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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2017年02月26日 11時21分24秒

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    自然数を定義することは記憶を定義すること

    精神革命の臨床実験が加速し進んでいます。記憶革命と言ってもよいでしょう。これは記憶科学
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702230001/
    との議論を踏まえています。多くのヒントをもらったお陰です。

    記憶科学の核心キーワードは離散融合更新循環であり、簡単に離散系といいます。長い述語で呪文のようですが、差位という記憶の在り方をベースとして思索すると、記憶の進化、つまり、離散系になるという話です。

    何故、離散が循環するのかですが、それは記憶という離散的カオスの海から水(記憶の単位である差位)が蒸発して、雲となり、雨となり、川となり、時には貯水され、やがて、大きな大河とり、海に戻ります。つまり、サイクルするからです。

    そして、その流れは連続しており途切れることはありません。離散の連続なのです。まるで、波のようです。波であるから、∿のような形となり、正と負の対称性となり、山と山の間の長さが波長となり、それを繰り返しますのから周期を持ちます。従って、波は速度を持ちます。


    速度=波長*周期(1/振動数)

    一方で、記憶科学は差位で語る記憶言語を武器とします。差位は空間と時間という枠組みを必要としない概念です。

    離散→循環というのは、差位をベースにした非連続の語りから、連続の波に変わるのですが、水の循環に譬えると、個々の場面、例えば、雲だったら、雲という差位があります。それぞれ名前は変わりますが、ミクロに見ると離散的差位はあるわけです。

    全体の流れを見るとマクロには連続しているということになります。だから離散系は波として振る舞うのですね。

    記憶記憶科学が分かり難いのはマクロとミクロを同時に語るからです。パラグラム(双対の論理)なのですね。

    ですから、速度や時間空間概念は必要でないと言ったり、片方では、時間と空間が前提となったりするのですね。

    離散融合更新循環の循環に焦点を合わせると、波ということになり、波は波長(距離)と周期(1/時間)を持ち、

    速度=波長*周期=空間距離/時間

    となり、結局、波という運動をベースとして考えるということをこの循環は宣言しているのです。

    記憶科学は物理を人間臭いと言いながら、物理の基本概念である速度をベースにしているのですね。

    離散差位だけを見ると、運動を無視しているように見えますが、後半できちんと帳尻を合わせているのですね。

    ということは記憶科学は物理の延長にあるということです。科学の最先端である量子論は、記憶科学の三つの条件(ノンリアリテイ・パラ論理・離散系)を満たしているように見えます。だから、量子諭を語る量子言語が記憶科学のモデルとなるという見方もできます。

    シムダンスの基本は物理を精神科学に変容させることです。記憶科学は物理は人間の視点だから、それはできないと言います。

    その一方で、循環する科学です。波の概念を導入しているのです。波とは物理概念ですから速度(=波長*振動数)を用います。

    如何に、物理と縁を切ることが難しいかを示していると言ってよいでしょう。

    物理から精神の法則を取り出すとしても、全面的に依存すすのではありません。記憶の視点は参考になります。

    物理が決定的に欠落しているのは反エントロピーです。ネゲントロピーは物理の概念にはないのです。

    従って、量子言語が進化論を語ることはできません。記憶は進化するからです。そこで、記憶科学の三つの条件を満たしているにもかかわらず、進化を語れない量子言語は記憶言語とは決別しなければなりません。その理由をしっかりと把握しなければ、記憶科学のモデルないしはその方向性は見えてこないだろうと思います。まして、物理から精神科学を変容させることはできないでしょう。

    そこで、今回は量子論のスタートとなったシュレデンガーの波動方程式がどのような発想から生まれたのか、これが何故、拙いのかを徹底検証してみました。まだ、最後の詰めはできていませんが、その素晴らしい美人局ぶりを露呈視させることができたと思います。

    この轍を踏まないことが精神科学や記憶科学には求められるでしょうし、その意味で量子論は反面教師となるのではないかと思います。

    今回のつぶやきでは波から粒を取り出すというところを中心にやりましたは、エネルギーについても同様にやらないといけませんが、そこは端折りました。後で、続きをやりたいと思います。目的は物理の正確さを求めることではなく、その意味(人間臭い)を剥奪することが目的なのです。

    記憶科学を主催する佐藤氏は、離散系のスタート地点である離散的カオスは、離散化する潜在性を持っているパラサイト領域(Xジェンダーのイメージ)だと言います。

    離散系が一回りすると循環したことになりますが、それが波の完成です。ですから、連続なのですね。

    こうした連続した波は物理の世界では、マクロでは物質として観測されますが、超ミクロの波は観測できません。原子レベルになると、マクロとミクロが程よく現れるので、物質としても波としても観測できます。

    その良い例が原子の振動です。振動は周期の逆数ですので、時間そのものが現れるわけです。

    そうであるなら、時間の起源が問われると思いますが、それはまだはっきりしないのです。時間は周期であると言ってしまうと、まさに循環定義です。

    そこで、この循環から抜け出すために、記憶という概念を持ち出すことになるのですが、そうなると記憶とは何かということになり、その記憶を定義するためにまた循環となり、これを繰り返すことになります。

    森のように深いのツイッターではこの悪循環から抜け出す試みとして、自然数の定義を例に取り上げました。

    自然数を、数えられる数という定義をしたとします。

    これでは、曖昧ですね。人によってイメージするものが違ってきてしまいます。

    自然数は記憶の外在化(潜在している差位を表に出す)であるということにします。そして自然数を何にもない状態から生成します。その過程を厳密に組み立てます。これができれば、記憶の定義が可能となります。何故なら自然数は記憶を操作をする一つなのですからね。

    うまくいったら拍手完済ですが、果たしてどうでしょうか。ツイッターをご賞味ください。

    https://twitter.com/fractaleman74


    2017年02月25日(土)のつぶやき

    森のように深い@fractaleman74
    @NaomikiSato それは行き詰ったときにします。行き詰ったときに佐藤さんのヒントがあったればこその現在ですので感謝しています。今はその延長で少しでも説明力を高める方向で挑戦します。

    森のように深い@fractaleman74
    @NaomikiSato 古代遺跡からトークンという小さな粘土塊とその塊を格納するブッラという中空の粘土球(集合)が数多く出土しています。これは数えるという潜在能力(記憶)の外在化と言えないでしょうか。もちろん自然数などという概念はありません。しかし自然数の定義に合致しています。

