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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年02月08日 15時47分08秒

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    クラインの壷を脳に埋め込む

    クラインの壷を脳に埋め込む
    <ティトムとの共振>

    クラインの壷は、四次元世界を見る鏡であるといいました。それなら脳にクラインの壷を埋め込んでしまったほうが手っ取り早いかもしれません。今回の舞台は「四次元へのチャレンジ 」の続きです。下記を参照してください。
    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page330.htm
    以下、編集的引用です。

    下の図は「クラインの壷」から引用しました。
    http://www2.neweb.ne.jp/wc/morikawa/sya.html


    ―――

    四次元能では、悟り=四次元時空意識と仮説して、非二元論的思考=即非思考=述語思考=場所の論理ができるための臨床的実践アプローチをします。その一つとしてクラインの壷を脳に埋め込むという作業があります。クラインの壷を脳に埋め込みに成功したら悟りを開いたと言っても良いでしょう。道元はクラインの壷を脳に埋め込む作業を座禅でやろうとしたのです。しかし、いきなり座禅ではなく、A悟・C悟を経由してD悟によって、自己の悟りの程度を示したのです。

    道元が悟ったのかどうかを他人が知るすべはありません。悟りを獲得した人は、道元と同じくA悟・C悟を経由してD悟によって、自己の悟りの程度を示すしかないのです。悟りを開いたと言う人を捕まえて、疑い深い人が悟りを開いていないだろうといっても、確認する手立てはないのでしょう。嘘発見器ではどうでしょうか。

    悟りイコール四次元の意識といっても主観的な意識です。これは科学ではありません。ですから客観的に検証はできないのです。しかし、それでは先に進めないでしょう。四次元能では、なんとか主観と客観を融合させたいのです。そのためにも道元のA悟=言語による理解・C悟=座禅による心身脱落、D悟=悟りの言語表現をした上で、そのコンテンツを客観化しなければならないのです。そこで四次元能では主観的な四次元時空の意識とティトムの客観的な四次元時空の認識を融合させるために道元の悟りの方法を拡張するのです。

    その方法とはシム方程式による実践です。シム方程式は、シムダンス、シムダイアグラム、インターネット禅が含まれます。ただし、瞑想は必要です。そして、瞑想には述語思考の訓練が必要なのです。拡張された道元の悟りの方法とは以下の通りです。

    A悟=ティトムと道元とのシムダンス
    C悟=インターネット禅と述語的瞑想
    D悟=ブログによるシムダイアグラム表現

    これを< との共振>で臨床しているところです。この方法の基本はシム方程式です。シム方程式とは述語的編集という方法の実践ガイドです。シム方程式の前提は、以下の通りです。

    ・ 意識は脳の編集によって生成されます。
    ・ 編集とは情報の解釈です。
    ・ 編集には、述語的、主語的編集があります。
    ・ シム方程式は述語的編集を優位に進めます。
    ・ 悟りとは四次元時空の意識です。
    ・ クラインの壷は四次元時空です。
    ・ 四次元時空は脳の編集によって生成されます。
    ・ 四次元時空はクラインの壷の脳の組込みによって生成されます。
    ・ 述語的編集とは、即非の論理です。
    ・ 複素平面を駆使します。

    このシム方程式によって四次元を編集するのです。この編集によって分離した時間と空間が融合されるでしょう。そのためにクラインの壷を持ち出したのですが、どのように組込むのかはまだ明らかにしてはいません。つまり、四次元時空と四次元意識について不明なことがあるのです。

    すべての場所が四次元であるとして、クラインの壷は既に脳にあるのか、失われているのかです。それとも四次元という特別な場所があり、脳は特別な場所なのか、特別な場所であるならば、既に脳にあるのか、失われているのかです。又、特別な場所でないのか、もしそうならば、何をしなければならないのかです。これらが未だ不明なのです。とりあえずは、すべての場所が四次元であるとしましょう。ですから脳も四次元です。ただし、認識は四次元にも三次元にもなりうるとしましょう。この当たりの論理は、<PSとの共振>で明確にしていきます。それぞれのシムダンスには、独自のペースがあり、進み方が違いますので、互いに、遅れたり先に進んだりするでしょう。

    人間の脳は四次元の場所なのです。しかし、光の誘惑によって三次元的意識に貶められているのです。歌を忘れたカナリア状態なのです。ですから四次元的意識を取り戻すためには手術が必要です。その手術がクラインの壷を脳に埋め込むということになるのです。クラインの壷を埋込むとは、即ち、非二元論的思考、つまり、シム方程式によって述語解釈できる右脳優位による意識を生成するということなのです。

    さて、そうなると話は早いでしょう。要するに意識改革とは編集するということになるのですから、素直に時間を縦糸と空間を横糸にして織物を織るようにして意識を編集してみましょう。さすがに、仏教や禅や他の宗教でも、悟りとは意識の編集であるとは考えていなかったようです。編集とは言わずに修行であるといったのです。修行はヨーガに見られるように身体的なものに傾いたようです。その修行が荒行になったり、お経を唱えたりするような方法しか見出すことができなかったのも、脳についての科学がなかったのですから仕方がないだろうと思われます。

