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シムダンス「四次元能」

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2011年08月30日 08時04分25秒

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    先祖返りの自己認識方程式

    先祖返りの自己認識方程式
    <PS理論の深化>

    新しい光の自己認識方程式: i*(-i)⇒+1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i) ⇒+1
    は考えれば考えるほど面白いですね。

    分数a/bはb⇒aと表現できます。分母を母として、分子を子と看做すと母⇒子となります。これは感覚的に受け入れやすいですね。

    i/1は1⇒iとなりますので1を母として、iを子と看做すと母⇒子となります。しかし、1/iはi⇒1となりますので、分母⇒分子というルールは変わりませんが、1を母としたことにこだわると子⇒母となります。

    従って、(i/1)*(1/i)は母⇒子と子⇒母となります。この子⇒母をRenshi氏は先祖返りと言ったのですが、これはどのような意味を持っているのでしょうか。

    結局、母⇒子と子⇒母は常識で考えると卵か先か鶏が先か?と言っているようなものです。つまり、常識では答えが出ないのです。

    ここは超越(飛躍)なければなりません。

    (i/1)*(1/i)は、そのことを同時に、つまり、「即非的に考えよ」と言っているのです。

    こうした発想はこの四次元能では一貫して流れている主張ですが、表現を変えて、ツイスター、複素化、観念的同時陰陽論的同心球面対、捩れた四次元、二重螺旋、光の平方根、光の認識の方程式、自己認識の方程式など言ったりします。

    さて、子⇒母は子の心が母に向うのでしょうか。

    子の心が母に向うとは何を意味しているのかを考えて見ましょう。

    1⇒i/iは(i/i)/1=1(i/i)です。そして⇒+1
    となります。何かにi/iを掛けるとは何を意味しているのでしょうか。

    複素平面上の単位円を考えると、iを作用する(掛ける)とは90度右回りに回転させることを意味しています。1/iを作用させるということは、i*-i=1からも分かるように1/i=-iですから、90度左回りに回転させることを意味しています。

    従って、何かにi/iを作用させるとは、同時に左右に回転させることを意味します。これが認識の多様性を生む仕掛け、作用だということになるのではないでしょうか。

    既にi/1と1/i にi/iを掛けた結果を計算してあります。ここから意味を汲み取っていきます。

    i/1にi/iの作用させる場合と1/iに i/iを作用させる場合とに分けて表現します。又、二回目のi/1*(i/i)=-(1/i)は-1/iと-1/iと考え分数化します。同様に1/i*(i/i)=-(i/1)は-i/1とi/-1と考え分数化します。


    i/iの作用 i/1.....1/i..........意味
    一回目.....1⇒i....i⇒1.....第一象限の1/4回転
    二回目.....i⇒-1............第二象限の1/4回転
    二回目.....-i⇒1............第四象限の1/4回転
    二回目............-1⇒i....第二象限の1/4回転
    二回目.............1⇒-i...第四象限の1/4回転

    二回目については、-(1/i)と-(i/1)の答えが二つ出てきましたが象限をそろえて

    i/iの作用 ...i/1.....1/i..........意味
    一回目......1⇒i.....i⇒1.....第一象限の1/4回転
    二回目......i⇒-1...-1⇒i....第二象限の1/4回転
    二回目.....-i⇒1.....1⇒-i ...第四象限の1/4回転
    とします。

    これで第一象限の「行って来い」と同じ形になりました。

    面白いのは、もう一度i/iを作用させると(i/1)*(i/i)*(i/i)=i*i*i/i*i=-i/-1=i/1, (1/i)*(i/i) *(i/i)=i*i/i*i*i=-1/-i=1/iとなり、第一象限の「行って来い」の元の形に戻るということです。

    i/iの作用 ...i/1....1/i.........意味
    三回目......1⇒i....i⇒1....第一象限の1/4回転

    これらはどのような意味があるのでしょうか。個別に吟味してみましょう。

    i/iの一回目の作用では1⇒i とi⇒1で、  第一象限の「行って来い」となりますが、認識の式では(i/1)*(1/i)となっています。

    ⇒で示すと「行って来い」という経過を想像してしまいますが、これは3次元の時間の概念を潜入させた順番的な考えです。

    しかし、(i/1)*(1/i)にはそのような時間の概念は入ってきていません。*は即非共振ですから、(i/1)と(1/i)とは同時なのではないでしょうか。

    つまり、1⇒i は時間を越えた物質からの精神への飛躍であり、i⇒1は精神から物質への飛躍なのではないでしょうか。

    1⇒iを光の認識とすると、第一象限の認識、つまり、陽光の認識と言えると思います。

    ですから、陽光に依存する物理では物体から光が飛んできて時間が経ってから網膜に達すると考えるのでしょう。

    つまり、光源の物から発した陽光が脳に入り(1⇒i)それを物として認識(i⇒1)するという順番的な光学的メカニズム(1⇒i)→(i⇒1)で説明するのです。

    しかし、内面的に起きていることは(1⇒i)*(i⇒1)であり、無時間的な指し示しです。無時間的な指し示しとは観念的に即非的に同時なのです。

    ここで、光を私として私の認識を考えてみましょう。

    すると(1⇒i)*(i⇒1)は(先祖⇒私)*(私⇒先祖)となります。これが光による自己の認識を多角的に捉えるという一つの例であり、私なりの解釈ですが如何でしょうか。

    なぜ、1が先祖かと言いますと、先祖は実在したのです。物質が存在する(した)と存在を想像するとは根本的に違います。存在は+1であり、想像は非存在であり、-1だからです。

    今では先祖は墓場の骨となっていますが、確かに3次元の物質(精神的身体)として存在していたのです。

    その先祖(母)から私が生まれるから先祖⇒私なのです。生まれた私は+1ですが、生まれる私はiなのです。

    生まれるだろう私(i)は実在ではないですから虚の私です。私はまだ生まれていないから虚なのです。これは私の遺伝子イデアといってもよいかもしれません。

    ところが、私⇒先祖は遺伝子の私が先祖を指しています。この意味は、虚としての私が先祖に向っているのですから、renshi氏の言葉を借りれば、「先祖返り」、始原への回帰となります。

    これは私達の通常の認識は実(物質)から虚(精神)に向かいますが、同時に、虚から実にも向っています。物を見たとき「おや!なんだろう?」と思うことは1⇒iです。しかし、直ぐに、「そうか、それがタンポポだ」と認識したときがi⇒+1です。

    もちろん、はっきりと何であるかを同定できないこともありますが、それでも何かしらの身体的表現はあるのです。ですから1⇒iと i⇒1は同時であり、(1⇒i)*(i⇒1)なのです。

    三次元の意識としては、物を見ることと物と判断することを同時には認識できないのですが、観念的には同時と認識できるのです。

    先祖を遡っていくと最後はミトコンドリア・イブ(人類の最初の母)の辿りつきます。また、私の未来の子孫は途切れるかもしれませんが、仮にそれをi とすれば、i⇒1は、全ての未来の人類は始原に通じていると言えるのです。

    言い換えれば、私の子孫が持つであろうミトコンドリアは、実在した人類の最初の母を指しているのです。もちろんミトコンドリア・イブのもっと先の始原も指しているでしょうが。

    次に「i/iを二回作用」した結果の i⇒-1      と-1⇒i(第二象限の認識)を考えて見ましょう。

    +1と-1の違いは物質(+1)非物質(-1)の違いです。光でいうとi⇒-1は脳の中の物のイメージ(-1)が生成されるということです。最初の資源とは何かということになると更に遡らなければなりませんが、それは四次元宇宙論になるでしょうから、ここで止めておきます。

    物から発した陽光が脳に届き、直に物だと認識(1⇒i)*(i⇒1)するのが第一象限の認識ですが、大抵は、記憶してそこから判断があって認識するという経路を辿ります。これがi⇒-1と-1⇒iです。