    森のように深い@fractaleman74
    ボルトの波が記憶の条件をクリアしているとしても、量子言語は否定されなければならない。記憶の視点の条件が甘いのだろうか。何かが抜けているのだろうか。ここを再度、確認しなければならない。

    森のように深い@fractaleman74
    何故ボルトの波が複素数の波となるのだろうか。複素数の波は実在しない波である。その意味では記憶の視点であるノンリアリテイを満足している。しかし連続した波も離散的な波と考えればよい。中性的な面はどうだろうか。波はプラスとマイナスが交代するから中性的である。記憶の条件をクリアしている。

    森のように深い@fractaleman74
    ボルトの波Φ=sin2π/h(p)

    Φ=e^i2π/h(px)
    としてみる。
    微分すると
    dφ/dx=i2π/hΦ
    となり、見事ボルトに影響を与えないで、粒だけを取り出すことに成功した。
    トリックとしては素晴らしいが、余りにも人為的だ。

    森のように深い@fractaleman74
    微分ても変形しない関数。それは指数関数である。
    Φ=e^θ
    dφ/dθ=e^iθ=iφ
    である。
    しかも
    e^iθ=cosθ+isinθ
    である。
    Φ=sin2π/h(p)
    ではなく、
    Φ=e^i2π/h(px)
    としてもよさそうである。

    森のように深い@fractaleman74
    微分ても変形しない関数がある。
    それは指数関数である。では、どうするか。

    森のように深い@fractaleman74
    ボルトの波Φ=sin2π/h(p)を観測しないで観測した。
    dφ/dx=-2π/h(p)cos2π/h(p)
    しかし、これではボルトの波を変形してしまった。これは不味い。
    ボルトに影響を与えたら失格になってしまう。
    なんとか変形させない方法はないか。
    それはある。

    続きはこちら
    http://twilog.org/fractaleman74

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  • from: 生成門さん

    2017年02月20日 12時48分58秒

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    ツイッターは記憶のシュレッダーである

    中性の視点が人間の視点を消すことだということを示しました。

    このヒントに沿って精神革命の臨床実験を進めよう。


    記憶科学
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702150000/


    ポモは記憶の連続化の流れを切ることを主張する思潮であり、インターネットはその記憶を進化させるために現れた環境です。

    ポモは自然言語が作り出した欲望の流れを運河化・連続化させる資本主義という装置に対する反近代化(離散化)の精神運動なのですが、それにうまくはまったのがインターネトだったでです。


    ポモは近代の後という意味ですが、具体的なイメージは示されてはいません。

    記憶科学も記憶の視点(人間の視点を消せ)というメッセージはありますが、具体的なイメージは示していません。


    後は自分たちで見つけよ言うことです。

    モダンの特徴を一言で言えば、ツリーです。二分岐の思考、ピラミッド組織、トーナメント方式などに見られる構造がツリーであるということです。

    ですから、ツリーを否定した思考、構造がアンチモダン、記憶科学ということになります。

    つまり、ツリーを否定して見よということです。

    ツリーを否定すると何が見えてくるかです。ツリーというのは二者択一の論理です。そのツリーを否定して見えてきたのはパラグラムという即非の論理=中性の論理です。

    これは精神革命の現場での臨床実験としては大きな収穫です。

    記憶科学との武者修行での成果です。


    特に自然言語がツリーだということに気が付いたことはとても重要なことです。

    自然言語がツリーだと発見したのはチョムスキーです。ですから記憶科学では自然言語を否定して記憶言語を推奨するのですね。

    何故、自然言語を否定しなければならないのかがよく分からなかったのですが、自然
    言語がツリーだということなら合点がいきます。

    ツリーは思考を運河化し記憶を連続化してしまうからですね。これを断ち切る必要があるというわけですね。


    しかし、自然言語を捨てるわけにはいきません。ではどうするかということになりますが、結局、その毒性を消す方法があればよいということです。そのための切断ツールがHTTPであり、ツイッターだということです。

