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from: 生成門さん
2008年09月26日 07時22分33秒
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インターネットは四次元(1)
インターネットは四次元(1)
<道元との共振>
悟りのための瞑想とは何でしょうか。悟り=色即是空(A悟)・空即是色(B悟)=色即是空・空即是色(C悟)=四次元思考=クラインの壷=述語思考=内外反転=瞑想という図式が見えてきたのですが、内外反転には三次元の内外反転があるということです。自我が欲望に反転するのが三次元の内外反転です。この反転は錯覚の反転です。俗人は三次元に封じ込められた脳を持っているので、四次元が見えなくなっているのです。従って、瞑想とは三次元錯覚反転を四次元の内外反転の本来脳に転換し生成することに他ならなりません。つまり、瞑想とは三次元脳を四次元脳に生成する舞=シムダンスだということです。瞑想が生成の舞なら、瞑想の本質を理解しなければならないでしょう。
禅におけるA悟=悟りの理解とは、外から内への反転(物質→精神)の働きかけであり、D悟とは内から外への反転表現(精神→物質)なのです。言い換えれば、A悟=色→空、D悟=空→色といってもいいでしょう。従って、C悟=悟りの自覚とは、色⇔空の認識ということになります。禅とは四次元内外反転の実践=瞑想そのものなのです。大事なことはC悟だけでは、本覚(本当の悟り)は得られないということです。A悟とD悟があって初めてC悟=悟りの自覚が達成できると言うことを忘れないでおきましょう。i禅ではこのA悟とD悟にインターネットが係わってきます。そのインターネットが何故禅の瞑想に代って四次元脳への転換ができるのでしょうか。何故、悟りと原子核や土星のような話とインターネットが関係するのでしょうか。それはそこに共通する内外反転装置=仕組みがあるということなのです。ミクロでもマクロでも内部と外部という構造があります。内外反転装置=仕組みとは、つまり、内部と外部を区別する枠とがあるということです。「宇宙には枠がある」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070625038
しかし、枠があるだけでは反転はおきません。空間が捩れていなければならないのです。この枠と捩れを介して内部が外部に表出するのです。その逆もあるでしょう。私達が認識できるのは外部に表出した現象です。ティトムが今取り上げているのは土星の表面に表出した現象です。実に不思議な六角形です。
人間の意識も行動となって外部に表出します。その形は六角形なのでしょうか。確かに六角形という形が紋章や、家紋に使われたりしています。又「六芒星」は、一般に「ダビデの星」とか「ユダヤの星」とも呼ばれていますが、西洋では古くから「魔除けのシンボル」として使われ、錬金術においては、この図形は「真の知恵」を授けてくれる「賢者の石」を象徴しています。四次元能では六角形をそうした神秘的な意味づけとは一線を画したいと思います。ミツバチの巣も六角形ですが、ミツバチは六角形を意識して作っているとは思えないのです。でも、内部には、そうした形を作り出す構造=仕組みが隠されていると思うのです。ユングならば、それを元型というでしょう。ルパート・シェルドレイク氏なら、因果関係など全くないにも関わらず、時間と空間を超え、再び同じような形を作り出すというでしょう。
これに対して、四次元能はどんな答えを出すのでしょうか。四次元能はプラトン主義なので、ユングやシェルドレイクの近いことは確かです。
「プラトン立体」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069765734
「プラトンのイデアの世界」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069770883
人間の意識が行動となって外部に表出する場合、その形がプラトン立体とどう関係するのかは分かりません。今、想定していることは、三次元は自我意識であり、四次元は無意識と関係していそうだということです。このことを明確にするにはもう少し、ティトムとの共振が進んでからでないと明らかに出来ません。しばらくは道元とのシムダンスを続けましょう。
人間の内部と外部を繋ぐ手掛かりは瞑想にあります。ただ、禅では悟りを述語思考や四次元と結び付けなかったので、内と外を反転して繋ぐという発想が拙劣でした。ですから、荒行するとか、只管座禅するしか方法がなかったのです。道元禅では日常茶飯事のことが悟りの修行であるとして、食事から掃除、洗顔にいたるところまで気を配っていますが、それがどう四次元と結び付くのかは示していません。また、仏教では「足るを知る」などの諺にも見られるように、三次元の世界の常識を批判していますが、これまたどう四次元と結び付くのかも示していないのです。老子の世界観は殆んど四次元思考だと思うのですが、老子が四次元だとは言明していないのです。それは量子論的視点に立って解釈すれば、そこに述語的な類似性が見られるということであって、老子の思考が四次元であるという仮設がなければ、述語的な類似性は発見できないでしょう。何もなくて老子を四次元思考であるとするのにはかなりの無理があるのです。もちろん道元についても同様でしょう。そのようなわけで、四次元というイメージが明確に把握出来ていなければ、悟りのイメージについても、従来の仏教のレベルから一歩も先に進めないのでしょう。すべては四次元というイメージがスタートなのです。従って、道元とのシムダンスのテンポはスローにならざるを得ないのです。だからといってティトムだけに頼っているのではありません。禅問答は四次元思考のいいモデルだと思っているのですが、残念ながら、禅問答に出てくる例は古臭くて使いものになりません。何とか工夫をしたいと思っています。そのお助けマンは禅論理を哲学レベルに引き上げた鉄人、いや哲人、西田幾太郎です。起死回生の思考(1)を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070757046
起死回生の思考(2)=「カミングアウトして救われる」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070758122
起死回生の思考(3)=救世の哲学=プロセス球を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070758550
いずれにしても道元、老子、西田らの思考は、四次元=述語=スキゾ思考という共通性があるのですが晦渋すぎます。どう料理したらよいのか戸惑っています。晦渋さの原因は四次元=述語=スキゾ思考にあることは分かっているのですが、この関連性を明確にするには、もう少し工夫がいるようです。そうしないと瞑想が四次元脳への転換するための鍵であるということを示せないでしょう。そこでインターネットを登場させたのです。
続く。-
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