    先ず、第一象限で、物として認識されます。同時に、物のイメージ(-1)が
    MPを媒介にして生成されます。つまり、+1の鏡像として-1が形成されるのです。

    当然それはMPに記憶されます。それが-1⇒iです。一旦記憶された物のイメージはいつでも瞬時に想起することができます。それがi⇒-1です。

    このプロセスは第一象限と連動して起こり、物から物へのループ{(1⇒i)→(i⇒1)}したように、第二象限も{-1⇒i→ i⇒-1)}とループしているのです。

    前者のループが陽光による外部認識(対象の認識)であり、この後者のループが陽光による内部認識(想起や残像)なのではないでしょうか。

    次に、「i/iを二回作用」した結果の -i⇒1 と1⇒-i(第四象限の認識)を考えて見ましょう。

    これは簡単にループ{1⇒-i→-i⇒1}となるでしょう。これを第一象限のループ{(1⇒i)→(i⇒1)}と比較すれば、一目瞭然、iと-iの差だけです。

    しかし、共通しているのは1⇒()⇒1、つまり、物⇒()⇒物(簡単に物から物)です。これが物の認識の有り様です。

    では、第一象限と第四象限の認識ではどのような違いがあるのでしょうか。それは言うまでもなく、iと-iの差にあります。

    これは第一象限での説明をiを-iに変えれば済むことです。

    i/iを二回作用させると第四象限の認識1⇒-i と-i⇒1となるのですが、即非の認識の式では (-i/1)*(1/-i)となるでしょう。

    1⇒-i は物質からの精神への飛躍であり、-i⇒1は精神から物質への飛躍です。

    物を見たとき「おや!なんだろう?」と思うことは1⇒-iです。1⇒iとの違いは、i:自己、-i:他者ですから、1⇒iの自己に向かう「おや!なんだろう?」に対して、1⇒-iは他者に向かう「おや!なんだろう?」です。

    1⇒iは物から私(自己)へ向うのです。例えば、地震が来たとします。そのとき私は恐怖を感じるでしょう。そして、机の下に隠れるかもしれません。自己を防衛するのです。それから「大した地震ではなかった」と分かって「ほっ」とするのです。

    これが自己中心的な志向i⇒1です。

    ところが1⇒-iも私に向うのですが、-iは他者ですから私の中の他者に向かうのです。

    当然「おや!なんだろう?」から始まって、「大変だ」「逃げなくては」「子供は」「母は」「妻は」という具合に、身近な者への気配りとなるでしょう。

    それから「大した地震ではなかった」と分かって「ほっ」とするのです。それが-i⇒1です。

    {1⇒-i→-i⇒1}のループにおいては、物質から来た即非の光が分岐して、陽光と陰光となりますが、こちらは陰光のみの認識と言えると思います。陰光は他者へ向う光と言えるでしょう。

    陰光に依存する物理(そういうものいは存在しませんが)は物体から光が飛んできて時間の進みとは逆に進んで網膜に達すると考えるのです。つまり、未来から光がきたということになります。

    つまり、 (-i/1)*(1/-i)は、光源の物から発した陰光が脳に入り(1⇒-i)それを物として認識(-i⇒1)するという順番的な光学的メカニズム(1⇒-i)→(-i⇒1)で説明できるのです。

    しかし、内面的に起きていることは(1⇒-i)*(-i⇒1)であり、無時間的な指し示しです。無時間的な指し示しとは観念的に即非的に同時なのです。

    では、第一象限ではi⇒1を子⇒母「先祖返り」と言いましたが、第四象限の-i⇒1も先祖返りと言えるのでしょうか。

    -i:他者ですから、他者の子⇒1(先祖)となってしまいます。これはどうしたことでしょう。

    ここで、私とは(i -i)であることを思い出してください。私は自己iであり、他者-iなのです。つまり、私の中の他者が先祖に向うのです。当然、私の中の他者とは兄弟、仲間です。ミトコンドリア・イブから見れば人類は皆兄弟です。しかも、-i⇒1の-iから先祖を志向するとは、まだ存在していない私(他者:-i)から先祖帰りをしているということになります。

    従って、未来の人類は全て始原に回帰するのです。これが第四象限の認識ということです。

    これでi/iを作用させるとことで自然な形で第一象限、第二象限、第四象限の認識を認識することが出来ました。

    ところで、第三象限が出てきませんでした。どうしてでしょうか。

    第三象限の認識が出てくるためには、
    -1⇒-i→-i⇒-1のループが出てこなければなりません。そのためには-i/-1*-1/-iのMPにおいて即非共振がなければなりません。

    -i/-1=i/1, -1/-i=1/iですから形としては第一象限と同じです。しかし、第三象限の意味は第一象限の意味とはまるで違います。

    非存在と他者が交錯する数学的領域の認識なのです。これが存在と自己が交錯する物質的自我領域の認識と同じであるなどとは言えないのでしょう。

    なぜ、i/iの作用では、第三象限の認識が形成されなかったのか、認識の違った形があるのか、ここはまだ私の理解が不足しているところです。課題としておきます。

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  • from: 生成門さん

    2011年08月29日 09時56分27秒

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    あきらめからの希望

    あきらめからの希望
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン>

    キルケゴールは「絶望は死である」、そこから抜け出るには「飛躍する」ことだと言いました。キルケゴールの飛躍は、分かりやすく言えば「神頼み」です。誰でも溺れそうになったら藁にもすがりたくなるでしょう。

    しかし、それではオカルトが蔓延るだけです。

    今、光の陰謀が進行しているのです。それを打破するのは、相当の覚悟がいるのです。生易しい相手ではないのです。

    そのことを示す事件が現在進行形で起きているからです。

    それが、まさに放射能汚染です。

    どのようして、この汚染が起きたのかということを知ることころから私達は始めなければなりません。そこには陰謀があったのです。パラノの陰謀です。

    パラノとはイデア由来の気質ですから、自己認識の方程式:凸i*凹i⇒+1で表せば、凸i(パラノ)*凹i(スキゾ)⇒+1(パラノ・スキゾ)であり、パラノにドライブがかかった現象としてみると凸i*凹i⇒凸(+1):パラノ的現象であり、一方、凸(+1):スキゾ的現象は抑圧されてしまいます。

    パラノ現象を個人の気質の現われする見方もありますが、社会現象として見たほうが分かり易いことがあります。

    山並みは遠くから見た方が、全体がよく見えると同じです。森の中に入ってしまうと、一本一本の木々は見えるでしょうが全体は見えません。

    しかし、全体として見ると気質が社会環境の圧力がかかって性格に転じてしまうのでぼやけてしまう欠点があります。つまり、パラノとスキゾが入り混じった風景となるのです。

    ただ、木村敏氏の大数の法則に従えば、パラノが数としては多数を占めているので正常者=パラノが優位となる風景になることが多いでしょう。

    幸い、日本的パラノの現象はよくわかっています。団体行動になると決まって、ある傾向が現れるからです。

    それらを表現する言葉も沢山あります。例えば、長いものには巻かれる、出る杭は打たれる、皆で渡れば怖くない、村八分、官僚主義、ヒラメ体質(上ばかりを見る)、形式主義、隠蔽体質などなどです。

    もっと、はっきりしているのが京都の文化です。京都は公家の文化ですから、そこには抑制の効いた本音を隠して建前を重んじ、気を使う傾向や綺麗好きなどのパラノの特性が缶詰(パック)されています。

    ところが、京都というのはパラノの缶詰なのですが、不思議とアンチパラノやスキゾが出てくるところでもあるのです。

    その良い例が、湯川秀樹・福井謙一・利根川進・野依良治・朝永振一郎・中坊公平・竹村健一・大島渚・綾辻行人・海崎洋一郎・河合隼雄などであり、全てではないでしょうが、やはり型破りな人達です。

