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from: 生成門さん
2008年08月30日 17時14分16秒
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瞑想を支援するシムダイアグラム(1)
瞑想を支援するシムダイアグラム(1)
<補完共振>
右脳優位になるにはいろいろな方法があります。即席には音楽を聞くことです。要するに何事かに熱中することです。ただ、それらは底が浅く、一過性という問題があるでしょう。禅では瞑想に耽ることが悟りへの前提となります。単に瞑想に耽るといっても白昼夢ではないのです。即非思考(考えよ、考えるな)という難しいという問題があります。そこで四次元能では、この問題をクリアしてシムピープル=四次元時空体になるための瞑想を支援するツールを用意しました。それはインターネットへのアクセス、Webリンクへのアクセス、クリック、検索を基軸とする方法です。この方法には検索は瞑想であるとする基本的な考えがあります。この秘術はピカソや述語論理からヒントを得たものです。即非思考というのは禅の基本であり、述語論理と同様の思考です。四次元能は脳の中の能ですから、四次元脳の変身することを脳の編集と呼んでいます。ですから、瞑想は脳の編集なのです。脳の編集とは四次元脳への変身ですが、そこには即非思考=述語論理=右脳優位(左脳を捨てる訳ではない)という構図があります。右脳優位への転換こそが最大の課題なのです。左脳優位の文明を生成した文化的精神装置の中にいる私達のとっては右脳優位に変身するというのは他人によって強制される洗脳よりもはるかに困難な精神革命でしょう。仏教の世界でも、かなりの修行をしなければ悟りは得られないとされています。そのために仏教は二つの道を選択したのです。一つは難しい修行は専門家である修行僧に任せて俗人は在家といいとする道です。要するに悟りのエージェントの仕組みです。もう一つは自らが難行苦行をして悟らなければならないとする道です。禅は後者ということになるでしょう。結局は、そのどちらも現代においては文明の力の元である文化的精神装置(欲望の過剰生産装置)に敗北して末法化しました。欲望生産装置としての文明を参照してください。
http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-3.html
道元の悟り(1、2、3、4)を参照してください。
http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-60.html
http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-60.html
http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-65.html
http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-65.html
それにもかかわらず禅を取り上げているのは道元の存在が大きいからです。道元は荒行を否定して、悟りの基本である即非思考=色即是空・空即是色を受け継ぎ、そのための方法として瞑想に基本を置いたからです。問題は即非思考が難しいということだけです。即非思考が何故難しいのかは、これまでも何度もお話しました。起死回生の思考(1,2)を参照してください。
http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-61.html
http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-62.html
四次元能は、この問題に取り組んでいます。先ず、四次元能では、悟りは四次元の世界のことであり、即非思考とは述語思考であると仮説を立てています。そこで道元の宇宙観を頼りにして、ティトムの四次元イメージと道元を共振・共生させようとしているのです。
問題は即非的思考の瞑想です。この瞑想をどう考えるのかです。瞑想とは述語的思考であるとすると仏教上のすべての難題を解決することできます。難しいとされる禅問答も氷解してしまいます。述語的思考とはスキゾの思考ですからそうしたモデルを駆使できます。また、述語的思考は四次元思考であるとすると、これまた先端の量子論と宇宙論の知見が役に立ちます。こうして道元とティトムとのシムダンスの舞が始まったのです。
瞑想とは脳の編集であるといいました。脳の編集とはパラノからスキゾへの変換なのです。主語論理から述語論理にシフトすれば悟りを得たことになるというわけです。四次元能では、さらに述語的に発想を飛躍させます。述語的世界は複数の世界が平行して存在しますから、パラレルヮールドなのです。超人シムピープルとパラレルワールド(1)を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070457711
瞑想するということは四次元の述語的世界に踏み込むということです。そしてパラノからスキゾへ、主語論理から述語論理に、左脳優位から右脳優位にシフトすればいいのです。そのようにすることが脳の編集なのです。そのように脳を編集するにはどういう方法があるのでしょうか。述語的世界とは四次元であるといいました。ということは脳を四次元に編集すると言うことです。「4次元を編集する」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072027278
「アートは宇宙を編集するか」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070693453
ここでいうアートとは述語的芸術です。述語的芸術とはどんなものでしょうか。言うまでもなくピカソに代表されるパラレルワールドの世界演出です。清濁合わせの老荘思想、故黒川紀章氏の共生の思想、西田幾太郎の場所の哲学、岡本太郎の作品、漂流の画家山下清の作品、渥美清が演じた寅さんの「男はつらいよ」などがスキゾ風=シムピープル風アートに該当するでしょう。