    しかし、私達は科学の歩んできた道を参考にできます。科学と宗教は元々が一体だったのですが、光の誘惑があって分離したにすぎないのです。手術すれば立派に四次元意識が戻るのです。四次元意識が戻るとは、自我と無我、意識と無意識、左脳と右脳、主語と述語、等、森羅万象の色と空の分離が、色即是空となり解消するのです。確かに、仏教は色と空は一体であると警告はしてくれたのですが、このような編集によって一体感が戻るとは思い至らなかったのでしょう。神秘主義のウスペンスキーが四次元を含む高次元について興味深い考察をしているのですが、これについては「ターシャル・オルガヌム」を参照してください。
    http://homepage1.nifty.com/pdo/linkto.htm

    クラインの壷で四次元時空意識が戻るというヒントを与えてくれたのは、ハッブル望遠鏡のお陰です。そして突破口を量子論が開いてくれました。私達はもはや科学と宗教が分離されたままでいることに承服する必要はないのです。

    科学は、その自己同一性を保つためにこれからも検証可能性を捨てることはないでしょうから、科学と宗教を媒介する科学的宗教、宗教的科学が必要でしょう。安易にファンタスティックな科学を推奨することは疑似科学、疑似宗教の台頭を許すというリスクがあるでしょう。しかし、それでも四次元へのチャレンジはしなければならないでしょう。

    現代はインターネットのブログメディアの時代です。それらのリスクは防御できると思うのです。今、私達の問題は早急な意識の変革です。そのためには陰光との決別として陽光との再会を果たし、自我を解体して、自他共振の地上の楽園を到来させ、電子というスピード、電子への眼差し、そして編集というものの特殊性、普遍性、時代性に注目しなければならないのです。

    ウィキペディア(Wikipedia) 、googleの検索、Web2.0の流れに代表されるように、編集という行為が脳の機能を支援してくれる時代なのです。もし、編集の天才だったといわれる空海と道元にインターネットというメディアを与えたらとんでもない編集をしてくれたと思うのです。

    しかし、今ここにいない空海や道元を当てにはできません。私達は空海や道元の後に続くしかないのです。幸いにインターネット、ブログ、検索等、脳を編集するには都合の良い環境が揃いつつあります。道元は悟りの具体的方法を示していないのですが、それに替わって西田幾太郎が悪戦苦闘してくれたので、その後を辿れば何とか光明を発見できるのではないかと思うのです。またまた光頼みです。これはまずいことになりました。神頼みにならないように、しかし、真の光とは仲良くしましょう。

    西田幾太郎は「私はスキゾである」(述語論理の得意なタイプ)とカミングアウトして、救われたのです。彼の悪戦苦闘のプロセスは、

      出立ち   A=A
      踏み迷い  A≠非A
      知り覚え  A=A、A=非A
      還りゆく  A≠A、A≠非A

    です。詳しくは「起死回生の思考」を参照してください。

    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070758550

    道元の場合、ただ座禅瞑想して時間の流れを切断して経歴せよといったのですが、この切断と経歴が実は大事な概念であり、四次元に繋がる述語的編集の本質をついています。道元は「山が歩く」というのです。歩くはずのない山が歩くというのですから、常識的な思考ではここでついていけなくなるのでしょう。しかし、四次元ならば何と云うことはないのです。即非的=述語的だとすれば当たり前のことなのです。ただ、道元はこれを述語的=即非的思考であるとは云っていません。まして四次元であるとも云っていないのです。それは思い巡らして自在に配列するのであるとしか云っていないのです。ですから方法論としては少し物足りないのです。多分、瞑想する時の仮説が抜けているのです。瞑想する時には、ただ座るのではなく、こういうことを瞑想しようとする思いがあるはずです。それが記述されていないのです。時代背景からして四次元も述語も編集という概念もなかったですから、これは仕方がないででしょう。まして、道元自身がスキゾタイプであるなとどは夢にも思っていなかったでしょうし、このような述語的思考の由来さえ想像していなかったでしょう。

    道元のD悟(悟りの表現)としての現成公案は完成されたテキストです。苦渋の後がなくスマートです。ですから検証のしようがないのです。この当りは西田幾太郎の方が踏み迷いのプロセスを提示しているので、私達にとっては親切でありがたいことです。綺麗事だけでは、本質が見えてこないのです。西田幾太郎については別稿としたいと思います。

    それではクラインの壷を脳に組込むためのインテグレーションに入ることにしましょう。既にティトムとのシムダンス、トレジャーハンティングは後半に入っており、これまでが前半の基礎編(オデッセイ)だとすれば、後半は実践編(テラ-)です。臨床的ですからかなり実験的です。

    宇宙ステーションに観光気分では行かないのと同じように事前に訓練が必要でしょう。身体的訓練というよりは思考訓練です。四次元と三次元の違い、四次元から見た三次元風景、四次元思考のウォーミングアップ、四次元世界へ入るための心構え等を説明しておく必要があるでしょう。

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