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from: 生成門さん
2016年01月17日 06時54分08秒
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離散値と連続値の攻防
連続と離散
http://saintcross.jp/kaian/book/3_7php...
これによれば、連続値はどこまで分割をしてもそれ自身の性質を失わないという。一方で、その反対は離散的であると言う。同じ物であっても、見方によって連続的にも離散的にもなりうる。
posted at 19:58:52
10時間前
森のように深い@fractaleman68
神の存在証明
http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11102590689.html...
これによると確率・統計学と微積分学は双対性の原理を発展させることが出来ないという。なぜだろうか。それは離散値性を無視した点にあるという。何故、双対性が連続では働かないのだろうか。
posted at 19:57:58
10時間前
森のように深い@fractaleman68
論理にも双対性が現れる。論理和と論理積とをすべて入れ替えることができる。A+¬A=1であるが、¬(A+¬A)=A¬A=0となる。幾何学では正四面体(三角錐)の点(頂点)と面を入れ替えることができる。
双対性
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~math/toybox/plyhedron_soral/explanation/037_4.html...
posted at 19:56:32
10時間前
森のように深い@fractaleman68
数学や物理の多くの領域に双対性があることが分かった。これなら精神領域に数学を応用することができるだろう。しかし油断してはいけない。数学には美人局がいるからである。そのことを指摘したのは佐野氏である。
posted at 19:55:00
10時間前
森のように深い@fractaleman68
双対の双対はどうか。裏返しを裏返すのだから元に戻る。その典型はメービウスの帯である。二回転して元に戻る。数学と物理は地でつながっている。従って物理には双対が多い。だから数学が使われる。電荷のプラスマイナス、磁気のNとS、電圧と電流や磁場と電場も双対であり法則として表現されている。
posted at 19:54:35
11時間前
森のように深い@fractaleman68
数学には双対性の原理がある。
物事を裏返して眺めてみる-双対のススメ
http://aiit.ac.jp/column/view/33
これによると双対とは互いに対になっていて互いに裏返し表裏の関係にあるという。鏡に映った物とその物とは双対だといえる。陰陽論を数学したのが双対性の原理だろうか。
posted at 19:50:52
11時間前
森のように深い@fractaleman68
対称性と言霊
http://book.mini-logostron.jp/index.php?chaper=3&num=2...
人間の霊的解放
http://ameblo.jp/tomel31/entry-2059372423.html...
アボリジニの三つの霊
https://docs.google.com/document/d/1OrfYEEOcTiXANumGnmgi9WIE20IURJmwXr0XTX-AMY/edit#...
神秘の世界には対称性の物語が多い。数学では対称性はどうなっているのだろうか。
posted at 19:46:24
11時間前
森のように深い@fractaleman68
陰陽論が重要であるのは陰陽対である。対称性があり、それが運動することによって非対称となるが、常に対称性を維持しようとする。このような対称性が双対性となって相互作用するというのが原理である。この原理が霊魂と数学の世界にあるかどうかである。
posted at 19:43:30
11時間前
森のように深い@fractaleman68
鏡(水晶)で未来を占うのは双対の原理だろうか。
posted at 19:39:36
11時間前
森のように深い@fractaleman68
現代物理はモノポール(単体としての磁石)は認めていない。しかしは電荷は双対である。それなら磁荷の対もあってもよい。しかし、現代物理はそれを認めていない。認めていないというよりは発見されていない。重力も同じだ。S科学は双対原理を駆使して突き進む。
posted at 19:34:28
11時間前
森のように深い@fractaleman68
現代物理ではエネルギーは正しか認めていないので、ここにエーテルエネルギーと物理の陰陽対から陰と陽のエネルギーが想像できる。この発想を担保するのが双対原理だ。しかし何でも鏡を持ってきて向こうを映し出せるのだろうか。電気には±があるから磁気にもNSがあるはずだといえるかどうかである。
posted at 19:25:29
11時間前
森のように深い@fractaleman68
陰陽論は一元気の太極があってそこから二元気の陰と陽の気に分極して二元対となって相互作用するという原理である。気とはエーテルであり、エネルギーである。陰と陽のエネルギーがあるということになる。
posted at 19:15:54
11時間前
森のように深い@fractaleman68
双対の原理とは鏡の原理である。この原理を使うとこちらが分かるとあちらも分かるというものだ。陰陽論はその典型である。しかし、陰陽論はそれを数学的に表現しなかったので眉唾とも思われた。双子の原理といったほうが良いかもしれない。
posted at 19:14:32
11時間前
森のように深い@fractaleman68
双対性の原理とは何だろうか。何故、確率と微分は双対が使えないのだろうか。ここは素人にはわかりにくい。森教授は言う。その説明を素人なりに解釈すると、こちらとあちらがあって、こちらのことはよくわかっているとすると、あちらがわかるうというものである。
posted at 19:06:35
21時間前
森のように深い@fractaleman68
佐野氏が目を付けたのは京都大学の故森毅名誉教授の一言である。確率・統計と微積分だけは双対性の原理を使って発展させることが出来ないという一言である。しかし、何故その二つの分野だけが出来なくて、その他の数学分野では出来るのかだろうか。
posted at 09:29:19
21時間前
森のように深い@fractaleman68
離散と連続の攻防は続く。一体どっちのが本質なのだろうか。離散した二つの碁石の中間に石を置く。これを無限に続けると連続となる。果たしてこれは可能だろうか。
posted at 09:24:38
21時間前
森のように深い@fractaleman68
飛び飛びの世界を連続することはまやかしに過ぎない。そして痛い目に合う。それを治すには水(連続概念の洗い流し)と花粉(粒=離散値)が必要である。しかし、飛び飛び空間を何かで埋め立てて連続にしても飛び飛びであることには変わらない。それを忘れるとまた火傷をすると大国主命は教えてくれた。
posted at 09:19:23
21時間前
森のように深い@fractaleman68
因幡の白兎にとって離散した距離でも間を埋めることができれば連続となる。ところがどっこいそこはやはり離散の海だった。離散を連続化することは騙しに過ぎなかった。因幡の白兎の神話はそう教えてくれる。この話には続きがある。大国主命が水で洗ってがまの花粉を塗れば治ると教えてくれたのである。
posted at 09:08:17
21時間前
森のように深い@fractaleman68
離れた小島まで行くのに鳥ならそこまでは連続空間と認識するだろうが因幡の白兎みとっては飛んでもない離散空間(海)である。しかしワニをだまして並べれば連続した空間になる。こうして海を渡ろうとしたが、つい口を滑らしてしまったために渡り切る前に捕まって皮をはがれてしまったといいう。
posted at 09:00:20
22時間前
森のように深い@fractaleman68
宇宙の真理(神の存在)を離散値の求めたというのは佐野氏の既知の外(権威の外)ぶりを遺憾なく発揮した大ヒットである。私は数学の素人だからそんなこと思いもつかない。いや、これは数学のプロでも気が付かなかったことである。
posted at 08:44:19
22時間前
森のように深い@fractaleman68
離散値と連続値に直目したのが佐野博士である。神の存在を証明したのである。何故そんなことができたのだろうか。何故、離散値が神の存在を証明することになるのだろうか。微分が理想で差分が近似なら微分の方が神を証明できるのではないだろうか。ところがそうではないのだ。
posted at 08:40:20
22時間前
森のように深い@fractaleman68
微分が理想で離散値の計算は近似だから格下となる。音楽ではアナログが自然であり、デジタルは人工的である。単に、デジタルの方が編集しやすいから便利だという考えになる。こうした常識を逆転させたのがS科学の佐野博士である。
神の存在証明
http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11102590689.html...
posted at 08:36:03
22時間前
森のように深い@fractaleman68
微分と差分はAD変換のようなものだから世界観までは変わらないと思うのは常識である。しかしそれは美人局を本物だと思うのと同じである。そう思うのは酔っぱらいである。微分方程式はそのままでは解けない。だから差分方程式で数値計算する。すると近似計算になる。近似だから本物ではないとなる。
posted at 08:30:37
22時間前
森のように深い@fractaleman68
類魂論を確率を使わないで説明できないだろうか。微分は連続実数を前提とする。差分方程式は離散値をベースとする。微分と差分は対応する。微分の定義は差分商の近似である。つまり、離散を連続の世界に変換できるのである。AD変換のようなものである。そのときの世界観はどうなっているのだろうか。
posted at 08:22:10
22時間前
森のように深い@fractaleman68
類魂を数学する試みがある。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~happy-love/ka.htm...
