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from: 生成門さん
2008年08月14日 14時15分51秒
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本来の悟り(本覚・本悟)
本来の悟り(本覚・本悟)
<道元との共振>
道元の宇宙を探究するということは、四次元能を舞うことです。四次元能を舞うということは、脳の中の能を舞うことです。脳の中の能とは、脳の中に四次元の世界=悟=宇宙精神を生成することです。その為には道元と共振ダンス=シムダンスをすることです。道元の宇宙には、悟りという気配が充満しています。その気配は真空のようなものです。真空とは無です。ただし、無といっても文字どおりに何もないのではなく、あらゆるものを生み出す源泉なのです。そこは混沌の海なのです。
悟りを会得するとは、悟りという意識の生成であり、無いものからの創造というよりは発見するようなものです。混沌の海に獲物を釣りに行くようなものです。別の言い方をすると、宇宙に探検に行くようなものです。精神の宝を探しに行くようなものです。ですから、シムダンスはトレジャーハンティングとも言います。それはとりもなおさず、私達の祖先、現生人がもっていた四次元脳への回帰であり、生成です。つまり、輪廻転生することなのです。回帰生成、輪廻転生とは、即ち、回生、転生ですから四次元の世界に行くことではありません。三次元の人間が四次元の世界に行くことはできないでしょう。しかし、もともと四次元人間=四次元時空体であったとすれば、行く必要はありません。元の状態に戻るだけのことなのですから。本来の自分を取り戻すのです。
ありもしない彼岸や極楽浄土を想定して、つまり、高次元世界を想定して、そこに行くのではないのです。疑似四次元、つまり三次元空間と時間という分離された現実の世界にいながらにして、本来の四次元時空体を取り戻すのです。それが四次元を編集するという表現になります。道元では、悟りの状態のことを心身脱落といいます。時間と空間を編集して、一体化した状態=心身脱落=時空になるのです。それで身体に表現されたことを四次元時空体というのです。
私達凡人でもスポーツや仕事で無我夢中になったりすることがあるでしょう。又、極端な体験、例えば、死線を彷徨ったときや芸術的な創造の瞬間などには無心になっており心身脱落しているといえるでしょう。ここには時間や空間を意識的に編集するというようなプロセスは踏まれていませんが、無意識的にはあるでしょう。このような状態が悟りなのでしょうか。
心身脱落しているとは言えますが、悟りの持続性はないのでしょう。道元は悟りをA悟(言語による理解)、B悟(身体的特殊体験)、C悟(心身的悟り)、D悟(悟りの表現)にカテゴリー化しています。上の場合はB悟(身体的特殊体験)に近いでしょう。道元はこのB悟は本来の悟りではないとしています。本来の悟り=本覚=本悟=持続した悟りとはどのようなものなのでしょう。
道元の本悟りとは持続的な心身脱落です。持続的とは三次元的な通時的時間に長さのことではありません。共時的時間のことです。共時的とは述語的であり、並行的です。並行的とは悟りと不悟が共存していることです。迷が悟になるのではなく迷=悟なのです。迷=悟とはどういうことなのでしょうか。述語的に思考してみましょう。
悟り=四次元時空体は誰にでも保障されているのですが、現実には悟りが得られる人も得られない人もいます。大多数は得られないのが現実でしょう。「春は夏になる」ようには行かないのです。しかし、迷いから悟りに直線的に繋がると考えるのが三次元の世界の主語論理=因果律の志向です。この論理によると、迷っている人がおり、修行によって悟りが実現する人としない人に分かれます。迷いと悟りは同時にはしないと考えます。
本当に迷いと悟りは同時には存在できないのでしょうか。「迷」は一時の位=有時1であり、「悟・ない」も一時の位=有時2です。ここでは話を簡単にするために「悟」=有時2だけを考えます。「迷」と「悟」は因果的に繋がらないというのが四次元世界=述語論理です。四次元世界では裏と表が繋がっています。裏は表なのです。「迷」と「悟」は述語的につながっているのです。「迷」「悟」を述語的に同一視すると「迷=悟」となります。三次元の因果的表現が迷→悟となります。述語的に同一視した「迷=悟」とはどういうことなのでしょうか。
陰陽クラインの壷で説明しましょう。
http://www.c-player.com/ad00178/message
クラインの壷は下記より引用しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%BA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陰=迷と陽=悟と考えて見ましょう。この図を陰=迷→陽=悟へ変化すると見るのは三次元的な見方です。述語的同一視は、三次元の時間を無視します。ここで述語とは有る時=有時です。表=有時1と裏=有時2は共に固有の有時という時間回廊で繋がっています。
迷(有時1)と悟(有時2)が共にあるのです。共に在る有時=時間が述語なのです。この述語の共通性をもって同一視するのです。これが述語論理です。述語論理は異なるものを同時に存在させるような、或いは、瞬間移動させるようなマジックです。三次元から見たらマジックとしか表現できないのです。「迷」と「悟」は共に存在するのですから、迷=悟です。四次元の世界では、「迷」=現在と「悟」=未来が同時に存在する平行世界であり、現在と未来はクラインの壷で時間的に瞬時につながっているのです。陰=迷→陽=悟ではなく、陰=迷・陽=悟なのです。迷=悟とは(迷・悟)なのです。(迷・悟)とは、(プラス・マイナス)ですから無=ゼロです。しかし、無だからといって、ゼロと考えてはなりません。中性(アルカリ・酸性)と考えましょう。この中性が空=大極なのです。色とは陰=迷と陽=悟が同時にある状態です。ただし、陰か陽に偏っています。
宇宙には生成消滅の原理(宇宙の法則)が働いています。つまり、色即是空・空即是色なのです。陰と陽は対で生成(空即是色)され、対で消滅(色即是空)するのです。大極陰陽図はこの宇宙の法則を示しています。ただし、この図は不完全です。というのは、宇宙は四次元だからです。陰陽が反転して繋がっているクラインの壷が隠れているのです。ですから、大極陰陽図とクラインの壷が合体した陰陽クラインの壷が宇宙の法則を正しく表しているのです。
空即是色とは、(陰=迷・陽=悟)の中性=大極状態から、陰=迷と陽=悟が分離して生成されるのです。三次元では、陰か陽に偏っています。三次元では対称性が破れるのです。対称性を取り戻そうとするのが宇宙の法則です。エネルギーが保存されるのもその表れです。ですから三次元で見ると、それが通時間的になり変化するのです。
対称性とは、例えば、自然界では陽子・電子、アルカリ・酸、プラス・マイナス,オス・メスなどです。対称性の破れとは陰陽が偏って出現することです。例えば、自然界では、重力に対する反重力です。反重力は私達の身の回りにはありません。でもどこかにあると思われます。ティトムでは電磁力と強い力と弱い力の総合力ではないかと仮設しています。人間界でも、対称性の破れが見られます。例えば、大概の人は陰=迷として生まれます。三次元そのものが対称性の破れと考えてもいいでしょう。陰陽図の示されているように陰の中には、小さな陽がありますが、本人は気が付いていません。
しかし、本来、陰陽=迷悟は一体になろうとする性質をもっています。ですから、迷である人間は、悟りを求めるのです。
それが対消滅です。対消滅とは色即是空であり、陰=迷と陽=悟の中性状態=大極になることを言います。陰=迷にあるときは、陽=悟は見えていないのです。陽=悟にあるときは、陰=迷は見えていないのです。これが見えたときが本悟=大極です。-
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