    パラノの中にいるとその反動としての現象が形成されるということです。

    現在、反原発で活躍中の小出裕章氏も京都大学の助教授(出身は東京)ですが、かなり異端です。「核技術の真実:現・東電経営陣が小出裕章氏の本を読んでいれば福島原発破局事故はなかった」http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/25891099.html
    を参照してください。

    いずれにしても文化の複素化という視点で捉えるとその全貌が見えてくるということです。

    今は光の陰謀を見破るためなので、一般的な文化風土論ではなく放射能汚染の実態に絞っていきます。そのためのターゲットは政治と企業の組織の文化や風土です。

    政治やビジネスの場面を複素化すると、これまで見ていなかったところが見えてきます。複素化は、ややもすると正常と異常といった二元的な価値に分けてしまって満足してしまう差別化の方法とは異なっており、現象の多様な姿を浮き彫りにする手法であり、光の陰謀を暴くには最も適しています。

    それには、光とは何かを知る必要があるでしょう。

    光の認識については「光の思考類推:自己認識方程式の若干の変形」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813113
    を参照してください。

    以下は、その内容を元にして私が解釈したことです。

    自己認識方程式:(i)*(-i)⇒+1
    これは凸i*凹-i⇒+1とも表現します。

    これを、海舌氏は次のように変形しています。
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i

    この式の応用については、別途進めていきますが、大事なことは光には二つの光(陽光と陰光)があり、その光(陽光)の片方しか見ていないのが、私達だということであり、又、陽光しか見せないのが光の陰謀だということです。これはパラノ化に繋がっているのです。

    パラノ化された組織とはどのようなものなのでしょうか。

    パラノの組織とは、前例主義、形式主義、スローガン主義、官僚主義、隠蔽体質、ピラミッド、集中管理で代表されるのですが、これの原型は農耕文化からきており、整理整頓、真面目、勤勉、事なかれ主義といった態度が根底にあり、それが発展拡大して組織風土として現れてきます。

    パラノを抽象化して言えば、段階的、直線的、順番的な物質化現象であり、分かり易い喩えとしていうなら野球の様式です。それに対してスキゾはサッカーということになるでしょう。サッカーは包括的、非線形的、ランダム的な物質化現象なのです。

    こうしたことを頭において放射能汚染問題を複素化してみましょう。

    ここで取り上げるのは企業や大学での地位を捨て、反原発の立場から市民のための調査機関や運動を率いた在野の核化学者:故高木 仁三郎氏です。高木 仁三郎氏の精神的身体行動を通してみるとパラノとスキゾの戦いの様子が手に通るように分かります。

    高木氏は2000年がんのため62歳で亡くなりましたので、その戦いの模様をライブで届けることはできませんが、放射能汚染は現在進行形で起きているのですから、高木氏が生きていたらこのような行動をとるだろうというようなシミュレーションすることで満足しましょう。そこから、私達の戦略が見えてくるだろうと思うのです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E
    以下、引用しました。
    高木 仁三郎は、日本の物理学者、理学博士(東京大学)。

    地震による原子力災害への警鐘

    「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」するとして、早急な対策を訴えた。
    ―――
    高木氏を取り上げるのは、彼が戦ってきたノウハウを吟味することで使徒と戦うEVA(仮想兵器としての高木モデル)を開発できると思うからです。

    では、この科学者が見てきた現実とはどのようなものだったのでしょう。

    彼は実際にパラノの現場に身を置いてその現実を見てきた人です。ですから、決してフィクションなどではないのです。迫力があります。

    では、彼の証言を聞くことにしましょう。

    直接に聞くことはできませんので、農家CafeのHPを主催しているculon氏の
    「あきらめから希望」
    http://culon.exblog.jp/15726269/
    から、編集して引用しました。

    この世に中はパラノの気質を持った人間が大勢います。ですから、多数者の原理によってパラノの価値観(原発推進)が正しいとされるのです。

    パラノの気質が現象すると、どのようになるかというと簡単に言えば官僚主義です。

    もっと言うなら、パラノ人間は経済観念に長け、先の、先のことを考え、被災者に同情しながらも、一方で品切れするだろう商品の買いだめに走ったり、災害の推移より、これからの世界の経済動向がその関心事になるから、これを成長するための機会にしようといった行動傾向が見られます。

    こうしてみるとパラノとは常識的人間であり、私達そのものです。

    しかし、このパラノは清潔好きですから汚いものは排除しなければ済まないのです。汚いものとは、時に敵であり、他者です。

    他を排除するのが自我の特徴でもあります。

    日常において他とは汚いもの、ゴミであり、それは履いて捨てれば終わりですが、放射能はそうはいきません。放射能は履いて捨てられない厄介な代物なのです。

    自己と他者の関係で自己認識の方程式:
    凸i*凹i⇒+1で表現すると、凸i(パラノ)*凹i(スキゾ)⇒凸(+1)であり、+1は原発推進派が保証する安心安全で清潔な炉です。

    反原発が指摘する危険な炉は凹(+1)ですが、パラノが優位の時は抑圧され裏に隠れています。

    しかし、地震によって、この方程式が成立しなくなってしまったのです。それで突然、パラノの立場が劣勢になったのです。そこで表面に出でてきたのが、反原発が指摘する危険な炉:凹(+1)であり、破損した炉だったのです。

    その結果、凸(+1)の裏に隠れていた凹(+1)の放射性物質=ごみがばら撒かれたのです。

    これはパラノとスキゾの戦いで、他を抑圧すると墓穴を掘るという意味で典型的な事例なのです。

    墓穴を掘るとは因果応報のブーメランであり、天に唾なのですが、大体、パラノのやっていることは非常に矛盾しているのです。

    ゴミを自分の家から出してしまえば、それで綺麗になったと思ってしまうのです。そのゴミが外にばら撒かれて、結局、環境を汚染して、汚い家(地球)の中で暮らしているのですから。

    しかし、これが光の陰謀(陽光に偏る認識)の本質なのです。パラノと雖も自分が使徒のエージェントになっているとは気が付いていないのですから始末が悪いのです。

    スキゾ科学者・故高木仁三郎氏が生きていたら、この地震と津波と原発事故という三重の大災害、とりわけ現在も進行中の原発事故に対して、どんな態度をとったのでしょうか。

    TVに出演する使徒のエージェントであるパラノ学者や解説者のコメントは視聴者に安全というメッセージを送り続けています。

    彼らは原発に賛成しない人間は科学音痴であり、昔のような不便で不快な生活に戻すことは不可能であり、冷暖房なしの暮らしは早死にするなどと嘯いているのです。

    これがパラノの本音なのです。

    また、政府は電力会社の代弁者ではないはずなのに、これもまた首を傾げたくなる様なパラノ的発言が乱発されています。

    企業というのは一つのパラノ牙城です。ですから、原発事故の対応にはパラノ特徴がもろに現れるのです。

    彼らは無意識には絶対的な恐怖があるのです。その反動が自我という心の壁を作るのです。これがエヴァンゲリオンの出てくるATフィールド(絶対的な恐怖領域)です。

    原発推進を自我凸(+1)の現われとすると、自分の中に反原発の他者としての凸(+1)がいるのです。ですから無意識にその他者を恐れるのです。

    ATフィールドというのは、絶対的な恐怖をもたらす他者から身を守る防御壁なのです。

    それで、彼等は自我の壁を張り、自己防衛に走るのです。その典型が隠蔽です。しかし、その結果はいつも泥沼に嵌っていくのです。これが自我の暴走という現象です。

    パラノとしては、国民の安全より企業の防衛という危険な賭けにでただけなのですが、そのつけはとてつもなく大きくブーメランのように自己に戻ってくるでしょう。

    自分達が撒いた種なのですから、自業自得と言えばそれまでですが、撒かれた方の汚染の被害を受けた人達はやるせないどころか、死んでも死に切れないでしょう。

    いつの時代も、どこにでも、命(スキゾ)と金(パラノ)の戦いが繰り広げられてきました。そして、いつも「金」が勝利してきます。

    そして、いつも、両者の間には深い亀裂が残り、同時に、拭いきれない後ろめたさを抱え込んだまま生きていくことになるのです。

    福島原発の建設を容認してきた地元の住人は、事故の被害を受けたのですから、被害者ですが、お金をもらったり、或いは、原発関連会社に勤めていれば、責任を追及する声を上げることはできないでしょうし、後ろめたさがあるでしょう。

