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シムダンス「四次元能」

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2008年09月26日 07時33分33秒

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    インターネットは四次元(2)瞑想に何が必要か?


    インターネットは四次元(2)
    <道元との共振>

    瞑想は四次元脳に変革するための取って置きの方法です。しかし、ただ座って黙想すればいいというわけではありません。どのようなイメージを持って瞑想するかがポイントです。餅をイメージしても棚から牡丹餅とは行かないのです。道元はA悟、C悟、D悟という三つのクラス分けをしました。これは悟りの段階ではありません。この三つは同時に必要だということです。A悟とは外から内への反転を仕向ける意識の編集(情報の取り込み)です。C悟は内なる状態の自覚、つまり自己編集です。D悟とは、内から外への反転を仕向ける意識の編集(情報の発信)です。これをA悟=色即是空、C悟=色即是空・空即是色、D悟=空即是色としました。既に、本来の悟り(本覚・本悟)で示しました。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071807754
    以下引用です。
    宇宙には生成消滅の原理(宇宙の法則)が働いています。つまり、色即是空・空即是色なのです。陰と陽は対で生成(空即是色)され、対で消滅(色即是空)するのです。大極陰陽図はこの宇宙の法則を示しています。ただし、この図は不完全です。というのは、宇宙は四次元だからです。陰陽が反転して繋がっているクラインの壷が隠れているのです。ですから、大極陰陽図とクラインの壷が合体した陰陽クラインの壷が宇宙の法則を正しく表しているのです。

    空即是色とは、(陰=迷・陽=悟)の中性=大極状態から、陰=迷と陽=悟が分離して生成されるのです。三次元では、陰か陽に偏っています。三次元では対称性が破れるのです。対称性を取り戻そうとするのが宇宙の法則です。エネルギーが保存されるのもその表れです。ですから三次元で見ると、それが通時間的になり変化するのです。

    対称性とは、例えば、自然界では陽子・電子、アルカリ・酸、プラス・マイナス,オス・メスなどです。対称性の破れとは陰陽が偏って出現することです。例えば、自然界では、重力に対する反重力です。反重力は私達の身の回りにはありません。でもどこかにあると思われます。ティトムでは電磁力と強い力と弱い力の総合力ではないかと仮設しています。人間界でも、対称性の破れが見られます。例えば、大概の人は陰=迷として生まれます。三次元そのものが対称性の破れと考えてもいいでしょう。陰陽図の示されているように陰の中には、小さな陽がありますが、本人は気が付いていません。

    しかし、本来、陰陽=迷悟は一体になろうとする性質をもっています。ですから、迷である人間は、悟りを求めるのです。それが対消滅です。対消滅とは色即是空であり、陰=迷と陽=悟の中性状態=大極になることを言います。陰=迷にあるときは、陽=悟は見えていないのです。陽=悟にあるときは、陰=迷は見えていないのです。これが見えたときが本悟=大極です。
    ―――
    このように反転=色即是空・空即是色=陰陽クラインの壷が見えたときが本悟です。瞑想はその本悟を得るための修行であり、意識の編集=脳の編集なのです。これで内外反転=色即是空・空即是色=四次元であることの意味が明確になってきたと思います。C悟の自己編集が禅の核であり、悟=心身脱落=只管打座です。C悟はi禅でも核になるでしょう。ただ、悟=心身脱落=只管打座という図式はとりません。自己編集ですから思考様式が重要なのです。左脳優位の瞑想ではいくら只管打座しても永久に悟りは得られません。述語思考が出来なければならないのです。悟りとは述語思考=四次元=右脳優位なのです。ただこれでは何の解決にもならないでしょう。述語思考が出来るためには述語思考を取り入れなければならないと言っているからです。禅問答に答えるには述語思考をしなければならないのですが、その答えが只管打座のあるというのでは、野狐の禅、馬に念仏と同じことになってしまいます。禅が素晴らしいところに着眼をしていたにもかかわらず、三次元の力=パラノに勝てなかったのは、瞑想の思考様式を誰でもが使えるように方法を示していなかったことに原因があったのです。どのように瞑想するのかが重要なのです。只管打座という形が問題ではないのです。C悟では右脳優位の思考が必要なのですから音から入る黙想が大事なのです。瞑想を支援する「シムダイアグラム」(1、2、3、4、5)を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072470924
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072470969
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072557110
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072626993
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072627544

    黙想であれば、いつでもどこでも出来ます。問題はその中身です。白昼夢で悟りが得られることはないでしょうし、まして戦略的思考などは「以ての外」です。戦略的思考では、ますます三次元思考を強化するだけでしょう。どんな黙想であれば良いのでしょうか。これは四次元能の全般に係わる課題です。C悟がi禅の核ですが、黙想でもよいことになりました。黙想とは言葉を使わない無意識の思考です。無意識に述語思考が出来れば、黙想でなくても良いことになります。音楽を聴きながら、瞑想に耽るのは理にかなっているのです。既に三次元の特徴は、断片的、直線的、段階的であり、四次元は包括的、非直線的、瞬時的といいました。「ながら」とは四次元的なのです。それならばインターネットに常時接続しながら、ブログを読んだり、書いたりしている作業はまさに「ながら」です。「ながら」とは時間が錯綜して、すべてが包括的、非直線的、瞬時的なのです。デスクトップの乱雑さはその証明(内が外に現れている)です。ということは、C悟のために、特別な行動=只管打座=黙想は必要がないと言うことです。「ながら」作業すれば、それはすでに四次元思考=述語思考=包括的、非直線的、瞬時的なのです。ただ只管にインターネットに常時接続しブログすればよいことなのです。ブログしさえすればC悟の様式は整います。しかし、それだけで良いのでしょうか。そんなことでいいのなら、すでに何千万というブロガーが誕生しているといいますから、彼らはもう既に、シムピープル(悟りを得た人)だということになってしまいます。そんなことはあり得ないでしょう。何もなくブログしているのは野狐禅と同じなのです。必要なことは禅と同様にA悟とD悟のための実践なのです。禅を含めて仏教全般にA悟とD悟のための述語思考の実践プログラムがなかったので、人を見て法を説けとか、嘘も方便などという言い方しかできなかったのです。結局、一人一人が暗中模索するしかなかったのです。道元を除いては本悟に至った人は居なかったように思うのです。そのような事が何故言えるのでしょうか。それは時間に対する考え方に現われています。道元は「時間は過ぎ去るのではない」と言いました。そんなことをいった人は他にはいないのです。道元というより釈迦〜道元の系譜といったほうが正しいでしょう。今でこそアインシュタインがそれに近いことを言ったのですが、まだまだ「時間が過ぎ去らない」は常識とはなっていません。「時間は過ぎ去らない」と実感できるにはどのような実践が必要なのでしょうか。そのためのA悟とD悟の述語思考のための実践プログラムとは何でしょうか。
    続く。

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