    まだ、信じれれないかもしれませんが、それはおいおい証明して見せます。

    先ずは差位で語ることです。ツイッターで語ることです。何を語るのかですが、それは記憶を語るということです。

    記憶とは何かです。

    自然言語には毒性がありますから、これを消してからでないといけません。そのためには文脈を破壊することです。そのためにはツイッターが一番です。


    ツイッターは記憶のシュレッダーなのです。

    しかし、いくらやっても意味から逃れることはできないでしょう。

    こだわり・とらわれ・偏りから逃れることはできないでしょう。離散的カオス(無明)になることはできないでしょう。


    ではどうするかです。

    そう。記憶の進化の原点に戻ることです。これを記憶科学では逆算すると言いますが、つまり、ビッグバンの時に戻るのです。

    そこには人間は存在しませんから、人間の視点のない純粋無垢の無明があるだけでしょう。


    宇宙の始まりを論ずることは、それだけで、離散的カオス=無明に位置することであり、記憶の視点に立つことを意味するでしょう。

    実際には宇宙の始まりのビッグバン(サン)の時に位置することはできませんので、その仮想的なビッグバン(サン)を経験することにしましょう。

    仮想的なビッグバン(サン)というのは今ここでやっている精神革命の臨床実験場のことです。

    毎日、精神革命のビッグバン(サン)が起きています。最初の記憶をツイートすることがビッグバン(サン)なのです。

    ツイートすることは意識を断片を吐き出すことです。頭の中にはカオスです。餅をちぎっては投げるようなものです。

    その一個の断片が、離散化された記憶の痕跡なのです。決して連続の落とし穴に嵌ってはならないのです。

    その点で、このブログは連続的です。それでは元の木阿弥です。

    何故、ブログとツイッターを連動させるのかです。

    記憶科学では離散融合更新循環と言い、二元化したものを融合させることをします。パラグラムはパラの論理です。中性=即非の論理です。Xジェンダーは中性の論理です。

    目指すのは中性化です。連続のブログと離散のツイッターを連動=融合させるのです。そして、それを更新循環させるのです。

    そのツール(装置)として、インターネット環境全体が役に立つのですね。

    その点で、インターネット環境にどっぷり使っている若者達は近代を生きてきた人たちよりは、はるかに記憶の離散化をして、自然言語の毒性を中和していると言えるでしょう。

    しかし、そうはいっても、ビジネスの現場に戻れば、又元の木阿弥です。ですから又元の木阿弥防止策としての離散融合更新循環が必要なのです。


    その強力な武器がツイッターブログ連動なのです。

    記憶をシュレッドして離散化した後、それを逆順位してブログにもってくる。タイムラインが逆になっているのですね。映画を逆回して見るようなものです。

    記憶回路に何が起きるかです。

    リバース・スピーチをやるようなものです。パラグラムが発見できるのです。パラグラムとは表のテキストの裏に隠れていた意味を露呈させるので逆再生と言われています。

    表の言語(自然言語)がなかったの原始の時代ではまだ、パラグラムがそのまま表れた表現だったでしょう。現代人は表だけの時代になってしまいました。だから、それを中和させてやる必要があるのです。

    そのためには、中性の視点とその具体的な実践が必要なのです。

    ではその実践をやってみましょう。

    2017年02月19日(日)

    森のように深い@fractaleman74
    リバーススピーチに現れる本音は人の右脳が無意識のうちにそれを可能にしている。

    森のように深い@fractaleman74
    集合的無意識の発現と考えられるある特定の言葉が、逆再生メッセージに現れることも珍しくない。

    森のように深い@fractaleman74
    嘘をついたスピーチをしていれば、逆再生メッセージではそれが嘘とわかる本音が現れる。

    森のように深い@fractaleman74
    心から平和を望み愛を語る歌を歌えば、逆再生メッセージでも同じようなメッセージが聞こえる。

    森のように深い@fractaleman74
    表のスピーチと、逆再生時の無意識のメッセージを合わせることで、発言する人物の真の心の状態が判明する。

    森のように深い@fractaleman74
    逆再生すると、顕在意識下で行われる(論理的)スピーチを補完するメッセージが現れる

    森のように深い@fractaleman74
    リバーススピーチとはなにか。
    人のスピーチには、ふたつの離散化したモード(表と裏)があり、互いに補いあってひとつとなり、依存しあっている。裏のモードは表のモードの前に生成される。

    森のように深い@fractaleman74
    パラグラムの延長にリバース・スピーチンの可能性が見えてくる。
    デイヴィッド・ジョン・オーツ氏は、リバース・スピーチには3段階の意識が現れるという。

    森のように深い@fractaleman74
    リバース・スピーチで語られた驚愕の本音!

    オーツ氏がまとめたこの3つの結論は、... : 「リバース・スピーチ」歌やスピーチを逆再生すると、その人の本音が表れる - NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2141293849048468401/2141294413154253403...

    森のように深い@fractaleman74
    パラグラムを前提とすると記憶科学の可能性が見えてくる。

    森のように深い@fractaleman74
    表現されたテキストとは別に隠された想いが存在するのがパラグラムなら、うそ発見器が可能となる。リバース・スピーチはその可能性がある。コンピュータの世界にもリバースエンジニアリングがある。記憶科学も逆算方式である。数学でもよく使う手である。サスペンスドラマも似たようななものである。

    森のように深い@fractaleman74
    パラグラムとは表の表現とは別に、つまり、パラレルに隠れた想いが表現されるという現象である。しかもそれが無意識にである。

    森のように深い@fractaleman74
    活字を並べるだけの詩でも、無意識のうちに不思議な現象が現れるのだから、言葉を発声する行為には不思議な力や魂が宿っていると言っても不思議なことでない。言語学はこのことについて全く無視している。

    森のように深い@fractaleman74
    日本では昔から言葉には不思議な力や魂が宿るとしてきた。言霊である。パラグラムは言霊の存在を証明した。

    森のように深い@fractaleman74
    詩の中に想いの言葉が出現するというパラグラム現象は偶然でも意図的にでもなく、無意識に生成さるのである。詩人があるテーマを意識しながら詩を作っていくと、音の配列を考えなくとも、想いの言葉の音が詩の中に自然と含まれてしまうという不思議な現象なのである。

    森のように深い@fractaleman74
    パラグラムは一種の暗号のようなものである。問題は暗号なら意図することになる。しかし、詩の中に現れる想いは意図されたものではない。無意識に出てくるのである。

    森のように深い@fractaleman74
    言葉の魔力

    20世紀初頭、フランスの言語学者ソシュールは、古代ローマ詩の中に聞... : 「リバース・スピーチ」歌やスピーチを逆再生すると、その人の本音が表れる - NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2141293849048468401/2141294417554606903...


    森のように深い@fractaleman74
    ソシュールがいうパラグラムとは、想いを表現する語がテクスト中に散らばされてされているというものである。これが記憶言語のモデルになるだろうか。

    森のように深い@fractaleman74
    言葉には霊性があった。それが失われた。差異の体系で有名はソシュールは、詩の中の音の法則、なかでも特にパラグラムに興味を持った。

    森のように深い@fractaleman74
    パラグラムの論理は科学の論理とは異なっている。科学の論理が真偽の空間のなかで展開する。同一化・記述・語り・矛盾の排除・真理をもって事を進める単一の論理(モノグラム)であるとすれば、パラグラムは対話的である。二人称の関係がある。

    森のように深い@fractaleman74
    人類が言語をまだ獲得していなかったころは、祖言語で語っていたらしい。それがもしかすると記憶言語ではないだろうか。ソシュールが関心を持って研究してアナグラム(パラグラム)にその祖言語の本質が隠れているのかも知れない。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶科学(記憶言語)を理解する鍵は言語にある。こうして使っている言語は自然言語だ。人間が人間の視点で語るのは当たり前だ。しかし、人間の視点を消さなければならない。気配を消さなければならない。それが難しい。

    森のように深い@fractaleman74
    このツイッターは精神革命の臨床実験をしている。記憶科学が言うところの人間を消滅させることが当面の課題である。記憶言語で語らなければならない。しかし、それが難しい。差位で語らなければならないからだ。ヒントはパラである。

    森のように深い@fractaleman74
    人間の視点を捨て記憶の視点に立てと記憶科学は言う。
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702150000/comment/write/#201702182304312602...
    更に記憶言語で語れ、差位で語れという。時間と空間の枠も取れという。一体どんな語りをすると記憶を語ることになるのだろうか。こうしてツイートしているときでさえ人間の視点だ。