    そうした亀裂や後ろめたさが生じる前は、どちらの立場であっても葛藤があったはずです。心が揺れ動いたと思います。

    その葛藤を霧散させたのは「原子炉は多重防護を施してあるから絶対に大事故に至らぬ」という、つまり共同幻想の「安全神話」でした。

    これは大きな一撃でした。使徒が放った決定的な一撃だったのです。パラノ爆弾です。

    これによって、殆どの住民が原発賛成に傾いたことでしょう。日本全体が原発推進に傾いたのですから、まさに、それ行けどんどんです。危機に陥ると一斉に、水に飛び込む集団自殺する鼠の行動と似ているのです。右肩上がりの成長神話もそうでしたが、いつの時代にもこのような行動になるのがパラノの生態的特性なのです。

    原発を進める側の初期対応が隠蔽から始まったということが明らかになりましたが、これも同様の心理なのです。

    「安全神話」というのは原発を進めるパラノにとっては唯一の幻想的根拠でしかないのですが、それが崩壊するということは、「原発」そのものの終焉となるのだという恐怖心があります。

    世界での安全神話は、スリーマイル島やチェルノブイリの事故によってすでに崩壊していたのですが、それにもかかわらず、日本では安全神話を守り続けたのです。

    こうした安全神話ができる背景には、自我優位にパラノ的ドライブがかかることにあります。使徒がそのドライブをかけるのです。

    その典型的な例が放射能の恐怖に見て見ぬ振りをすることです。

    使用済み核燃料の放射能の量は少量でもガイガーカウンターを近づければ、針が振りきれて働かなくなってしまうほど強力なのですが、どういうわけか、これに対して無神経になってしまうのです。神経質なパラノが無神経になるというパラドックスが起きるのです。

    使用済み核燃料の放射能に近づくときは、誰でも恐怖心があるものですが、それがいつの間にか、だんだん仕事に慣れてくると、少しぐらいの放射能を恐れていては一人前になれないぞ、などと先輩に脅されたりして、安全性を軽んじる傾向になるのです。

    これは高木氏の実際の体験として述べていることです。

    専門家ですから、放射能の恐怖心をいちばん知っているはずなのに、実際には事故時の放射能放出などについて無神経な態度をとってしまうのです。

    それは、何故なのでしょうか。

    高木氏は、こうしたことになるのは、一旦計画したら何が何でも達成しなければ何らない、挫折してはならないというパラノ特有の恐怖に由来する自己保存本能であり、まさに自我を優先するからであり、結果として安全はひとまず置くという形式主義に陥るのであると言っています。

    そして、そうした傾向は一番スタートの現場から出来上がっているとも述べています。

    この恐ろしい状況はTVに出演している学者の発言を聞いていると頷けるような気もします。

    放射能が溜まり水に漏洩していると考えられるのにも関わらず、プルトニウムについては全く調査をしなかったことが分かったときに高木氏は以前からプルトニウムの毒性については指摘していたので、あきれていますが、それがパラノの現実なのです。

    プルトニウムの毒性については「やっぱりホットパーティクルは恐怖:プルトニウム238
    」http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100105140724
    で取り上げましたので、参照してください。

    専門家がたまり水の中にプルトニウムが含まれているかどうかを調べていないのは、プルトニウムは安全だと思っているからなのでしょうか。

    高木氏は、「プルトニウムやプロトアクチニウムなどとなると、微量でも毒性が強く、ちょっとでも吸い込んだり手を汚したりしないように細心の注意が必要だ」と述べている用にかなり危険な物質と考えていたのです。

    それは現場で体験した人の言葉ですから信用してよいのではないでしょうか。

    その実際をこう表現しています。

    アルファ線は、普通のガイガーカウンターではなかなか検知しにくいので、実験が終わって管理区域外に出る前にモニターすると、これだけの防護をしていたのに、手の指などが汚染していることがあったというのです。

    安全性を軽く見ているという事例は他にもあります。ある原発での燃料棒折損事故に関してあった事例です。

    「ほぼ最初から最後まで、この事件の顛末に付き合ったことで、私(高木)は多くを学んだ。その多くは驚きの連続で、思えば私が会社にいた頃は、隠蔽の体質はあったものの、商業原発など始まっておらず、呑気なものだった。

    関連企業群が一体となったきわめて組織的な事故隠しと、それを知りながらシラを切り通そうとするパラノ官僚、そして時効という狡猾な逃げ道を持っているのです。

    高木氏の体験の談は続きます。

    隠蔽という事件は、私の想像をはるかに越えた、悪辣な国民無視と安全感覚の欠如を浮き彫りにしました。ほとんどの場合、私は怒りの感情で動くことはなかったが、このときは心から憤りの気持ちをもったと述べています。

    高木氏を使徒化(エージェント化=パラノ化)する光の陰謀も明らかあったようです。

    狡猾な手段で、御用学者に取り込むための工作を仕掛けることか、ある組織によって様々な陰湿な嫌がらせの接待を受けたことなどがあったようで、まるで、どこかの国の情報機関のするようなことが起きていたのです。

    詳しくは、彼が死のほぼ一年前に病室で書き上げた『市民科学者として生きる』(岩波新書1999.9.20)を参照してください。

    「原発問題の中にすべてがある」
    これも高木氏の言葉です。

    これを四次元能流に言い換えると
    「原発問題の中にパラノのすべてがある」
    と言えるでしょう。

    高木氏は「唯原発主義」のようなものを好まなかったようです。というのは、反原発は単に原発反対とか放射能がいやだとか、あるいは〈核と人類は共存できない〉というレベルの信条を意味しているのでなく、人間の基本的な生き方そのものに関わっているからなのだと言っています。

    全くその通りだとおもいます。

    これは木村敏氏が懺悔したように多数者のパラノの論理を振りかざしてはいけないということと同じことを言っていると思うのです。

    パラノ(正常)とスキゾ(異常)という二元論では割り切れないのであり、どちらも人間の生き方そのものであり、即非(パラノスキゾ)として生きる人間でなければならないと思うのです。

    光の陰陽性を認めなければならないということではないでしょうか。

    高木氏は最後にガンに侵されながら著書を次のように締めくくっています。

    こうやって、アカデミズムの内側と外側にある大きな壁を打ち破っていくことで、市民の側の未来への意慾=希望が、もっと広く科

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  • from: 生成門さん

    2011年08月28日 14時22分08秒

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    新しい光の自己認識方程式

    新しい光の自己認識方程式
    <PS理論の深化>

    新しい光の自己認識方程式: i*(-i)⇒+1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i) ⇒+1
    は閉じていることと分数表現(分子が矢印の先で分母が矢印の根元)がミソです。

    つまり、i/1は1⇒i 、1/iはi⇒1なので第一象限を「行って来い」している状態を示しています。これは自我に固着した人間と解釈してよいでしょうか。

    しかし、i/1*(i/i)=i*i/i=-1/i又は1/-iとなりi⇒-1、-i⇒1となります。これは第二象限と第四象限の1/4回転を意味しています。

    一方、1/i は1/i*(i/i)=i/i*i=-(i/1)なので、-i/1又は、i/-1となります。従って、1⇒-i、-1⇒iとなります。これも第二象限と第四象限の1/4回転を意味しています。

