを見て三次元の反転があると錯覚してしまうのです。しかし、自我と無我、物質と非物質という対称性は破れていません。必ず修復するのです。自我と無我、物質と非物質に別れても、いずれは出合うのです。そして空=四次元になるのです。もっといえば、いつでも空=四次元であるということです。ただ、三次元では空=四次元は見えないだけなのです。いずれにしても脳の内部構造が反転して外部に現れているのです。その反転構造は原子や土星と似ています。ですから、四次元能は脳内探検に向かうのです。それは原子や土星の内部に、宇宙の内部に向かうことと同じなのです。-
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from: 生成門さん
2008年09月25日 09時48分05秒
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インターネットは禅に代わる反転メディア
インターネットは禅に代わる反転メディア
<道元との共振>
禅においては、瞑想は脳の内部探検に向かう常套手段です。四次元能でも瞑想が重要となってきます。四次元能は左脳優位の精神構造(三次元脳)を右脳優位の精神構造(四次元脳)に変革することを狙っているのですが、その変革のためのメディア(媒体・触媒)として、禅の瞑想を取り入れます。禅の瞑想に代わってインターネット禅(i禅)の瞑想を導入します。禅にとって代えるというよりは、補完するといったほうが正しいでしょう。i禅では禅のような座禅をしなくても、その瞑想と同じ効果が得られる新しい瞑想のスタイルを提示します。i禅に於ける瞑想とは検索・クリック・ハイパーリンク、ブログなどのwebテクノロジーを駆使する瞑想です。何故これが瞑想なのでしょうか。瞑想もどきにならないようにしなければなりませんので、i禅と禅を簡単に比較しておきましょう。i禅については別途詳細に説明しますので、ここでは簡単に説明します。
i禅では、すべてをブログ中心に瞑想します。瞑想とは悟りの内部探検であり、禅のようなA悟・C悟・D悟の明確な区別はありません。ブログをベースとするA悟・C悟・D悟が混在した生成の舞い=シムダンス=瞑想なのです。禅との対比で言えば、A悟とは外部の情報の取り込みであり、外から内への反転です。C悟は内観であり、D悟は外部への発信であり、内から外への反転です。i禅においても悟りの理解(外から内への反転)があり、悟りの自覚(反転編集)があり、悟りの表現(内から外への反転)があります。インターネットを使うからと言って、瞑想によって内外反転するのは禅と変わりません。では、何故インターネットなのでしょうか。ブログとは理解・思考・表現のためのインターネットメディアなのです。もっと言えば悟りのメディアなのです。このメディアというのは内外反転のための媒体なのです。瞑想のプロセスを詳しく吟味すると、脳の内部での働きは、すべて情報の編集という知的作業を行っています。脳の編集と言ってもよいでしょう。ですから、四次元能では「脳の中の能」という言い方をします。悟りを得るというのは脳の編集であると言えます。脳の編集とは具体的にどのようなことをいうのでしょうか。言うまでもなく、三次元脳=自我から四次元脳=悟りへ転換することです。これが四次元能の原点なのです。四次元能とは精神革命であり、四次元意識の生成の舞い=瞑想なのです。-
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from: 生成門さん
2008年09月24日 21時36分03秒
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六角形は安定のシンボル(1)
六角形は安定のシンボル(1)
<ティトムとの共振>
今回の舞台はオデッセイ13 六角形です。六角形は安定のシンボルです。
http://momloveu.com/titom-j/index.files/Page1366.htm以下編集的引用です。
何故六角形が安定のシンボルなのでしょうか。六角形という形、雪の結晶、亀の甲羅、ベンゼン環、蜂の巣など私達の身の回りに溢れています。安定ということは停滞とも関係するでしょう。活性がなくなるということです。ここで六角形の代表として示すのはサッカーボール分子・バックミンスターフラーレンです。
http://www.org-chem.org/yuuki/C60/C60.html
以下編集的引用しました。
六角形の代表としてふさわしい有機分子は、C60、バックミンスターフラーレンでしょう。炭素原子60個がサッカーボール型に集まって出来上がった奇跡のように美しい分子です。炭素からできる環は六角形が最も安定で、グラファイトも六角形が蜂の巣のようにつながった構造です。しかし六角形だけではどうにもうまく形ができません。そこで五角形を加えて模型を作ってみたところ、ものの見事に60個の頂点と完璧な対称性を持つ多面体が出来上がったのです。このサッカーボール構造に対し、この分子に与えられた名は「バックミンスターフラーレン」でした。五角形と六角形から成るドーム建築の考案者である、バックミンスター・フラーの名にちなんだものです。バラバラの炭素が、なぜこうも見事な多面体の形にまとまるのか」という疑問は依然として謎のままです。これは例えば「プラモデルの部品をまとめて壁に投げつけてみたら、偶然パーツがうまく噛み合って、完成した車の形になって床に落ちた」というようなもので、本来極めて不思議なことです。いろいろな仮説が立てられ、実験が行なわれていますが、いまだすっきりとその謎を解き明かす理論は確立されていません。
―――