素晴らしい試みである。ただ、魂を連続する確率分布だととらえている。確率という数学を使うことには問題がある。美人局になるからである。しかし、発想は面白い。
posted at 08:16:12
22時間前
森のように深い@fractaleman68
意識を量子化できるだろうか。そのヒントが量子論にある。量子論は波を量子化し場を量子化した達人の技である。数えられるようにしないと何事も始まらない。
http://www.beach.jp/circleboard/ad0178/topic/1100201207830...
posted at 08:04:44
22時間前
森のように深い@fractaleman68
霊魂を数学できるだろうか。精神を数学するというのはかなり難しい注文だ。数学は数える事から始まったのだからその対象が数えられなけれならない。物理は物が対象だから数えることができる。数学と物理は地続きなのである。ところが心や魂は一つ二つと数えることはできない。そこが問題だ。
posted at 08:03:50-
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from: 生成門さん
2016年01月11日 09時57分16秒
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連続実数の微分の世界が実在の世界という呪縛から逃れよう。
指数曲線を見るとこの世界は連続した世界であると思ってしまう。指数曲線を数学的に表現すると指数関数となる。科学者が実験データをとりそれをグラフ化して曲線でイメージしてそれに合う実験式を作るとき指数関数が登場する。だから指数関数は連続した世界を象徴していると思ってしまう。しかし、指数関数をテイラー展開するとe^x=1+x+x^2/2+...となり、無限級数の多項式で表現できる。
無限級数のままでは答えがないのと同じなので、e^x=1+x+x^2/2などとして有理化して近似計算する。ここで考え方が近似だから真実は関数だと思う。それは逆なのである。もともとデータは離散値であり、離散値データしかとることができない。プランクはエネルギーと振動数の関係を示す実験式は離散値であることを見抜いていたのである。
離散値の世界のデータ⇒指数関数による連続した表現⇒無限級数のテーラー展開⇒近似をとって有理数とする⇒値を求める
こうしてみると元の世界が離散値だということに気が付くだろう。
この世界が離散値の世界だということになると、まるで違った風景が広がってくる。
その世界に飛び出そう。-
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from: 生成門さん
2016年01月11日 09時30分23秒
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宇宙の真理は離散値の世界だということ。
宇宙の真理とは何か。真実が真理とは限らない。真実とは解釈が入ったものである。プラトンは言った。人間は洞窟に映っているものを真実だと思い込んでいる。本当の真実
=真理は洞窟の外にある。仏さまも言った。この世界は夢幻だと。具体的に何を言ったのだろうか。
この世界とは現象した生成流転の世界である。物質の世界、生命の世界、精神の世界がそうである。その世界の根源にあるのは連続か不連続かということである。映像を見る限り連続であるように見える。しかし、その内実は細切れの静止画があってそれを動かすから連続しているように見えるだけである。錯覚なのである。人間の脳は自動補正するようになっている。ギザギザなものを見ても滑らかにしてしまうのである。
真実とは感覚によってとらえたものを脳が勝手に補正解釈して、それが真実だと思い込ませるように仕組んでいるのである。真理はその裏にある。音にはアナログとデジタルがある。アナログの方が心地が良い。CDはデジタルであり人工的である。最近はデジタル音楽もかなりアナログに近くなってきている。このような現実=事実からアナログ=自然=真実=真理と思ってしまう。しかし、それは錯覚である。思い込みである。脳のなせる技なのである。
脳は進化した。だから進化した人間の脳が考えたことはすべて宇宙の真理を現実に反映していると思いがちである。アナログ=連続、デジタル=離散(不連続)だという解釈がなされるのである。微分方程式は世界を反映した理想の姿である。数値計算はその近似でしかない。理想と現実という評価が生まれる。そして理想こそ真理だという錯覚がうまれる。目の前の現実は仮の姿であって、真の姿ではない。近似であるということになる。これは一見プラトンの洞窟を反映しているように見えるかもしれない。現実は仮の姿であり、理想は外にあると考えるなら、まさにその通りである。しかし、真理はその逆である。微分を理想の姿と考えるのは洞窟の中の脳がそう考えているのである。理想こそが錯覚している現実なのである。その現実の外に本当の真実=真理=離散値=デジタルの世界があるのである。
デジタル音楽は人工的だから理想ではないし、真理でもないというのは理想=イデア=アナログ=自然、現実=デジタル=近似と考えてしまうのは脳の仕業なのである。アナログはイデアの現れなどではない。イデアはもともとデジタル=離散値なのである。自然な音はアナログだと思っているのは錯覚であって、そのアナログでさえ離散値なのである。離散値としてのアナログを連続として認識してしまうのは脳の解釈なのである。
従って、微分方程式はイデアの顕現などではなく人間の観念が作り出した理想なのである。離散値による数値計算の世界こそが真理なのである。そう強弁するのは単なる独断と偏見ではないのかという反論が想像できる。それに答えておこう。
この世界の真理としての真実は離散値であるという動かぬ証拠がある。それはエネルギーは周波数によって決まるという現実である。これは解釈が入っていない事実である。
プランクの法則
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity300.html
E=hv
この式はエネルギーが離散値(とびとび)であり、その最小値があるということを示す式である。エネルギーには最小単位があるというにはわかりにくいが、こちらの説明がわかりやすい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10140134195;_ylt=A2RishtL8ZJWI0oAV4_jaAB8?pos=1&ccode=ofv
エネルギーは宇宙の根源的実在である。そのエネルギーが離散値しか取れないというのは宇宙が離散値の世界だということを物語っている。
2016年01月10日(日)27 tweetssource
9時間前
森のように深い@fractaleman68
追跡型と待ち伏せ型の両方を選択することはできないのだろうか。力学をベースとする確率を捨てた量子論(相対論)である。それがS科学である。それを可能とする力学は何とニュートンの作用反作用にあった。
posted at 21:11:42
9時間前
森のように深い@fractaleman68
全知を求めると待ち伏せ型=場型となるが確率的になる。追跡型で全知を求めるとアメダス型になるが完全ではない。これが量子論(相対論)を選択するか、古典力学を選択するかの分岐点となる。当然、科学は量子論を選択した。
posted at 21:09:25
10時間前
森のように深い@fractaleman68
現実の問題として追跡型は莫大なコストがかかる。個人情報の背番号制はその典型である。マーケティングでは待ち伏せ型(定点観測)が当然である。インターネット時代は個客管理と称して個を追跡する傾向があるがまだまだである。
posted at 20:29:45
10時間前
森のように深い@fractaleman68
定点観測と追跡の違いが場の理論と力の学との違いとなる。しかしこれは人間の基本的思考パターンである。天気予報に於いてはアメダスの追跡型が主流であるが原始時代から場型が主だった。今日の山にかかる雲の様子から明日は雨だなと予想したのである。それが量子論では確率になったのである。
posted at 20:24:20
12時間前
森のように深い@fractaleman68
力と場の理論の違いは何か。それは攻めと守りの違いである。犯罪捜査に現れる。容疑者を追うのが力の捜査である。待ち伏せするのが守りである。ネズミ捕りである。漁にたとえれば一本釣りが力であり、生け簀や定置網が場である。天気予報ではアメダスが力であり、定点観測が場である。
posted at 17:45:27
13時間前
森のように深い@fractaleman68
動的作用反作用:F1v1=-F2v2をF=-Fとしたことがボタンの掛け違いである。速度を無視したのである。相対論も量子論も力を捨て場の理論にシフトした。その結果、霊魂も捨てた。Fv=1には霊魂が隠れている。
posted at 17:35:00
14時間前
森のように深い@fractaleman68
ここまでくると微分=観念=理想=イデア=美人局である。こうなってしまったのはなぜだろうか。
posted at 16:27:56
15時間前
森のように深い@fractaleman68
微分はイデア=理想なのだろうか。
posted at 15:41:13
15時間前
森のように深い@fractaleman68
微分=イデア=観念=理想とすると微分に軍配が上がる。宇宙の真理は微分であり、数値計算はその手段に過ぎない。これを製品と部品に応用すると製品のイデア(設計図)があり、部品の構成されたものはその近似ということになる。
posted at 15:38:16
15時間前
森のように深い@fractaleman68
理想が真理で現実が近似=虚構と考えるかその逆と考えるかである。少なくとも微分に於いては微分が理想=真実で現実が近似=虚構と考える。この言い方は仏教の現実は夢幻を思い出す。プラトンの洞窟もそうである。プラトンや仏教は微分を支持しているのだろうか。
posted at 15:28:58
15時間前
森のように深い@fractaleman68
dy/dxとΔy/Δxの違いは何か。dy/dxではΔxを限りなく0にできる。しかし、数値計算ではそれはできない。コンピュータを使えばかなりできるがそれでも限界がある。それが現実である。そこでdy/dxを理想Δy/Δxを現実と考える。理想と現実のギャップはとても大きい。
posted at 15:23:30
15時間前
森のように深い@fractaleman68
微分と数値計算の関係を考えてみよう。微分方程式は世界の表現である。これを解くためには積分しなければならない。そのためには数値で計算しなければならない。微分はdy/dx=lim(Δx→0)Δy/Δxだから刻みをいかに小さくするが勝負である。dy/dxとΔy/Δxの違いが出る。
posted at 15:18:02
15時間前
森のように深い@fractaleman68
科学が観念主義というのは前代未聞だろう。科学は常識では唯物論である。
posted at 15:06:53
15時間前
森のように深い@fractaleman68