    一体、何がどうなっているのでしょうか。
    i/iを掛けただけで、どうしてこのような多様な展開となるのでしょうか。

    実数の世界では、何かに1を掛けたかたといって、その結果には何も変化は起きません。複素数の世界は何か変ですね。それとも私の稚拙な数学的理解なのでしょうか。

    そういえばフラクタルの式自己(k)⇒自己(k-1)^2+μでも初期値を設定しても、その行く末が予測できないということがありました。

    赤の女王の命令:フラクタルな内的時間(4)http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100100070479

    i/iとは何を意味しているのでしょうか。

    複素平面ではi を掛けることは90度回転することと同じです。従って、i/iは何もしないのと同じはずなのですが、実際には、多様な展開が生まれてきてしまいます。これが海舌氏の言う「光が自己を認識する過程を多角的に捉えることが可能になる」ということなのでしょうか。

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  • from: 生成門さん

    2011年08月28日 05時33分07秒

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    「Re:Re:光による自己認識方程式」
    Renshiさん

    コメントありがとうございます。
    すごい発見ですね。

    現実の現象にどのように応用できるのか試して見ます。
    楽しみが増えました。

    それから、子から母に向うのは先祖がえりですか。
    なるほど、言われて見ればそうですね。

    仏壇に向かって、手を合わせると言うのは、
    先祖/子供という分数なのですね。

    また、よろしくお願いします。

    生成門

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  • from: Renshiさん

    2011年08月27日 17時42分02秒

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    「Re:光による自己認識方程式」
    生成門さん

    ご無沙汰しています。

    さて、本稿の解説は実に洞察に満ちていると思います。私はKaisetsu氏の光自己認識方程式の意味がすぐにわからなかったですが、生成門氏の分数等の説明が明快です。
     この新しい自己認識方程式の驚異的な点は、
    i*(-i)⇒+1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i)
    となることです。
     +1は連続的同一性(物質ないし自我)ですが、それが、虚数的に即非共振様態に変換していることです。正に、正確な自己認識です。
     色々言いたいことがありますが、紙幅の都合、一点言いますと、母⇒子と子⇒母ですが、
    後者は「先祖返り」です。始原への回帰です。それは、media pointへの回帰だと思います。そして、それは、実は-1に通じていると思います。光と闇が一致します。

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  • from: 生成門さん

    2011年08月27日 13時21分40秒

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    光による自己認識方程式

    光による自己認識方程式
    <PS理論の深化>

    海舌氏がまたPS理論を発展させてくれました。応用を目論む四次元能としては嬉しい限りです。早速、その内容の理解に取り組みましょう。

    詳しくは「光の思考類推:自己認識方程式の若干の変形」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813113
    を参照してください。

    以下は、その内容を元にして私が解釈したことです。

    自己認識方程式:(i)*(-i)⇒+1
    これは凸i*凹-i⇒+1とも表現します。

    これを、海舌氏は次のように変形しています。
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i

    このように変形する理由は何でしょうか。また、どのような御利益があるのでしょうか。

    それは、光が自己を認識する過程を多角的に捉えることが可能になるということらしいのです。

    どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。

    先ず、式は分数で表現されています。一体、認識という過程に分数という数学的表現がどうして出てくるのでしょうか。

    分数の意味を考えて見ましょう。

    分数とは、文字通り分けたれた数であり、一般的にはa/bと表現します。パンを半分に分けて食べようなどと言いますが、そのときは、一つを半分にするのですから、1=1/2+1/2と表現できるでしょう。

    私とあなたが半分づつ(1/2)手にしているのですが、私とあなたでは1です。

    分母の2の意味は、私とあなたの2であり、分子の1は、互いに手にした持分です。元の1は私とあなたに分離する前の1です。同じ1でも私の1、あなたの1と、私とあなたの1があります。

    これだけ見ても分数というのは奥が深いですね。これ以上の学的な解釈は私には出来ませんので、海舌氏の説明を要約します。

    分数とは、
    1. 分子を分母が包む
    2. 分母の上に分子が置かれる
    3. 分子が分母に支配される
    4. 分母の背景に分子が存在する
    5. 分子が矢印の先で分母が矢印の根元

    というような関係であると言っています。

    分子を分母が包むというのは、1=1/2+1/2は1=2/2=(1+1)/2=1/2+1/2ですから、全体(一枚のパン)を分母として、部分(半分にパン)を分子とすると、全体が部分を包んで(1+1)/2となっていますからなるほどという気がします。

    分母の上に分子が置かれるというのは、自然に理解できます。

    分子が分母に支配されるということですが、これは全体があって部分なので、分けるということを考えると、元パンの大きさで部分の大きさが決まるので、理解できそうです。

    分母の背景に分子が存在するというのも、上の理屈から当然ですね。

    さて、難しそうなのが、分子が矢印の先で分母が矢印の根元という説明です。

    矢印とは⇒ですが、これをn⇒mとすると、分母⇒分子、これを分数で表現するとm/nとなるということです。つまり、n⇒m=m/nだということですね。

    分母⇒分子は母から子が生まれると解釈できそうですが、今問題にしているのが光の認識過程です。過程というのが⇒を意味しているとすると、母(光)から子(認識された物)が生まれると解釈できるのでしょうか。

    そうすると、光⇒認識された物を分数で表現すると、認識された物/光となります。

    果して、そのようなことが言えるのでしょうか。

    ここで、光の方程式
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i
    に戻って考えて見ましょう。

    i/iは、母と子の関係で見ると、母(i)⇒子(i)ですから、子=母となっています。これは一体どういう意味でしょうか。

    自分が自分を生むというようなことでしょうか。光の自己認識の過程を問題にしているのですから、光⇒光=光/光なのでしょうか。

    これを最初の説明に照らし合わせると、
    光/光は、

    1. 光が光を包む
    2. 光の上に光が置かれる
    3. 光は光に支配される
    4. 光の背景に光が存在する
    5. 光が矢印の先で光が矢印の根元

    となります。

    さて、(i/1)*(1/i)で、(i/1)と(1/i)が逆になっています。母⇒子、子⇒母となっているのです。子⇒母は常識では考えられないのですが、ここは、数学と概念の世界ですから、想像できればなんでもありと考えましょう。

    そこで、複素平面上の単位円に沿って二つの⇒z=a+ibとz’=a-ibを+1から回転させるとします。

    z=a+ibは、a=0のときb=1となってz=iとなり、z’=a-ibは、a=0のときb=1となってz’=-iとなり、1=i*-iとなります。

    1=i*-iの意味は+1で二つの⇒に分極して、虚軸に達したと考えられます。

    ところで、1=i*-i を変形すると、-i=1/iなので1=i*1/iとなります。

    i*1/i ではバランスが悪いので、(i/1)*(1/i)と変形しておきます。

    初めから表現すると、
    +1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i)
    となります。

    これは複素平面上の単位円を、zを+1から左回りに90度回転するとiとなり、z’は+1から右回りに90度回転すると1/iとなった二つの光を意味しています。

    しかも、(i/1)*(1/i)は、二つの光が虚軸で共振しているという即非状態を示しています。

    共振即非状態にある二つの光は、即、(i/1)*(1/i) =i/i=1ですから、(i/1)*(1/i)⇒+1となります。

    ここまでを纏めると、
    +1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i

    これは重複していますので簡単にすると、
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i
    となります。

    これが海舌氏の光の自己認識の方程式です。

    何故、光などという物体でもなく意識でもいない存在がどうして自己を認識するのでしょうか。

    これは言うまでもなく、森羅万象の生々流転を陰陽イデアの二重性と物質と精神の二重性として捉えるのがPS理論の基本であり、複素平面で表現することが原則なのですが、人間に適用する場合、陰陽イデアは自己と他者という二重性に変身するのです。

