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from: 生成門さん
2008年06月21日 09時28分53秒
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温暖化問題は経営改革で解決
温暖化問題は経営改革で解決
今私達の社会は病んでいます。社会の病は一人一人の心の病の集積です。社会の病巣はどこにあるのでしょうか。それは既に「左脳文明」であることを明らかにしました。左脳文明とはパラノ思考が作り出したものです。このパラノ思考は温暖化ももたらしました。むしろ、こっちの方が緊急の課題です。ですから、四次元能では温暖化防止をターゲットにしています。しかし、根は同根です。どちらから答えを求めていっても同じ答えに行き着くでしょう。そこで今回は社会を切り口にして考えてみます。
社会の病は精神の病です。その根源は脳にあります。脳は宇宙の法則の反映です。ですから温暖化を防止するためには脳のことを知らなければならず、そのためには宇宙を知らなければならないのです。このような飛躍した論理が飛躍でないことを示したいと思っています。それにはいくつかの困難な壁をクリアしなければなりません。それを解き明かすのが四次元能の使命です。四次元能は精神の開放を目指しているのです。
社会の問題の核心は経済です。経済の根幹はエネルギーです。かつて武士は食わねど高楊枝といいましたが、それは真実ではありません。単なる強がりにしか過ぎません。これから社会は好むと好まからずと相当の困難な時代に突入します。
偽装や隠蔽が話題となっていますが、それは序の口です。建前が通用しないのは当たり前として、生活の常識までが通用しなくなるのです。それは当然です。原油価格が値上がりしてあらゆる物に影響を与えているからです。人間も生きていく上でエネルギーが必要です。そのエネルギーの元になる食事を取るためさえエネルギーが必要なのです。病人が食事を取ることが出来なければ点滴に頼ります。社会においても成長するためだけでなくインフラを支えるためにエネルギーが必要なのです。原油価格の高騰はインフラを直撃しています。インフレが加速すれば社会は点滴に頼らなければならなくなります。社会の点滴とはなにでしょうか。それは言うまでもなくエネルギーです。エネルギーがなくなれば社会は存在できないのです。エネルギーとは極論すれば石油です。もちろん代替のエネルギーはありますが、やはり石油が鍵です。その石油をコントロールしているのが経済です。社会とは経済であるといってもいいでしょう。社会の病巣は「左脳文明」にあります。左脳文明とは経済のことであり、左脳とは石油文明のことでもあるからです。詰まるところ左脳=パラノ思考=主語論理=換喩的=自我=石油文明=社会=経済と言う図式があります。何故このような図式が成立つのかはこれから折に触れて説明して行きます。点滴を受けながらでもエネルギーは必要なのです。温暖化を取るか点滴をやめるかではないのです。社会の問題は経済の問題なのです。
社会の問題はエネルギーの質の問題です。どんなに病が重度であってもエネルギーの消費は減りません。点滴を受けながらでもエネルギーは必要なのです。むしろエネルギー消費は増えていくでしょう。
社会の問題=経済の問題となれば、行き着く先は企業です。政治ではありません。政治は後からついてくるものです。ですから政治に頼ってはならないのです。今日の様々な問題は政治に頼りすぎて起きていると思います。政治への過度の頼り過ぎは税金が増加して、最終的には国が疲弊します。企業の問題とは何でしょうか。資本経済は自由市場主義ですから、多少の規制はあっても自由が基本です。
企業はその中で競争をするわけです。それはいいのですが、どのような活動にもエネルギーが必要だということです。企業競争はエネルギーの消費を増加させるのです。このエネルギーがクリーンであれば問題はないのですが、汚れているときています。経済が発展すればするほどCO2排出が地球を温暖化するのです。厳密には温暖化ガスといったほうがいいのですが、換喩的な言い方(温暖化の代表=CO2)をしていきます。これまで文明が及ばなかった中国・アフリカ・南米が先を競って文明化を急いでいます。もちろん、彼らにも文明の恩恵は享受されるべきでしょう。しかし、そうなると規模の限界がきます。ガイアが悲鳴を上げてしまっているのです。温暖化とはエネルギー問題なのです。これを解決できるのは政治ではありません。政治に頼るのは破滅の道です。
企業の活動が人類の絶滅の鍵を握っているのです。企業の活動とは何でしょうか。企業の目的は顧客の満足を達成することです。俗っぽく言えば欲望の満足です。もっと言えば欲望の増幅です。政治や社会もこの欲望の増幅回路の一部になっているのです。
私達は欲望の奴隷になってしまったのです。そして、後進国が後を追いかけてきています。これではエネルギー問題は解決しようがありません。あるとすれば企業の行動を変革することです。社会の問題を政治に委ねるとコストが上昇します。エネルギー問題が解決するならそれでもいいのですが、今のままではCO2排出が増えるだけなのです。