    記憶科学
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702150000/

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  • from: 生成門さん

    2017年02月20日 12時02分00秒

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    ジェンダー・アイデンティティは人間の視点を消すヒントになる

    記憶科学は人間の視点を消すということが最大の眼目ですが、人間をやめてしまったら、科学もできないので、人間でありながら人間でなくなるということを目指す必要があります。

    人間でありながら人間でなくなるということは本当に可能なのでしょうか。

    そのヒントが中性の視点です。

    中性洗剤はアルカリと酸性の中間です。ですから、中性なのですが、何もないということではありません。

    光は白色ですが、何もないということではありません。むしろ無数の色を含んでいます。

    従って、中性の論理とは何もないということではなく、私は私であり、私は私ではないということを容認する論理なのですね。

    これが、人間でありながら人間でなくなるということを可能にすることに繋がればよいわけですね。

    それをやってみましょう。

    人間には中性、無性、不定性、両性、性別という枠組みに納まらないXジェンダーと呼ばれる人がいます。

    中性とは、中間だと認識しているジェンダー・アイデンティティー

    両性とは、どっちでもあると認識しているジェンダー・アイデンティティー

    不定性とは、二つの性を振動するジェンダー・アイデンティティー

    無性とは、男でも女でもないジェンダー・アイデンティティ

    のことを言いいます。

    Xジェンダーはアイデンティティーの自己認識なので、自分の視点になっています。従って、これを、即、記憶の視点だというわけにはいかないのですが、中性=中間・両性=不定性・無性としてみれば、間にある=どちらでもある、どちらでもない)となりますから、論理だけを問題とするなら簡単にできます。

    数の0を考えてみましょう。

    -n,,,,-3,-2,-1(0)+1,+2,+3,,,,+n

    0は特別な位置にあります。

    0は正の整数でもあり、負の整数であり、正の整数でもあなく、負の整数でもないといえます。

    こういう性格を持った論理は即非の論理(どちらでもある・どちらでもない)といいますが、パラグラムと同じですね。

    従って、Xジェンダー(中性、無性、不定性、両性)は、論理的には中性ということで一本化してもよいと思います。

    そこで、厳密に定義しておきます。

    普通の論理ではA∩¬A=1です。普通は男か女しかないので、これで十分です。

    ところが、中性が存在すると、この論理は破綻します。Xジェンダ(性同一性障害)は現実に存在するのです。


    これを含めると

    A∩¬A=1

    という論理表現が必要になります。

    AでありAでないが真(1)であるというのですから、どちらでもあるという中間・両性・不定性・無性になります。

    図を描くと

    男(X)女

    となり、Xジェンダーは男であり男ではないとなり、男であり女であるとなります。

    実際に性同一性障者は自分は身体は男であるが、心は女だと認識している(その逆もある)ことで苦しんでいるのですが、それは本人の勝手な幻想ではなく、宇宙の法則によってそうなっているということです。

    さて、A∩¬A=1は
    A∪¬A=0でもあるので、Aであるか、Aではないということなない=AでもないかAでなくもないということはないとなりますが、難しい表現になってしまいましたので、

    図で示します。

    男(X)女

    なので、Xジェンダーは男ではなく男ではなくないとなり、男ではなく女でもないとなります。

    結局、中性の論理
    A∩¬A=1
    A∪¬A=0
    は同じ意味で、同じ論理だということです。違いはどちらから見るかだけですね。

    人間の法律は性は男女しかないことを前提として戸籍も決められるので、Xジェンダーは存在していないのですが、現実に存在しているので問題が出てきたわけですね。

    Xジェンダーの存在は如何に人間の視点が、宇宙=記憶の原則を無視しているかを示す有力な証拠です。

    ジェンダー・アイデンティティは人間が自分勝手な都合で決めた法律が生んだ奇形なのであって、決して宇宙の摂理に従って決めたものでないということです。

    これが人間の視点を消すヒントになるということを示したいので、Xジェンダーを取りあげてみました。

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  • from: 生成門さん

    2017年02月20日 10時17分31秒

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    宇宙の記憶を体験しよう

    記憶科学
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702150000/

    記憶科学では離散系を経験することが重要だといいます。経験もしないで理論だけを述べているだけでは記憶は進化しないということなのでしょう。

    記憶は経験です。経験は記憶です。ですから宇宙の記憶を体験することが重要なのです。

    具体的な宇宙の記憶の経験としての臨床を現在進行形の形で示すことがこのブログの目的です。

    何が具体的なのでしょうか。

    それは、このブログとツイッターの連携の様式にあります。記憶言語という様式(差位で語る)という縛りを極限まで実践します。

    ブログは連続(文脈優位)です。ツイッターは離散(
    文脈無視)です。これを両方連携(融合)させることで、更新循環します。これによって全体として離散系が動きます。

    あくまで、臨床実験なので、記憶の進化の成功するかは担保されませんが、なにがしかの成果が得れるだろうと期待しています。

    先ずはやってみることです。そこから次が見えてくるでしょう。

    手始めとして記憶科学のテキストを離散化(解体)しています。切断することで、離散的カオス(無明=よく分からない状態)から新たな離散化された意識(記憶)を作ります。

    離散化することで、ああそうか!というヒントが生まれます。それがとても重要なことです。

    人間の視点を消すという意味がよく分からなかったのですが、パラグラムということがヒントになって、即非の論理が中性の視点だということに気が付き、離散と連続を融合させることだと気が付き、離散のツイッターと連続のブログを連携⁼融合させることにしたのです。確かにツイッターは文脈を切断するのに有効な媒体です。これを使わない手はないと思ったわけですね。

    意識の流れ(文脈)を切るということがいかに大事かということです。どうしても人間は自然言語を使って意味を紡ぎますので、文脈優先になります。そして、だから、それで、何故、と接続詞を使っていきます。

    知れず知らずのうちに、意識を連続化しているのです。時間もそうして生まれます。昨日のコンテンツはこうで、今日はこんなコンテンツで、云々講釈三昧です。まさに連続化の毒牙に嵌ってしまいます。そこでそれを断ち切ることが重要なのです。