    そこで、人間にとって認識の基本は光ですから、自己=光となるわけです。しかし、他者はどうなるのでしょうか。そう。それが肝心なのです。

    陰と陽:自己と他者:光=光となるわけです。しかし、光=光では区別がつきません。陰と陽に習って陽光と陰光として、自己と他者:陽光と陰光とするのです。時に光と闇という言い方をすることがあります。

    四次元能でいう光の陰謀とは、陽光に偏った認識なのです。

    光の方程式:i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1の+1は即非の状態(凸凹)にあります。

    しかし、自我に偏ると、i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1)となってしまうのです。このように偏った認識をさせるのが光の陰謀なのです。

    さて、ここまでは、私の解釈ですが、海舌氏は、分かりやすく纏めています。

    以下、引用しました。

    +1という即時体が、自己認識のために虚数化して、i/iとなり、 (i/1)*(1/i) 二重螺旋構造のように、矢印の方向性の異なる双極構造を生じて、互いに「共振」し、 結果的に、 物化(現象化)によって、 +1 になる。
    ―――
    繰り返す必要がないでしょうが、開始が+1であり、+1が即時体となっているということです。即時体とは、陰と陽とが同時にあるということです。

    つまり、認識の始まりは、光が発信される物があるところを基点としているのです。だから、そこが+1です。即時体は陽光と陰光デ発信されるということでしょう。

    私達が物を見ようとすると光は直ちに二手に分かれるということです。この様子は私達には意識として認識できない過程です。無意識の認識といっても良いでしょう。

    これが虚数化してi/iとなるということの解釈です。

    陽光と陰光が物体(+1)から発射されて、網膜に届き、無意識の作用虚数化してi/iとなると解釈してもよいでしょう。

    その後は(i/1)*(1/i)で示されるように、DNAのような二重螺旋のように絡み合って、互いが反対方向に回転するのです。

    もちろん、互いに「共振」しながらです。

    こうした複雑な、しかし、見えない過程を経て、私達は物を認識するのです。これを光による自己認識の過程、つまり、物化(現象化)することなのです。

    物(+1)から始まって物(+1)として閉じるプロセス、これが自己認識なのです。

    補足すれば、認識には、+1の認識、凸(+1)の認識、凹(+1)の認識があります。

    +1の認識は、自他同時の認識であり、凸(+1)は自己優位、つまり、自我の認識であり、陽光で見た認識であり、凹(+1)は他者優位、つまり、他者の認識であり、陰光で見た認識であると言えるでしょう。

    他者の認識というのは分かりづらいかもしれませんが、他者の視点といえば分かるかもしれません。

    他者の視点でみたら、陰の光で見たということになるのかという疑問が出てきますが、今は、これについては言及できません。

    ただ、凹(+1)を、自己を捨てて他(対象)と一体となるという意味に捉えれば、例えば、人馬一体、無眼流などの有り様や仏教でいうところの心眼で見るということと解釈するなら、闇の光を見ているといえるのでないでしょうか。

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  • from: 生成門さん

    2011年08月26日 12時48分50秒

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    やっぱりホットパーティクルは恐怖:プルトニウム238

    やっぱりホットパーティクルは恐怖:プルトニウム238
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン>

    プルトニウムは無害だという人の論拠はプルトニウム239の半減期が24,000年という人間の寿命に比べてあまりにも長い時間だから、身体に取り込まれても、そのヒトが生きている間に放射線を出す数は決して多くないというものでした。

    しかし、プルトニウム238が検出されたというニュースがあります。

    これが事実なら、プルトニウム238の半減期は88年ですから恐ろしいことになります。

    土壌から微量プルトニウム 福島第一原発敷地 東電発表
    http://ankeet.ch/archives/2675
    以下、引用しました。

    2011年3月29日0時2分

    東京電力は28日、福島第一原発の敷地内で3月21日と22日に採取した土壌の一部から微量のプルトニウムが検出されたと発表した。

    検出されたのはプルトニウム238、239、240の3種類。

    過去に海外で行われた核実験により国内で観測された降下物から検出された値とほぼ同じ濃度レベルといい、

    東電は「人体に問題になるものではない」と説明している。
    ―――
    [原発事故4]日本はプルトニウム238、プルトニウム239、ウラン234、ウラン235、ウラン238、ストロンチウム90の測定公開をせよ!!!http://tacchy-al.cocolog-nifty.com/al/2011/05/238239234235238.html
    以下、引用しました。

    これまで無検知だった、グアム、サイパンなどで、大気中から、プルトニウム238、プルトニウム239、ウラン234、ウラン235、ウラン238、ストロンチウム90 が三号炉爆発から、計測されています。
    ―――
    都合の悪い情報を隠蔽するのはパラノの得意技ですから、海外の公開データを調べるのは光の陰謀を打破するためにも重要なことです。

    それにしても、グアム、サイパンから検出されたというのはどういうことでしょう。偏西風に乗ってシアトルで検出されたというなら分かりますが、反対方向です。それほど爆発が強かったということでしょうか。
    もしそうなら、日本中どこでも黒い雨=ホットパーティクルが降っても不思議はないということになります。

    それから半減期が長いから無害だといのはおかしいと思います。

    ある人や動植物に取り込まれた半減期が長い放射性物質は、確かに、その生き物が生きている間には、放射線を出さないかもしれませんが、その死体が分解されて、植物に取り込まれ、その植物を食べた動物から人間に移っていくことを考えると何万年もの間には誰かが犠牲になるということです。

    そのような世代を超えた被爆をしても、それが福島の放射能かどうかを特定することはできませんから、責任の追及のしようがありません。

    恐ろしい光の陰謀ですね。

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  • from: 生成門さん

    2011年08月26日 11時16分46秒

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    ホットパーティクルは危険?それとも無害?

    ホットパーティクルは危険?それとも無害?
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン>

    現在、放射能汚染に対してデマも含めて様々な情報が飛び交っています。

    しかし、多くは有益な知見であり、正しい判断をする材料となります。それらを真摯に扱えば、事実の見極められると考えます。

    そこで、放射能汚染について絶望的なニュースばかりを取り上げましたので、少し安心もできる話をしておきます。

    半減期が長いといつまでも放射性物質が残っているから危険だ、短いから安心だと考えてしまいそうですが、そう単純ではないということを知っておきましょう。

    「ヨウ素は半減期が8日だから安心?」http://i-feel.me/article/192970293.html
    から引用しました。

    放射性ヨウ素は半減期が約8日です。つまり、約8日で約半分に減ります。

    だから安心でしょうか。そうではありません。

    約8日でその半数が崩壊するということです。崩壊するということは、放射線を出すということです。

    30km離れたところに放射性ヨウ素が1000万個あるなら、早く崩壊してくれた方がいいのです。

    でも、1000万個の放射性ヨウ素が体内にある場合は、崩壊してもらっては困ります。

    つまり、半減期の問題ではないのです。

    どこで崩壊するかが問題なのです。

    遠いところなのか、近いところなのか?

    体内で崩壊するということは、その放射線量をその人が一手に引き受けるということです。

    私は、引き受けたくありません。どこかよそで崩壊して欲しいです。

    誰もいない月あたりで半減して欲しいです。

    半減期が短いとはどういうことなのでしょうか?