物の怪とは物に気があるとする考えである。それを科学するとどうなるのだろうか。霊とか魂を語るときに科学的視点から語るのは物に還元することだから、間違いであるというのが常識である。確かに医学がそうである。その原因はどこにあるのだろうか。それは科学が観念主義だからである。
posted at 15:06:02
15時間前
森のように深い@fractaleman68
宇宙の真理が多項式にあるというヒントが見つかった。
posted at 14:56:17
15時間前
森のように深い@fractaleman68
脳の錯覚に付き合わずに真理を探そう。
posted at 14:53:29
15時間前
森のように深い@fractaleman68
人間は錯覚する動物である。脳の中にそのように解釈させる機能があるのかもしれない。テレビの画面はビット表現だから離散値である。しかし、映像を見るとなめらかできれいに見える。脳はそういうものかもしれない。
posted at 14:49:33
16時間前
森のように深い@fractaleman68
指数関数などが発見された後でテイラー展開が発見されたでので、多項式は近似という位置に格下げされてしまったのである。しかし本当は逆であって多項式的世界が先にあったのである。人間はそれを後で発見しただけなのである。だから関数が先であると錯覚したのである。
posted at 14:42:42
16時間前
森のように深い@fractaleman68
進化とは低から高である。それは数学でも同じだろう。数学は精神の進化だからである。従って多項式が低であって指数関数などは高である。とすると関数の近似が多項式というのは間違いである。宇宙は多項式の仕組みがあってそれが人間によって関数として認識されたのである。
posted at 14:35:56
16時間前
森のように深い@fractaleman68
初等関数の近似が多項式だとすると本質は関数だということになる。しかしそうだろうか。製品=Σ部品とすると部品が本質である。部品がなければ製品は存在しない。これは進化でも同じだ。しかし、部品に還元すれば、製品(生命)の本質が失われる。この壁を乗り越えないといけない。
posted at 14:30:07
16時間前
森のように深い@fractaleman68
多項式以外の初等関数をテイラー展開すると多項式に還元できる。多項式は無限の級数である。その例がe^x=1+x+x^2/2+x^3/3!+..である。ここに宇宙の謎が隠れている。e^x=1とするとx=ln1=0である。なるほど。多項式が近似なのだ。しかしそうだろうか。
posted at 14:15:03
16時間前
森のように深い@fractaleman68
初等関数(三角関数、指数関数など)が多項式で表現できるということの意味を考えてみよう。極論すれば、三角関数は製品で多項式は部品表である。生命が関数であり、その構成が多項式である。こうした表現は還元主義というそしりを受けるが、今は甘んじておこう。
posted at 14:04:24
17時間前
森のように深い@fractaleman68
多項式が宇宙の真理であることをどう説明するか。指数関数をテイラー展開するとe^x=1+x+x^2/2+x^3/3!+..
である。この展開をどう見るかである。これは指数関数は多項式に還元できるという意味である。つまり、指数関数で表現される現象は多項式で表現できるということである。
posted at 13:44:21
17時間前
森のように深い@fractaleman68
宇宙の真理を探究するために多項式に注目する。何故なら、多項式が宇宙の真理だからである。何故そんなことが言えるのかである。テイラー展開というのがある。これは関数を多項式に変換する数学的トリックである。トリックというには失礼かもしれない。華麗なテクニックである。
posted at 13:14:46
18時間前
森のように深い@fractaleman68
動的作用反作用はF1v1=-F2v2であり、ニュートンの作用反作用はF=-Fである。速度がないので動いていない状態である。だから静的である。反作用は作用に対する反応だから同時ではない。だから正確にはF1=-F1である。原因⇒結果である。しかも因果が続く。
posted at 12:25:58
18時間前
森のように深い@fractaleman68
予測に確率を持ち込むことは美人局にひっかかったということである。確率論が数学として誤った数学である事は佐野氏によって明らかとなった。
http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11092386459.html...
S科学では動的作用反作用が基本の命題である。宇宙の真理である。何故、動的というのだろうか。
posted at 12:20:36
20時間前
森のように深い@fractaleman68
多様体の手法(思いを表現するHP) http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-373html...
posted at 10:33:56
2016年01月09日(土)18 tweetssource-
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from: 生成門さん
2016年01月09日 08時03分16秒
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生命はエーテルをオンデマンドで取り入れている。
生命はエーテルをオンデマンドで取り入れている。ジャストインタイムといってもよい。必要な時に必要なところで必要なだけである。オンデマンドでにしてもジャストインタイムにしても人間の意志が関与している。生命の各器官には意識はない。進化のレベルの低い生命には意識は見られない。それなのにオンデマンドなど可能なのだろうか。
こうなると意識という定義が必要である。何をもって意識というのかである。意識に記憶が必要であることは自明であるが、それだけでは意識は生まれない。植物は年輪に記憶を刻んでいるが、植物が意識的に成長しているとは考えにくい。無意識も意識のあり様だとすると、深層的な意識があるということで意識概念を拡張できる。つまり植物にも意識があるということである。冬になると葉っぱを落として春に備える。それは意識的である。バクテリアも塩分濃度を感知して逃走する。これも意識的である。意識があるということは記憶と計算なり推理と学習が必要である。記憶以外を類推としてまとめておこう。コンピュータのアナロジーで言えば意識とは記憶とアプリである。アプリは類推である。ただ、コンピュータはエーテルを取り込まないだろうから、アナロジーとして利用するときは注意を要する。又バクテリアと植物と人間の意識を一緒にすることはできない。意識のレベルをスペクトル化して扱う必要があるだろう。
意識のスペクトル
http://koheikondo.com/holst/h8.htm
睡眠と覚醒を三角錐リサイクルとして構成できるか?
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100111496167
睡眠時と覚醒時では意識の状態は異なるから当然エーテルの取り込み方も違うだろうし、単細胞と多細胞でも違うだろう。まして半生命(ウイルス)などは物質と変わらないのではないだろうか。非生命の物体でもオンデマンドではないとしてもエーテルは取り込んでいるのだから、まずはエーテルの取り込みの仕組みを解明しなければならない。
多くの探求すべき課題が出てきた。とりあえずはS科学を援用しながら思いつくままに呟いたものを纏めておこう。
1月8日
森のように深い@fractaleman68
単極誘導の現象を現代物理は説明できない。
http://sysplan.nams.kyushu-u.ac.jp/gen/hobby/elecMotor/UniMotor.html...
何故なら、モノポール(単極磁石)の存在を認めていないからである。
posted at 10:22:43
21時間前
森のように深い@fractaleman68
中性子が何故電気的に中性なのかの説明を現代物理は説明できない。それは磁気という性質を見ていないからである。SSNという構成はNSでエーテルが流れ、残ったSはエーテルをもらえない。だから回転しない。回転しなければ単極誘導が起きない。だから電荷が生まれない。だから中性なのである。
posted at 10:15:03
21時間前
森のように深い@fractaleman68
0磁場は光のエネルギーによって揺らぎ、その振動によって光が伝わる。エネルギーはエーテルであり、プラスからマイナスに向かって流れる。真空ではN→Sである。核では陽子がNNSでありNSで中和されるが残ったNが+電荷をもつ。中性子はSSNであり残ったSは電荷がないので中性となる。
posted at 10:10:29
21時間前
森のように深い@fractaleman68
光を伝える媒体は真空である。しかし、真空は何もない空間ではなく0磁場である。NとSのモノポールが存在する空間である。Nは正、Sは負の質量を持つから磁気的にも物質的にも0である。この真空が宇宙に充満しており、0化された物質がエーテルなのである。だから真空=エーテルといってもよい。
posted at 10:01:59
21時間前
森のように深い@fractaleman68
生命はエーテルをオンデマンドで取り入れる。物体はそれができない。生命はその取り入れたエーテルを免疫系が使っている。何故、物体はエーテルの取り込みが自在にできないのだろうか。それを数学的な違いとして表現できるだろうか。
posted at 09:53:49
21時間前
森のように深い@fractaleman68
生命と物質を区別するエーテルとの関係はどう違うのか。それは生命は関数型プログラミングでいう遅延評価call by needである。つまり、生命の特徴はエーテルを必要に応じて必要だけ空間から取り入れることができることにある。言い換えるとトヨタかんばん方式のジャストインタイムである。
posted at 09:36:18
22時間前
森のように深い@fractaleman68
生命と物質との違いを明らかにする。その手掛かりはエーテルにある。エーテルがエネルギーであり時間であり、その時間軸に経験が記憶されているとするとエーテルがそのカギを握っているということになる。生命と物質ではエーテルとの関係がどう違うのだろうか。これはエーテル進化論だ。
posted at 09:08:42
22時間前
森のように深い@fractaleman68
ウイルスは半生命体である。どちらともいえないパラドックスな存在である。生命と物質の違いをその構成する構造や機能だけで識別しようとするとパラドックスが待っている。このパラドックスを解決するにはどうすればよいだろうか。量子論がやったように確率を持ち込むことだけはやりたくない。
posted at 08:42:48
22時間前
森のように深い@fractaleman68
ウイルスは核酸でできているから生命に近い。しかし、ウイルスは結晶化する。http://matome.naver.jp/odai/214219133480911801...