    そのためのテクノロジーがツイッターだということに気が付いたのです。そういう観点で見るとインターネット環境全体が離散化環境です。特にポモの代表であるHTTPは思考の切断の象徴的なツールです。

    今、ある文脈で意識が流れているとすると、突然、異なる方向へジャンプします。この切断、不連続化が禅の不非の技法そのものです。

    禅の時代はインターネットがありませんでしたから、瞑想などの方法しかありませんでした。それがはいまや、デジタルメディアによって簡単にできるようになったのです。

    しかし、いくらインターネットの時代だと言っても、記憶の視点がなかったら、単なるアクセス自由な速度の速い文明の利器ぐらいの認識しか得られなかったでしょう。

    ところが、記憶の視点から見てみると、まるで異なる風景が見えてきたのですね。それを皆さんにも味わってもらいたくて記憶の進化の臨床実験に手を染めているというわけです。

    お楽しみに。

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  • from: 生成門さん

    2017年02月18日 22時07分22秒

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    中性的な視点こそが人間の視点を消すことになる

    人間の視点を消すということは難しいですね。何故なら人間だからです。でも、何とか頑張ってみましょう。



    森のように深い@fractaleman74
    中性的なことが差異を語るためには必要である。良い悪いは人間は視点である。人間の視点を消すためには中性的になることである。パラグラムはそのために役に立つ

    森のように深い@fractaleman74
    長いテキストで語るということは文脈を重視するということである。自然言語はそのためにある。短いテキストは文脈よりは意味を重視する。だから意識を離散化するためには短いテキストが有効である。特に速度を重視する。中性を重視する。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶言語とポモとはどういう関係にあるのだろうか。記憶を非連続化するために差位を語るだから自然言語をそのまま使ったのでは意味がない。だからと言って記憶言語という何か特別な言語あるわけでない。記憶の編集があるだけである。

    森のように深い@fractaleman74
    *ホモ・サピエンスは、記号を獲得した時、人類の真の誕生を宣言した。
    *そのアイデンティティーの火が今に受け継がれているのである。
    *アイデンティティーを進化させるのが真の人類の姿である。

    森のように深い@fractaleman74
    アイデンティティーについて
    *記号は人間のアイデンティティーである。
    *記号は進化するアイデンティティーである。
    *動物は、経験した記憶の中だけの世界で生涯を終える。
    *人間は、存在しない人間の記憶を操作できる。
    *記憶には発見や発明、芸術も含まれる。
    *記憶は伝承される。

    森のように深い@fractaleman74
    *知覚経験が、記号操作によって表現される。
    *記憶の中に時系列で配置され、喚起される。
    *記号操作は時間の概念を生む。
    *人間は記号操作によって言語を発達させた。

    森のように深い@fractaleman74
    *シンタックスとは2つの記号/単語を連結させることである。
    *シンタックスが新しい意味を生み出す。
    *インターネット検索は意味の生成ツールである。
    *2つの単語を入力するだけで、意味に達することができる。
    *人間は記号人間である。
    *シンタックス、モフォロジーは記号の操作である。

    森のように深い@fractaleman74
    シニエについて
    *二つの記号が時系列上に並ぶことを離散的座標という。
    *離散的座標とは意味の融合が起こることである。
    *意味は離散化によって実現する。
    *記憶科学は離散融合更新循環を説明する学である。
    *離散化とはシンタックスである。

    森のように深い@fractaleman74
    シニエについて
    *認知が先ずある。
    *記憶の必要条件は経験である。
    *記憶の十分条件は知覚(五感の複合)である。
    *シニアンもシニエも離散的座標である。
    *シニエは意味である。

    森のように深い@fractaleman74
    *記憶の持続が時間となる。
    *時間が差位を生む。
    *記憶は相違相似体である。
    *記号は記憶喚起によって更新循環をしている。
    *同じ月(シニアン)であっても、その意味(シニエ)に関しては差異がある。
    *シニアンとシニエの関係は進化する離散系である。

    森のように深い@fractaleman74
    記号についての理解を深めよう。
    *記号はシニアン(シニフィアン)とシニエ(シニフィエ)というコインの裏表の関係である。
    *記号は2つの離散系の座標が一致する点である。
    *音韻体系(五十音)はシニアンの座標である。
    *記憶の持続が記号となる。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶の喚起
    *月と命名することで、異なるモノを同じと認識する。
    *満月も三日月も命名することで、同じものを異なるものとして認識する。

    森のように深い@fractaleman74
    意識の断片化は記憶の連続化に対抗するただ一つの手段である。そのツールがツイッターである。これはパラグラフという人間が深層部分に持っている差位の作用をうま引き出してくれる。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶科学の言説を離散化してみよう。
    *記憶の喚起は衝動によって引き起こされる。
    *記憶喚起はコントロールできない。
    *記憶喚起は行動となる。

    このように断片化することで意識が不連続化できる。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶科学の言説を離散化してみよう。記憶科学は離散系の科学である。離散的カオスからスタートする。カオスから離散化(二極化)が始まる。意識が二つの分裂するということである。そして融合更新す循環する。これが記憶科学のメカニズムである。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶言語というのは差異(差位)だけで語ることを求める。どうすれば差異で語れるのか。それは頭で考えても分からない。実践してみることである。ただ、ツイートすればよい。そうすると意識が分断されるから時間求まる。記憶が量子化されるのである。

    森のように深い@fractaleman74
    パラグラムの能力は誰にでも潜在的に備わっている能力である。言語を持たなかった原始人でもパラグラム能力は持っていたから、禅の即非論理を駆使していたということになる。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶言語はパラグラムの論理を使う言語である。禅語=即非の言語である。記憶科学では記号は相似相異体である。相似であるが相異であるというのは矛盾した言い方である。この矛盾した言い方をすることがパラグラムである。

    森のように深い@fractaleman74
    禅は記憶を断ち切る術である。記憶は言語によって連続化される。生きることは死に事につながる。言語の特徴は離散系であるが、副作用として連続化してしまうのである。だから語るなという。しかし、語らなければ人間ではない。

    森のように深い@fractaleman74
    苦からの解放に記憶が関係している。記憶こそは意識の大本である。その記憶を操作するのが言語である。その言語こそが苦の原因を作る。だから言語を変えないといけない。禅では語るなという。しかし、その禅が一番多くを語っている。