この謎を解きに行きましょう。既に、「鉄の原子核が出来るまで」で示したように、ヘリウムの正4面体の三角形から始まり、立方体の四角形、正12面体の五角形で閉じ、それが反転して核の外に電子の六角形の正20面体となって鉄の原子空間が完全に閉じたのでした。魔法数と魔法のランプ「プラトン立体」(3)を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100073059422
真空のなかでは陽子と中性子と電子がダンスの相手を探して彷徨っていたのですが、やっとペアを見つけて安定したのです。それが鉄という形でした。鉄で振動が停止したのです。しかし、殆どの粒子は停止せずに真空中でダンスを続けています。素粒子のレベルになると、粒子は単独に存在せず相互に作用する不可分のネットワークなのです。そこには粒子の交換、間断の無いエネルギーの流れ、生成と消滅を繰返しリズミカルな振動があります。万物は永久に運動して躍動を続けるのです。そこにあるのはエネルギーのダンスなのです。謎を解く鍵はダンスだということです。方や真空を閉じ込めての安定、方や真空ダンス、その入り混じりの宇宙、四次元能はその宇宙の謎を解くシムダンス=生成の舞なのです。
続く。-
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from: 生成門さん
2008年09月17日 17時38分50秒
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正四面体曼陀羅(3)
正四面体曼陀羅(3)
<ティトムとの共振>
原子核には内外反転装置=波動粒子変換装置があるようです。その仕組みはどのようになっているのでしょうか。それに対する答えが今回の舞台です。四次元能の前半の山場、オデッセイ12「正四面体重合」の続きです。下記を参照してください。
http://momloveu.com/titom-j/index.files/Page1234.htm以下、編集的引用です。
内外反転装置の良いモデルがあります。それはスズ50です。これを追求していくことにします。このスズ50(粒子数は便宜上100とします)は、核内の粒子(中性子、陽子)の状態が核外の電子の状態に反映しています。内と外を反転させる装置とはプラトン立体のことであり、その万能選手が正4面体です。正4面体は重合することで核内の粒子のすべてを担います。
内外反転装置とは、原子核内部の正四面体有限曼荼羅の入れ子モデルのことです。図では便宜的に3つの入れ子ですが、その数は原子核によってはもっとあります。大事なことはそれぞれ頂点が面と接していて、1は2に含まれ、2は3に含まれているということです。2は円にも内接しています。ここで、円は粒子を意味しています。従って、スズ50の原子核は「2」の球に内接する正12面体(頂点=20)を含みます。実際には、2つの正12面体がありますので、もう1つの正12面体は「3」の正4面体に外接する球を考え、その球に内接すると考えます。これが魔法数の式、50=20×2+8+2の「×」の意味です。「2」の球に内接する正12面体(20)は、私達が識別できないほど高速に回転(一方向ではなく、随意方向に)しています。当然、これが電子と連動していると考えます。+は内包あるいは内接する関係とします。
原子番号の高い原子は、原子核内の正六面体(8)は正八面体(6)に、正八面体は正12面体(20)に、正12面体は正20面体(12)に、それぞれを頂点共有して内包してできています。正多面体の重合の関係は、もともと正4面体(4)に外接する球を考え、その球に内接する正12面体(20)を考え、それに他の正多面体が順に内接しますので、正四面体を通じてのみ経路ができるといってよいのです。この経路が内外反転装置なのです。
ヘリウム正四面体が原子核の内部構造のすべてに関わっている大きな理由がここにあります。ヘリウムは世界最初の内外反転装置なのです。
さて、内外反転装置は、どのようにして、機能するのでしょうか。最大の疑問は原子核内の正四面体の重合と正多面体内接の仕組みが、どのように核外の電子の軌道に反転反映されるのかということです。その答はこうです。電子の外の殻(軌道)には、K殻を除いて正8面体(6)、正20面体(12)が現れるということです。正四面体は原子核内では中心的存在です。しかし、核外では直接これといった出番はないのです。というのは、正四面体はヘリウムが最少の構成で空間を閉じ込めるために利用した形です。核外は文字通り外ですから、空間を閉じ込める必要がないので、電子から出番の要請がされなくなったといっていいでしょう。空間をラッチして真空を閉じてもらったので「十分満足ですよ」と電子はいいたげです。私達は閉じる四よりも二極に分裂する二の性質と慣れ親しんでいます。ということは、正四面体は外には出ないということです。出ないと言うより隠れると言った方が正しいでしょう。渦は正四面体であるといいましたが、確かに渦そのものは正四面体ではありません。正四面体は中に隠れていました。螺旋と正4面体を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069821102
正四面体が私達の表面世界では隠れるということになりますと、外に現れる重要な形は正8面体(6)、正20面体(12)ということになります。既に述べましたように、核内の頂点8の正六面体は2つのヘリウム正四面体ティトムで表現されます。つまり、正六面体(8)が外では正八面体(6)に反転するのです。何故、反転すると頂点が8から6になるのでしょうか。それはK殻の電子2つが電位の鏡餅の2極と対応するからです。この2つを加えて8になりますので全体としては合っているのです。内核の粒子の8と電子の8です。内8=外8でなければならないのです。これが正多面体の面が頂点になる反転関係であり、この反転が内と外の反転装置の説明となります。