雪を生命と言わないようにウイルスは生命ではない。とすると半生命か。半導体は導体でもあり不導体である。だから半分導体なのである。
posted at 08:39:35
22時間前
森のように深い@fractaleman68
バクテリアを溶かしてしまうウイルス(バクテリオファージ)の姿を見てみよう。
http://www.biochemeng.bio.titech.ac.jp/research/phagephage.html...
まるで無人探査機や月面着陸船のようだ。
これを生命と言わない方が無理だろう。しかし、ウイルスには心がない? https://pic.twitter.com/U9NBp1GuAP
posted at 08:33:26
22時間前
森のように深い@fractaleman68
生命は単なる物体ではにことは明らかである。しかし進化の階段をさかのぼっていくと、その区別が不明となる。ウイルスやリケッチアは生物と無生物の境界にいる。ウイルスは核酸の鎖であり、遺伝子と何ら変わりがない。エーテルとの関係ではどう説明できるのだろうか。
posted at 08:24:07
23時間前
森のように深い@fractaleman68
東洋では見えない気をその中心に置いた。気とはエーテルである。しかしエーテルの実体をうまくつかめなかったので発展しなかった。生命はエーテルをうまく扱う生き物なのである。従って、生命と物質を区別するエーテルとの付き合い方を調べなくてはならない。生命と物質の違いとは何かである。
posted at 08:11:13
23時間前
森のように深い@fractaleman68
精神と物質、心と身体といった二元が分離してしまうと、科学や芸術、身体中心の医学と精神医学のよう分裂になる。生命は本来心と身体が溶け合った存在である。東洋医学は二元を分離することなく扱う方向に進んだが数学的な思考が弱かったので発展しなかった。
posted at 08:06:13
23時間前
森のように深い@fractaleman68
積分・微分型をパラノ・スキゾとして考えると農耕と遊牧、手続き型・関数型言語、左脳・右脳といった対比が可能となる。日本ではパラノとスキゾの比は40%と30%の割合だから、その比が文化的な特徴となる。
posted at 07:58:53
23時間前
森のように深い@fractaleman68
聖書のパラノイアの傾向を発見できたのはニーチェがスキゾだったからである。パラノが積分型とするとスキゾは微分型である。悪く言えばその場限りだ。すぐ忘れる。だから恨みを長く持てない。民族的には東洋にその傾向が多い。だから無常という諦めの宗教が生まれた。
posted at 07:55:25
23時間前
森のように深い@fractaleman68
恨みは臆病である。弱者である。弱者はルサンチマンを持つ。弱者の生き方の指針が聖書である。それを発見したのはニーチェである。そして神は死んだと言い放った。弱者とは神経症的でありパラノイアであり、フロイトの精神分析の対象だった。つまり西洋人は圧倒的にパラノィアが多いということである。
posted at 07:46:18
23時間前
森のように深い@fractaleman68
人間の祖先はネズミの様な小動物である。http://nihon.matsu.net/nf_folder/nf_mmetisiki/nf_animal/nf_animal_saru_sinka.html...
恐竜と同じ時代だから小心だったろう。ネズミを捕る猫も小心である。小心だからこそ生き残れたともいえる。その小心が恨みとなった。その恨みが一神教となった。恨みの心を諦めに変えたのが仏教である。
posted at 07:39:11
1月8日
森のように深い@fractaleman68
エントロピーの学は正義と愛を語るな。悪業の結果はブーメランのように自分に返ってくる。
posted at 07:19:15-
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from: 生成門さん
2016年01月09日 07時25分12秒
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エーテル生命論が必要だ。
現代医学が慢性病やがんなどの病について成果を上げられないのは、生命の本質を理解していないからである。医療のミスによって死ぬ人は少なくない。死なないまでも悪化されられる人もいる。
哺乳動物は体温維持が重要である。人間の場合、平均37度に保たれている。このように状態を一定に保つことを恒常性(ホメオスタシス)という。何故、37度なのだろうか。
37の意味
http://homepage3.nifty.com/enoch/fo-number2/num37.htm
数字と世界の関係を軽く見てはならない。摂氏の温度は水の融点と沸点の間を100等分したものであり、これは偶然以上の意味があるという。温度1度上昇するのに必要なエネルギーには最小値があるが、37°C付近がそうである。人体は極めて省エネだという事だ。宇宙は最小作用の原理が働いている。
3+100=137は微細構造定数(の逆数)である。水素原子の軌道電子の速度はv=c/137である。また、3.738...=(φ+e+π)/2=(1.618+2.718+3.14)/2である。これは黄金比・自然対数の底・円周率の和の1/2である。
黄金比と自然対数の底と円周率が密接に関係しているいう事実は数学に世界の真理が隠されていると言うことである。黄金比φ=1.618はエーテルを最小のコスト(労力)で取り込む黄金螺旋の形を示し、と自然対数の底e=2.7は臨海曲線にカギを握る値である。
臨海曲線
http://pathfind.motion.ne.jp/critical-curve.htm
相互作用する社会を考えるとき、激変する最低数が何かをがわかれば手が打てる。例えば、噂を広める最低の数は2.7=3人であるという具合である。
円周率πはどこにでも出てくる値だ。確定性の原理はΔEΔt=h/4πでは、ΔE=1とすると時間の差分はΔt=h/4πとなる。とてつもない小さな値だ。
体温維持の話を続けよう。体温を維持するためのエネルギーは基礎代謝よりはるかに大きなエネルギーが必要である。
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11043371865.html
生命は免疫系・ホメオスタシスを進化させてきた。当然、それが作動には因果関係があり、それが持続する。しかし、いまだにその解明はできていない。解明できないのは因果関係にエーテルが関与しているからである。現代医学は全くエーテルを無視している。だから真の医学にならない。今こそエーテル生命論が必要である。
東洋医学はエーテルを気とよんでエーテルを取り込んだ治療を実践してきたが、数学的思考までに到達しなかったために未完成となっている。今後も期待できそうにない。やはり、S科学の導入が必要である。
2016年01月08日(金)43 tweetssource
10時間前
森のように深い@fractaleman68
二体関係に於いて面積速度xvは一定とするとxv=xvとなる。1/x*v=1/x*vだからF=1/xとおくとFv=Fvとなり、添え字をつけるF1v1=F2v2となり、F=mΔΔx/Δt^2=-1/xだから右辺に-をつけるとF1v1=-F2v2となって作用反作用となる。
posted at 21:13:53
10時間前
森のように深い@fractaleman68
Fv=-FvをF=-Fとしてはいけない。FΔx/Δt=-FΔx/ΔtでΔE/Δt=-ΔE/Δt、ΔEΔt=-ΔEΔtとなる。添え字をつけてΔE1Δt1=-ΔE2Δt2とすると何と四つ相撲が作用反作用=確定性原理(=h/4π)となった。つまりエネルギーはベクトルである。
posted at 21:06:26
10時間前
森のように深い@fractaleman68
押し相撲はE=Fxである。そのエネルギーがスカラーとは信じられない。押しているのだから方向がある。これを微小エネルギーとするとΔE=FΔx時間だからΔtで割ってみよう。ΔE/Δt=Fvとなる。四つ相撲ならFv=-Fvである。これをF=-Fとしてしまったことに物理の悲劇がある。
posted at 20:44:55
13時間前
森のように深い@fractaleman68
現代物理ではエネルギーはスカラーである。方向がないのである。Fx=Eはエネルギーと力の関係を示す。力が物をある方向に引き摺ったときのことをエネルギーという。このFxはベクトルだろうか。引きずるのだから方向がある。方向があるならベクトルである。
posted at 17:24:02
14時間前
森のように深い@fractaleman68
エネルギー保存則は太陽の重さが変わらないという現実と反する。エネルギーを発したなら重さが減らなくてはならない。しかし減ってい。つまりどこからかエネルギーが補充されなければならない。そうなるとエネルギー保存則が成り立たなくなる。エーテルまで入れなければ成り立たないからだ。
posted at 17:00:15
15時間前
森のように深い@fractaleman68
重力は事実だがいまだに重力の正体はわかっていない。質量のない光子も物体と同じく落下する。これを太陽レンズ効果という。
http://www.amigo2.ne.jp/~s_mouse/infexl/gmcrlns.html...