    森のように深い@fractaleman74
    意識が連続化されるとどうなるか。それこそが文明の発展である。現代人はその恩恵に預かって生きている。しかし、その弊害も増えてきた。最も大きな弊害は生きることの苦しみである。この苦から解放されることが人間の最大の課題として取り組んできた。だが成功しなかった。

    森のように深い@fractaleman74
    相似相異体として記号。それを使う自然言語。離散系であるはずの言語。それが意識を連続化する。記憶が連続化し、時間も連続化されるからである。

    森のように深い@fractaleman74
    何故、文脈を切断するのか。それは記憶言語の要請だからである。人間は言語を獲得して、自然と向き合い自然を支配することに成功した。宇宙の本質は離散である。だから離散型の言語を使うことは理に適っている。しかし、どうしたわけか、意識が連続化されてしまうのである。これはとんだ副作用である。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶科学
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702150000/comment/write/#201702171714309987...
    は極めてユニークなサイトである。
    記憶+科学である。おまけに記憶言語=記憶+言語である。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶科学から持ち帰ったのは記憶を科学するという発想、差異を語る記憶言語である。差異ではなく、差位である。しかし、速度(強度)を必要とする精神革命の臨床実験では差位は言語変換されない。困ったものだ。だから特に断りがなければ差異でいく。

    森のように深い@fractaleman74
    インターネットの核心はHTTPにある。HTTPは精神革命の先端ツールである。

    森のように深い@fractaleman74
    仏教が4000年もかけても成功しなかった悟りの術(苦からの解放)が、簡単にできる方法を発見した。難しい修行など一切ない。お経も読む必要がない。ただ黙ってツイートすればよい。

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  • from: 生成門さん

    2017年02月18日 22時04分49秒

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    記憶科学と共にあるパラサイト思考

    記憶科学と共にあるパラサイト思考とは中性の思考です。中性とは中立であり、政治的には無所属です。人間の世界では無所属は難しいことですが、最近は無党派層が増えてきましたね。

    記憶科学では人間の視点を消すことが求められます。人間の視点とは人間の欲によって打算的に見るということです。客観的と言われる物理でさえ、記憶科学にかかると人間の浴の視点となるのです。

    しかし、人間の視点を消すことが中性の視点であると理解すると、ミクロの世界ではまさに中性の視点です。中性子はそのシンボルです。中性子こそが元素を生み出した大元なのです。これがなくしてはこの世界はなかったでしょう。

    中性的なるものは記憶の進化の原動力であり、それはミクロからマクロへと一貫して現れるものです。ただ、マクロでは言語の力が強大となり、その力を削いでしまって見えなくなっていますが、全くなくなったわけではありません。それを掘り起こすことがいま求められているのです。

    しかし、一気にそこに行ってしまうのは性急すぎます。

    記憶の進化の後をじっくりと追跡してみましょう。現代の文明を分析するのはもっと後でもよいのです。


    記憶科学http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702150000/comment/write/#201702181339098855...


    森のように深い@fractaleman74
    パラグラムの研究はソシューリアンには全く見向きもされていない。パラグラムはポモのベースとなっている。ここでも記憶科学の中性の視点とも被ってくる。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶科学の離散融合更新循環は記憶をベースとする仏教の輪廻転生、業(カルマ)に近い。ただ、唯識仏教は宗教であって科学ではない。記憶を科学すると言うのはすごいことだ。仏教では識を科学するとは言わない。


    森のように深い@fractaleman74
    すべては記憶である。記憶宇宙論である。このような宇宙観を持った思想は他にあるだろうか。それはある。唯識仏教である。ただ識があるという。識とは意識である。意識は記憶+類推だから記憶がベースである。すべての経験は記憶されるというのがアカシックレコードの考えである。輪廻転生、業に近い。


    森のように深い@fractaleman74
    記憶の進化というのが記憶科学の核である。物質が進化する、文明が進化する、知能が進化するのではなく、記憶が進化するのである。すべては記憶が主体である。物質や人間は記憶のエージェントにすぎない。すべては踊らされているのである。


    森のように深い@fractaleman74
    周期律表は記憶進化の痕跡である。原子番号順に並んでいるということがその証明である。陽子の数と電子の数は同数であり、中性子の数はほほ陽子の数と同じだ。中性子の数が多いのは同位体である。


    森のように深い@fractaleman74
    元素がずらりと並んだ周期律表を眺めていると面白いことが分かる。記憶の進化の痕跡だということである。記憶とは真空の事と理解しても当たらずとも遠からずだ。元素の出目は真空のモノポールの対にある。モノポールの対はパラサイトである。


    森のように深い@fractaleman74
    真空も、水素も、ヘリウムも磁気的に電気的に中性である。水素から元素が立ち上がり、記憶が進化していくのは中性としての中性子が存在するからである。記憶科学では中性的状態を離散的カオスという。ここから記憶の進化が始まるからだ。


    森のように深い@fractaleman74
    宇宙の基本は中性磁場=真空である。真空はNSのモノポール対(NS=電子対e+e-)である。このモノポールNSが三極(NNS)となると陽子、NSSが中性子である。これ以外に素量子は存在しない。これは現代科学とはまるで異なる視点である。


    森のように深い@fractaleman74
    ミクロの世界は人間の計らいの届かない世界である。だからあるがままに差位を語れる。電子と陽電子があるというのは既に記憶の為せる業である。人間の世界なら善と悪があって相互に変する。人によって変わるのだから相対的である。しかし、電子と陽電子は入れ替わったりはしない。

    森のように深い@fractaleman74
    ミクロの世界では人間の視点を消した差位の語りができる。それは中性の視点である。マクロではこれをパラグラム(即非)の論理という。パラグラムは無意識の世界であって意識して利用することは難しい。禅はそれを瞑想で実践し、禅語録として表現した。しかし自然言語の語りの前に成功しなかった。

    森のように深い@fractaleman74
    現代物理では中性子が中性であることの説明ができていない。単極誘導であるなら簡単に説明できる。しかし、中性子には磁気という属性がない。これをNSSとして残るSが単極磁石であり、相手がいないので電荷を出せないのである。だから電気的には中性なのである。