企業行動を変革することが温暖化防止であることに望みをかけてみましょう。その根拠を示したいと思います。確かに大衆運動で、世界を動かすことは可能です。ダライラマ、スーチンさんしかりです。しかし、温暖化問題には時間がありません。残り少ない時間でどう解決するのかです。
多くの人はクリーンエネルギーに転換すればすべてのことは解決できるのではないかと思っているでしょう。確かにクリーンエネルギーの技術は揃っています。車を短時間に全世界に普及させたと同じ手法で、それを普及させればいいのではと考えるでしょう。それが甘いのです。何故でしょうか。そこには自我がからんでいるからです。自我とはエゴ(同一性)であり温暖化防止より企業利益を優先する意識です。これを解体するのは容易なことではありません。エゴを捨てることは、仏教では悟りですが国家レベルで言えば売国奴扱いにされます。
企業のエゴとは企業家精神であり「アイデンティティ=らしさ」です。それがなくなったらその企業には存在価値がありません。それほど大事なものをやすやすと捨てるわけがありません。しかし、この問題を解決しなければ温暖化の問題は解決できないのです。個人の自我=エゴにはまだ建前(理想)と本音(欲望)があり、ある程度は欲望をコントロールできます。企業の自我=エゴにも建前(遵守)と本音がありますが本音=利益=欲望はコントロールできません。そして企業の本音が企業の個人の建前(理想)を抑え込むのです。こうして企業の個人は欲望の奴隷となるのです。企業の個人が家庭を持っています。それが消費者です。消費者も欲望の奴隷となるのです。企業の活動は社会にも政治にも全てに関与しています。その影響は企業→社会→政治であり、その逆ではありません。企業の活動は人類の英知の結晶です。そこに左脳の全てがあります。企業の活動を一言で言えば「マネジメント」です。マネジメントとは人・金・物・情報をコントロールする手法です。このマネジメントが社会の隅々まで浸透しています。このマネジメントを自我と言い変えても間違いないでしょう。ですから自我の解体とはマネジメントの解体なのです。自我の解体というと宗教的になったり、心理学的になったりして分けが分らなくなりますが、マネジメントの解体ならば多少は具体的になるでしょう。企業は業績が低下すると、すぐにマネジメントに手をつけます。戦略策定、コスト削減、リストラ、買収、経営革新、経営改革、経営戦略、政略的経営、競争優位の戦略、IT経営、顧客満足、脱常識などの言葉が踊ってくるのです。必死になって企業の行動の基準となる自我を解体しようとするのです。しかし、自我を解体といってもいくつかのレベルがあります。どんなに経営改革と叫んだところで、中味は旧来のパラダイムを前提に叫んでいるのです。つまり、資本経済=自由市場主義という枠組みを前提にしているということです。この前提を無視して企業は活動できないのです。そして資本経済=自由市場主義と環境主義の相反する矛盾が企業に押し寄せています。自由市場は「資源は無限である」を前提にしており、環境主義は「資源は有限である」を前提にしています。今それが問われているのです。
資本経済とは先端が無限のゴム紐です。環境主義はゴム紐の先端を摘んで無限を回収したリサイクルの輪ゴムです。果たして経済と環境は共生ができるのでしょうか。既に、人々は疲弊しています。人心、制度、組織を塗り替えているだけの掛け声経営革新では真の共生とはいえません。自律分散の揺らぎ経営とかの新しい概念を取り込んでいるように見えるものも見かけのようです。
真の経営革新、マネジメント革新とはどのようなものを言うのでしょうか。それは競争と共生、利益と貢献、経済と環境、コストと品質、効率と創造、自律と管理といった二律背反するジレンマを解決しなければならないのです。このジレンマから抜けだせるような経営哲学によって支えられたマネジメント概念が出てくるべきなのです。しかし、新しい経営哲学にしても、まだ、ポストモダンが問題としたパラノ性からぬけ出せていないのです。人間を強制する自我同一性という力をあつかっていないのです。それでは欲望の過剰生産を止められないのです。真に新しい経営哲学が求められているのですが、哲学そのものがポストモダンで止まっているのです。そうこうしている間にも温暖化、環境問題が深刻化してきているのです。哲学でさえこの問題が取り込まれていないのです。人類が精神的に成熟する前に深刻化してしまったのです。この問題の解決を急がなければならないのですが、それにもっとも影響力があるのが、政治ではなく経営であるといったのは、政治は日和見的であり経営は臨床的だからです。政治は後から来るものです。この温暖化問題を抱えた人類にとっては、欲望と命のどっちを選択するのかというジレンマに陥っているのです。こういう選択は人類にとっては始めての経験です。そのジレンマを打破する契機となるのが宇宙論であり量子論なのです。それを生成門はティトム球理論との共振シリーズで模索しているのです。-
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