重ければ地球の中心に向かっていくのである。見方を変えれば何かが流れ込んでいるとも見える。これをエーテルという。
posted at 15:58:47
16時間前
森のように深い@fractaleman68
太陽から放出された地球が今の位置にあるというのは奇跡的である。小惑星探査機はやぶさ2の打ち上げの様子を見ればわかる。針の穴を通す技術が求められるのである。それにしても太陽の惑星はみな行儀よく並んでいる。
posted at 14:47:41
17時間前
森のように深い@fractaleman68
地球が流れ星ではないとすると太陽から生まれたするしかない。本当だろうか。これを唱えるのは佐野博士である。しかし、如何にして太陽から生まれたのだろうか。もし太陽から噴出して、それが地球になったとするとその可能性はかなり難しくなる。それは人工衛星の打ち上げを考えるとわかる。
posted at 14:00:22
17時間前
森のように深い@fractaleman68
地球はどうして太陽の周りを回っているのだろうか。よくある説明は流れ星が太陽の重力によって捕まったというものである。そうなると地球は太陽の動きとは関係なくなるが、実際は太陽の円盤上にある。他の惑星も同じである。これをどう説明できるかである。
posted at 13:56:05
19時間前
森のように深い@fractaleman68
テレビは情報が外からやってくる。バクテリアの場合は塩分濃度という差異がやってくる。生命の場合それとは異なるものがある。それがエーテルである。バクテリアも生命である。だから差異以外にエーテルを取り込んでいる。このエーテル的視点がないとクオリアの問題は解決できない。
posted at 12:02:04
19時間前
森のように深い@fractaleman68
バクテリアは塩分濃度を感じることができる。その能力と人間の能力が同じだということは言えないことは自明だ。パソコンの能力でも同じことが言える。10年前のOSと今のOSには大きな差異がある。
posted at 11:55:58
19時間前
森のように深い@fractaleman68
クオリアを科学は説明できない。S科学は説明できる。同じ科学なのにどうしてこんなにも違うのだろうか。それは現代物理学が間違っているからである。どこが間違っているのだろうか。
posted at 11:49:07
19時間前
森のように深い@fractaleman68
テレビの映し出す仕組みを脳のアナロジーとして使うことのできない最大の理由はクオリアである。テレビは主観的な感じを映すことはできない。人間は主観で感じるのである。主観を客観的な物理が説明ができないのは当然である。
posted at 11:47:53
19時間前
森のように深い@fractaleman68
世界から情報がやって来て脳内にイメージを形成するから感じるのである。そのやって来る情報とは何なのか。テレビならそれは電波に乗ってきて、回路の中でデジタル信号に変換されて映像として映し出されると説明できる。しかし、それはアナロジーに過ぎない。
posted at 11:42:03
19時間前
森のように深い@fractaleman68
完全なOS等ないように完全に世界を映しとるアプリが進化の最初の時から存在していたと考えることはできない。どうやってその能力を勝ち取ったのだろうか。MLBの放送をテレビで見ることができるように脳は世界を模写しているのである。確かなことは情報がやってきているということである。
posted at 11:37:29
19時間前
森のように深い@fractaleman68
何故生命はクオリアを持つのか。言い換えると、なぜ、生命が世界を映しとれるのかということになる。このすごい能力が一回限りの出来事 しかも生命発生の時点だけだったのだろうか。パソコンのOSだって常に更新しなければまともに動かない。もしそんなことがあったら奇跡としかいいようがない。
posted at 11:30:12
20時間前
森のように深い@fractaleman68
クオリアとは太陽の光を白色と感じるその感覚のことである。しかし、葉っぱ青く、赤く感じる。これの説明は簡単だ。太陽の光はいろいろの波長の光が混在していて打ち消しあっているから白くなるのであり、葉っぱが青いのは青い波の光が吸収されるに反射するからである。
posted at 11:19:48
20時間前
森のように深い@fractaleman68
人間の意識なんて、脳という機械の産物であり、この機械の仕組みを解明すれば、人間の意識の起源も解き明かされる。これは楽観的過ぎる。エーテルが入ってこなければ話にならない。
posted at 11:13:59
20時間前
森のように深い@fractaleman68
クオリア問題に答えられたら霊魂の存在についても答えが出るだろう。何故なら、それらは主観的な経験だからである。神秘的な経験は科学できないのがこれまでの常識だ。これをどう打破できるだるだろうか。もちろん念力に波動関数を持ち込むことなど論外だ。
posted at 11:10:47
20時間前
森のように深い@fractaleman68
クオリア問題は解決できないという。それなら既知の外にいるS科学の佐野氏に登場してもらおう。脳を原子レベルで全部調べて、その動きを完全に解明できた」としても、この私に生じている『この赤』は一体どこから、どういう仕組みで起きたのか?を説明することができないというのが常識である。
posted at 11:03:39
20時間前
森のように深い@fractaleman68
クオリア問題は誰が解決してくれるのだろうか。我々が質感を持つという仕組みはどうなっているのだろうか。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoia.html...
ここでは、科学がどんなに進歩しようとも、 この謎を解き明かす見込みはまったくない、 不可能であると言う。果たしてそうだろうか。
posted at 11:01:14
20時間前
森のように深い@fractaleman68
太陽の年齢は45億年だ。その間エネルギーを出し続けている。エネルギーは質量だからすり減ってしまわなければならない。しかし、海王星がいまだに太陽から離れていないのは重さが減っていないことの証拠である。これはエネルギー(エーテル)が補充されているからである。そのルートはN→Sである。
posted at 10:46:13
20時間前
森のように深い@fractaleman68
エーテル理論はマクロとミクロにも通用する。ミクロではNからSにエーテルが流れる。マクロではどうか。太陽は大量にエネルギーを発している。にもかかわらず質量を一定に保っている。これを説明できるだろうか。太陽の表面はNでその中心はSだからエーテルが流れ込んでいる。これが答えだ。
posted at 10:39:19
20時間前
森のように深い@fractaleman68
単極磁石による核の説明はS科学(佐野氏の学説)の独壇場である。Sモノポールが電子にNが陽電子なったりする。磁気を軽く見てしまった現代物理は破たんした。
posted at 10:31:36
20時間前
森のように深い@fractaleman68
電荷とは電子に担われている電気であり負の値を持つ。現代物理によれば電子に電荷が現れたり消えたりはしない。だから中性子の電荷が中性だということが説明できなくなる。中性子の残ったSが電子だとするとエーテルをもらえないのだから単極誘導が起きない。だから電荷がない。だから中性となる。
posted at 10:26:56
20時間前-
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from: 生成門さん
2016年01月06日 06時14分14秒
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宇宙の真理は漸化式である。
九鬼周造の粋の構造は偶然と関係する。もちろんこの偶然はランダムという意味ではない。カオスとしての偶然である。一期一会というのはそうした偶然の出会いを大事にすということである。偶然を確率としてとらえてしまうと身も蓋もなくなる。確率的に愛して、確率的に成功して、確率的に生きるというのは虚しい話だ。
もう確率という数学は捨ててしまおう。
火事場の馬鹿力というのがある。危機に瀕するととんでもない力が現れるというのである。エネルギーをどう凝集するかである。気を集めるのである。それを数学するとどうなるのだろうか。エーテルを時間軸に沿って集めることができればよい。これによって神秘主義にように不可思議なこと、体験しなければわからないことなどと突き放すような言い方をしなくて済むようになってきた。すべては漸化式になる。無限の数列を抱え込んでしまったらいくら容量があっても計算できない。即時に計算できなければ生きていけない。ミサイル迎撃を考えてみよう。ミサイルが飛んでくるのだからリアルタイムに位置を確定できないと発射できない。
漸化式がどうして瞬時に計算できるのだろうか。フィボナッチ数列の漸化式はFn+1=Fn+Fn-1である。n+1番目の数はn=1から計算していかないとわからない。しかしそれでは日が暮れてしまう。フィボナッチ比をとるとXn=Fn/Fn+1=Fn/(Fn+Fn-1)=1/(1+Fn-1/Fn)=1/(1+Xn-1)となる。
n=∞のときXn=Xn-1だから、Ⅹと置くと、X=1/(1+X)となり、X^2+X-1=0となり、これを解くと黄金比X=0.618となる。Xn=Fn/Fn+1=0.618と分かってしまえば、任意のFnが分かれば、Fn+1もわかる。
こうした数学的構造が自然の背景あるということはこれまでの常識を覆すことになる。つまり、物理現象というのは物質的因果(唯物論)で閉じているはずだったが、漸化式によって計算されて現象するという結論になる。非物質的要因が原因となって物質が現象となるということである。これを精神にまで拡張できるかどうかが、次なる課題である。
2016年01月05日(火)19 tweetssource
13時間前
森のように深い@fractaleman68
コンピュータは記憶容量が大きくなればなるほど検索できなくなる。しかし人間はいくら膨大な記憶でもいとも簡単に検索できてしまう。この違いをよく考えてみよう。
posted at 17:10:51
13時間前
森のように深い@fractaleman68
コンピューターミュレーションで理解を実現することはできていない。ただ記憶容量を大きくすれば済む話ではないからである。
posted at 17:04:20
15時間前
森のように深い@fractaleman68
人は催眠状態になると過去の光景を微に入り細に入り全てを克明に思い出すことがある。サヴァン症候群と同じになる。脳はコンピュータではないがインターネットと結合して莫大な記憶情報を利用しているのと同じような仕組みなのである。
posted at 14:21:57
16時間前
森のように深い@fractaleman68
クオリアは関数である。外部の刺激を赤や青などの色に変換する推論の仕組みであってデータそのものではない。
posted at 13:59:02
16時間前
森のように深い@fractaleman68
プラナリアには脳に中に記憶がない。外にある。
http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-18.tml...