    半減期が短いほど崩壊速度が速く、したがって短期間に大量の放射線を放出することを意味します。

    つまり、半減期の短い核種の放射線は人体への影響が小さいのではなく、影響を与える期間が短いだけであり、代わりに短期間で激しい損傷を与えるのです。その意味で非常に危険な核種なのです。
    ―――

    さて、そうなると「黒い雨とホットパーティクル」http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100105087780で述べたこと

    「放射性物質の中でも、特に毒性の強いプルトニウムの粒子=ホットパーティクルは微粉末1、2個が肺の中に入るだけで肺ガンを起こす」

    は間違いなのでしょうか。

    放射能は半減期が短いから危険なのではなく、むしろ危険であると言うなら、逆に半減期が長いものは、危険ではないと言えるのでしょうか。

    ホットパーティクルの微粉末1、2個が肺の中に入っても、生きている間に崩壊しなければ、放射線も出ないから無害だということになるからです。

    「放射能は半減期が長いほど危険なわけではない」
    http://d.hatena.ne.jp/aljabaganna/20110330/1301491162
    から引用しました。

    プルトニウム239の半減期24,000年は、人間の寿命に比べてあまりにも長い時間です。

    そのため身体にプルトニウムが取り込まれても、そのヒトが生きている間に放射線を出す数は決して多くありません。

    最悪の毒物などといわれるプルトニウムですが、実際の毒性は半数致死量で13mgのようです。ふぐ毒であるテトロドトキシンの半数致死量である2-3mgにくらべても突出して強い毒とは言えません。

    今回の事故で危惧されている放射性同位体は、原子炉内で新たにできた半減期の短いものです。半減期が短いということは短期間で多くの放射線を出すことになるからです。

    ウランやトリウムのように半減期がとても長いと危険性は小さくなります。
    ―――
    更に、プルトニウムの毒性について否定的な見解を取り上げておきます。

    科学ニュースの森「プルトニウムの毒性」
    http://blog.livedoor.jp/xcrex/archives/65541382.html
    を参照してください。

    次いで、否定的は見解としては、「プルトニウムは人類が遭遇した最悪の毒か?」
    http://blog.hashimoto-clinic.jp/201104/article_1.html
    がありますが、ここの主張で興味があるのは、原発推進派はプルトニウムの毒性を否定し、反原発推進派は肯定しているというところです。

    ここで、原発推進派をパラノ、反原発推進派をスキゾとして対立させて見るとその構図が見えてきます。

    確かに、反原発推進派のプルトニウムの毒性を支えているのは、ホットパーティクル仮説であり、一度は間違っているとして退けられた仮説です。

    しかし、それが純粋な科学的な議論によって否定されたのなら良いのですが、政治的なパラノとスキゾといった人間臭い要素がからんでの陰謀だったならどうでしょうか。

    今のところ素人の私達は、どっちが正しいのかを判断することはできません。

    そこで、最後に、中立的な見解を取り上げておきます。

    「プルトニウムの恐怖」より〜
    http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=249195
    があります。以下、引用しました。
    タンプリンらが唱えたホットパーティクル仮説は、その数値の妥当性に議論の余地はあるにしても、プルトニウムの微粒子(ホット・パーティクル=熱い粒子)による不均一被爆という、新しい重要な問題を提起した。

    彼らの主張は、その1ミクロン以下ほどのホット・パーティクルの1個1個を規制の対象としなければならない、というにも等しい。

    このような論争が起こること自身、プルトニウムの毒性の厳しさを象徴するものだった。

    被爆の構造(不均一被爆という実態)を正しく捉えることで、少量の放射線でも、被爆がどれほど危険なものか理解できるように思います。
    ―――
    タンプリンらは、プルトニウムのようなアルファ線の被爆は、非常に特殊であることを主張しているのです。

    現行の肺への許容線量は年間15レムとなっていますが、この基準に対する考え方は、同じ被爆量でも肺が均一に、いわばうっすらと被爆を受けることを想定しているのです。いわば、均一被爆説です。

    本当に均一被爆は正しいのでしょうか。

    ここで、アルファ線の特殊性に着目してみましょう。

    福島原発に対応する備忘録
    http://blog.livedoor.jp/smakuro/archives/51762962.html
    から引用しました。

    なぜ内部被曝ではアルファ線が危険なのでしょうか。

    今、巷を騒がせている放射性ヨウ素とセシウム137はアルファ線を出さない放射性物質です。アルファ線を出すものはラジウム、ウラン、プルトニウムです。

    それぞれの線種は「透過力」(通り抜ける)と人体に影響を与える力「電離作用」(細胞を破壊する)の2つで特徴付けられますが、アルファ線は透過力が超弱く、 電離作用はめっぽう強く、ガンマ線(光の仲間)の20倍もあります。

    透過力を人に、電離作用能力を武器に例えるとすると、アルファ線は機関銃を持った赤ん坊で、そこから遠くには行かないが、ひとたび中に入ってしまえば機関銃の引き金は赤ん坊だって引くことができるので怖いということです。

    電離作用が人体に悪いのは、放射線が水分子を分解し、活性酸素(電子欠乏酸素)を生じさせ、この活性酸素が他の原子から電子を盗んでしまい、次々と連鎖して生体分子を傷つけるからなのです。

    そこで、アルファ線ですが、水中では0.04mmしか進めないのが特徴です。このことがかえって災いをもたらすのです。0.04mmしか進めないということは0.04mmまでの細胞に放射線が集中するということです。被害を受ける細胞は、精々1個か2個分でしょう。しかし、それが細胞分裂している細胞なら被害も無視できなくなるでしょう。

    アルファ線は透過力が弱いからと安心していい放射線ではないのです。細胞に影響を及ぼす電離作用(電子をもぎ取る)は一番強いのです。
    ―――
    これではっきりしたことは、プルトニウムが怖いというのは、アルファ線を出すからなのです。そして、プルトニウムの微粒子が肺に取り込まれると、この粒子から出たアルファ線は、電離作用によって、活性酸素を生成して、そのごく近くの細胞を破壊させるということなのです。これことを被爆と言っているのです。

    一方で、その他の肺の部分は全く被爆させないということもアルファ線の特徴(透過性は弱い=非均一性)なのです。

    タンプリンらは、このアルファ線の特殊性を不均一被爆の根拠として、「ガンのもと」をつくりやすいから、均一被爆よりはるかに危険だといっているのです。だから、基準を11万5000分の一に厳しくしなくてはならない」と主張したのです。

    しかし、許容基準を厳しくするということは、プルトニウム利用計画だけでなく、現在の原子力計画はほとんど止まってしまうでしょう。ですから、この仮説は無視される運命にあったのです。

    ここにもパラノとの戦いがあるようです。

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  • from: 生成門さん

    2011年08月23日 20時13分14秒

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    ホットパーティクル(プルトニウム粒子)

    ホットパーティクル(プルトニウム粒子)
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン>

    「恐怖は死に至る病」であるとキルケゴールは言ったのですが、そのような状況が今の日本にあります。

    暇人の恐怖対策のHP「ガンダーセン氏はホットパーティクルを警告している」
    http://blogs.yahoo.co.jp/kochikamedochikame/archive/2011/6/10
    を参考にして、解釈しました。

    ホットパーティクルの恐怖を知りましょう。

    私はシアトルマリナーズの試合をよく見ますが、全く関係ないと思っていたシアトルにも福島第一原発から放射性粒子が飛んできているようです。

    それが大したことがなければ良いのですが、ところがそうではなく大いに問題ありなのです。

    というのは、飛んでくるのがプルトニウム粒子(ホットパーティクル)だからです。

    これまで四次元能で取り上げたのはセシウムですが、ここでの主役はプルトニウムです。

    何故、プルトニウムなのでしょうか。

    プルトニウムは質量が大きいので遠くに飛ばないといわれていますが、実は、大腸菌と同じくらいの大きさの粉末となって空中を拡散する性質を持っているそうです。

    しかも、ホットパーティクルの毒性はとりわけ強く、微粉末1、2個が肺の中に入るだけで肺ガンを起こすそうです。

    放射性物質の中でも、特に毒性の強いプルトニウムの粒子を「ホットパーティクル」と名付けたようです。

    何故、ホットパーティクルを問題にするのかと言うことですが、それはホットパーティクルが太平洋を渡ってアメリカ西海岸まで飛来したという事実があるからです。

    これから類推してださい。

    4月の時点で、シアトルの住民は10個/1日のホットパーティクルを吸い込んでいたということですから、日本の東北・関東の人達は、それ以上吸い込んでしまったことは確実なのです。