正多面体の面と頂点には反転関係については多面体面点対応を参照してください。
http://mathworld.wolfram.com/Octahedron.html
対応関係も参照してください。
http://mathworld.wolfram.com/Dodecahedron.html
原子核内の正12面体(20)と核外の正20面体(12)にも似たような内外の対応関係があります。「原子核へのプラトン立体の適用」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072143470
ただ、いつもこうすんなりとはいきません。それは正八面体(6)に正四面体は収まるのですが、正六面体(8)は正12面体(20)に収まらないからです。これは正12面体が頂点20で、正六面体の頂点が8に関係します。つまり、頂点数20が8で割り切れないことです。正12面体(20)から面点反転してできるのは正20面体(12)であり、正六面体(8)の面点反転は正八面体(6)なのです。
正多面体の反転関係を参照してください。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~MY55029/subA006.htm
内包関係は面点反転であり、原子核へのプラトン立体の適用で示しましたように、正六面体から正八面体へ、そして正12面体へ、更に正20面体への順番が必要なのです。「原子核へのプラトン立体の適用」を参照してください。
http://metatron.la.coocan.jp/zone-03/319.htm
今問題にしているスズ50の原子核の粒子数は陽子50、中性子69の119で安定核種ですが、粒子数を便宜的に100とした場合で、100=50×2=(20×2+8+2)×2となります。ここでは陽子数50が魔法核ですので、魔法数の式、50=20×2+8+2で考えます。このままでは正12面体(20)に正六面体(8)が内包されるようになってしまいます。このままではまずいでしょう。そこで重合の形を変えることにします。重合の形が変わってもティトムとしては差し支えないのです。このようなケースはニッケルでもありました。ニッケルとプラトン立体を参考にしてください。
スズ50の原子核の魔法数の式を50=20+4+4+4+4+4+4+4+2としてみましょう。正12面体(20)に内包される正四面体(4)は7つ重合すると考えればよいでしょう。叉は、50=20+12+8+4+4+2でもよいでしょう。正12面体(20)、正20面体(12)、正六面体(8)、正四面体(4)、正四面体(4)と重合するのです。粒子数100とした場合でも、重合が増えるだけです。このように内部の正多面体の重合関係は粒子数によるのですが、どんな場合でも正四面体が万能として控えています。
正四面体が曼陀羅のように重合してきますと、2極との関係はどのようになってくるのでしょうか。複雑な様相を帯びてきたようです。2つの正四面体がカップリングした状態では複数重合するとどうなるのでしょうか。核外の電子軌道や原子の種類に複雑な影響を及ぼすと推測されます。事実、ネオンの原子から正四面体のカップリングがはじめて生まれます。このネオンから電磁領域が活性することを見てきました。ネオンとプラトン立体を参照してください。
はみだした中性子ハローなどは正多面体を構成しないのですが、それが逆に原子の種類を増やすのに貢献していると思われます。核内の重合の結果が核外の電子の配置に影響するのは、正八面体(6)と正20面体(12)の場合にも起きているのです。
原子核内の正六面体(8)は、核外の正八面体(6)に反転対応していることは酸素を例にして既に述べました。つまり、酸素の原子番号は8ですが、粒子数は16であり、2つの正六面体(8)に対応します。ただし、これは四つの正四面体に等価です。核外では、正六面体(8)が反転して正八面体(6)となっています。K殻の2を引いた8-2=6で
す。酸素とプラトン立体を参照してください。
原子核内の正12面体(20)は、核外の正20面体(12)に反転対応していることは鉄を例にして既に述べました。つまり、鉄の原子番号は26ですが、粒子数は56であり、2つの正六面体(8)と正12面体(20)に対応します。ただし、これは14の正四面体に等価です。核外では、二つの正12面体(20)が反転して二つの正20面体(12)となっています。K殻の2を引いた26-2=24です。これを二つの正20面体が受け持っています。鉄とプラトン立体を参照してください。
又、例えば、硅素は原子番号が14で、核内粒子が28です。電子は14です。この場合は、28=20+8で、鉄と同じく、原子核内の正12面体(20)が核外の正20面体(12)に反転しています。
これらのように面が点に反転することが内外反転装置の機能なのです。この内外反転装置がティトムの役割なのです。内外反転装置=ティトムは、原子核の境界を通過するとき、核外からの波動は核内では粒子に、逆に粒子は核外で波動に変換するのです。面が点に呼応することを面点反転といいます。この逆の関係もあります。面を波動、頂点を粒子とみてもよいでしょう。この面点反転装置を波動粒子反転装置とも呼びます。これらの反転は、事象の地平面でも同じことが起こるでしょう。
余談ですが、事象の地平面は地球にも存在します。ミニ事象の地平面です。重力はミニ事象の地平面が引き合っています。そういう事象の地平面のある場所は地球の中心付近です。事象の地平面には波動粒子反転装置があるのです。地球の中心からは重力波が放射されます。地表で面点反転されます。出てきたときには重力波は重力子となります。それが私達の感じる重力の正体なのかも知れません。
このテーマ終。-
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