posted at 13:56:48
17時間前
森のように深い@fractaleman68
クオリアという言葉を聞いたことがある。クオリアとは心で感じる質感のことをいうらしい。要するに物理的刺激を感覚に変換するということである。つまり、クオリアは関数であってデータそのものではない。何故なら脳には記憶がないからである。
posted at 13:01:37
18時間前
森のように深い@fractaleman68
明治維新に影響を与えた坂本龍馬は自由人間だった。彼は必要な時に必要なだけエーテルを取り入れる精神を持っていた。だから日本を変革する事が出来たのである。宇宙における変化とこの歴史の変化は同じ原理によっていることはカオスの理論によって証明できる。これを精神物理の法則という。
posted at 12:05:21
18時間前
森のように深い@fractaleman68
決定論は機械論だから自由はない。確率は非決定だから量子論は自由を担保してくれそうに思える。しかし確率は美人局である。重要なことは宇宙の真理は何かである。それは決定論的非線形である。予測ができないが決定されているという何ともパラドックス。これが真理である。不カオスこそが自由である。
posted at 12:00:42
18時間前
森のように深い@fractaleman68
生命は物の理の世界の存在しているが、エーテル=気を取り込んでいる。エーテルとはエネルギーだから、生命と物理を切り離して考えることはできない。気功をするということは宇宙のエネルギーを取り込むむことなのである。そのすべてにカオスフラクタルの数学が関係している。
posted at 11:20:44
18時間前
森のように深い@fractaleman68
明治維新やベルリンの壁の崩壊は真なるカオスの原理が善なる反エントロピーの過程を生み、美なるエーテルの凝集となった結果である。
posted at 11:14:27
19時間前
森のように深い@fractaleman68
社会の構造が急変するときは明らかに高度な秩序が生まれているということである。秩序は粋の三つの項(真善美)が偶然というカオスによってもたらされるのである。真なる理(カオス)が善なる反エントロピー過程によって美なるエーテル・エネルギーの凝縮・集中が起こるのである。
posted at 11:11:08
19時間前
森のように深い@fractaleman68
華厳の重々無尽、エーテル、気、エネルギー、霊魂、直感、カオス・フラクタル、漸化式、学習、意識、類推、記憶という一見つながりにない神秘主義と仏教と数学と精神と物理が一つにつながるという離れ業が実現した。
posted at 10:56:13
19時間前
森のように深い@fractaleman68
無限に拡散しているエーテルを漸化式に凝集して実践する。それが霊魂能力であり直観である。気功に於いて瞬時に気をつかんで離す技があるが、それがまさにエーテルを凝集するということである。
posted at 10:52:21
19時間前
森のように深い@fractaleman68
生命は学習によって無限大の数列を漸化式(凝縮)にまとめる能力がある。これを言い換えると学習時するという精神活動(霊魂)を持っているということである。霊魂は無限に分散しているエーテル・エネルギーを凝縮させて取り込んでいるといいうことができる。
posted at 10:49:02
19時間前
森のように深い@fractaleman68
確率によってはいくらコンピュータを使っても予測できないが、生命は予測して行動している。それは学習しているからである。学習とは人間だけの特権ではないのである。原初の生命であるバクテリアやリケッチアでさえ無限大が1行の数式に凝縮するという離れ業をやっているのである。
posted at 10:44:48
19時間前
森のように深い@fractaleman68
サイコロを振ることに対して確率論は学習することはできないのである。サイコロ現象にはルールがないのである。もし、確率を使ってコンピュータでカオスのデータから予測するプログラムを作るとするとどうなるだろうか。当然無限数列を全部記憶しなければならない。それは不可能である。
posted at 10:39:18
19時間前
森のように深い@fractaleman68
無限に続く数列は唯の1行の短い漸化式にまとまってしまう。それがカオスである。確率論では数列の先を予想できない。次に出るサイコロの目を予測できないことは自明である。期待値が1/6(1+2+3+4+5+6)=3.5ということはわかってもである。期待値は平均でしかないからである。
posted at 10:28:24
19時間前
森のように深い@fractaleman68
霊魂を数学する http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-366html...
posted at 10:18:32
20時間前
森のように深い@fractaleman68
霊魂を数学する http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-366html...
posted at 09:51:03-
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from: 生成門さん
2016年01月05日 07時18分10秒
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霊魂を数学するカギはカオス・フラクタル
カオスとフラクタルは違いより似ているところが多い。むしろ同じことを違う表現しているのかもしれない。象徴的に言えば、カオスは風が吹けば桶屋が儲かるという非線形な時間発展の因果な関係だし、フラクタルは黄金分割にみられるような自己相似な空間の分割である。このフラクタルカオスが霊魂という直感の世界を表現してくれるというのだから、これを学ばない手はない。しかし、素人がこれに挑戦するのは手に余る。遭難しないためにもナビゲータが必要である。そのリストを上げてみよう。
S科学の佐野氏
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11122103781.html
華厳をフラクタルする
http://nichigetu.b-tama.com/prologue.html
よくわかるカオスとフラクタル
http://samidare.halfmoon.jp/mathematics/ChaosAndFractal/ChaosAndFractal5.html
数学研究ノート
http://homepage3.nifty.com/y_sugi/
カオスについて
http://izumi-math.jp/sanae/report/katati/katati_6.htm
その他
気になることがある。それはカオスの式:Xn+1=aXn(1-Xn)においてªの値は0<a≦4としていることである。とくにa=4の時をピュアカオスという。a>4では発散してしまう。ピュアカオスとはランダムに近いという意味だろうが、新のカオスともいえる。問題にしたいのはこの4という数値の意味である。何故、4なのだろうか。
カオスが発生するところと発散する限界領域が係数aの値が4なのである。無理にこじつけるわけではないが、ΔE*Δt=h/4πの4と関係があるのではないだろうか。ΔE*Δt=h/4πは(不)確定性原理である4π=2*2πの2πは一周である。動的因果F1*v1=-F2*v2に時間をかけるとF1*v1*Δt=-F2*v2*Δt=ΔE*Δt=h/4πとなる。つまり作用反作用はメービウスの一周分であり二回廻らないと元に戻れないことを意味している。
作用反作用と確定性原理の結びつきは数学的に明らかであるが、それがカオスとどう結びつくのだろうか。そのカギが数字の4である。カオスの式を時間発展させて最終状態と最初の比をとると
Xn+1/X1=4^n(1-Xn)...(1-X1)
となり、量子とエーテルとの作用反作用の式fc=F(c-v)=ΔEΔt=h/4πを変形すると4f/F=4(1-v/c)となる。これを展開して最終状態と最初の比をとると
(4f/F1)*(F1/Fi+1)=4^n(1–v/c)*(1–v2/v1)... (1 – vi/vi+1)
となる。二つの式の左辺の類似性は一目瞭然である。これが意味することはとても重要である。量子レベルの作用反作用がカオスの式となっているということは決定論的非線形カオスこそが宇宙の真理であることを示しているということである。
このことをつぶやいてみた。
2016年01月04日(月)21 tweetssource
18時間前
森のように深い@fractaleman68
一見ランダムに見える陰には規則性がある。
http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11296679429.html...
posted at 12:55:58
18時間前
森のように深い@fractaleman68
漸化式の比を自然数Nに対応させるとπ(N)=N/lnNとなり素数の定理になる。これは素数自体が決定論的非線形カオスという宇宙の真理を暗示している。
posted at 12:55:05
18時間前
森のように深い@fractaleman68
漸化式を時間発展させて、すべてを掛けると左辺は初期値と最終値の比になり、右辺は途中の値のすべての積になる。初期値/最終値(又はその逆数)=係数*交差項の積これは漸化式で表現される現象はすべての過去が現在に繰り越されるということである。その為にカオスとなる。
posted at 12:54:12
18時間前
森のように深い@fractaleman68
カオスの式:Zi+1/Z1=a^i*(1–Z1)*(1 – Z2) ... (1–Zi) エーテルとの相互作用:(4f/F1)*(F1/Fi+1)=4(1–v/c)*(1–v2/v1)... (1 – vi/vi+1)(4f/F1)を無視するとこ二つの式の類似性は一目瞭然である。
posted at 12:53:44
18時間前
森のように深い@fractaleman68
エーテルとの相互作用の展開4f/F1=4(1–v1/c)F1/F2=1–v2/v1F2/F3=1–v3/v2..Fi/Fi+1=1–vi/vi+1すべてを掛け合ると(4f/F1)*(F1/Fi+1)=4(1–v/c)*(1–v2/v1)... (1 – vi/vi+1)
posted at 12:53:26
18時間前
森のように深い@fractaleman68
量子とエーテルとの作用反作用の式fc=F(c-v)=ΔEΔt=h/4πを変形すると4f/F=4(1-v/c)となる。これを展開すると4f/F1=4(1–v1/c)
F1/F2=1–v2/v1F2/F3=1–v3/v2...Fi/Fi+1=1–vi/vi+1
posted at 12:52:54
18時間前
森のように深い@fractaleman68
カオスの式:Xn+1/Xn=a(1-Xn)
nを変化させると、
Xn+1/Xn=a(1-Xn)
Xn/xn-1=a(1-Xn-1)
...