    毒性の強いプルトニウムの粒子「ホットパーティクル」は、まだ大きな問題とは認識されていないようですが、電車の吊革を触っただけで、細菌を気にして帰ってから手を洗う日本人です。

    ホットパーティクルの毒性が知られたらパニックになるかもしれません。

    見えないときは無視するのですが、見えるようになると、突然、気が狂ったように行動するのがパラノの特性なのです。

    続く

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  • from: 生成門さん

    2011年08月23日 19時14分11秒

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    黒い雨とホットパーティクル

    黒い雨とホットパーティクル
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン>

    危機を煽ると風評被害が出るということからという理由で抑制気味になるのがパラノの性向です。しかし、全くのデマなら問題ですが、現実に深刻な事態が起きていることを考えると、もっと冷静に判断しなければなりません。

    その事件の渦中にいると見えないことがあります。その点で海外からの視点で見ることも必要でしょう。

    フェアウィンズ・アソシエーツ、アーニー・ガンダーセン氏の深刻な放射能汚染と福島の「黒い雨」http://plaza.rakuten.co.jp/yoshipy/diary/201107300000/
    は参考になります。

    ガンダーセン氏は、放射能汚染の深刻さを日本人がまだ理解していないと指摘しています。

    一体、どういう点が深刻なのでしょうか。

    そのキーワードは「黒い雨」です。

    黒い雨と言えば1989年の井伏鱒二原作、今村昌平監督の「黒い雨」ですね。

    黒い雨は泥やほこり・煤などに混じった放射性物質を含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨のことなのです。

    これが全国というと大げさになりますが、正確には北日本に降り撒かれたのです。

    えっ!て言う感じですが、本当なのでしょうか。

    放射能汚染マップを見ても、福島県以外に住む人は、自分のところは大丈夫だと思っているのではないでしょうか。

    ところが、ガンダーセン氏はそれが甘いと言っているのです。

    確かに、放射性物質の放出は減っていますから安心できる面もありますが、しかし、今後も長期に渡って放射性物質は放出され続けるのですから安閑としてはいられません。

    「絶望させるニュースが続く」http://www.c-player.com/ad00178
    で、1号炉は余震で炉心が格納容器の底に落ちてしまったと言いましたが、その底に落ちた炉心を取り出す作業に「着手する」までにあと10年かかるということらしいのです。今はまだ炉心を取り出す技術が存在しないからというのがその理由です。

    10年というのは普通の事件なら風化する時間ですが、原発というのはそれだけ経っても何も風化しないということですから、困ったものです。

    スリーマイル島の事故のときは、燃料が溶けて原子炉の底に落ちましたが、メルトスルーはしていません。今回のような状況には前例がないのですね。つまり、対処の方法がないということですね。

    どうしてこんなものを作ってしまったのかと言いたくなりますね。

    落下した炉心は放射性物質の固まりですがそれを除去するということは、言ってみれば、フライパンの底にこびりついた卵を剥がすようなものです。

    加熱した時間が長ければ、剥がすのはそれだけ難しいですよね。これも困ったものです。

    放射能汚染の問題の特徴は、時間の長さと空間の広がりが、私達が生活する場の感覚とまるで桁が違うのです。これが気を滅入らせる要因なのでしょうね。

    例えば、原子炉をきれいにするのには数十年という長い時間がかかりますし、膨大な量の放射能汚染水の処理にも10年か20年はかかるのです。

    ガンダーセン氏は、私たちが直面しているのはそういう状況であり、それを楽観視できる要素はどこにもないということを強調しているのです。

    ガンダーセン氏の黒い雨の恐怖は本当に正しいのでしょうか。現実に目を向けて見ましょう。

    先ず、その第一段ですが、原発から50〜60kmくらい離れた地域で栽培されたシイタケから日本の基準値を大きく超える放射性物質が検出されたという事実に着目して見ましょう。

    この事実は何を意味しているのでしょうか。ポイントはシイタケが「屋内で」栽培されていたというところです。

    何故、屋内で栽培されたシイタケから基準値を超える放射性物質が検出されたのでしょうか。

    侵入経路は不明ですが、それだからこそ、非常に憂慮すべき状況と言えるのです。原発から55km程度離れた地域で起きたということが事態の深刻さを示しているのです。

    では、2つ目の証拠を示します。それは、福島県各地と福島県外で汚染牛が見つかったことです。最初は8頭の牛に汚染が確認されたと伝えられました、やがて、それが40頭になり、130頭以上になりました。

    この数は時間とともに間違いなく増えると思います。最終的には、1400頭以上になるでしょう。

    この事実を、単なる汚染された牛がいると考えないでください。ここには、汚染の本質が隠されているのです。

    汚染牛は50〜60kmで発見されましたが、どのようして放射性物質を取り込まれたのでしょうか。

    普通は貯蔵しておいた餌を与えたと思うでしょうから、何も問題は起きないはずです。ところが、その餌は稲藁なのです。

    藁は70km以上離れた農家が稲を刈ってできたものを福島県内の農家に出荷していたのです。その稲藁は、1kg当たりの崩壊数が毎秒50万個(つまり50万ベクレル)でした。

    この汚染牛問題の本質は、50〜60km はもちろん、それよりも遠い70kmに黒い雨が降ったということを示しているということです。

    検出された放射性物質はセシウムですが、その半減期は30年です。つまり、今から30年たってもまだ25万ベクレルの放射能があるということです。さらにその30年後に12万5000ベクレルになります。これも気の滅入る話です。これが半減期という言葉の意味なのです。

    ところで、これは原発から約70km離れた場所での話です。

    米国原子力規制委員会(NRC)が当初、原発から半径80km圏内のアメリカ市民を避難させるべきだと提言したのを覚えているでしょうか。どうやらNRCは正しかったようです。

    日本政府は20km〜30kmで止めずに、80km圏内の住民を避難させるべきだったのです。もう手遅れですが。

    放射能汚染は、この範囲で収まるのでしょうか。そうであれば良いのですが、どうも暗雲が立ち込めてきたようです。

    放射能汚染は明らかに福島県外にも広がっています。にもかかわらず、日本政府が放射線被曝を心配しているのは福島県だけについてのようです。これもパラノの特性です。限界を定めると、それで意識が外に向かないのです。向かないというより、向けないといったほうが良いかもしれません。

    意識を外に向けなければならないのです。80km圏外で何が起きているかを知らなければならないのです。

    汚染された稲藁が見つかったことからも明らかなように80km圏外であってもチェルノブイリ並みに汚染されている地域が存在するということです。

    その証拠を示してみましょう。

    東京の汚水処理施設で放射性物質に汚染された汚泥が見つかりました。通常であれば汚泥は建設用資材に加工されますが、放射線レベルがあまりに高いため、処分方法が決まるまでは防水シートをかけて屋外で保管するしかありません。

    その結果、東京の公園近くの土から、キロ当たり約53,000ベクレルの放射能が検出されましたし、国立がん研究センターの屋外の背景放射線量は屋内の36.6倍となっています。

    このことから、事故直後に日本に「黒い雨」が降ったのは明らかだということです。

    ガンダーセン氏の本音は高放射能の雲が日本の北半分の至る所にホットパーティクルを落としたということを言いたいようです。

    放射性物質の中でも、特に毒性の強いプルトニウムの粒子を「ホットパーティクル」と言います。

    ホットパーティクルは毒性がとりわけ強く、微粉末1、2個が肺の中に入るだけで肺ガンを起こすようです。

    続く

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