    森のように深い@fractaleman74
    中性子はNSSであり、電気的にはe+e-e-であり、e-だから負であるが、どういうわけか中性だという。それは何故か。結局、磁気で見るとNSSであり、Sが残る。Sは相手のN がないとエネルギーがもらえないので励起できない。だからe-とはならない。これは単極誘導の原理で説明できる。

    森のように深い@fractaleman74
    二個の水素が近づいてヘリウムになるにはどのような会話が必要なのだろうか。そのカギを握るのが中性子である。同じ水素でも中性子と結合した重水素が存在する。中性子+陽子だからこの二つが接近すれば融合する可能性がある。


    森のように深い@fractaleman74
    ヘリウムHeを磁石で表現すると二個の陽子(NNS,NNS)と二個の電子(SS)でN→Sのエネルギーの流れとなり、陽子(e+e+)と電子(e-e-)となり電気的には中性である。問題は二個の陽子(N,N)の磁気的関係である。これは反発するので二個の水素が近づいただけでは融合できない。

    森のように深い@fractaleman74
    水素は簡単構造なので簡単に記憶として現象した。しかし、次なるヘリウムは簡単にはいかない。ヘリウムはHe2であり、二個の陽子と二個の中性と二個の電子が融合してできる。二個の陽子(e+e+e-,e+e+e-)と二個の電子(e-e-)で電気的には中性である。

    森のように深い@fractaleman74
    水素の場合は簡単である。陽子と電子しかない。陽子は三極子(NNS)である。NSで中和されている。Nがあまり電気的にはe+なので、S(e-)を求める。こうして水素ができる。磁気エネエルギーがN→Sへ向かう。だからSの表面にe-が現れるのである。

    森のように深い@fractaleman74
    発電の仕組みはタービン(磁場)が回るから電気が発生するのである。タービンを回すのは水力である。だから決して電気が先ではない。では、核の中ではどうなっているのだろうか。

    森のように深い@fractaleman74
    単極誘導が素量子のモデル(単極磁石でありかつ電荷の担体)である。回転するから電荷が現れるのである。現代物理では電荷が流れるから磁気が現れるとなっている。トランス(変圧器)を見よ。一次側の電圧が変化するから磁気が発生して、二次側に電流が流れるのである。ここだけ見ると電気が先である。

    森のように深い@fractaleman74
    マクロの現象で知られている単極誘導という現象がある。磁石の片方に円盤を乗せて回転させると、その金属盤の表面に電荷が現れるという現象である。この現象は現代物理では説明できていない。これはモノポールが存在することの証明となっている。

    森のように深い@fractaleman74
    電子が磁石であり電荷体であるというのはどういうことか。我々が知っている電子は電荷の担体である。しかし、ミクロの世界では磁気としての性質を持っており、その両方が顔を出す。そのどちらが出るかが回転速度次第である。


    森のように深い@fractaleman74
    まず水素から行こう。水素は物質的記憶の最初である。これは原子番号は1だから陽子1と電子1で構成される。電子は素量子でS極の(モノポール=単極磁石)である。陽子の磁石であるが三極(NNS)である。素量子は磁気であり電子である。これはモノグラフ的即非である。


    森のように深い@fractaleman74
    このモノポールを使って物質的記憶が進化することを説明してみよう。大元は真空である。真空がありNSの対である。これがNとSの供給源である。宇宙の始まりはビッグバンではなく、ビッグサンである。その理由は後にする。

    森のように深い@fractaleman74
    素量子はNとSの磁気単極子(モノポール)である。真空とはNSの0地場である。
    現代物理では、モノポールは認めていない。そのために核力をでっちあげる必要があった。

    森のように深い@fractaleman74
    原子核を記憶言語で語るためには素量子を離散化しておかなければならない。現代のミクロの量子論(核物理など)には致命的な欠陥がある。それは磁気的属性を全く無視しているということである。核力をでっち上げてしまったのは磁気を軽視したからである。記憶を語るうえで磁気は無視できない。

    森のように深い@fractaleman74
    素量子レベルではそのままが中性的な対称性(パラサイト)のルールを守ってくれるので、そのまま語れば記憶言語で語ったことになるだろう。ただ、量子言語は確率言語なので、記憶言語として見做すことはできない。

    森のように深い@fractaleman74
    人間の世界で、人間の視点を消すことはかなり難しいが、物質的記憶のレベルでは対称性があり、中性的な対であるので、そのままでパラサイト(パラグラフ)的なので、記憶言語の要請を満たしてくれる。

    森のように深い@fractaleman74
    電子はe+,e-対であるが、陽子はp+であり、対ではない。だから中性ではない。パラサイト=中性視点に立たなければならない。記憶言語の要請である。陽子と対になるのは中性子である。中性子があることで核の内部を中性化するのである。ただ核には電気と磁気とがあり、これまた離散化されている。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶のパラサイト。物質的記憶の段階では中性子がパラサイトとして活躍している。電子と陽子はまだ元素ではない。素量子である。現代物理の用語は人間の視点だから使えないが、中性の視点なら使えるだろう。どうすれば中性化できるか。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶のパラサイトとは、中性状態になることである。記憶科学では物質段階のことを物質的記憶という。物質とは人間が人間の視点で自分の都合で考え出した概念である。だから物質は存在しない。記憶が存在するのみである。

    森のように深い@fractaleman74
    記憶の中性化、宇宙における記の進化は中性的なものが役に立ってきた。人間の段階ではパラグラフであるが、パラサイトこそが記憶の本性である。

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  • from: 生成門さん

    2017年02月18日 01時45分11秒

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    精神革命の臨床実験(事例)

    本日のツイートです。

    逆算方式で読んでみてください。意識の中に何かが起きます。

    言語というのは記憶を連続化する作用があります。文脈を要請するからですね。ツイートするということはそれを切断します。離散化するということです。

    量子諭的に言うとまさに記憶の量子化です。それを逆から読むというのことは、元の記憶を逆から読むということなので、サスペンスドラマのようなものです。

    ツイートは短いテキスト(アフォリズム)ですから、まだ記憶の量子化という点からするとまだ長いですが、実験としてこれで十分です。


    この手法は記憶科学で学んだ方法によるもことが大きいです。
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702150000/comment/write/#201702171631466264