X2/X1=a(1-X1)
となり、全てを掛けると
Xn+1/X1=a^n(1-Xn)...(1-x1)
となる。
posted at 12:40:25
18時間前
森のように深い@fractaleman68
無限数列のカオスは漸化式に変貌する。予想できないはずのカオスの振る舞いが予想できることになる。そのよい例としてフィボナッチ数列がある。この数列の隣同士の比は極限は黄金比(0.618)となる。だからある数が決まれば次が決まる。確率論ではこうした数列の先を決定することはできない。
posted at 12:29:44
19時間前
森のように深い@fractaleman68
素数定理がある。ある自然数Nまでに存在する素数の数は
π(N) = N / log N
である。宇宙のエネルギーをE、量子一個のエネルギーをEqとするとE/Eqは大きな値となる。これを自然数Nとすると、素数定理の従う。これはマクロとミクロの世界がランダムではないことを意味する。
posted at 12:08:30
19時間前
森のように深い@fractaleman68
何故ミクロの現象が複雑に見えのだろうか。決定できるが予測できないカオスが生じるからである。その裏にあるのは動的な作用反作用の法則である。つまりミクロの複雑さは皆が信じるようにはランダムではないのである。
posted at 11:56:10
20時間前
森のように深い@fractaleman68
カオスは漸化式:Xn+1=aXn(1-Xn)のXnの値だけをみていると一見ランダムに見えるだろう。しかしその裏には規則が隠れている。その規則をどう発見するかが問われる。ネズミの繁殖は求められたが、もっと複雑な場合はどうだろうか。
posted at 10:49:26
20時間前
森のように深い@fractaleman68
ネズミの繁殖に障害(過密度)を考慮するとカオスの式になる。これは成長と障害するものとを交差させるとカオスになることを意味する。これは経済にも言えることである。成長が加速すると資源が枯渇したり温暖化が進む阻害要因となる。経済は非線形なのである。
posted at 10:44:26
20時間前
森のように深い@fractaleman68
ネズミのカオスの式はNn+1=cNn、c=a-bNnだから、Nn+1=(a-bNn)Nnとなる。
カオスは漸化式:Xn+1=aXn(1-Xn)だからNをXに変換する。(a-bNn)=a{(1-b/a)Nn}だからXn=b/aNnとおくと、Xn+1=aXn(1-Xn)となる。
posted at 10:37:49
20時間前
森のように深い@fractaleman68
ネズミ算は生存数をNとすると単純にNn+1=cNnである。cは繁殖率である。しかし、実際はこんな単純ではない。cにブレーキがかかる。c=a-bNnである。nは世代である。aは最大繁殖率、bは繁殖を阻害する要因である。この場合密度である。
posted at 10:29:40
20時間前
森のように深い@fractaleman68
カオスは漸化式:Xn+1=aXn(1-Xn)で表現される。この式をよく見るとXnと1-Xnは反対の値となる。もしXnが生存数なら1-Xnは死亡数となる。この式がどのように導かれるのか確認してみよう。生存数をNとすると単純にNn+1=cNnである。cは繁殖率である。ネズミ算である。
posted at 10:24:14
22時間前
森のように深い@fractaleman68
霊や魂を直観する数学を非線形カオスフラクタルに求める。カオスで有名な式はロジスティック写像であり漸化式:Xn+1=aXn(1-Xn)で表現される。この式は個体数が増大するときの様子を予想するときに応用されている。この式を変形するとXn+1=aXn-aXn^2となり、多項式となる。
posted at 08:56:33
22時間前
森のように深い@fractaleman68
ヘッジファンドで儲けまくった投資家ソロスは確率投資理論を捨てて、再帰的による相互作用性を含めて予測する理論を採用した。人間の判断の誤りを計算に入れ、相互作用することで複雑さを考慮したのである。これはまさにカオスフラクタル的である。
posted at 08:34:41
22時間前
森のように深い@fractaleman68
投資こそギャンブルである。だから確率論が入り込む。しかしそれで儲けた人はいない。競馬の予想屋もしかり。もし儲かるなら自分で買うだろう。ところが自分で予想して自分で実践して儲けた大富豪がいる。それがヘッジファンドで有名なソロスだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1332.html
posted at 08:19:32
22時間前
森のように深い@fractaleman68
商品の売れ方は天気とも関係する。特に飲み物はそうである。ビールは温度一度上がると売れ行きが2%以上上がるという。直感的にも常識的にも理解できる。では、株価はどうかである。こちらは投資家にとって死活がかかっているからとても重要だろう。
posted at 08:15:39
23時間前
森のように深い@fractaleman68
霊魂=直感の世界を数学するためにはカオスフラクタルな非線形な数学が必要である。商品の発注数を予測するなら売れた数を参考にすればよい。しかしなかなか当たらない。だから在庫が増えたり売れ逃しになる。それは商品の特性を無視しているからである。商品ごとに売れ方は違うのである。
posted at 08:02:46
23時間前
森のように深い@fractaleman68
初心忘るすべからず。世阿弥
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/3episode/episode38.html...
カオスは初期値に敏感である。
http://www.beach.jp/circleboard/ad0178/latest...
人生も芸の道も同じである。
posted at 07:56:33-
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from: 生成門さん
2016年01月04日 06時45分46秒
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やっと霊魂を数学する準備が整ったかも。
霊魂は直感の世界である。だから理屈では言うことができない。しかし、表現できなければ何も進まない。曰く言い難しをいう。神秘に世界はパラドックスが多い。だから宗教には逆説的な表現が多い。西洋には逆説論理がなかった。東洋には逆説論理がある。禅問答とはパラドックスを解決する表現法である。しかし、その論理は常識的(同一律)ではないので、論理が破たんしているとして揶揄されたのである。しかし、量子論が量子言語となって、多くのパラドックスを表現できることから、仏教などのパラドックス世界を科学的に証明したとまで評価されたのである。しかし、それは短絡である。
量子言語は確率を土台とする言語である。確かにある状態が不可視としても可能性として存在し矛盾をはらんでいるとしても、確率的には存在するなら矛盾にはならない。そうした確率的表現をそのままパラドックスを解決したのだとして仏教の物語と同一視してしまうのは、味噌と糞を一緒くたにするようなものである。
華厳の重々無尽は決して確率の世界ではない。無限に自己を自己に重ねることである。パイコネである。そうすることによって非線形(予想できない)なカオスフラクタルな現象となる。表面的に見ればランダムに見える。しかし、決してでたらめではなくその裏にはルールがある。そうしたルール(規則)を見ずして確率に走ってしまった量子言語は美人局である。
いまこそ、パラドックスを正しく表現するための数学的言語を持つべきなのである。そのための数学は決して確率統計ではない。決定論的非線形のカオスフラクタルな数学なのである。決定論とは文字通り未来が決定できるということである。非線形とは予測できないということである。決定できるのに予測できないというのはパラドックスである。予測できないが決定されているのである。式として表現されているが、実際に値を入れて計算をしてみないとどうなるかわからないのである。しかし、計算してしまえば同じ結果になる。だから決定されているのである。
計算すれば結果が出るからと言って油断してはならない。初期値として0.0001として時に計算と0.00011では、まるで異なる結果となるのである。これは非線形の特徴なのだ。線形の現象ならそんなことはあり得ない。誤差の範囲である。円周を求めるのに、3.14とするか、3.141とするのかは大したことではない。円周が半径の何倍かを知るためなら、2πr=lだから、r=1,π=3として、l=6とすると、半径の6倍となる。小学生ならこれで十分だろう。数学者でも十分だ。しかし、ミクロのリングを作る技術者にとっ手は精度が命だ。このような事情から、カオス・フラクタルのような初期値に敏感な性質は数学者にとって関心がなかったといってよい。実際にカオス現象を発見したのは気象学者のローレンツであり数学者ではない。しかもコンピュータがなければ発見できなかった。僅かな数値の違いで結果が異なる結果を出すには多大な繰り返しの計算をしなければならいからである。
ローレンツ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84
カオスの発見はコンピュータによる計算が如何に重要かを気が付かせてくれたのである。初期値に敏感なカオスフラクタルは初心が大事だという意味では人生や芸の道と同じだ。
初心和するべからず。(世阿弥)
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/03episode/episode38.html
決定できるのに予測できないというのはカオスのパラドックスである。このパラドックスを解決できる数学こそ真の数学なのである。
カオスを混沌と訳して、それをランダムとしてしまったことが大きな間違いだった。
これまでの物理は線形な現象ばかりを扱ってきたし、数学も線形数学に代表されるように線形な数学である。だから非線形な数学が物理に応用される機会がなかったのである。まして非線形数学が直感に世界に利用される機会などありようがなかった。
