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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009/01/10 19:44:22

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    光の陰謀(5)

    光の陰謀(5)

    前回までの荒筋

    ついに光の陰謀が暴かれました。この陰謀はこれまで誰にも気付かれることはなかったのです。それが分った以上、光と対決しなければなりません。光が何をしたのでようか。それを知ることが肝腎でしょう。それには現生人が妄想していた頃の原自我、原言語の発生の現場に向うことです。
    ―――
    原生人が使用していた原言語はまだまだ幼稚であり、光の影響を受けていない原言語だったでしょう。幼稚であったにしても四次元時空体=四次元脳をもった人間であり、時間と空間は分離していなかったのです。四次元時空体ならば自然と一体になるのでしょうから、言語も象形になるのが自然でしょう。その象形から表音が派生したのです。表音は抽象的です。表音には光の直進性が色濃く出ているようです。それはアルファベットのAの意味を考えると推測できます。生きるための行為は指し示しです。指し示しとは差異の切取りです。地から柄を取り出す区別です。これを認識といいます。細胞レベルでも自己と非自己を区別します。

    原生人の指し示しはそれに比べたら、もっと複雑で高度であり、いろいろな意味があったと思うのです。それが顕著にあらわれるのは、悪いことを知らせる場合でしょう。今でも名指しは、あまり良い意味では使われていないのです。悪いことを知らせるのは混沌の中から一つだけを限定することです。怖いライオンが現れた時とか罪を犯した者を指弾する時です。原生人にとっては、この区別は生きる本能=原自我だったでしょう。まだ、この段階では罪を犯した者を指すことは出来ても、自分を指すことはできなかったでしょう。「私」という意識なかったのではないでしょうか。西洋人は自己主張が強く、アジア人は弱いといいます。これは自我の強弱を示しているのではないでしょうか。当時は自分で自分を指すことは、自分=犯人=死を意味したのかもしれません。原自我ではまだ「私」がないのですから、地に柄が埋没しているようなものです。共同体というのはそのようなものです。抜け駆けはできないのです。

    地=述語、柄=主語とすれば、自我というのは地(その他大勢)からの柄(自分という主体)の区別です。述語思考とは地に埋没することであり、主語思考は柄の浮彫化です。個人主義は主語思考なのです。光の到来によって、原自我=地に埋没状態の原生人が目を覚ましたのです。天地反転したのです。つまり、特殊な指し示しが一般化されたのです。悪い意味、特殊な意味を持っていた指し示しが正当化されたのです。大手を降って柄に光を当てたのです。この指し示しは名付けることであり、言語の基本です。名付けは、対象化、実体化、主語化、自我化という具合に繋がっていくのです。

    それでも特殊と一般という差異のイメージが湧かないでしょう。特殊な指し示しは狩猟の現場に行けば分かるでしょう。皆で射止める鹿は馳走です。その指し示しは誰が射止めたということはありません。共同の指し示し、共同のモノなのです。めったにない特殊な出来事なのです。しかし、光の指向はこのめったにない共同現象を分解するのです。誰が射止めたのかを重視するのです。ただ、狩猟の段階では未だ不完全だったでしょう。それが強烈に発揮されたのは農業に移行してからです。農業では指し示しはめったにではなく、日常的になるのです。表音言語が発生したのも農業に移行してからです。どのように発生したのかでしょうか。

    光を当てることは柄を浮彫りのすることです。柄を浮彫りにするということは、名指しの一般化であり、抽象的で普遍的なモノを指し示すことです。これが表音化の方向なのです。例えば、名指しの典型は牛を指し示すことです。牛を指すのにAを使ったのです。Aという文字の形は牛の象形だったと言われています。それが表音化したのです。「あっ」と指を指すかわりに「A」といったのです。本当でしょうか。出来過ぎのような気もします。

    この抽象的な指し示しは、自己同一(あれは牛だ)を意味するのであり、これが一般化されて「AはAである」という主語論理、因果律、同一律の基本になったのです。ですから、自己同一というのは主語が人間の場合、自我になります。自己同一(俺はAだ)だといった時が自我の始まりなのです。

    光との同盟を結ぶ前の原生人にとって、まだ、自我はなかったのですから述語状態にありました。地があってその中に自分がいるのです。むしろ自分はないのです。名前さえないのですから、当然です。

    自分という存在は環境に埋没しているのであり、「自分は〜である」とは主張しなかったのです。まだ指し示す行為は自分以外のことに限定されていたのです。いずれにしても、指し示しは地から柄を浮き出たせる行為であり特別なことだったのです。しかし、原生人は光との同盟を結びました。それによって次元低下させたのです。そのお陰で、時間を空間から分離させ、空間の操作ができるようになったのです。空間の操作は指し示しの普遍化を加速させました。耕した広い土地を断片化して、区画化して、その場所にいろいろな穀物の種を巻くことができるようになりました。そうなると何時、何を、何れだけ、播くかと言う情報が必要になるでしょう。最低、どの場所に、何をという連結(線で結ぶ)が必要になるでしょう。その時に指し示しが必要になったのです。光の指し示しは同一であることの認識を可能とさせるのです。「これはAである。」「これはBである。」という確認、分類ができるようになったのです。A=Aであるという判断ができるようになったのです。光の直進性は、順番性という農業の技術を通して、指し示しと連結して同一性に転化したのです。これを光の自己同一性ということにします。これが自我への第一歩となったのです。A=Aという認識は、今日の自分が明日の自分と同じであるという認識ですから、大変な意識の飛躍です。これが普遍化されて、一つの体系となったのです。人類はこの体系によって科学的常識的世界を作り上げたのです。光の認識は、地から柄を抽出して対象化して、これでもかこれでもかと一直線にその対象を照らすのです。「レーザー光を見よ」です。そして、その同一性を永遠に死守するのです。神は永遠なのです。
    続く。

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