    森のように深い@fractaleman68
    今日はこの辺で精神鍛錬の修業を切断しよう。
    このまとめは
    http://twilog.org/fractaleman68


    森のように深い@fractaleman68
    パラグラムは禅の即非の論理のことである。この論理は難しくて簡単ではない。だから仏教はお経を読むつまらない末法と化した。この論理は人間の視点を消すという記憶科学の条件を満たしている。しかもツイートで簡単に体験できる。

    森のように深い@fractaleman68
    パラグラムはソシュールが研究したアナグラムの延長にある。ソシュールは記号(シニアン・シニエ)の差異の体系に物足りなさを感じてアナグラムに没頭したが、結局挫折した。その後、イェルムスレウがパラグラムを明らかにした。


    森のように深い@fractaleman68
    苦の中和剤。それがツイートすることである。そのことを理論的に解明する。その前にパラグラムに関する知識が必要である。人間にはパラグラムという言語能力=差異化する能力がある。これが苦の中和剤となる。

    森のように深い@fractaleman68
    ツイートすることで仏教が4000年もかけて完成できなかった悟りが得られるとは、いくらインスタント時代だと言っても、虫が良すぎると思うだろう。


    森のように深い@fractaleman68
    人間の視点を消すことが、記憶科学の要請である。しかし、その方法論はない。だからここではその臨床実験をしている。その消火剤・中和剤がツイートとすることである。インターネットメディア自体がHTTPなので中和剤である。そのことをここで実験してみることにする。


    森のように深い@fractaleman68
    言語の副作用が記憶の連続化だとしても、苦の感情だけを消滅することはできない。それらは喜怒哀楽と共にある。しかし、仏教が苦に悪戦苦闘してきたのにはそれなりの理由がある。それは禁断の実を食べた人間の性である。


    森のように深い@fractaleman68
    言語は記憶を操作するツールである。当然感情も操作する。感情は記憶だからである。言語の最も重要な機能は連続化である。言語の機能は本来離散系であるが、副作用として記憶を連続化するのである。


    森のように深い@fractaleman68
    仏教は4000年にもわたって成功しなかった苦の消滅法を人類は手にした。それはツイッターである。まだ、完全ではにが有効な手段である。これを今ここで臨床実験している。何故、ツイッターが薬となり得るのか。それを知るには言語について理解する必要がある。


    森のように深い@fractaleman68
    仏教が解決できない苦の解決策(中和剤)がある。それがツイッターである。原理的には、記憶の連続性を切断することである。差異の感情は知能を進化させるために、そして行動を遅延化させるために記憶を外在化させる必要があったのだから悪者にしても仕方がない。言語がそれをさらに加担した。


    森のように深い@fractaleman68
    仏教は4000年にもわたって苦の消滅法を考えてきたが、成功しなかった。苦は記憶の外在化がもたらしたものであって、苦は必要悪である。しかし、苦を中和する薬はない。だからこそ仏教の中心課題だった。


    森のように深い@fractaleman68
    何故、人間は言語を使いだしたが、苦を解決できなかったのか。それは喜怒哀楽が記憶の進化(外在化)だったからである。感情が記憶の進化の原因だったのであるが、その結果は苦という記憶の持続だった。


    森のように深い@fractaleman68
    人類は記憶を外在化するために言語を発明(発現)してきた。最初は身振りや歌だった。そして壁画である。しかし、記憶の進化とともに苦しみも増大してきた。そこにターゲット当てたのが仏教(宗教)である。そして瞑想という修行を編み出した。しかし、成功しなかった。


    森のように深い@fractaleman68
    このツイートは記憶の進化についての臨床実験である。精神革命の実験である。悟りの実験である。仏教が4000年もかけて成功しなかったことの実験である。何故、仏教は悟りの方法論に成功しなかったのか。それは記憶を外在化するテクノロジーがなかったからである。


    森のように深い@fractaleman68
    感情が差異の遅延化、記憶の外在化だとすると、そのメリットはどこに現れるのだろうか。それは思考の発現である。


    森のように深い@fractaleman68
    感情は記憶の進化の結果である。感情は記憶の外在化である。感情は刺激反応の迂回路であり、遅延化である。この原理は人間になってからも別の形で現れている。疑うという思考がそれである。

    森のように深い
    https://twitter.com/fractaleman68
    シムダンス(精神革命の先端)
    http://symdance.blog.fc2.com/

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  • from: 生成門さん

    2017年02月18日 01時28分15秒

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    逆算すること

    記憶科学を学ぶために武者修行をしてきましたので、しばらく投稿することができませんでした。

    そこで学んだ一つが逆算することです。数学でも答えが分かっている場合、そこから逆に推理して、何を前提にすればよいかが分かることがあります。

    これは現在の宇宙が膨張しているという事実(ハッブル望遠鏡による観測結果)から、逆算していくと、ビッグバンになるという論理と同じです。

    精神革命の方法として、臨床実験しているのがツイートとブログを連携するという方法です。

    ツイートは森のように深い
    https://twitter.com/fractaleman68
    ブログはここです。

    ツイートは記憶を切断するツールです。

    ブログはそれを纏めて文脈するツールです。
    ただし、ツイーとしたものを逆の並べています。

    ですから逆算です。

    読む人の記憶に何が起きるのかが問題です。

    ビッグバンが起きることを期待しましょう。

    ただし、現代物理のビッグバン説は間違っていますので、ご注意を!

    ハッブル望遠鏡による観測結果は、現在が拡大が進んでいくということから、宇宙の最初は小さな点から始まったという結論を出したのですが、これは間違っているというのが当ブログでは主張をしています。

    その詳細は別途にしますが、私達が電車の乗ってると自分が止まっていて、景色が後ろに流れていくように感じることと同じです。これは錯覚なのですが、宇宙においてはこの錯覚の方が正しいのです。つまり、ビッグサンです。ビッグサンから収縮しているのです。

    逆算することは有効ですが、このようなこともあるので注意してください。

    では、精神革命の臨床実験をお楽しみに。

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    2017年02月16日 13時27分16秒

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    記憶科学は性悪説に基づく科学であるが可能性はあるだろうか。

    記憶科学に関する解説を始めます。

    記憶科学
    http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/201702080000/

    批判もしますが、期待するところもあります。

    精神科学の臨床実験としては最高の題材です。

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