では、具体的にどうすればよいのでしょうか。山下清や寅さんのように漂流すればいいのでしょうか。そうではないでしょう。彼らには四次元という視点がないのです。ポストモダンがそうであったように、四次元という視点が欠けているのです。四次元という視点が欠けているために、現実の不条理から抜け出すためには漂流とか逃走という方法しか見出せていないのです。ポストモダンでさえそうでした。しかし、どこに逃走しようが、仙人になって山深いところに行こうが、そこは三次元の世界なのです。定年後の田舎暮らしや東南アジアでの生活が人気ですが、そこは天国なんかではありません。将来宇宙旅行が可能になって遠い宇宙に行けたとしても、そこは、やはり三次元の世界なのです。私達の世界は三次元なのです(空→色)。しかし、四次元という視点をもてば、世界は突然変わっていきます。私達の世界は四次元なのです(空→色→空)。どこにいてもそこは四次元なのですから、もう漂流も逃走もする必要がないのです。まして競争する必要はないのです。私達はすでに四次元時空体なのです。
「四次元時空体とはクリック観音様」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072376382
「仏とは四次元時空体(1,2,3、4)」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072003357
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072003417
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072004584
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072004861
さて、そうなる如何にして三次元に居ながらにして四次元時空体になるかということです。三次元というのは空間(縦横高)の対する認識です。それに時間を加えて四次元としています。ただし、これは擬似四次元です。真正の四次元は時間と空間が分離していない時空です。これが真正の四次元です。擬似四次元は、時間を別物として扱いますので三次元といってよいでしょう。この三次元の認識は物質世界の意識です。精神は三次元の枠組みから省かれています。では精神とは何でしょうか。物質世界と非物質世界があることになります。これまで科学は精神を扱ってきませんでした。しかし考えてみれば不思議なことです。科学的思考は精神の作用です。その科学が物質だけを扱い精神を除外しているのはどうもおかしいとしかいえません。ところが、量子論になると精神が物質世界に関与していることが分かってきたのです。いよいよ精神と物質の融合が始まったのです。量子論を持ち出すまでもなく仏教では、初めからこの世界には実体などはなくすべては虚構であると言い放っていたのです。これは色即是空・空即是色と表現されます。この考えは四次元能も同じです。すべては解釈であるといういい方がそれです。ですから悟りとは、この宇宙観を自覚することであり、そのために修行するということになるのです。悟りの宇宙観とは色即是空・空即是色のことであり、四次元であるということです。これをどう考えたらよいのでしょうか。既にこれは仏=四次元時空体(2)で示しました。以下を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072003417
以下引用しました。
本当の悟りとは、本悟=大極=四次元時空体<色(陽優位)⇔空>となり、元に戻らない歯止めが効くことです。つまり、悟りの状態を維持することです。それが元の木阿弥になってしまうのは、色(陰優位)→空→色(陽優位)を、色(陰優位)→(空)→色(陽優位)としてしまうからです。空が抜かれるのです。これを迷いから悟りへの空抜き=通時的変化と捉えてしまうベクトル意識=三次元意識=自我同一性なのです。悟りへの空抜きをしないためには、中間多様体=四次元時空体=平行世界、述語的世界=陰陽クラインの壷であることを自覚しなければなりません。要するに悟りとは述語的思考です。それが本悟=大極=四次元時空体<色(陽優位)⇔空>の空を抜かない四次元時空体になる仏の道なのです。即身成仏(そのままで仏になる)、衆生本来仏(人間は本来仏である)とは、四次元時空体=中間多様体=述語的思考のことなのです。
―――
これで明確になったことは、悟りが得られないのは色→空→色のサイクルで空が抜かれるからです。これを迷いから悟りへの空抜きといいます。その原因は三次元意識=自我同一性であるというところです。色→空→色のサイクルで空を抜かないことが悟りへの唯一つの道なのです。それにはどうすれば良いのでしょうか。私達は色→色という仮想世界を現実と錯覚して慌しく生きています。ここに空という四次元を挿入するのです。空という認識は、この世はすべて解釈であるという悟りであり、物質と精神世界を融合する述語的即非の思考です。禅ではこれを心身脱落といい、座禅瞑想によって可能であるといいました。しかし、既に述べましたように、他の方法と同じように座禅は現代では成功していません。その理由は空が四次元であるという視点がなかったからです。禅問答は四次元的であるのもかかわらず、ただ、支離滅裂の隠喩の使われるぐらいに貶められています。瞑想の本質が見えていなかったからだとしかいえません。瞑想の本質がわかれば座禅やヨガ、荒行など必要がないのです。それでは瞑想の本質とは何でしょうか。いうまでもなくそれは述語的即非の右脳優位の思考です。ここで話が最初に戻りました。四次元能では、瞑想を支援するツールを用意しました。それはインターネットへのアクセス、Webリンクへのアクセス、クリック、検索を基軸とする方法です。これが瞑想支援ツール「シムダイアグラム」なのです。
続く。
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