しかし、今こそその機会が到来した。その一端をおめにかけよう。
2016年01月03日(日)25 tweetssource
14時間前
森のように深い@fractaleman68
無限数列が与えられたとき、その数列のルールがわかっているなら学習する必要がない。わかっていない時はどうするかである。このような場合の方法がある。それがGMDH(Group Method for Data Handling)であり、無限数列を唯の1行の短い漸化式にまとめる。
posted at 16:24:22
14時間前
森のように深い@fractaleman68
無限数列1,1,2,3,5,8,13,21,,,,,がある。次に何が来るか予測できるだろうか。一見ランダムに見えるだろう。しかしここにはあるルール(関数)が隠されている。これはフィボナッチ数列といわれるもので隣り合う数を足すと次の数になる。
posted at 16:20:21
15時間前
森のように深い@fractaleman68
重重無尽は文字通り重ねに重ねねることである。それが無限に続けることである。パイコネである。それが漸化式になる。
posted at 15:31:15
15時間前
森のように深い@fractaleman68
予測するときに式があれば予測できるが、式がなければどうするかが問われる。式がなくてもデータがあれば式を作れる。データをプロットしてそれを線で繋げばそれが関数である。もちろん近似である。その関数は多項式となる。カオスデータの場合はたった一行の漸化式となる。
posted at 15:29:10
15時間前
森のように深い@fractaleman68
華厳の重々無尽はフラクタル・カオスである。どこでどうつながるのだろうか。
posted at 15:19:41
15時間前
森のように深い@fractaleman68
ここに華厳を数学した素晴らしい世界がある。
http://nichigetu.b-tama.com/photo09.html
ここでやっていることは華厳の本質である重重無尽を無限数列としてとらえそれを漸化式に表現して非線形性を明らかにしたことである。そしてフラクタル・カオスという数学に結んだことである。
posted at 15:09:22
15時間前
森のように深い@fractaleman68
逆説の多い仏教。量子言語も同様だ。だから量子論は神秘主義を数学したという。しかし量子言語は確率であり疑似解決である。真に逆説を数学する言語が求められる。パラドックスを表現する真の数学はフラクタルカオスである。これがどのように仏と接続するのか。量子論との違いを白日の下にする。
posted at 14:50:40
15時間前
森のように深い@fractaleman68
予測できるためにはその現象に規則性があるということである。しかしデータだけを見ているとランダムに見える。そのような非線形現象をフラクタル・カオスという。非線形だから予測できない。それを予測するのだからパラドックスである。これに取り組んできたのは仏教である。だから逆説的表現が多い。
posted at 14:44:22
17時間前
森のように深い@fractaleman68
リケッチャアとバクテリアと人間の意識が同じだとするのは無謀だろうか。意識が関数だとすると関数の違いがあるだけでその本質は変わらないともいえる。同じ人間でも移動平均でやるときと指数平滑するときがある。つまり、状況に応じて使い分けているのである。それは複雑になるとどうなるかである。
posted at 13:43:30
18時間前
森のように深い@fractaleman68
予測の式は予測数=前回予測数+a(はずれ)である。aをいくつにするかという学習が含まれている。学習によって精度が上がるということになる。しかし、予測の式はあらかじめ与えられたものである。三日分の平均をとるというよりはが精度良いかもしれないがその限界がある。ではどうするかである。
posted at 12:38:54
20時間前
森のように深い@fractaleman68
予測の式は予測数=前回予測数+a(はずれ)である。aをいくつにするかという学習が含まれている。学習によって精度が上がるということになる。しかし、予測の式はあらかじめ与えられたものである。三日分の平均をとるというよりは制度が良いかもしれないがその限界がある。ではどうするかである。
posted at 10:33:18
20時間前
森のように深い@fractaleman68
発注予測数=前回発注予測数+a(はずれ)aは過去をどれだけ重視するかの意識係数である。αが1に近いほど直前を重視し、0に近いほど過去を重視することになる。一般には0.3ぐらいになるだろう。目の前の失敗に振り回されずにかといって、頑固一徹もよくない。中庸であることである。
posted at 10:27:39
20時間前
森のように深い@fractaleman68
発注を予測する式:発注予測数=前回発注予測数+a(はずれ)a=1とする。100の売り上げで99の予測なら欠品である。だから1を加えて100を発注する。よくやりそうなことである。
ではaはどんな意味を持つのか。過去の予測数を修正する役目である。a=0なら全く過去を無視するである。
posted at 10:22:23
20時間前
森のように深い@fractaleman68
発注を予測する式は簡単に発注予測数=前回発注予測数+a(はずれ)である。はずれ=売上ー予測だから、はずれれば品切れか売れ残りとなる。はずれた分を前回の予測した数に加えた量を発注数とするということである。a=1ならはずれ分をもろに加えるということである。
posted at 10:17:18
20時間前
森のように深い@fractaleman68
発注数の予測の精度を上げるにはどうすればよいか。それは過去のデータをすべて参照することである。そこで過去のデータに重みをつけることにする。その式を発注予測数=a前回販売数+(1-a)前回予測数とする。これを変形すると発注予測数=前回予測数+a(前回売上数-前回予測数)である。
posted at 10:07:37
20時間前
森のように深い@fractaleman68
お店の発注担当者の予測は三日分のデータを参照する。その平均値をとりそれを発注数とする。これも立派な予測関数である。しかし当たる確率はどうだろうか。三日しか参照しないならあまり精度はよくないだろう。過去のデータをすべて利用した方がいいに決まっている。それは能力の範囲を超えてしまう。
posted at 09:48:35
20時間前
森のように深い@fractaleman68
予測は計算である。計算には意識が必要である。意識は記憶と類推だから関数が必要になる。予測の簡単な場合を考える。お店で商品を発注するときは発注数を予測する。その発注数はどのように決めるだろうか。当然過去のデータを参照する。記録されているすべてのデータを参照するわけにはいかない。
posted at 09:43:57
21時間前
森のように深い@fractaleman68
右脳による直感(計算)はコンピュータの世界で言うところの関数型プログラミングに近いのではないだろうか。今の段階ではその比較をするのは留保して、計算が脳の中でどのように行われるのかを解明することにしよう。
posted at 09:37:30
21時間前
森のように深い@fractaleman68
予測が左脳による計算、直感は右脳による計算という区別が考えられる。天才的な能力を発揮するというサヴァン症候群の人は右脳優位に脳を持っているらしい。落ちた爪楊枝の数を瞬時に数えるという。それならバードウオッチングなどお手の物だろう。
posted at 09:32:50
21時間前
森のように深い@fractaleman68
リケッチア、バクテリアから突然人間に飛んででみよう。人間が予測するときに何をするのかである。直観を働かせるといってしまうと自家撞着になる。予測予感予知=直観だからである。やや予測は計算の匂いがするが、その本質は直観においても計算だろう。計算方法が違うだけかもしれない。
posted at 09:24:44
21時間前
森のように深い@fractaleman68
バクテリアの記憶は真空エーテル時間軸にある。バクテリアは真正細菌だから脳はない。にもかかわらず差分をとることができる。差分をとるということは過去のデータを参照するということである。
posted at 09:19:41
21時間前
森のように深い@fractaleman68
過去とは記憶である。記憶を想起して差分をとり、閾値以上なら危険だと判断する。これが意識の構造である。このバクテリアはy=f(x)という関数を持っている。xは感知した塩分濃度である。fはその濃度と過去の濃度を比較して、閾値以上なら逃げろというアウトプットyを出す関数である。
posted at 09:16:02
21時間前
森のように深い@fractaleman68
意識を生む関数が存在する。それはどんな関数だろうか。塩分濃度を感知して逃避するバクテリアがいる。逃避するということはこの場所は危険だという認識があるということだ。それには過去の記憶がなければならない。感知とは差異であるから差分をとることである。現在の濃度と過去の濃度の差である。
posted at 09:10:58
22時間前
森のように深い@fractaleman68
意識=記憶+類推だとしてウイルス様に意識があるといわれると抵抗があるが関数だといわれると納得できるかもしれない。例えば葉っぱが出る角度がある。そうしないと上の葉っぱが下の葉っぱの光合成の邪魔になる。その角度を決めるのが関数である。あたかも植物は意識を持っているように見える。
posted at 08:40:47
22時間前
森のように深い@fractaleman68
霊を科学するためには原始のウイルス様(リケッチア)の生命発生の現場に行って様子を見るしかない。そこでは何が起きているのか。意識はあるのか。http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11122103781.html...
そこで佐野氏の語りが役に立つ。先ず、意識=記憶+類推だということである。
posted at 08:34:57-
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